#20-2 復讐と涙
「……一つ答えて」
「…………」
「どうして……どうして、望兄を殺したの?」
その問いは、綾乃の中にずっとあった疑問。
何故仲が良かった二人が、親友だった筈の朔が、兄を殺したのか。
何がきっかけだったのか。
綾乃は何も知らない。
あの日、彼女が最後に見た二人は普段通りで、だからこそ、綾乃は分からなかった。
二人の間に何があったのか。
何故、朔は望を殺したのか。
「…………」
朔は何も言わない。何も答えない。
それは、以前と全く同じ態度。
綾乃があの現場を目撃した後に朔を問い詰めた時と変わらぬ反応。
ぎり、と唇が切れてしまうのではないかと思うほど、綾乃は強く唇を噛みしめる。
「それがアンタの答えか! 卯月朔!」
「っ!」
綾乃にとって復讐が全てだった。
彼女にとっては復讐が生きる理由であり、原動力だ。だからこそ、彼女は自らの命を顧みることはない。それ故、綾乃は自らに突き付けられた銃に怯むことなく、振り返った。振り向くと同時に薙刀を一閃させる。
綾乃の行動に朔はとっさに距離を取り、斬撃を躱す。
朔はその行動に驚いたように目を見張り、それから小さく息を吐き出した。
「死に急ぎすぎだよ、綾乃」
「黙れ! 気安く私の名前を呼ぶな!」
「綾乃が死んだら、望が悲しむ」
「っ、お前、が……お前が、望兄のことを語る資格なんてない!」
朔の言葉に綾乃は激昂して、乱暴に薙刀を振り回す。しかし、怒りに支配された攻撃など、当たる筈もない。
朔は綾乃の攻撃を避けながらも言葉を続ける。
「そうだね。でも、俺は頼まれたから」
「うるさい!」
「アイツに……望に頼まれたから。綾乃のこと」
「黙れぇええええええええ!」
綾乃の絶叫を消し去るように響いたのは発砲音。
怒りと憎悪に満ちた綾乃の動きは単純で、狙いを定めるのはあまりにも簡単であった。
弾丸が綾乃の体に着弾すると同時に光の鎖が彼女の体を封じた。
武器を持っていることもできずに薙刀が地面に落下する。だが、綾乃自身は拘束から逃れようともがいている。
「無駄だよ。俺は退治よりも封じる方が得意なんだ。綾乃は知ってるだろ?」
「っ、くっ、こんな……ものっ!」
どれほど力を込めようとも拘束は緩むことなく、むしろ足掻けば足掻くだけ拘束は強くなっていく。
それでも綾乃は足掻くのを止めない。鎖が体を締めつけようとも抗い続ける。その目は、朔だけを捉えている。
憎くて、憎くて、何度殺しても飽き足らないほどの憎悪が綾乃の感情を支配していく。
自分でも感情の制御ができない程の怒りが彼女を支配していく。
誰よりも何よりも大事だった兄の仇がすぐ傍にいるというのに手が出せない。その怒りが、恨みが、爆発寸前まで溜まっていく。
そして、そんな激しい怒りに呼応するように、ソイツは突然現れた。
「――――――――!」
咆哮。
それは、空気を震わせるほどの声量で放たれた。
この世の全てを憎み、この世の全てに怒り、この世の全てを否定するような雄叫びであった。
全身に炎を纏い、全てを破壊するまで止まる事はないと本能が理解してしまうほどの怒りを湛えた
突然現れた憤怒に驚く暇などなく、彼は跳躍した。
他の何にも目もくれず、彼が狙いを定めた先には、鎖で拘束されたままの綾乃がいる。
「綾乃ちゃん!」
皐月と交戦していた壱伽が仲間の危機に気付いて、声をあげる。だが、それだけだ。彼女にはそれしか出来なかった。壱伽が矢をつがえるより早く、憤怒は綾乃の元に辿りついてしまうから。
そして、綾乃は自らに迫る憤怒に何の動きもできなかった。たとえ、彼女が拘束されていなかったとしても彼女は何も出来なかっただろう。
それほどまでに憤怒の動きは、早かった。
たった一人を除き、その場にいた誰もが綾乃の死を確信した。だからこそ、誰もが次の瞬間、広がった光景に目を見張る。
「……え?」
襲い来る筈の痛みはなく、代わりに自らにかかった生暖かい液体。そのことを不思議に思って、顔をあげた綾乃の視界に飛び込んできたのは――綾乃を庇うように立っている朔の背中。そして、彼の背中から突き出ている赤い拳。それが血なのか、炎なのか、綾乃には判別できなかった。
ただ眼前の光景が信じられなくて、彼女は茫然と朔の背中を見上げていた。
時間が止まったかのように思える感覚の中、ゆっくり、ゆっくりと朔が振り返る。
振り返った朔と彼を見上げていた綾乃の目が合った。
朔は綾乃の無事を確認すると、安堵したように柔らかく微笑む。
綾乃にとって、時間の流れがひどく遅く感じられた。その一連の流れは、恐らく時間的には一秒にも満たない筈だ。それでも綾乃にとっては、ひどくゆっくりと感じられた。
そして、ぐらりと力を失ったように朔の体が傾く。
彼の体が地面に倒れるまで、彼女はスロー再生の映画でも見ているかのような感覚に陥っていた。
自らを拘束していた光の鎖が音もなく砕けて消えていくことすら、今の彼女には認識できなかった。
そんな彼女の時を戻したのは、悲鳴に近い皐月の声。
「朔っ!」
皐月が駆け寄って朔の体を抱き起こす。
その体からはおびただしい量の血が流れている。一目で助からないと分かる傷であった。もっともそれは彼が真祖を宿さない普通の人間であったのならば、の話だ。
「……二兎、追う……ものは……一兎も得ず、か……」
「あんた、何言って……?」
「アサちゃ……ごめ……あと……おね、が……」
朔の意識が完全に途絶えた瞬間、彼の全身から立ち上る気配が変質する。
皐月は咄嗟に朔から距離を取り、鉄扇を構える。
「……馬鹿朔。無茶ぶりしてんじゃないわよ」
悪態をつきながら、彼女は考える。
憤怒と怠惰の真祖。二人を同時に相手にするなど分が悪いにも程がある。最悪、彼女自身も真祖化してもおかしくない状況だった。
思わずため息をつきたくなる状況で、真っ先に動いたのは憤怒であった。
憤怒は再び綾乃に向かって、跳躍する。
綾乃を拘束する鎖は既に消えているが、先程から茫然としたままの綾乃は自らの危機に気付かない。
「ちっ! なんだって私が!」
綾乃を狙っていた憤怒の拳を防いだのは、皐月だった。
皐月は綾乃を庇うように彼女の前に立ち、憤怒と向き合う。
「……なん、で……?」
それはあまりにも小さな声での疑問。
それでも皐月の耳には届いたらしい。彼女は一瞬だけ振り返り、それから完全に気配が変質した朔を一瞥する。
「私は貴方と朔の間に何があったのかなんて知らない。それでも、アイツが貴方を守ったから」
繰り出される憤怒の拳を鉄扇で防ぎながら、皐月は答える。
「前世と現世。アイツにとってはどちらも大事で、どちらも選べなかった。だからこそ、あんな不甲斐ない結果になったんでしょうね」
ちらりと一瞥するのは真祖として覚醒した朔の姿。
いまは体の回復に努めているが、回復次第動き出すだろう。
皐月は苛立ったように舌打ちをして、一瞬だけ自分の内に封じ込めている真祖の力を引き出す。
主導権を奪おうとする真祖を押さえつけ、その力だけを奪い取る。一時的に身体能力が向上した皐月は、軽々と憤怒を吹き飛ばす。そして、一足飛びで怠惰に近付くと同時に鉄扇を振り上げた。
「駄目っ!」
無防備な怠惰に攻撃しようとした皐月を止めたのは綾乃であった。彼女は愛用の薙刀で皐月の鉄扇を受け止めている。
朔を庇うような行動をした綾乃に誰よりも驚いたのは綾乃自身だった。彼女自身、何故自分が朔を庇うような行動をしたのか分かっていなかった。何故、殺したいほど憎んでいる相手を庇っているのか。
自分自身の感情が分からずに混乱する綾乃に皐月は悪役のような笑みを浮かべる。
「……ほんとどいつもこいつもまだるっこしいわね。どっちも大切なら、両方選べばいいのに」
「え?」
「馬鹿朔! どうせ聞こえてるんでしょ!? 一度だけ言うわよ! 私からしてみたらあんた達は欲がなさすぎよ! 私は諦めないわよ! 今度こそ私達は幸せになるの! 誰も悲しまない。誰も犠牲にしない。誰もが笑いあえるハッピーエンドを迎える為に私は諦めない! それがどれほど辛い道でもどれほど困難であろうと、私は諦めない! 欲しいと思ったものは絶対に諦めない! だから、あんたも全部手に入れるぐらいの気概をみせなさいよこの馬鹿!」
その言葉が真祖化した朔に届いたかは誰にも分からない。だけど、彼を庇うようにしていた綾乃には確実に届いた。
綾乃は皐月の言葉に茫然とする。なんて人だと呆気にとられる。そして、同時になんて強い人なのだと思う。
彼女は諦めない。彼女は欲しいものは全てに手を伸ばす。それがどんなに難しくても彼女は決して諦めないのだろう。
ああ、それはなんて、なんて――。
「……強欲な人ね」
ぽつりと呟かれた言葉に皐月は笑う。どこまでも美しく笑う。
「当然よ。伊達に強欲の真祖に選ばれてないわ」
綾乃は小さく笑う。
未だに彼女の中にはあの日の光景が残り続けている。胸の奥に燻る黒い炎は何も変わらない。なによりも憎い相手を殺してやりたいという気持ちは薄まっていない。許す気も更々ない。それでも、そんな感情と相反する小さな感情を彼女は確かに感じ取った。
綾乃は薙刀を強く握りしめる。
「……協力するわ。朝永先輩」
「綾乃ちゃん!?」
「あら、良いの? 私は真祖側よ?」
「いまは暴れてる真祖を退治する方が先。そうでしょ、壱伽」
共闘を申し出た綾乃に壱伽は驚くが、暫し悩んだ末に小さく頷いた。彼女も実際の真祖を見て、優先すべきは覚醒した真祖の方だと分かっていたのだろう。
「分かりました。今だけは共闘します。ですが、あの真祖達を倒した後は貴方の番ですからね」
「上等よ。……けど、貴方達は遠くから援護しなさい。下手に近付くと呑まれるわよ」
冗談でも何でもない皐月の言葉。それは先程から肌に絡みついてくる不快感で感じ取っていた。
綾乃と壱伽は反対することなく頷く。
二人の反応に皐月は楽しそうに笑って、改めて二匹の鬼に向かい合う。
「さあ、優斗君が来るまで相手してもらうわよ。私のハッピーエンドの為にもね」
キミとの約束 蒼野 棗 @aononatume
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