その3 壬生奏多

 閑静な住宅街の入り口に立つカフェ。


『天使の演習』。


 本日もあまり盛況とは言えない客の入りで、わたしは泪華ちゃんか紫苑ちゃんでもこないかなと、ぼんやり思う。泪華ちゃんの好きな男の子の話とか、紫苑ちゃんがきらいらしい男の子の話が聞きたかった。


 カランコロン


 と、不意にドアベルが鳴った。……ぼうっとしていて、お客さんがきていることに気がつかなかった。まぁ、そのためのドアベルだけど。


「いらっしゃいませー」


 わたしは慌てて入口へと顔を向ける。


 と、そこには茜台高校の制服を着た女の子が立っていた。でも、泪華ちゃんでも紫苑ちゃんでもない。


 ふたりに勝るとも劣らない美人さんだ。


 長身に映える長い黒髪に、怜悧な面立ち。まだひと言も発していないのに、わたしは彼女からどことなく超然とした雰囲気を感じ取っていた。


 わたしが思わず言葉を失くしていると、彼女は首を傾げた。案内もせずに突っ立っているからだろう。


「あ、ごめんなさい。お好きな席にどうぞ」


 慌ててそう告げると、彼女は予め決めていたかのようにお店の最奥の、窓からいちばん遠いテーブル席に迷いなく向かった。わたしもお冷を持って追いかける。


「ご注文、決まったら読んでくださいね?」


 わたしはグラスを置きつつそう言って、一度下がろうとする。


 が、


「すぐに決めるわ」

「え?」


 と、声を発するわたしの前で、彼女はテーブルの上に立ててあるA5サイズのメニュー表を一瞥した。


「ブレンドを、ホットで」


 即決だった。


 そして、頼んでしまえばほかのメニューに興味はないとばかりに、制鞄からノートとレザーのペンケースを取り出しはじめる。……実にクール。


「わかりました。すぐにお持ちしますね」


 そうしてわたしはいつものように自分でコーヒーを用意し、それを持って戻ってきた。そのときには、彼女はテーブルの上にノートを広げていて、わたしはカップとミルクピッチャーを邪魔にならないように置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 カウンタに戻る。


 遠目に彼女の様子を窺っていると、さっそくカップに手を伸ばしていた。ブラックで飲むかと思いきや、意外にもテーブルの上にあった角砂糖をひとつ取り、入れる。それをスプーンで混ぜてから、今度はミルクを少し垂らした。


 彼女はノートに視線を落としながら、カップを口に運ぶ。


 好みに合うだろうかと心配していたけど……表情に変化なし。美味しいと思ってくれたのか、さっぱりわからない。


 うーん、感想を聞いてみたい。というか、話がしたいぞ。


 わたしは意を決し、頃合いを見計らって声をかけることにした。


「こんにちは、っていうのも少し変ですね」


 そう切り出す。

 彼女がノートから顔を上げた。


「うちは初めてですよね? どうですか、コーヒー、お口に合いましたか?」

「とても美味しい」


 短くそう感想を告げる。


「本当はもっと巧く淹れられるのに、そこをあえて気取らず、親しみやすくしている感じを受ける」


 そして、そう続けた。


 ぶっきらぼう、とはまたちがった話し方。きっとこういう言い方になってしまう性格なのだろう。


「そんな感想は初めてですね。でも、気に入ってもらえたのなら嬉しいです」

「ただ、あまりここには足を運べないかもしれない」

「そうなんですか?」


 かなり断定的な言い方に、わたしは首を傾げる。


「普段は学校の図書室に寄って帰っているから。今日はたまたま」

「そうなんですね。つまり今日は休室日?」

「図書委員の母親が亡くなったらしい」


 彼女はわずかに顔を曇らせる。


「それはお気の毒に……」


 わたしもつられて物悲しくなった。


「私はこんな性格なので、なんと声をかけていいかわからない」


 彼女は、その超然とした雰囲気や不遜にも聞こえる話し方に似合わず、弱気な言葉をこぼした。まるでそれを誤魔化すようにコーヒーカップを口に運ぶ。


「わたしならあまり気を遣われても困るし、普通でいいんじゃないでしょうか」


 まさか高校生で「このたびはご愁傷さまです」なんて挨拶をするわけにもいかないだろう。


「その図書委員の人とは仲がいいんですか?」


 ただの図書委員とそこを利用する生徒の関係なら、そんな心配はしないだろう。会えば言葉を交わす関係だからこその心配だ。


「少しは」

「男の子ですか?」

「そう」


 きらーん★

 これは恋の気配!


「実はちょっと気になっていたりして?」


 わたしが冗談めかせてそう聞いてみると、彼女は切れ長の目をこちらに向けた。「お前は何を言っているんだ」みたいな目だ。わたしは思わずたじろぎかけた。


「それはないわ」


 と、彼女。

 別に怒るわけでも、呆れるわけでもなかった。


「あれもそんな気持ちはなさそうだし、自分は恋愛に向いてないと思い込んでいるから」

「そうなんですね」


 あれ? 『恋愛に向いてない』って、どこかで聞いたフレーズだ。どこだっただろう?


「その思い込みが解けたとき、好意を向ける相手はきっと私ではないわ」


 やはりこれも断定的だった。寂しがっている感じはない。淡々と事実だけを述べるかのよう。


「私もそういうのは苦手。束縛されたくないし、誰かを束縛したくもない。今は異性よりもここのコーヒーが好きね」

「ありがとうございます」


 クールな彼女にしては茶目っ気のある言い方で、わたしは頬が緩む。案外そういう面も持ち合わせているのかもしれない。


「でも、わたしとしては複雑ですね。うちのコーヒーを好きになってもらえるのは嬉しいですが、年ごろの女の子には男の子を好きになってほしいですから。……気が向いたときにでも、また飲みにきてくださいね」

「ええ」


 彼女はそう答える。


 リップサービスが得意そうではないから、この言葉に嘘はなく、きっとまたきてくれるだろう。本当に『気が向いたときに』かもしれないけど。


「お名前を聞いても?」

士総一郎つかさそういちろうです」

「え?」


 男の名前? 実はこう見えて男性? それとも今まで話題にしていた図書委員の男の子の名前?


 わたしが混乱していると、


「冗談よ。……壬生奏多」

「ああ、びっくりした」


 どうやら本当に稚気のある性格らしい。


 奏多、ちゃん? ……うーん、どうも変な感じがするので、『奏多さん』と呼ぶことにしよう。

 

 

 

**+**+**+**+**+**+**+**

 

 

 

今回出てきた壬生奏多は、新作ラブコメ『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』の登場人物のひとりです。

どんな女の子か気になる方はそちらをご覧ください。

( https://kakuyomu.jp/works/1177354054917289111 )


『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』は、8/17まで毎日19時更新です。


なお、これで連続更新は終わりです。

数年ぶりの更新にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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