その2 蓮見紫苑
閑静な住宅街の入り口に立つカフェ。
『天使の演習』。
今日も今日とてあまり盛況とは言えない客の入りで、つい今し方少ないお客さんのひとりが帰って、一段と寂しくなった。
全面窓に面したテーブルを片づけていると、外の通りをひとりの女の子が歩いているのが見えた。茜台高校の制服。泪華ちゃんかと思ったら人違いだった。ちょっとギャル系入りかけのショートカットの子だ。スタイルがとてもいい。
初めて見る顔。
彼女はお店に入ってくるだろうかと見守っていたら、ありがたいことに入口へと回り込んできた。
扉の前でぴたりと立ち止まる。……残念。うちは自動ドアじゃないんだなー。
すぐに自動ドアでないことに気づくと、彼女はレバーを握り、引き開けた。
カランコロン
と、ドアベルがいつもの涼やかな音を奏でる。
だけど、彼女はその音にはまったく興味を示さず、店内を見回す。きっとここがどんなところか、確認しているのだろう。
「いらっしゃいませー。お好きなお席にどうぞ」
わたしがそう勧めると、彼女は窓際の席に腰を下ろした。
先ほど帰ったお客さんのグラスを手早く片づけた後、わたしはお冷を持って彼女のところへ行った。
「いらっしゃいませ」
グラスをテーブルに置きつつ、改めて声をかける。
「ご注文はお決まりですか?」
「……アイスコーヒーで」
彼女はメニューも見ず、ぶっきらぼうにそう告げた。
コーヒーとひと口で言ってもいろいろあるのだけど……たぶん今、彼女は美味しいコーヒーが飲みたくてここにきたわけではないのだろう。ここはリーズナブル、且つ、当店自慢のブレンドコーヒーをアイスで出すことにする。もちろん、ちゃんと美味しい。
わたしは先日の泪華ちゃんのときと同じように、自分でコーヒーを用意して彼女のもとに運んだ。
「お待たせしました」
「ん……」
窓の外を見ながら「そこに置いといて」みたいな発音をする彼女。わたしは彼女の前に、コーヒーのグラスとストロー、ミルクの入ったミルクピッチャーに加えて、最後にポーションタイプのガムシロップをひとつ添えておく。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言ってわたしが下がると、それを待っていたわけではないのだろうけど、女の子はゆっくりした動作でミルクとガムシロップをコーヒーに入れ、ストローでかき回しはじめた。
そうしてコーヒーを飲む。
だけど、何だかヤケっぱちのような飲み方だった。乱暴にストローで吸い上げ、一気に半分くらいがなくなる。グラスもできるだけそっとテーブルに置こうとしたのだろうけど、それでも叩きつけるような大きな音が鳴った。
最初からそうだった。お店に入ってきたときから、彼女はぶすっとしていた。それから黙って窓の外を見ている間に、またいやなことでも思い出したのかもしれない。今や彼女は、誰が見ても怒っている顔だった。
そんな乱暴な飲み方をしていれば、コーヒーもすぐになくなってしまう。もう二回も口をつれば、グラスは空になっていた。
「今日は暑いですね」
わたしは彼女のもとに行くと、そう声をかけながらポットを傾け、グラスに冷えたコーヒーを注いであげた。もちろん、ガムシロップも置く。
彼女はわたしの顔とコーヒーを交互に見た。
「うちのコーヒーはどうですか?」
「え? えっと……」
それから言葉を探すが、しかし、彼女の口からは何も出てこない。それはそうだろう。味わって飲んでいるとは思えなかったもの。
わたしは彼女を困らせる問いから、別の話題に切り替える。
「何か悩みごとでも?」
「えっと、まぁ、そんなところ」
曖昧にして誤魔化すような彼女の答え。
そして、それっきり。
「あら、おしえてくれないんですか? 今おかわりあげたじゃないですか」
「ぶっ」
彼女は噴く。
「頼んでもないのにくれたのはそっちじゃないですかっ」
「安心してください。今日のこれはサービスですから」
「じゃあ、ますますおしえる理由はないですよねっ」
「まーまー、そう言わずに。……悩んでるのは男の子のことですか?」
確かにそうだけど、ここは強引にいくのが吉。
「……いちおう、そうなるのかな」
わたしが問いを重ねると、彼女は渋々答えた。
「じゃあ、恋の悩み?」
「冗談を」
即答。
「絶対に好きになれないタイプですよ」
ふん、と鼻を鳴らしながら、彼女は一杯めのときと同じようにコーヒーにミルクとガムシロップを入れ、ストローでかき回す。
それは確かに恋ではなさそうだ。それでもわざわざ考えて、腹を立てているあたり純粋に人間関係の悩みだろうか。
「どんな方なんですか?」
「えっと……」
考えるついで、彼女はコーヒーを飲む。今度はゆっくりだった。
「顔は悪くない、かな? ちょっとヘラヘラしてる感じが好きじゃないけど、案外誰とでもうまくやれるみたい。それから、責任感があるんだと思います。ひとりになってもあんなことを続けてるわけだし。あと、人間として強いですね。あたしがお母さんを亡くしたときはひと月以上塞ぎ込んでいましたから」
「ん? んん~?」
聞きながら、わたしの首が傾いていく。……何だろう、これは。本当にきらいな相手のことを話しているのだろうか。
「本当にその人のこと、きらいなんですか?」
「もちろんです」
でも、彼女はきっぱりと明言した。
じゃあ、なぜそこまできらっているのだろう?
「でも、あなたはその子のいいところがちゃんと見えているように、わたしには思えます」
「そうですか?」
彼女は首を傾げる。
自覚がないとすれば、きっと彼女は無意識に相手のいいところを見つけることができるのだろう。稀有な才能だ。
「どんなところがきらいなのかわかりませんけど、誰かをきらい続けるってけっこう大変ですよ? わたしも高校生のとき好きになれない人がいましたけど、一年ほどしか続きませんでした」
で、その人はというと、いったいどんな生活を送っているのだか、時々ここにきてコーヒーを飲んでは好き勝手なことをしゃべって帰っていく。ちょっと腹が立つんですけどもー?
「わたしはあなたに、そんなことに気持ちを費やしてほしくないです」
そう締めくくり、わたしは下がることにした。わたしの気持ちは伝わってほしいけど、これ以上押し付けることはできない。
カウンタに戻って、さりげなく彼女の様子を窺う。
彼女は何か考えるようにしながら、コーヒーを飲んでいた。が、やがてぴたりとその動きを止めた。
数秒ほど硬直。
しばらくして飲むのを再開したけど、それは意識と乖離した動作のようにも見えた。考えごとをしたまま、無意識にコーヒーをストローで吸い上げる。程なくしてコーヒーがなくなると、彼女はグラスをテーブルに置いた。
「あ、あのっ」
わたしを呼ぶ。
「はい?」
呼ばれて振り向いたかのように装い、わたしは応えた。彼女のところへ行く。
「あたし、ちょっと思い違いをしてたみたいです」
「そうなんですか?」
「まぁ、ちょっと」
彼女はばつが悪そうにそう言う。個人の人間関係の話なので、詳しいことを語るつもりはないようだ。
「それからコーヒー、ちゃんと味わって飲まなかったから、今度また飲みにきます」
「わかりました。お待ちしてますね」
思ったより律義な子で、頬が緩む。
「あ、そうだ。お名前、聞いていいですか? わたしは貴理華です」
「蓮見紫苑です」
紫苑ちゃんか。……よし、インプット。
今度きたときには、今日の話の続きを聞かせてもらおう。きっとよい方向に変わっているだろうから。
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今回出てきた蓮見紫苑は、新作ラブコメ『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』のヒロインのひとりです。
どんな女の子か気になる方はそちらをご覧ください。
( https://kakuyomu.jp/works/1177354054917289111 )
『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』は、8/17まで毎日19時更新です。
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