佐伯さんと、誰かのサイドストーリィ

その1 瀧浪泪華

 閑静な住宅街の入り口に立つカフェ。


『天使の演習』。


 今日も今日とてあまり盛況とは言えない客の入りで、根強いファンといろんな人の厚意に支えられて、どうにか潰れないでいるといった具合だ。


 少ないお客に対応しつつ新たなお客さんを待っていると、そこにひとりの女の子がやってきた。


 人目を引く美貌に、丁寧に時間をかけてセットした艶やかな長い髪。制服を着ているので高校生なのだろうが、落ち着いたお淑やかな雰囲気から、もう少し上の歳のようにも見えた。


 彼女は入口に前に立つと、今どき自動ドアでないことに少しだけ物珍しさを感じ――そして、レバー型のノブに手をかけると、ドアを引き開けた。


 カランコロン


 ドアベルが鳴る。


 それを聞いて彼女は微笑んだ。どうやら入口が自動ドアでない理由を理解し、納得したようだった。


 ドアベルは、お客さんがお店にきていちばん最初に聞く音だからと、ユキくんが強く拘った。それが伝わったのだろう。


「いらっしゃいませ」


 わたしはにこやかに彼女を迎える。


 初めて見る顔だ。それは入ってきたときの様子を見てわかったし、仮にそれがなかったとしてもわかっただろう。わたしはお客さんの顔をだいたい覚えている。


「お好きな席にどうぞ」


 そう言うと、彼女は店の中を見回した。前述の通り、あまり混んでいない。今ならカウンタ席、窓際の席、照明がよくあたる奥の席――選び放題だ。


 彼女は窓際のテーブル席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ」


 わたしはお冷を持ってテーブルへ行き、改めてそう告げる。


 彼女はテーブルの上に置いてあったA5サイズのメニュー表を見ていたけど、顔を上げ、わたしに聞いてきた。


「お薦めは何ですか?」

「そうですね。やっぱりブレンドコーヒーでしょうか。うちの自慢ですよ」


 わたしは自信をもって答える。


「じゃあ、それをお願いします。ホットで」

「わかりました。少し待っててくださいね」


 笑顔でそう言い、テーブルを離れた。


 ブレンドコーヒーは『天使の演習』の看板メニューで、値段も手ごろ。そして、すぐに出すことができる。わたしはわざわざユキくんの手を煩わせることなく、自分で用意して持っていった。


 何となく、彼女はわたしのお客さんのような気がしたのだ。


「お待たせしました」


 彼女の前にコーヒーの注がれたカップとソーサー、ミルクの入ったミルクピッチャーが丁寧に並べていく。


「ごゆっくりどうぞ」


 そして、またも笑顔でそう言って、一度下がった。

 カウンタに戻ったわたしは、ユキくんと話をしながらさり気なく女の子の様子を窺う。


 彼女はさっそくコーヒーにミルクを垂らした。テーブルの上には小さなグラスの中に、これまた小さな角砂糖が入って置かれているけど、それには手を伸ばさなかった。コーヒーを飲むときはミルクだけなのよう。


 そうしてひと口飲んだ彼女は、満足したようにほっとため息を吐いた。


 それから今度は窓の外を見やる。


 ここ、『天使の演習』は住宅街の入口にあるが、窓は道路に面していないので、見えるのは何の変哲もない街並みだけ。


 それをぼんやりと見ながらカップを口に運びつつ、女の子は何やら考えているふうだった。


 やがてまた、ため息。

 今度のそれは実に物憂げだった。


 わたしは気になって、声をかけることにした。


「うちのコーヒーはどうですか?」

「え?」


 女の子は弾かれたように振り向く。


 まさか話しかけられるとは思わなかったのだろう。だけど、戸惑ったのは一瞬のこと。すぐに立て直した。


「とても美味しいです」


 そう言いながら、大人っぽい落ち着いた笑みを見せる。


「なんていうか、家庭的な味です。家のリビングでひと息ついているような。すごくほっとします」

「そう言ってもらえると嬉しいです。ここはそういう場所でありたいと思ってますから」


 わたしも嬉しくなって、笑顔で答える。


「それと、恋する女の子が悩みを打ち明ける場所にもなりたいですね」

「え?」


 続けてそう言うと、彼女は素っ頓狂な声を上げた。


「何か悩みごとですか?」

「ええ、まぁ」


 誤魔化すように曖昧な返事をする。

 だけど、わたしはそれには気づかない振りで、ここは強引に話を続ける。


「さては男の子のことでしょう? ……あ、でも、その制服、茜台高校のですよね、女子高の」

「え? 知ってるんですか!?」

「はい。わたし、高校は水の森でしたから」

「えっ、あの進学校の!?」


 思わぬ共通点と驚きの事実に、彼女は声を上げる。


 茜台と水の森――どちらも学園都市にある学校だ。水の森高校は全国的に有名な進学校で、茜台高校はお嬢様学校、のはずだったけど――。


「今は共学です」


 と、彼女は告げる。


「何年か前までは女子高だったようですが、今は共学になってますよ」

「へぇ、そうなんですね」


 わたしはかつて自分と縁のあった場所が、今や姿を変えていることに感心したような声を発した。


 そんな私の様子を見て、彼女はくすりと笑ってから、


「実はわたし、男の子のことで悩んでるんです」

「やっぱり」


 だと思った。


「どんな人ですか?」

「そうですね……」


 と、彼女は考えるが、思っていることをまとめるのにさほど時間はいらなかったようだ。


「ひと言で言えば、わたしと『同類』ですね」

「同類?」

「はい。わたしと同じ目を持っていて、同じモノを見ている子です」


 言葉は実に感覚的。だけど、いたって真剣だった。


「わたし、彼にだけは自分の本当の姿を見せることができるんです。彼のそばが自分の居場所で、一緒にいる間だけはわたしは『空っぽ』じゃないって実感できるんです」


 続く言葉もやっぱり理解はできなかった。でも、彼女にとってその男の子はとても重要な存在なのだということは伝わってくる。


「それで、悩みって?」


 それだけ自分にとってかけがえのない存在だと思える異性がいて、何を悩むことがあるのだろう?


「彼が振り向いてくれないんです」

「あらら」


 申し訳ないけど、わたしの口から苦笑がもれた。


 どんなに自分にとって運命の人だと思える異性と巡り会っても、こちらを向いてくれないのでは意味がない。


「もうお友達ではあるんですか? それともまだ遠くから見てるだけ?」

「ええ、お友達です」


 少女ははっきりと言う。


 だとしたら、それこそ『お友達』どまりなのか――と、思っていると、


「彼も少なからずわたしのことを想ってくれています」

「そうなんですか?」

「はい。それは言葉とか表情とか、態度でわかりますから」


 普通の人間が聞けば、それは彼女の思い込みではないかと疑うところだ。だけど、わたしもかつては恋する少女だった。何なら今でも恋をしている。もう少女ではないけど。なので、彼女のことも思い込みや妄想の類だとは思わない。きっとかなり両想いに近い関係にあるのだと思う。


「でも、わたしがどんなに言い寄っても断られるんです。僕には恋愛は向いていないからって」

「なるほど……。でも、考えようによっては、もうほとんど両想いのようなものでは? 最後の最後、口ではそう言ってるだけで」


 口ではあーだこーだと潔くないことを言いつつもこちらのことを大切に思ってくれている、という経験ならわたしにもあるのだ。


「そうですね」


 と、彼女は寂しげに微笑する。


「それでも時々求めてしまうんです。彼氏彼女っていう名称とか、人には聞かせられないような甘い会話とか。そういうわかりやすい何かを」

「女の子ってそういうものですよね」


 おおいに共感できた。わたしもユキくんにきらわれていない、むしろちゃんと好意をもってくれているとわかってはいたけど、やっぱりはっきりした言葉や態度がほしいときもあった。


「何か方法はないでしょうか?」

「うーん……」


 アドバイスを求められ、わたしは頭をひねる。


「じゃあ、もうこれしかないですね」


 そして、すぐに閃いた。


「何ですか?」

「もちろん、女の子にしかない武器ですよ」

「えっと……ええっ!?」


 彼女はわたしの言葉の意味を考え――それに辿り着くと、驚嘆の声を上げた。


「それって、その……」

「はい。それはもう、グイグイいきましょう!」


 要するに向こうがそういう態度なら、こっちは強引に迫ってしまえ、だ。


「それで振り向いてもらえるでしょうか……?」


 心配げな彼女。


「さあ?」

「さ、さあって……」


 そして、今度は呆れる。当然だろう。とんでもない方法を言い出しておきながら、ここで無責任に放り出すのだから。


「まぁ、飛びつくか、反対に意地でも誘惑になんて負けまいとするか、でしょうね。……彼氏さんはどっちだと思います」

「あの子は……」


 彼女は考え、


「きっと意固地になりそうですね」


 その末にため息を吐いた。


 なるほど。そっちのタイプか。


「じゃあ、それを楽しみましょう」

「え?」

「楽しいですよ。気のない振りをしている男の子に、挑発的な言葉と態度で攻めるのは。わたしのことが好きなのはわかってるのに、どこまで意地を張れるのかって感じで」


 振り返ってみれば、わたしは高校に上がると同時にユキくんと出会って、その日からずっとそんなことをしていたように思う。その結果、今は素敵な奥様なのだから、なかなかバカにはできない。


 わたしの言葉を聞いて、彼女は考え込んでいる様子だった。


 やがて顔を上げ、わたしを見上げると、ひと言。


「面白そうです!」

「でしょう?」


 どこか吹っ切れたような彼女の笑顔に、わたしもつられて笑顔になる。


「そっちがその気なら、こっちも手段を選んでられませんね。どこまでその態度を貫けるか見せてもらおうと思います」


 ああ、なんだか悪そうな笑みだ。


 わたしが唆した? いやいや、こういうのは素質の問題だ。素質がなければ、いくら言葉巧みに誑かしたところで乗ってはこない。でも、彼女にはその素質があったからこそ、次なる一手に踏み切ろうとしているのだ。


 それに、わたしに言わせれば、据え膳喰わぬは何とやら、こんな美人さんを放っておくほうが悪い。本気になった女の子の怖さを思い知ってもらわないと。


「お名前、聞いてもいいですか? わたしのことは貴理華と呼んでください」

瀧浪泪華たきなみるいかです」


 泪華ちゃん、か。……よし、覚えたぞ。


「よかったらまたコーヒーを飲みにきてくださいね。そのときはその男の子とどうなったかおしえてください」

「ええ、もちろんです」


 泪華ちゃんは、ここにきたときの憂鬱な顔はどこへやら、とても無邪気な笑みを見せた。


 きっとこれが彼女の本当の顔なのだろう。

 いや、本当の顔のひとつ、というべきだろうか。


 お淑やかで大人っぽい彼女も本当の姿だけど、無邪気でいたずらっぽい顔もやっぱり本当の姿なのだろうと思う。

 

 

 

**+**+**+**+**+**+**+**

 

 

 

今回出てきた瀧浪泪華は、新作ラブコメ『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』のヒロインのひとりです。

どんな女の子か気になる方はそちらをご覧ください。

( https://kakuyomu.jp/works/1177354054917289111 )


『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』は、8/17まで毎日19時更新です。

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