後編
本日の授業が終わり――放課後。
「恭嗣、今日はあの子と待ち合わせてるの?」
帰宅部の僕に声をかけてきたのは、宝龍美ゆきだった。
「いえ、特にその予定はありませんが」
「なら途中まで一緒に行くわ」
そう言うと、彼女はさっそく教室の入口へと歩き出した。
僕の返事を聞かないどころか、そもそも『一緒に行っていい?』という疑問形ですらなかった。まぁ、宝龍さんらしいが。
「宝龍さん、雀さんの好きなものって何か知ってますか?」
「いい度胸ね。私といながらほかの女の話をするなんて」
「……」
廊下を歩きながら聞いてみれば、氷の刃でばっさり斬られてしまった。言い訳や説明すらできず、無言になる。
「なに? ナツコに何かプレゼントでもするの?」
さて、次はどんな話題を振ろう。迂闊なことを口にすれば、また地雷を踏みかねないぞ――と、自縄自縛に陥っていると、昇降口で靴を履き替えたところで宝龍さんが先に口を開いた。
「ええ。ホワイトディに何かあげようかと考えています」
「恭嗣、いつの間にナツコからチョコをもらったの。知らなかったわ」
宝龍さんは問い返してくるが、その声には心なしか非難の響きが含まれているような気がした。
「もらってませんよ。昼に少しばかり怒らせましたからね。お詫びに何か買ったほうがいいかと思ったんです」
「恭嗣がナツコを怒らせるなんていつものことでしょうに」
「……反省してますよ」
宝龍さんもそういう認識なのか。
僕が申し訳ない思いでそう言えば、彼女はくすりと笑った。
「別に反省しなくていいわ。ナツコも本気で怒っていないもの」
「そうなんですか?」
思わず聞き返す。ここにきてすべてをひっくり返すような意見だ。
「もちろん私のところにきて文句は言ってるけど、それで終わり。ほかの誰かにまで言ってるのを聞いたことがないわ。そもそも本気で怒っていたら恭嗣に近づきもしないのではなくて?」
「まぁ、確かにそうかもしれませんね」
振り返れば、普段から人を喰ったような言動や、散々雀さんの名前をネタにしているのに、それでものこのこ話しかけにきている。本気で怒っていてこれなら学習能力がないと言わざるを得ない。
「だから、恭嗣はそのままでいなさい」
と、宝龍さん。
そんなふうに言われてしまうと、いざ雀さんを前にしたとき、逆に何がいつも通りかわからなくなりそうだ。
「まぁ、それでも日頃のお礼はしておきたいですね。こういうときでもないと、ほかにタイミングがありませんから」
「好きにすればいいわ」
彼女は苦笑する。きっと僕の高校生らしからぬ変な律義さが可笑しかったのだろう。
「ああ、そう言えば、矢神も宝龍さんへのお礼で悩んでましたよ」
「そう。じゃあ、悩んだ末にどんなものが出てくるか、楽しみにしておくわ」
実に上から目線の発言である。
「宝龍さんは、矢神とはつき合わないんですか?」
気まぐれに僕は聞いてみた。
宝龍さんと矢神は同じ文芸部に所属している。そこで彼女は小説を書く上で、ずいぶんと矢神を頼りにしているようだ。矢神は彼女に頼られることを荷が重いと感じつつも、できるかぎり力になろうとしているように見える。
似合うかどうかはさておき、そういうかたちに収まるのもあっていいように思う。
「私が? 矢神君と? ……私と彼では釣り合わないわ」
しかし、宝龍さんの答えは早かった。
「矢神君は努力して結果を得ることのできる人間。反対に私はさして努力もしないで結果を出せてしまう。でも、世の中、得てして後者のほうが評価されやすい。私がそばにいたら、彼が正当に評価されなくなるわ」
「……」
彼女は今、どちらがどちらに釣り合わないと言おうとしているのだろうか。
「それに私のせいで不当に評価されるのは恭嗣だけで十分よ。同じ轍は踏みたくないわ」
「そうですか」
本人にその気がないなら仕方がない。そうなればいいなという僕の希望を押しつけることはできない。
「因みに、僕も悩んでますよ。宝龍さんへのお返しをどうしようか」
「別にいいのに。恭嗣も、矢神君も」
宝龍さんは笑う。
宝龍美ゆきともあろうものがそんなものを期待しているとは、僕も最初から思っていない。
「でも、僕を心配して、気にかけてくれていたのでしょう?」
それはそこまで明確なものではなかった。ただ、いつもよりひと言、ふた言、多く声をかけてくる程度。最初はただの気まぐれかと思ったが、それが何日も続けばいやでもわかる。彼女はずっと、失意のうちにあった僕を気にしてくれていたのだと。
「あの子に頼まれたのよ」
「佐伯さんですか?」
「ええ。恭嗣が心配だから、自分の見えないところでは気をつけてやってほしいって」
「そうですか」
まぁ、その線しかあり得ないだろうな。
僕はクリスマス・イブに大切な人を亡くした。いや、もっと正確に言うならば、大切にしなければならない人に背を向けたまま、彼を逝かせてしまった。
僕はもっと彼と向き合わなければならなかった。もっと多くの言葉を交わさなければならなかった。だけど、死んでしまってはそれもできない。死んでしまってから気づいても、もう遅い。
その後悔は今でも僕の中にあって、きっとこれは一生抱えていかなければならないのだろう。
そうして後悔に暮れる僕を、佐伯さんと宝龍さんは気にしてくれていたのだ。
「では、僕の家の事情も?」
「いいえ。あの子はそんな口の軽い子ではないみたいよ」
「何も説明されていないのに引き受けたんですか?」
それはまた酔狂な。普通なら事情なり理由なりを聞くだろうに。
「そうなるわね」
だがしかし、宝龍さんはあっさりとそう言う。
そして、
「恭嗣が心配だったし……それにあの子に頼られるのも悪くはないと思ったのよ」
§§§
ホームルームが終わってすぐにまっすぐ帰ってきた僕よりも先に、佐伯さんが帰宅しているはずもなく――僕は自分の鍵で玄関のドアを開けた。
家の中に這入り、リビングを抜けて自室へ。部屋で着替えてから、僕は制鞄の中のものを取り出した。学年末考査はもう目の前だ。明日の授業も考慮して、ざっと本日の勉強の計画を立てる。
そうしてから今度は部屋を出て、キッチンでコーヒーを淹れた。
熱いコーヒーが入ったマグカップを片手に、僕は今朝と同じようにカレンダを見ながら考える。……今日も佐伯さんへのお返しは決まらずだったな。
と、そこで玄関ドアの開く音。
「たっだいまー」
そして、少しの間の後、佐伯さんがリビングの扉を開けて這入ってきた。
「おかえりなさい」
僕は振り返り、応える。
「うん。ただいま……って、またカレンダ見てる。何か考えごと?」
「別に。何でもありませんよ」
立っていた場所から推測したのか、佐伯さんが問うてくるが、僕はまた誤魔化した。できるだけ彼女には内緒にしておきたいので、これからはリビングで考えるのはやめておこう。
「そればっかり。別にいいけど。……じゃあ、バレンタインのお返し、楽しみにしてるから」
「わかってるんじゃないですか」
あっさりと言った佐伯さんの言葉に、僕は力が抜ける。
彼女は勝ち誇ったように笑いながら、
「弓月くんとは心が通じ合っているので、何でもわかるのです」
「……」
まぁ、要するに僕がわかりやすかったということなのだろう。なんかもう、こそこそしているのがバカらしくなってきたな。
「……君、何か欲しいものはありますか?」
その結果、僕はストレートに佐伯さんに聞くことにした。
「何でもいいの?」
「僕に買えるものなら」
すると彼女は「ん~?」と天井を見ながら考えた後、満面の笑みを見せ、
「現物支給で。わたしもそれなりの恰好をするので。平たく言うと、ぇろいの? 時期は過ぎたけどサンタカラーのビキニとか――」
「却下です」
僕が即答すると、佐伯さんは「ちぇー」と口を尖らせた。どこまで本気なんだか。喰い下がらないあたり冗談だと思いたいところだ。
「弓月くんが選んでくれたものなら、何でもいいよ」
「わかりました」
やはり雀さんの分とあわせて、宝龍さんに助言を求めよう。
と、考えたときだった。
「ただし、」
佐伯さんが付け加える。
「誰かに一緒に考えてもらったらダメだからね」
「え?」
「『弓月くんが選んでくれたもの』だけ受け付けます。あー、楽しみだなー。ホワイトディまで、あと十日かー」
そうして彼女は、唖然とする僕を残して、自分の部屋へと這入っていった。
僕はその場に立ち尽くす。
誰にも相談せず、僕が選んだもの、か。そんなもの僕の得意とするところではないのだけどな。無茶を言ってくれる。
ガチャリ、と佐伯さんの部屋のドアが開いた。彼女が顔を出す。
「がんばってね」
笑顔ひとつ。
そして、今度こそ佐伯さんはドアの向こうに消えていった。
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【お知らせ】
2020年7月20日より新作ラブコメ『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』がスタートしています。
( https://kakuyomu.jp/works/1177354054917289111 )
2年ぶりの完全新作となりますので、そちらもよろしくお願いします。
8/17まで毎日19時更新です。
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