4.「それは悪いと思っていません」

「どうしよう……」


 佐伯さんが絶望的な顔をしてつぶやく。


「仕方ありません。僕たちが悪いんですから」

「一緒に住んでたこと?」

「それは悪いと思っていません。それを黙っていたことが、です」


 正直、油断していた。小父さんの許しを得たことで安心して、小母さんに話すのが延び延びになっていたのだ。すでに小父さんが味方にいるのだから、手順さえ間違わなければいくらでも説得のしようはあったはずなのに。


 こうなってしまっては小母さんからしてみれば、小父さんさえも一緒になってひた隠しにしていたも同然だ。


「今さらバタバタしてもはじまりません。落ち着きましょう」

「うん……」


 僕はとりあえず、新しくコーヒーを淹れることにしよう。





 それから小一時間ほどして、玄関チャイムが鳴った。


 それまでテレビの音をBGMにして黙ってリビングで待っていた僕たちだったが、そのときもやはり無言で互いに顔を見合わせた。同時に立ちあがる。


 ふたりして玄関に行き、ドアは佐伯さんが開けた。


「お母さん……」


 そこに佐伯さんの母、冴子さんが立っていた。隣にはトオル氏もいる。小父さんの運転するクーペでここまできたのだろう。


 小母さんは何も言わないが、怒っているのは明らかだった。よほど怒っているからこそ、安易な言葉が出てこないのだろう。緊迫した空気が流れる。


「ご無沙汰しています」


 僕はふたりに軽く頭を下げた。


 小母さんは相変わらず何も言わず、当たり前のように一緒にいる僕と佐伯さんをそろって眺め、難しい顔をした。怒りの対象は僕も含まれているのだ。横で小父さんが「ああ、うん」と、歯切れ悪くうなずいた。


「入って」


 このままでは埒があかないと思ったのか、それともここで話すことではないと思ったのか――佐伯さんが中に入るよう促した。彼女は踵を返し、短い廊下を戻っていく。


「どうぞ」


 用意していた来客用のスリッパは僕が出した。


 リビングへと場所を移す。

 玄関以上に生活感のある空間を見て、小母さんが息を飲んだ。この一年近く、娘が自分に黙って男と一緒に住んでいたことが本当だったと実感したのだろう。


「座ってください。今コーヒーを入れます」


 僕は小母さんの悲しげな顔を見て見ぬ振りをしつつ、そう勧めた。


 小母さんのその表情は、佐伯さんにこそいちばん堪えただろう。僕たちがちゃんと話さず、結果的に騙すことになってしまった代償だ。


「座ろう」


 小父さんにそう促され、小母さんは腰を下ろした。が、その後もリビングやキッチン、今は閉じられている僕たちのそれぞれの私室の扉に、順に目をやっていた。


 すでに準備していたこともあり、四人分のコーヒーはすぐに用意できた。


「お待たせしました」


 僕と佐伯さんは普段使っているマグカップ、小父さんたちには来客用のコーヒーカップだ。それも小母さんは見比べるように眺める。


「貴理華、どういうことか話してちょうだい」


 ようやく小母さんが口を開いた。いつもは穏やかな口調だが、今はこの上なく厳しい。


 佐伯さんはちらりと小父さんを見た。


「お前の口から話しなさい」

「……わかったわ」


 小父さんの態度が変わっていなければ、彼は僕たちの味方だ。ここにくるまでの道中、僕たちの擁護をしつつ小母さんにひと通りの説明はしたに違いない。その上で小母さんは佐伯さんに説明させようとし、小父さんもそれが筋だと考えてたのだ。


 夏休み前、小父さんに対してしたように、佐伯さんは小母さんにも僕たちが一緒に住むに至った経緯を離した。


「ああ、なんてことなの……」


 その説明を聞き終えた小母さんは、悲嘆に暮れるように頭を抱えた。


「私が許した」


 小父さんだった。


「私が、弓月君がどんな人間か判断した上で許したんだ。それでいいじゃないか」

「よくありません。あなたはいいかもしれません。貴理華も。でも、私は認められません」


 小母さんは小父さんを見ながら抗議する。彼女からすれば、そんなものは男の勝手な言い分だろう。女親としては絶対に認められないに違いない。


「お母さんだってお父さんの家に転がり込んだじゃない」


 佐伯さんのその言葉に、小母さんは今度は佐伯さんをキッと睨んだ。


「私は高校を卒業した後のことよ。それに親にはちゃんと言って、縁を切った上で家を飛び出したの。貴理華にそれだけの覚悟はあるの?」


「……」


 そう言われてしまえば佐伯さんは黙るしかなかった。


 残念ながら、佐伯さんと小母さんの場合では何もかもが違いすぎる。まだ養われている身で親に黙っていた佐伯さんに対して、小母さんはすべてを捨てて家を出たのだ。


「ねぇ、どうしてこんな大事なことを黙っていたの?」

「……ごめんなさい」


 こちらが全面的に悪い以上、佐伯さんに弁解の余地はなかった。項垂れて謝るしかない。


 続けて小母さんは僕を見た。


「弓月さん。ご両親はこのことをご存知なの?」


 その口調は娘に対するものよりは幾分かやわらかかったが、僕を非難する響きもかすかに含まれていた。


「いえ、まだ知りません。佐伯さんと同じように言いそびれたままです」

「一度ご両親を交えてお話をしたほうがいいかもしれないわね」

「……」


 僕は心の中でため息を吐いた。


 これまたややこしくなりそうだ。父は兎も角として、母とは十二月にあの人が亡くなって以降、これまで以上にぎくしゃくしたままだ。母は僕を責めまい。責めるならおそらく自分だ。悪いのは自分だと。それを考えると陰鬱な気分になる。


「待って、お母さん」


 そこに佐伯さんが割って入ってきた。


「今は弓月くんの家族を巻き込まないで」

「でもね、貴理華」


 小母さんは彼女の勢いにわずかにたじろぎつつも、言い含めるように言葉を紡ごうとする。


「彼には彼の家の事情があるの。お願い」


 佐伯さんは僕と母の間にある事情と、それによってできた溝のことをある程度知っている。これ以上その溝が深くならないようにと、気を遣ってくれたのだ。


 娘の懇願にしばし考えていた小母さんだったが、


「わかったわ。今はここだけの話にしておきましょう」

「ありがとうございます」


 僕は頭を下げた。


「でも、貴理華、あなたはつれて帰ります。用意しなさい」

「どうして!?」

「当たり前でしょう! まだ高校生なのに男の人と同棲なんて」


 語気を荒らげる佐伯さんにつられ、小母さんも声が大きくなる。


「……まさかわたしをお母さんの実家にいかせるつもりなの?」

「安心しなさい。それとこれとは別です。あなたをあの家には絶対に渡しません」


 最大の懸念は小母さんの口から否定された。さすがに怒ってはいてもそこまで短絡的ではなかったらしい。


「それと弓月さん。残念だけど、これ以上貴理華との交際は認められないわ」

「お母さんっ」

「あなたたちはそろって私を騙していたのよ? 私があなたたちを一人の人間として信用できないと思うのは当然でしょう?」

「騙すだなんて、そんな……」


 小母さんはあえてきつい言葉を選んだのだろう。かくしてそれは効果的に佐伯さんに響いた。

 無論、僕にもだ。


 一度目は失敗。では、二度目は何だ? 一度目、小父さんのときに僕たちはわかったはずだ。いつまでも黙っておくことはできないと。状況を悪くするだけだと。にも拘らず、その失敗と反省を活かさず、小母さんに言わないままでいた。騙していたと言われても仕方のないことだ。


 彼女は助けを求めるように、唯一の味方であろうトオル氏を見た。


「今は言う通りにしなさい」


 だが、それが小父さんの返事だった。


「さぁ、用意して、貴理華」

「っ!」


 佐伯さんは両の掌をテーブルに叩きつけると、その勢いで立ち上がった。そのまま歩調も荒く自室に入ると、やはり叩きつけるようにしてそのドアを閉めた。


 佐伯さんのいなくなったリビングに重苦しい空気が満ちる。誰も言葉を発しようとしなかった。


「さっきは貴理華の手前、ああ言ったけど――」


 やがてその沈黙を破って小母さんが口を開いた。ややトーンを落とした声だ。


「あなたたちの交際を金輪際認めないと言っているわけじゃないの。でも、少し時間をおきましょう?」

「はい……」


 僕はそう答えるよりほかはなかった。


 程なくして部屋から出てきた佐伯さんは、デニムのパンツルックに薄手のコートを羽織り、手にはいくらか持ちものを詰め込んだらしい鞄を持っていた。


「弓月くん……」


 彼女は今にも泣きそうな声で僕の名前を呼んだ。


 僕は「何とかします」と言いたかったが、今それを小母さんに聞かれて後々変に態度を固くされても困る。この場はその言葉を飲み込んだ。


「週明け、また学校で会えますよ」

「うん……」


 そうして佐伯さんは両親につれられて出ていった。

 展開としてはいつぞやの再現のようだ。この部屋を後にしたのが、今度は佐伯さんだったというだけで。


「でも、今回も何とかするさ」


 あのときとは違い、僕はもう今の時点で決意を固めていた。


 まだその方法は見えていないけれど。

 それでも僕は必ずどうにかすると、固く心に誓った。

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