5.「一挙に解決するつもりです」
週明け、月曜日。
「おはようございます」
「おはよう、恭嗣」
朝、昇降口で宝龍美ゆきを見つけ、僕は声をかけた。
「今日はひとり?」
宝龍さんは視線をあたりに巡らせる。ほぼ毎日一緒の佐伯さんの姿を探しているのだろう。
「ええ、まぁ」
僕は靴を履き替えながら、曖昧に返事をする。
「ところで宝龍さん、今年もちゃんと進級するんですか?」
「できるのか、とは聞かないのね」
「まさか宝龍さんともあろうものが、本当に学力不足で留年したわけじゃないでしょうに。あえて進級しなかったとしか思えません」
宝龍さんは留年をしている。入学以来常に学年でトップの成績を維持しながら、一昨年度学年末考査をすっぽかし、追試にも現れず――結果、二度目の一年生を経験したのだ。
なぜそんなことをしたのかは今もって不明。
前に一度だけその理由をおしえてくれようとしたが、僕はそれを拒んだ。彼女は天才に類する人間だ。理由を聞いたところで、常人の僕に共感できるとは思えなかったからだ。
「大丈夫よ。ちゃんと進級するわ」
二年生まで二回繰り返すつもりはないようだ。下手すると各学年二回ずつやるつもりなのかもしれないと思っていたが、さすがにそれは考えすぎだったらしい。
宝龍さんは僕が靴を履き替えるまで待ってくれていた。一緒に歩き出す。と、少し進んだところに佐伯さんの姿があった。ちょうど階段のところだ。
彼女は僕に気がつくと、力のない笑みを見せた。
「おはよう、弓月くん」
「おはようございます」
二日ぶりに見る佐伯さんだった。
この土日、電話では声を聞いていたし、メールのやり取りもしていたが、今までほぼ毎日顔を合わせていただけに、たった二日でも懐かしく感じた。
佐伯さんから外で会おうという話も出たが、今は小母さんの神経を逆撫でするようなことは避けたほうがいいと思い、僕はそれを断った。小母さんはまだ怒っている。ついでに、むりやりつれ戻された佐伯さんも腹を立てている。ふたりはほとんど口を利いていない状態らしい。
佐伯さんを加えて階段を上がる。
「これから、どうするの?」
彼女は不安そうに聞いてきた。
「その話は後でゆっくりしましょう。昼休みに、場所は――」
どこがいいだろうと考え、隣にいる宝龍さんの存在を思い出した。
「屋上がいいですね」
「わかった」
そこで二階に到着する。僕の教室はこの階、佐伯さんはもうひとつ上だ。
「じゃあ、また後で」
「うん……」
そうして僕たちは別れた。
「妙な雰囲気ね」
教室に向かって廊下を進んでいると、宝龍さんがつぶやいた。
「何かあった?」
「人に話すようなことではありませんよ」
「屋上の鍵は私が持っているのだけど? 貸してほしくないの?」
「そうきましたか」
とは言え、宝龍さんは詮索好きな性格ではない。むしろその反対だ。僕が言いたくないと言えば、黙って鍵を貸してくれることだろう。でも、彼女は僕たちの事情を知っている上、有事の際は誤魔化すのに協力してほしいと巻き込んでいる。知らせておく義務は多少なりともあるか。
「僕と佐伯さんのことが彼女の母親にばバレましてね。佐伯さんがつれ戻されたんですよ」
僕はそう手短かに説明した。
「まだ言ってなかったの?」
「ええ」
「呆れた」
確かに後手後手に回った感は否めない。僕と彼女の同棲も、佐伯さんの両親が帰国するまでにしておけばよかったのだろう。そうでなくとも小父さんに知られ、許しを得たタイミングで小母さんにも話していればここまでこじれることはなかったはずだ。
「それで、どうするの?」
「それを昼休みに話し合うんですよ」
「そうじゃなくて、恭嗣がこれからどうしたいのか、という意味よ」
「もちろん、これまで通り佐伯さんとの生活を続けたいと思っています」
少し前の僕なら、『なるようになる』とか『学校では会えるのだから』とか思っていたかもしれない。或いは、小母さんが言う通りに時間をおくことを考えたかもしれない。でも、どうやら今の僕は違うようだ。また佐伯さんとの日々を取り戻したいと考えている。
「……そう」
宝龍さんは短くそう答えただけだった。
僕たちはしばし無言で歩き――もう間もなく教室というところで、宝龍さんがぴたりと足を止めた。
「……手、出しなさい」
僕は言われた通り手を差し出す。
宝龍さんは少しの間じっと僕の掌を見ていた。が、やがてスカートのポケットからそれを取り出すと、僕の手の上に落とした。
キィホルダもついていない裸の鍵。
屋上の鍵だ。
「ありがとうございます」
僕はお礼を言い、確かにそれを受け取った。
そうして放課後。
佐伯さんには午前中の休み時間の間に、屋上へは食事をしてからとメールを送っておいた。
僕は学食で久しぶりに滝沢と一緒に昼食をとった後、その足で屋上へと向かった。宝龍さんから借りた鍵で鉄扉を開け、三月上旬の空の下に出る。
さほど待つことなく佐伯さんは現れた。
グラウンドからは見えないよう、反対側のフェンスに寄りかかっていた僕を見つけると、彼女は笑顔で寄ってきた。朝の沈んでいた気分は少し上向いたようだ。
「弓月くん、これ。寒いだろうと思って買ってきた」
そう言って彼女が差し出したのは、自販機で購入したと思しき缶のミルクティだった。
「ありがとうございます」
「ユア・ウェルカム(どういたしまして)」
さっそくいただくことにする。
掌に伝わってくる缶のぬくもりを楽しみつつ、プルタブを引き上げた。ひと口飲む。と、そのとき隣で佐伯さんが「ふあぁ」と小さな欠伸をした。
「どうしたんですか? 寝不足ですか?」
「うん」
彼女は素直にうなずく。
それから手に持っていた缶を口に運んだ。カフェインで眠気覚ましというわけではないだろうが、彼女のほうはカフェオレだった。
「ほら、今までより起きるのが早いから」
「ああ、そうでしたね」
今日は決して近いとは言えない実家からの通学だったのだ。当然、朝も早く起きなくてはならない。こっちにいたときとは違って家事をしなくていいはずだが、その分を差し引きしてもマイナスか。
「まぁ、ここまではお父さんが車で送ってくれたんだけどね」
「その小父さんは何か言ってましたか?」
トオル氏は車中、彼女に何を語ったのだろう。
「うん。お父さんもタイミングを見てお母さんを説得するから、今は我慢しなさいって」
「そうですか」
小父さんはまだ僕たちの味方であるようだ。プラス要因だな。
「やっぱり今すぐにとはいかないのかな……」
佐伯さんは不安を隠せない様子でつぶやく。
「でしょうね。少なくとも無策でお願いにいったところで許してらえるとは思えません」
かと言って、悠長にもしていられない。小母さんの実家、紅瀬家の問題もあるのだ。
そもそも僕たちがこうなったのも紅瀬家のせいだ。尤も、紅瀬の家を嫌っている小母さんが、いくら怒っているとは言え、そう簡単に佐伯さんを養子にやったりはしないと思うが。それでも早く決着をつけたいというのが正直な気持ちだ。向こうが次の手を打ってくる前にどうにかしたい。
「佐伯さん、今週の日曜日、小父さんと小母さんに会わせてもらえますか?」
「え? う、うん、いいけど。でも、どうするの?」
「もちろん、あっちもこっちも一挙に解決するつもりです」
戸惑いがちに問うてきた佐伯さんに、僕はそう答える。
尤も、そんな都合のいい方法、そういくつもないけれど。
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