>>Winter Vacation

――#14

1.「今まで通りですよ」

 十二月三十一日、大晦日。


 リビングで佐伯さんを待つ僕は、少々気が重かった。


 点けっぱなしのテレビから流れるのは、大晦日の特番ばかり。一年の終わりと新年を迎えるどこか浮かれたような慌ただしさが伝わってくるが、僕は完全にそこに乗り損ねていた。


「おまたせー!」


 準備のできたらしい佐伯さんが部屋から飛び出してきた。


 本日のスタイルはというと、


「ティアードミニに、レースつきのオーバーニーソックスをガーターで止めてみましたー。黒でトータルコーディネイトです」


 とのこと。


 所々白のアクセントがあるので、黒というよりはモノトーンだろうか。上はセーラーカラーなので、そこだけ見ると制服のようでもある。


「見えないところまでちゃんと黒、はぁと、みたいなね?」

「よけないことは言わなくていいです」


 ただでさえ座イスに座って見上げていると、ガーターなんていうアイテムのおかげもあって太もも付近に目が行きがちなのだから、そういう情報は提供しないでもらいたい。


「ぐっときたなら、久しぶりにスキンシップしませんかっ」

「しませんよ」


 僕が即答すると佐伯さんは、ちぇっ、と不満そうに舌打ちした。


「今から出かけるのに、そんなことしてる場合じゃないでしょう。それにせっかくの服が皺になりますよ」

「え……おしゃれしてそんなことになるなら、それはそれで本望かも?」

「……」


 佐伯さんらしい考え方ではあるな。


「ほら、そろそろ出ますよ」

「もぅ。しばらく会えないっていうのに」


 佐伯さんは改めて不満を口にした。


 そのままファッショナブルなコートに袖を通しながら、戸締りやガスの元栓などを確認していく。ご立腹は一瞬で去ったのか、「しましょ、しましょ、しましょ♪」と謎の歌を口ずさんでいる。


 彼女の言う通り、僕たちはこれから三日ほど会えなくなる。大晦日から正月三が日にかけてそれぞれの実家に帰るからだ。僕の気が重いのもそのあたりに原因がある。


 当然だが、家に帰れば母と顔を合わせる。母はクリスマスイブにあの人が亡くなったことをまだ知らない。いつ告げるか、そのタイミングは父に任せてある。だが、それでも前以上にどんな顔をして母に会えばいいのか、どんな態度で母に接すればいいのかわからないことには変わりないのだ。


 僕も学校指定のコートを手に取り、立ち上がった。


 改めて見回すと、片づけられた家の中は家族旅行に行く前の独特の雰囲気があった。特にいつもと違うことをしたわけでもないのだが。


「じゃ、行こうか」

「そうですね」


 佐伯さんの確認作業が終わって、出発準備完了。外へ出た。


「長く家を開けるのって初めて?」

「そうなりますか」


 道すがらそんな話をする。


 僕は、春に学園都市にきてからは月に一度くらいのペースで家に帰っていたが、二学期以降はとんと顔を見せていない。それどころではなかったというのが主な理由。そして、佐伯さんはしばらく家に帰っていた時期があったが、そんなのはもう忘れてしまっていいエピソードだろう。


「そう言えば、ゴールデンウィークにも帰るつもりだったのに、誰かさんが急に前触れもなく風邪をひいたおかげで流れてしまいましたね」

「ん? んんー? あったっけ、そんなこと」


 惚ける佐伯さん。まぁ、そっちは笑って赦せる話ではある。


 僕も佐伯さんも、鞄ひとつで身軽だった。当然だろう。別に旅行に行くわけではないのだ。家に帰ってしまえば、むしろこちらよりいろんなものが充実している。ないものといえば勉強道具くらいなもので、鞄には家にいる間にもやっておいたほうがよさそうな冬休みの課題が入っているあたり高校生の悲哀を感じてしまう。


 駅に着き、券売機で切符を買う。行き先はふたりとも一ノ宮で、そこまでは一緒だ。一ノ宮からはそれぞれ私鉄とJRで、方角も真逆になる。


 さほど待つこともなくプラットホームに滑り込んできた電車に乗った。

 大晦日のせいか人の移動も激しいようで、車内は程ほどに込んでいた。ふたり並んで座れるシートはなく、ドア付近に立つことにした。途中、いくつか乗客の乗り降りの多い駅があるので、そのどこかで座れるだろう。


 学園都市の駅を出て、さらに隣の駅を過ぎると車窓からは谷が見えてくる。なかなかの絶景だ。遥か下に道路があって、そこに走る車はミニカーよりも小さい。


 ふいに佐伯さんが口を開いた。


「大丈夫?」

「うん? 何がですか?」

「だから、その、これから家に帰るわけでしょ……?」


 家に帰るのは佐伯さんも同じはずだが――と思ったところで、ようやく彼女の言わんとしているところがわかった。佐伯さんにはクリスマスイブを終着点とした一連の出来事のバックボーンはすべて話してあって、母と会う僕のことを心配してくれているのだろう。


 そう言えば、電車に乗ってからずっと何も話していなかったな。これから家に帰るという実感が強くなるとともに口数が減っていたらしい。これじゃ心配もされる。


「別に。今まで通りですよ」

「今まで通り……」


 心配させまいと口にした言葉を、佐伯さんは鸚鵡返しにする。


 そして、


「あのね、大きなお世話かもしれないけど……今まで通りじゃよくないんじゃないかな……」

「……かもしれませんね」


 僕は窓の外に目を向けたまま答えた。


 車内にアナウンスが流れる。そろそろ次の駅に着くそうだ。


 今のままではいけないことは僕もわかっている。しかし、母を赦そうにも、母は僕がすべてを知ってしまっていることに気づいてもいなければ、あの人が亡くなったことも告げられていない。そして、何より――あの人とちゃんと向き合わなかった僕は、すでに人を責めることも赦すこともできない立場にある。自分の気持ちを整理するのに、もう少し時間がかかりそうだ。


 電車が次の駅を過ぎて、等速度運動に入ったころ、僕は切り出した。


「佐伯さん、この後、時間ありますか?」

「ん? まぁ、別に急いで帰る必要はないけど?」


 佐伯さんは不思議そうに僕の顔を覗き込みながら答える。


「じゃあ、少し一ノ宮でぶらぶらしていきましょうか」

「それってデート?」

「そんなところです」


 別に名前なんてどうでもいいだろう。僕を心配してくれる佐伯さんのために何かできたら。


「うん、つき合う」


 彼女は笑顔でそう言ってくれた。





 その後、一ノ宮のセンター街をテキトーにぶらつき――通りかかった映画館で面白そうな作品をやっていて、上演時間も丁度よかったので、そのまま映画を見たりもした。


 結局、家に着いたのは、弓月家の平均的な夕食の時間の少し前だった。


 懐かしい我が家の門を開けて這入り、さらに玄関のドアのノブに手をかけたところで、その向こうから小走りに駆けるような軽い足音が聞こえた。何だろうと思いながらもドアを開ける――と、そこで目にしたのは、横滑りしてくる妹ゆーみの姿だった。しかも、制動の際にバランスを崩し、よろめいた。が、それでも何もなかったかのように取り繕う。


「……おかえり、兄さん」

「ただいま帰りました。もしかして迎えに出てきてくれたんですか?」


 どうやら僕が門を開ける音を聞きつけて走ってきたようだ。


「……何のこと? 私はたまたまここにいただけ」

「……」

「……」

「……そうでしたか」

「ええ、そう」


 しかし、落ち着き払った澄まし顔でそう言う。……あまりそうは見えなかったのだが。


 ゆーみは相変わらずゴシックロリータのファッションに身を包んでいた。これで厚底や編み上げのブーツを履いて私立高校に通っているのである。いくら私服登校OKでも限度があるのではないだろうか。


 靴を脱いで玄関を上がったところで奥から母が出てきた。


「おかえりなさい、恭嗣ゆきつぐ。遅かったのね」


 彼女はその理知的な相貌に優しい笑みを湛え、久しぶりに帰ってきた僕を迎えてくれた。


「すみません。途中で友達と会ったものですから」

「ゆーみちゃんなんて朝からずっとそわそわしてたのよ」


 僕は思わずゆーみを見た。


 妹は何を考えているかよくわからない無表情顔で立っている。光の乏しい目がわずかに横を向き、僕と視線を逸らした気がした。が、やがておもむろに僕に指を突きつけ、


「お兄様、あなたは堕落しました」

「……」


 なぜか指弾されてしまった。


 視線を戻せば、母がまだそこにいた。久しぶりに会った母子の間に何か会話があって然るべきなのだろうが、僕はどうにも適切な言葉を見つけられないでいた。それは母も同じようで、ある意味ではゆーみよりも何を考えているかわからない息子に戸惑っているようだった。


 と、そこで僕の携帯電話が鳴った。


「すみません。電話のようです」


 丁度よかった。僕は母の横をすり抜け、二階へ続く階段へと向かった。


 電話は佐伯さんからだった。


『あ、弓月くん? もう帰ってた?』

「ええ。たった今ですが」


 夏休み明けに佐伯さんの家に行ったときからわかっていたことだが、やはり僕の家のほうが遠いようだ。


『うん、わたしもちょっと前。……でね、帰って早々お父さんが言うわけ。「弓月君は明日は顔を見せにこないのか」「彼のことだからきっと挨拶にくると思っていたのに」って』

「……」


 僕は天井を仰ぎ見る。相変わらず無駄に気に入られてるな。


「……わかりました。明日の昼過ぎくらいに寄らせてもらいますよ」

『わかったー。待ってる』


 そうして電話は切れた。


 佐伯さんの弾むような声が耳に残っている。彼女とトオル氏の利害が一致したってところだろうな。いい具合に外に出る口実もできるし、そこに乗せられるのも悪くはないか。


 端末を折りたたんだところで、ちょうど部屋の前だった。


「……佐伯さん?」

「うわっ」


 声の主はゆーみだった。後ろからついてきていたらしい。

 カルガモの子どもか。

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