4.「僕には関係のないことです」

 放課後。

 一年と九ヶ月もの年季の入った帰宅部である僕は、終礼が終わればたいてい真っ直ぐ家に帰る。


 実家から通っていた去年は矢神や滝沢と寄り道したり繁華街に出たりすることもあったのだが、今年度からはなまじ家が近いせいでそういうことは逆にやりにくくなってしまった。わざわざお金をかけて遠出するかたちになるからだ。


 気晴らしをしたい気持ちはおおいにあるが、今は期末考査前でもある。


 教室で仲のよい友人たちと別れた僕は、うまくすれば佐伯さんと会って一緒に帰れるだろうか、と小さな期待を抱きつつ、昇降口で少しばかりゆっくりと靴を履き替える。


 と、


「あ、いた!」


 靴箱の陰からひょっこり佐伯さんの顔が出てきた。どうやら狙い通りになったようだ。


「ゆ、弓月くん!」


 それはいいのだが、駆け寄ってくる彼女は何やら焦っている様子。


「お京がバカになった!」

「……何があったか知りませんが、他に言い方があるでしょう」


 腕にすがりついて、いきなり何を言い出すのやら。


「こらー、キリカ! 逃げるなー」


 続けてその桜井さんが現れた。言葉通り佐伯さんを追いかけてきたのだろう。ざざざーっ、と勢いを両の足の裏で殺し、同じく靴箱の陰から滑りながらの登場だ。


「あ、弓月さん!」


 当然、僕を見つける。


「ちょうどよかった。弓月さんも一緒に行きません?」

「どこへですか?」

「キリカんち!」

「……」


 なるほど。慌てるわけだ。


 僕は佐伯さんを見た。彼女は黙って小刻みに首を横に振っていた。断れ、いいから断れ。とにかく断れ、と言っているのだ。


 しばし考える。


「いいですね」

「やった!」

「ちょっ!」


 二者二様の反応。


「ちょっとちょっとちょっと!」


 壊れたレコードみたいになった佐伯さんは、腕をからめたまま桜井さんから離れたところへ僕を引っ張っていく。


「なに考えてるのよ!? お京なんか家に上げてバレたらどうするの!」

「ふたりで口をそろえていやがるほうがよっぽど怪しいでしょう」


 それに、と僕は続ける。


「だったら、ゆーみのときみたいにうまく誤魔化せばいいじゃないですか……って、何ですか、その『ダメだこいつ』みたいな目は?」

「……別に」


 なぜそんな目をされなくてはいけないのだろうか。


「まぁ、いいかげんダメって言い続けるのも限界っぽいし」


 佐伯さんは呆れと諦めが入り混じったようなため息を吐いた後、今度はキッと桜井さんを睨んだ。びくっと体を振るわせる桜井さん。


「……弓月くんも一緒。それでいいなら」

「もちろん」


 桜井さんは二つ返事で了承した。


 尤も、その条件で了解してもらわないと、僕はどこかテキトーなところで時間を潰さないといけなくなるわけで。


「いい? 開けたらダメって言ったところは絶対に開けないこと」


 そうして話はまとまって校門を出ると、佐伯さんは道々滔々と注意事項を言い連ねる。


 確かにいくつか禁止事項を定めておかないと、こちらが注意するだけではどうにもならない部分もある。いちばんわかりやすい例が僕の部屋のドアだ。あれを開けられたらそれだけで終わる。


「このまま泊めろとか言わないよーに」

「わかってるって。明日学校だもんね」


 桜井さんはにこやかにそう答えているが、佐伯さんは本当にわかっているのだろかと疑わしげである。


「それから、これ以降いきなり遊びにきたりしないこと」


 今日で家の場所を知られるわけだから、そういう危険性はある。


「えぇー。一度『きちゃった……』とかやってみたかったのに」

「すんなっ」


 佐伯さんが声を荒らげ、ぴしゃりと言い放つ。


「そういうのは彼氏つくってやんなさいね」

「うわ、何その上から目線!? ムカツクー! ……じゃあ、弓月さんちで」

「……明日、授業中に後ろからブラのホック外すから」

「ひいっ」


 いつやられるのかと一日中怯えるがいいわ、と佐伯さん。男にはいまいちピンとこない恐怖だな。


 それにしてもこのふたり、てっきりおとなしいコンビなのかと思ったら、必ずしもそういうわけではないらしい。最近になってようやくわかってきた。とは言え、この程度なら目立つほうでもないだろうが。


 行程は交差点へと差しかかった。桜井さんと帰りが一緒になったときはいつもここで別れている。


「キリカんちこっちだよね」

「でも、その前に僕と桜井さんは、このまま真っ直ぐ駅へ行きましょう」

「え、どうしてですか?」


 見知らぬ道へ期待をふくらませていた桜井さんは、そこに水を差した僕を見る。隣では佐伯さんもきょとんとしていた。


「人の家にお邪魔するんですから、何か買っていくくらいしないと。お菓子とか飲みものとか」

「おお」


 佐伯さんが手を打つ。僕が意図するところを理解したようだ。


「あ、それもそうですね。そうしましょう。えっと、キリカんちは……弓月さんが知ってますね。じゃあ、キリカ、わたしたちは後から行くから」

「おっけー」


 これで時間的な余裕が確保された。この間に佐伯さんが都合の悪いものを片づけておいてくれるだろう。


 ちょうど青だった信号を渡り、佐伯さんだけが対岸へと移る。僕たちは直進だ。


「弓月さん弓月さん、このままふたりで遊びに――」

「お京ーっ」


 見れば横断歩道の途中、中央分離帯のあたりで佐伯さんが手を振り回しながら飛び跳ねていた。この距離で聞こえたのか。





「前からキリカんちに遊びにいきたいって言ってたんですよ? でも、ぜんぜんいいって言ってくれなくて」


 駅へと向かう道すがら、桜井さんは不満を口にする。……なるほど。先ほど佐伯さんが、これ以上断りきれないといった趣旨のことを言っていたのはこのことか。そして、桜井さんは今日こそはと、喰い下がり追いかけ回していたわけだ。


「そりゃあ佐伯さんだっていきなりこられたら困りますよ。片づけだってしたいでしょうし」


 それだけでは頑なに断り続ける理由としては弱いが。


「キリカってそんなに部屋の中散らかしてるイメージないけどなぁ。……そこんとこどうなんですか?」

「どうして僕に聞くんですか?」


 急に意見を求められて、どきっとした。


「え、だって、弓月さんは行ったことあるんですよね? キリカから聞いてますよ、よく遊びにくるって」


 何か変なことを言っただろうか、と首を傾げる桜井さん。


 ああ、そういうことか。どうやら僕がボロを出さないようにと警戒するあまり、勝手に慌て過ぎたようだ。


「そうですね。きれいなものですよ。でも、桜井さんだって人がくるとなると、その前にもう一度片づけておきたいでしょう?」

「それもそっか」


 そんなことを言っているうちに、もう駅前と呼べるところまできていた。ここのショッピングセンターの一階にスーパーが入っている。そこでテキトーに何か買っていくことにしよう。


 ショッピングセンターの中は夕食前の買いもの客や学校帰りの学生で、それなりに賑やかだった。


 と、そこでスラックスのポケットの中で携帯電話が震えた。取り出してサブディスプレィを見てみれば、音声通話の着信。


「……」


 父からだった。


「すみません。電話です。買いものは任せていいですか? 僕はそのへんで待ってますので」

「わかりましたー」


 快諾してくれた桜井さんが離れていくのと同時、僕は電話に出た。


「もしもし?」


 声が冷たかった。父に対してこんな発音をするのは、一時期荒れていたころ以来か。


『ああ、恭嗣、いま大丈夫か?』

「少しなら」


 父のことだから、学校が終わっている時間なのを確認した上でかけてきたはずだ。


『そうか。……今から出てこれないか? この前と同じ病院に、なんだが』

「……」


 病院。

 余命幾許もないあの人が入院している、病院。


「容態が悪いんですか?」

『いや、そういうわけじゃない。むしろ今は比較的落ち着いているほうかもしれない』

「そうですか」


 少しだけほっとした。相手が誰であれ訃報など聞きたくはないものだ。


『だから少し彼と話してみないか?』


 心臓が、跳ねた。


 話す?

 いったい何を話せというんだ? いや、それ以前になぜ僕があの人と話さなくてはいけない? あの人は母と一緒になって父を裏切った人だ。そのおかげで僕は不実の証として生まれた。それを知った僕が苦しまなかったとでも? 辛くなかったとでも? 父さんだってそうじゃないのか。


「けっこうです」


 話すことなどない。


『恭嗣』

「前に言ったはずです。もうあの病院には行かないと。僕には関係のないことです」


 父の発音にかぶせるようにしてそう言い切ると、僕は返事も聞かず通話を切った。我ながらあまり褒められた態度ではないと思うが、今は人に気を遣える心境ではないと自分に言い訳をする。


 ショッピングセンターを縦に貫く通りに設置されたベンチに腰を下ろした。すぐ前にはスーパーのレジとサッカー台。ここにいれば桜井さんにもわかりやすいだろう。首を巡らせて少し遠くに目をやるとそこはこの施設の中心部で、二階まで吹き抜けになったその中央に巨大なクリスマスツリーが立っていた。確か外の広場にもツリーがあったはずだ。


「お待たせしましたー」


 桜井さんが戻ってきた。手に提げたレジ袋にはスナック菓子とペットボトルのジュースが入っているようだ。


「どうかしたんですか? 怖い顔してますよ」


 そんな顔をしていたのか、僕は。


 心配顔の桜井さんは、今度はさっきまでの僕の視線を辿り、僕が目に映していたものを見つけた。


「クリスマスツリー? もぅ、弓月さんにはキリカがいるじゃないですか。そんなクリスマス死ねみたいに睨まなくても」

「……」


 ……そんな顔をしていたのか、僕は。それはマズいな。


「そうですね」


 思わず笑う。

 確かにそうだ。わざわざこんな時期に、悩まなくていいことに悩む必要はない。


「桜井さんも来年は楽しいクリスマスを過ごせるといいですね」

「何それ!? キリカとふたりそろって上から目線ってどういうこと!? ムカツクー!」


 足を踏み鳴らして怒りを表現する桜井さん。僕はその彼女の手からレジ袋を取り上げた。


「じゃあ、行きましょうか」


 買いものもすんだことだし、時間稼ぎはこれくらいで充分だろう。そろそろ桜井さんを連れて佐伯さんのところに戻るとしようか。

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