5.「近々解決すると思いますので」

「こっちですよね?」


 交差点の横断歩道を前にして、桜井さんが対岸を指さす。僕たちの、もとい、佐伯さんの家に行くには、まずはここを渡って真っ直ぐだ。彼女と帰りが一緒になったときはいつもここで別れているのだから、今さら聞くようなことではない。


 横断歩道を渡り、我が家へと続く道を往く。


「この道、初めてです」


 桜井さんはこれから向かう親友の家への期待に胸を膨らませているようで、それは体と言葉にもよく表れていた。

 少し進むと彼女は駆け出し、その先にあった曲がり角で振り返った。


「こっちですか? それとも真っ直ぐ?」

「そこで曲がります」


 彼女に追いつき、一緒に住宅街へと入った。少し進めばすぐに見えてくる。


「ほら、あそこの白いマンションがそうです」

「あ、あれですね!? わ、おしゃれだー。……ところで、弓月さんちは?」

「それは内緒です」


 今から行くところがそうなのだが、今ごろは佐伯さんがその痕跡を消してくれていることだろう。


「桜井さん襲来の被害に遭いたくありませんので」

「ひっどーい。キリカとふたりして厄介もの扱いするー」


 かわいらしく頬をふくらませる桜井さん。


 そんなことをしているうちにマンションに辿り着き、せまい階段を縦に並んで上がっていく。――間、僕は考えていた。インターフォンを鳴らすべきか、それとももういきなりドアを開けるてしまうべきか。ドアを前にして迷うわけにはいかないので、二階に上がるまでの短い時間で決断してしまう。


 結局、ひとつ工程を飛ばしてドアを開けることにした。どうせ遅れて僕たちがやってくることは予定のうちなのだから。


 玄関に足を踏み入れながら、奥に声をかける。


「佐伯さん、上がりま――」

「おかえりー!」


 廊下の先の扉から佐伯さんが顔を出した。


「うわ、普通に『おかえり』なんだ……」

「……」


 桜井さんの感嘆の声を背中で聞きながら、僕は思わず固まる。ここは「おかえり」ではなく来客として迎えるべき場面ではなかろうか。


「弓月くん、お京にスリッパ出してあげて」


 そう言うと彼女は引っ込んでしまった。


 当然のように僕の履くスリッパの指示はなし。一抹の不安を感じながら、スリッパ立てから自分のと来客用を取り出し、床に置いた。


「つまり、それが弓月さん専用なんですね?」

「ええ、まぁ」


 嬉しそうに問うてくる桜井さんに、僕は曖昧に返事を返す。


 大丈夫だろうか、佐伯さんは。今の設定を忘れているのではないかと心配になってくる。とは言え、いつも出しっ放しにしている僕のスニーカーが片づけられているところを見ると、まるっきり忘却の彼方というわけではなさそうだ。


 短い廊下を進み、リビングへと這入る。


「おー、ここがキリカのハウス……」


 桜井さんが感嘆の声を上げた。……ハウス?


 きょろきょろと辺りに目を向け、好奇心を隠せない様子だ。迎える部屋の主、佐伯さんは濃紺のチェック柄のミニスカートに黒いパーカー姿に着替えていた。部屋着と外出着の中間といったところか。駅前のスーパーに買いものにいくときなんかは、いつもだいたいこんな感じの格好だ。


 僕は素早く環境の変化を確認する――が、一見して大きく変わった場所はない気がした。所詮はリビングなのでもともと僕の私物はほとんどなく、慌てて隠さなければいけないようなものもなかったわけだ。ただひとつ、僕の座椅子がそのままにしてあったが、これはどうとでも誤魔化しが効くだろう。


「こっちがキリカの部屋? じゃあ、こっちは」

「そっちはいわゆる客間、かな?」


 それぞれの私室への扉は、当然閉じられている。


「今は取り込んだ洗濯ものを放り込んであるから、開けるの禁止」

「見たい!」

「見せるかっ」


 それを聞いて初めて気がつく。確かにそういうものもあったな。もし干したままのところを見られたりしたら、誤魔化しも言い訳もできない。……ところで、本当に僕の部屋に洗濯ものを放り込んであるのだろうか。桜井さんが佐伯さんの部屋を見たいと言い出す可能性もあるし、本当にそうなのだろうな。想像したくない光景だ。


 さて、僕は今からどうすればいいのだろう。もちろん、部屋に入って着替えるわけにはいかないし、コートや鞄を置きに戻ることもできない。とりあえずどちらもキッチンの椅子にでも置いておこうか。


 そう思ってキッチンのほうに体を向ければ、いつもの場所にコーヒーメーカーが、でん、と鎮座していて顔が引き攣った。これはまぎれもなく僕の私物なのだが……まぁ、佐伯さんの家にあってもおかしくはないか。


「あ、弓月くん、コーヒー淹れてくれる?」

「え? あ、ああ、わかりました」


 コーヒーメーカーと睨み合っていると、リビングのほうから佐伯さんの声。思わず返事をしたが、佐伯さんの家なのに僕がコーヒーを淹れるのは変じゃないだろうか。


「ふっふっふ。何を隠そう、あれは弓月くんのなのだ。ここにいるときも美味しいコーヒーが飲みたいからって、わざわざ家から持ってきて置いてあるのだ」

「か、通いつめてる!?」


 僕は思わず振り返る。ちょっと待て。なぜそこでそんな設定にする? 特に疑う余地のない家電なのに。


「ていうか、まるで我が家?」

「……そこまでは思ってませんよ。こちらでも自分好みのを飲めるようにもう一台買ったのは確かですが」


 話を合わせつつちらと佐伯さんに目をやると、彼女もこちらを見てにっこり笑った。


「そんなわけで美味しいコーヒーお願いします」

「あ、わたしも飲みたいです。弓月さんのスペシャルブレンド」

「……わかりました」


 いろいろ釈然としないものを感じながら返事をし、ようやく僕はコートと制服のブレザーを脱いだ。まとめて背もたれにかけておく。


「用意しますから、ふたりとも座って待っててください」


 給水タンクに水を入れながら、リビングにいる佐伯さんと桜井さんに言う。たぶん夜も飲むからマグカップ5杯分くらいでいいだろう。


「キリカ、こっちの座椅子使ってもいい?」

「それは弓月くんのだから、心して使うよーに」

「また専用!?」


 ぎょっとする桜井さん。ついでに僕もぎょっとした。違わなくはないが、違うと言っておきたいところだ。


「ただ単に僕がいつもそっちを使ってるというだけの話ですよ。決してわざわざ家から持ち込んだわけではありませんので」


 また勝手な設定を作られる前に、こちらから先にはっきり言っておく。……嘘の割合が僕のほうが多いのが不思議な話だ。


「それじゃあ、遠慮なく。……うぅむ、まるで愛の巣に入ってしまった気分」

「今ごろ気づいたか。わたしと弓月くんがいちゃいちゃするところを見ていくがいいわ」

「ひとり身には地獄!?」

「しませんよ、そんなこと」


 盛り上がっているところ悪いのだが。


「でも、ちょっと見たいかも」

「……しないと言ってるのですけどね」


 とは言え、やはり聞いていないようだ。





「弓月さん、UNOやりましょう、UNO」


 コーヒーを飲みながらの歓談で桜井さんのこの家への好奇心がひと通り満たされたころ、彼女がそう切り出してきた。自分の鞄を引き寄せ、中を漁り出す。常備しているのだろうか。


 僕は佐伯さんを見た。


「今クラスで流行ってて。いい?」

「いいですよ、それくらい」


 もうすでに桜井さんはケースからカードを取り出していた。慣れた手つきでシャッフルする。きっと休み時間のたびにやっているのだろう。


「そうだ。わたしに勝ったらキリカの秘密をおしえてあげますよ」

「秘密? 何ですか?」


 身についたコミュニケーション能力により反射的にそう反問してしまう。


「キリカはブラウスを着るとき、ボタンを下から留めるんです」

「先に言ってどうするっ。ていうか、よけいなことゆーなッ」


 隣で佐伯さんがキシャーッ。しかし、彼女はそれを清々しいまでに無視。


「嫌味だと思いません? 胸が最後まで残るんですよ」

「僕にそんなことを言われても困るのですが。佐伯さんの秘密は別にいらないので、普通にやりましょう」


 勝つたびにいらない情報が増えていきそうだ。





 そんなわけではじまったUNO大会なのだが、


「はい、僕はこれであがりです」

「ぐぬぬ……」


 桜井さんは思いのほか弱かった。学校で遊んでるんじゃなかったのだろうか。佐伯さんのほうはしっかり戦略を組み立ててくるので、確かにそうなのだろうとは思う。今のところ桜井さんのひとり負け状態だ。本当にさっきの条件を飲んでいたら、今ごろ大変なことになっていただろう。


「なんか弓月さんが強いんですけど」

「こういうゲームはどのクラスでも一度は流行るものなんですよ」

「経験者だっ」


 一年ときの一時期、僕も滝沢や矢神とこの手のゲームに興じたものだ。カード麻雀だけは、やっていると雀さんが飛んできて烈火の如く怒るので、一日でやめたが。……さすが二盃口が得意なナツコさんだ。


 気がつけばマグカップが空になっていたので、僕は席を立ってキッチンへ向かった。


 後は、佐伯さんと桜井さんの一騎打ちである。


「リバース、スキップ、スキップ、UNO。はい、あがり」

「負けたー。また負けたーん」


 が、佐伯さんがたたみかけて勝敗は決したようだ。


「こうなったら直接攻撃!」

「ぎゃー」


 突如上がった悲鳴に振り返ると、桜井さんが佐伯さんに襲いかかるところだった。負けが込んで鬱憤がたまっていたようだ。


「や、ちょっ、待……」


 リビングでは近寄るのが躊躇われる光景が展開されていた。しばらくこっちで一服するとしようか。僕は彼女たちに背を向けてダイニングテーブルにつく。


「ちょっと、お京! どこに手を突っ込んでるのよ!?」

「えっと、スカートの中? ……おお、こんなところに結び目がっ」


 ぶっ、と思わずコーヒーを噴き出しそうになった。


「ないわっ。弓月くんがこっち見てないからってテキトーなこと言うなッ。……ええぃ、いつまでもやられっぱなしだと思ったら大間違いよ」

「け、形勢逆転!?」


 どったんばったん、賑やかな音がこちらまで聞こえてくる。


「あぁ、や、やめて。く、首っ、首筋はダメ。そこは弱いの。あ、あ、ああっ! ……あぁん、もっとぉ」

「何その反応!? 怖い!」


 あー、確か鞄に読みかけの文庫本を入れていたはず。ああ、あったあった。これでも読んでいよう。


「……わたし、キリカとなら道を踏み外してもいい」

「わたしがよくないわっ」


 ……ぜんぜん読める環境じゃないな。





 どこの家庭でもそろそろ夕食かというころ、桜井さんは意外とあっさり帰ると言い出した。外はもう真っ暗なので彼女は僕が送っていくことにして、今はふたりで駅までの道を歩いていた。


「キリカがですね、ずっと変だったから心配してたんですよ」


 他愛もない話が途切れたところで、桜井さんがそう切り出してきた。


「ほら、学園祭の後しばらく」

「ああ」


 あのときか。


「結局、あまり突っ込んで聞かなかったんですけど、ケンカでもしてたんですか?」

「そういうわけではないのですが、ちょっとややこしいことになってました。でも、もう大丈夫ですよ」

「うん、キリカもそう言ってましたし、わたしももう心配いらないと思ってます」


 と、そこで一拍。


「そしたら今度は弓月さんです」

「え?」

「何かあったんですか? 最近ちょっと元気がない感じです」

「……」


 果たして桜井さんが鋭いのか、それとも僕がよっぽど変なのか。


「ずいぶんと心配かけてるみたいですね。でも、近々解決すると思いますので」

「ほんとですか?」


 今の僕の言葉にたいした説得力はないらしく、桜井さんは不安そうに聞き返してくる。


「たぶんね」


 ひどい言い方だが、今僕を悩ませているものは、そう遠くない先に目の前からなくなる。そうしたら僕はまたもとの自分に戻れるはずだ。そして、いつか気持ちの整理がつけば、何でもないことだと思える日がくるかもしれない。


 街灯が照らす夜の歩道を歩く。駅が近くなって、車道を行き交うヘッドライトの数も増えてきた。


「あ、そうそう。今日キリカんちに入って……わたし、わかっちゃいました」

「……何をでしょう?」


 思わず声が強張る。もしかして気づかれたのだろうか? 隣を見れば彼女もこちらを見ていて、目が合った。どこかいたずらっぽく微笑みかけられる。


「ずばり! 実は弓月さん、けっこうキリカんちに泊まったりしてますねっ」

「……」


 それは当たっているような、いないような……。


「キッチンとか洗面所とか見てると、何となくそんな雰囲気なんですよね。歯ブラシとかそういうわかりやすいものはなかったけど、でも、だいたいふたつずつそろってる感じ?」


 桜井さんは自分が何を見つけたか思い出しているのか、視線をやや上に向けている。


「まぁ、バレてしまったのなら仕方ないですね。その通りですよ」

「やっぱり」


 僕が認めると、彼女は嬉しそうに笑った。


「仲がいいんだから」

「……」

「……」

「……」


 そして、待てど暮らせど次の言葉はなく。


「それだけですか?」

「? それだけですよ?」


 首を傾げながら不思議そうに返してくる。


 それだけらしい。考えてみればそんなものか。弱みを握ったとばかりに強請りたかりをしてくるような悪意のある子ではないし。せいぜいひやかす材料が増えたくらいにしか思っていないのだろう。


「因みに、ふたりっきりのときはどんな感じなんですか?」

「それは内緒です」

「うわ、なんかぇろっちぃなぁ」


 何を想像したのか、にやにやと笑う。願わくば現実よりも彼女の想像のほうが上でありますように。


「あ、クリスマスツリー」


 行程はすでに駅前。駅とショッピングセンターの間の広場には、電飾の施されたクリスマスツリーがライトアップされていた。


 桜井さんは足を止める。


「いつもここを通ってますけど、暗くなってから見るのは初めてです。……やっぱりクリスマスはキリカとデートですか?」

「その予定です」

「じゃあ、思いっきり気晴らししないとですね」


 結局のところ、どうやら僕は彼女に心配されているようだ。


「あ、もうここでいいです。ありがとうございました。弓月さんはこれからまたキリカんちですよね?」


 彼女はちょっとからかうように訊いてくる。


「まさか。ちゃんと自分のところに帰りますよ」

「嘘ばっかり。鞄もってないくせに」

「……」


 これは迂闊だった。


「それじゃあ失礼します」


 そうして桜井さんは駅のほうへ駆けていく。途中、一度こちらを振り返り、手をぶんぶんと振った。僕も軽く手を上げて応える。


 改めて彼女を見送り、さて僕も帰ろうかと身を翻したところでクリスマスツリーが目に入り――再度見上げる。


 帰ったらさっそく佐伯さんとクリスマスの約束を詰めておこうか。思えば先日の目覚まし時計を買いにいく話も流れてしまって、そのままになっていることだしな。

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