3.「誤魔化そうとしても無駄なんでしょうね」


 あれから一週間と少しが過ぎ、暦は十二月へと移った。


 あの日、夜遅く家に帰ってくると、当然のように佐伯さんに何があったのかを聞かれ、僕は父の知り合いが入院していたとだけおしえた。嘘ではないが十分とも言えない報告だ。


 正直なところを言うと、僕はもうあの人のことは忘れようと思っている。


 僕とは関係のない人。

 会うべきではなかった人。


 だからもう忘れて、僕は僕の日常へと帰ろう――そう毎日自分に言い聞かせている。





「知ってる? 駅のショッピングセンターがね、クリスマスモードになってるの」


 そうして学生の本分として今日も学校へ通う僕の隣で、佐伯さんが話題を振ってくる。


「ええ、知っています。十二月の一日からみたいですね。駅前広場にも大きなツリーが立っていました。まぁ、ずいぶんのん気だと言わざるを得ませんが」


 先日、電車を乗り換えるときに通った一ノ宮はとっくにクリスマス一色だった。どうやら学園都市ではその手の飾りつけは毎年十二月に入ってからするようだ。去年も同じタイミングだったと記憶している。


「もうクリスマスかぁ」

「その前に期末考査ですけどね」

「むぅ、いやなことを」


 佐伯さんは不満げに口を尖らせた。


 僕はその姿を横目で見て頬を緩める。それから少し視線を上げて、冬の空に目をやった。

 十二月に入って一気に寒くなった。十一月の下旬はまだちょくちょく――例えば大学の学園祭に行ったあの日のように、暖かい日もあったのだが、それが嘘のようだ。


 おかげで僕たちは制服の上に学校指定のコートを羽織っている。僕は黒のロングコート、佐伯さんは赤いハーフコートだ。いちおう華美なものでなければ学校指定のものでなくてもいいのだが、佐伯さん所有のコートは少々ファッショナブルで、学校に着ていくには不向きだった。


 因みに、学校指定のものは、これはこれでなかなかデザインのセンスがよく、僕はこれをプライベートなシーンでも着ることが多い。面倒くさがりには便利なアイテムだ。


「あ、そうだ、弓月くん、年末年始はどうするの?」

「ん?」


 遠くの空をぼんやり見ていた僕は、佐伯さんの声で我に返る。


「年末年始、ですか? 実は帰ると言ってしまったんですよね、母親に」


 母の不安げな様子と、顔見せ程度にしか帰っていない自責の念に負けてそう言ってしまったのだが、今となっては後悔している。あのようなことがあった後なので、あまり帰りたくないというのが正直なところだ。


「あ、わたしもわたしも。お父さんとお母さんに代わる代わる帰ってきなさいって言われた」


 苦笑気味に言う佐伯さん。

 まぁ、それが健全な家族のあり方というものだろう。


「弓月くんはどれくらいの予定?」

「そうですね。大晦日に帰って、正月三日くらいにはこちらに戻ってこようかと」

「じゃあ、わたしもそうしようっと」


 僕と同じで帰ることだけ決めて、詳しい日程までは未定だったようだ。


 そこで僕はふと考える。安直に大晦日と正月三が日だろうと考えてのことだったのだが、今あの家に足かけ四日もいるのは少しばかり苦痛かもしれない。


 とすれば、


「ああ、もしかしたらもう少し早く、二日の夜にでも帰ってくるかもしれません」

「じゃあ、わたしも」

「……」

「……」

「やっぱり元旦に帰ってきます」

「じゃ、それで」


 なぜ合わせる?


「……佐伯さん」

「ふに?」


 妙な返事が返ってきた。


「自分の考えはないんですか?」

「だってしょうがないでしょー。弓月くんと早く会いたいし、弓月くんがいないところに帰ってきても寂しいだけだし。だから弓月くんと同じ日に出て、弓月くんと同じ日に帰ってこようと思って」

「……」


 すごいな。一回の台詞の中に僕の名前が四回も出てきたぞ。


「まぁ、日程を合わせるくらい別にかまいませんけどね。それはまた改めて決めましょう」

「そだね。ていうか、その前にもっと大きなイベントがあると思うんですけどー」

「何かありましたか? ああ、期末考査ですね」

「だーかーらー」


 地団駄を踏む勢いで怒る佐伯さん。


 大きなイベントというのは、きっと二十四日あたりにあるあれのことなのだろう。もちろん、それくらいわかっているのだが、早くから気合い入れて予定を決めるのもどうかという思いがあるのだ。


 交差点に差しかかった。


「その話はここまでにしましょう」

「もぅ」


 恨めしそうな視線を向けてくるが、ここは気づかぬ振りをしておこう。


 この交差点を渡れば学園都市の駅から学校へ向かうコースに合流する。早くも遅くもないこの時間は少なくない水の森の生徒が歩いていた。人に聞かせられない話はここまでだ。


 信号が青になっているのを見て横断歩道に踏み出すと、その向こうに立ち止まって僕らを待っている生徒の姿が見えた。


「あ、お京だ」


 佐伯さんのクラスメイト、少し癖っ毛のショートヘアが特徴の桜井さんだった。


「おはよう、お京」

「おはよー、キリカ。弓月さんもおはようございます」


 佐伯さんと手をぱちぱち合わせながら、桜井さんはこちらにも挨拶をしてくる。


「おはようございます」


 ひとり増えて三人で学校へ向かって歩き出す。僕の左隣に佐伯さん、その向こうに桜井さんの並びだ。


「キリカ、教室に着いたら英語のノート見せて~」

「またかっ。またなのかっ!?」

「いいじゃない。やってるでしょ? わたしが当たるってことは、キリカも当たるってことなんだからね」


 想像するに出席番号順に答えさせる先生なのだろう。


「言っておきますけど、わたしは当たる当たらないに拘らず、毎回ちゃんと予習してます」

「えらい! さすがわたしのキリカ。その真面目さを少しでいいからわけて。……できればわかりやすいかたちで」


 朝から元気に、やいのやいのと楽しげに言い合うふたり。見ていて癒されるというか。今は黙ってギャラリィに回っていたい気分だった。


 が、


「弓月さん、何かあったんですか?」


 佐伯さんの向こうから桜井さんが顔を覗かせる。


「どうしてですか?」

「うーん、ちょっと元気がなさそうに見える、かな?」

「そうですか? 別にそんなことはありませんよ」


 なかなか鋭いな。


「ふっふーん。せっかくだからいいことおしえてあげちゃいますよ」


 そう言いながら彼女は、後ろを回って僕の右隣にやってくる。


「この前キリカと一緒にネットでいいもの見つけたんです。ミニスカサンタの衣装。これで今度のクリスマスは――」

「こらーっ」


 言い終える前に佐伯さんの発音がそれを遮った。


 普段ふたりでいったい何をしているのだろうな。少し頭が痛くなってくる。


「よけいなことを言うんじゃないの!」


 今度は佐伯さんが僕の後ろを通り、桜井さんの背中を押す。


「ちょっ、キリカ、押さないでっ」

「ほらほら、早く教室に入ってノート写すんでしょ。きりきり歩きなさいっ」


 まるで僕から桜井さんを引き離すかのように、ぐいぐいすんずん先に進んでいく。


「わかった、わかったから。きりきり歩くから。きりきり……きりきりキリカ、なんちゃって……って、え、なんで加速!? あぁーん、弓月さーん」


 そして、ついには走り出し――賑やかな下級生たちの謎の電車ごっこは登校する水の森の生徒の間を抜け、そのままその先に見えてきていた校門へと雪崩れ込んで姿を消した。


「……」


 元気なことだ。


 僕としてはいつも通りのつもりだったのだが……。ふたりの様子から逆算するに、やっぱりおかしいのだろうな。





 そうして放課後になって、とうとう佐伯さんからも改めて尋ねられた。


「やっぱり病院に行った日に何かあったの?」


 矢神と宝龍さん、桜井さんと一緒に下校し、あの交差点で別れた後のことだった。


「いえ――」

「『別に』とか『特には』とかはなしで」

「……」


 しっかり釘を刺されてしまった。


「ねぇ、何かあったのならおしえて? わたし、弓月くんの彼女だよ?」


 佐伯さんは心配そうに問うてくる。


 僕はしばし考えてから、


「きっと誤魔化そうとしても無駄なんでしょうね」

「うん。弓月くんの彼女だもの」


 僕が話しそうな素振りを見せたからか、彼女は先ほどと同じ言葉を返しながら明るい笑みを浮かべた。


 ひと呼吸おいてから僕は口を開く。


「あの日、僕が病院で入院中の父の知り合いに会ったことは話しましたよね?」

「うん、聞いた」

「その人はもう長くないんだそうです」

「え……」


 小さな驚きの声。


 僕もあの人の姿を思い出す。父よりも若いはずなのにひどくやつれた顔で、弱々しい笑顔を僕に投げかけてきた――。


「僕は今まで身内や親戚の不幸に立ち会ったことがなくて、こういうのは初めてなんです。だから少し感傷的になっているのでしょうね」

「そうなんだ」


 それきり僕たちはしばらく黙って歩いた。


 もう十二月だ。放課後すぐの空はまだ明るいけれど、夕闇の気配がすぐそこまできている。きっと気がついたら真っ暗になっていたりするのだろう。


「辛いね、そういうのって」


 ぽつりと、佐伯さんがつぶやく。


「そうですね。でも、君には関係のない話ですから、あまり気にしないでください」


 そして、僕にも関係のない話だ。


「いやな話を聞かせただけになってしまいましたね」

「ううん」


 佐伯さんは少しうつむき加減のまま首を横に振った。


「それよりも、先のことを決めておきましょうか」

「年末年始のこと?」


 今度は顔を上げ、首を傾げるようにして僕を見る。


「君、朝に自分で言ったことも忘れたんですか? その前に大きなイベントがあるんでしょう?」

「あ……」


 瞬間、佐伯さんの顔がぱっと明るくなった。そうだな。わざわざ僕の個人的な事情を話して、この顔を曇らせることもないだろう。


 この後、残りの帰り道も帰った後も、クリスマスにはああしたいこうしたいと話は尽きなかった。

 どうやらそうすぐには決まりそうにないようだ。

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