6.「親にはずいぶんと迷惑をかけましたからね」

 学園祭用のアーチで飾られた校門をくぐると、まず正面に真っ直ぐ幅の広い通りが伸びている。学園通りと名づけられたこの通りの左右には、図書館やメディアセンター、学生食堂、学生課や教務課などの入った事務棟が並んでいる。


 ここを真っ直ぐ行くと、今度は広場通りと呼ばれる通りと直交。その向こうには噴水を中央に備えた長方形の大きな広場――教会広場があり、そこを囲むように1号館から3号館までの教室棟と、教会広場の名の由来になったチャペルが配置されている。


 敷地内は森を切り拓いたみたいに自然が多く、ここの学生はゆっくりとした時間の流れの中でキャンパスライフを楽しんでいるのだろう。


 でも、それも普段の話。学園祭開催中の今はどこを見てもお祭り騒ぎだ。

 学園通りにはクラスやサークル、ゼミ単位の出店がずらりと並び、その分だけ狭くなった通りは人で溢れ返っている。学生に一般の来場客、付近の模擬店の呼び込みもいれば教室棟内でやっているらしいホラーハウスの宣伝のミイラ男まで。この学校は芸術関連の学科もあるのか、ミイラ男も妙にリアルで気合いが入っている。ただし、とても陽気だが。


「メインステージは教会広場にあるみたいですね」


 僕は入り口でもらったプログラムを見ながら確認する。

 そのメインステージ以外にも、グラウンドや体育館、1号館の中庭などで様々なプログラムが組まれているようだ。


「弓月くーん、こっちこっちー」


 しかし、僕の言葉などまったく聞かず、というか、とっくに聞こえないくらい先に行ってしまっている佐伯さん。人のことを呼んでおきながら、まったく待つ素振りもなくまたすぐに次へ行こうとする。ずいぶんとはしゃいでいるな。


「お、あの子かわいくね? お前声かけてこいよ」

「俺がいくのかよ。あ、でも、マジかわいい」


 不意に耳に飛び込んできた声のほうを見ると、そこには僕と同じくらいの高校生らしき三人組が。もちろん、その視線が向かう先は佐伯さんだ。……むっときた。


「佐伯さん」


 わざとその三人組に聞こえるように呼び、僕は彼女を追いかけた。


「あまりさきさき行かないでください。人が多いんですから。見失ってしまいます」

「え? あ、うん」


 睨むようにして三人組の様子を窺えば、もう遠ざかっていくところだった。見つけたかわいい女の子が男連れだとわかって興味をなくしたのだろう。我ながら大人げないことをしているな。そんな自分に少し驚く。


「弓月くん、手……」


 そこでようやく僕は佐伯さんの手を握っていることに気がついた。無意識に掴んで引き寄せていたらしい。


「っと、すいません」


 慌てて離れる。


「別につなだままでもいいのに」

「君が遠くへ行かなければすむ話です」


 小さく笑う彼女に、僕は憮然とした表情を作って言い返す。


 改めて佐伯さんを見た。

 デニムのロングパンツにボートネックのトレーナー姿。十一月も折り返し地点に差しかかかろうというこの時期にしては首周りが寒そうだが、今日の気温を考えればそうでもないか。その首にかかっているのは僕が誕生日に買ったペンダントだ。全体的に飾り気の少ない、どちらかというとシンプルで活動的に見えるスタイルだが、素材がいいのでこれでも十分に決まっている。


 ――やはりかわいい、と思ってしまう。


 そのとき、佐伯さんがはっとしたような顔をした後、ややうつむき加減のままとことこと僕のほうへ寄ってきた。


「あ、あまり見られると……ほら、朝あんなことがあったし」

「う……」


 思い出した、というか、目の前の佐伯さんとダブってしまった。直で見てしまった彼女の豊かな胸と、急な角度で大胆なカットの下着――。


「もぅ。だから想像しないでって」


 なぜか見透かされ――恥ずかしいのか怒っているのか、佐伯さんは僕の胸板に額をぶつけてきた。……そんなこと言われてもな。それに思い出してしまうようなことをわざわざ先に言ったのはそっちではないか。


「……」

「……」


 僕たちの間に気まずい空気が流れる。


 と。


「はーい、そこのかわいい彼女!」


 一瞬こんなときにまたナンパかと思ったが、しかし、その声は女性のものだった。見てみればそこにはここの学生らしき女の人が立っていた。……のはいいのだが、なぜかチアリーディングのユニフォーム姿。長身で、それだけにスコートの中から伸びる足もすらりと長い。なかなかに整った容姿だが、それ以上に自信ありげな堂々とした表情が印象的だ。


「と、かっこいい彼氏?」

「……」


 取ってつけたように、それも疑問形で。


「うちンとこのクラス、喫茶店やってんのよね。3号館。で、これほんのちょっとだけど割引券。よかったら寄っていって」

「わ、ほんとだ。割引券」


「はい」と気前よく手渡される二枚のチケット。僕の手許を覗き込んだ佐伯さんが小さな歓声を上げた。どうやらこの人は自分のところの出しものの呼び込みをやっているらしい。


「喫茶店、ですか」


 僕は緑色の割引券と彼女を交互に見る。割引券のほうはパソコンか何かで急造して、カラーの紙に印刷したような感じだ。だけど、それと彼女の姿が結びつかなかった。


「ん? 少年、もしかしてこういうユニフォームの喫茶店だと思った?」

「いえ、さすがにそこまでは……」


 と答えつつも、その人がスコートの片端を持って扇状に広げて見せるものだからドキッとした。


「うむ、健全でよろしい」


 ……思っていないと言っているのだが。


「残念だけど喫茶店は普通だよ。これはチア部の衣装。部の合間にクラスのほうを手伝ってんのさ」


 よく見ると胸のところには名札なのか、丸いワッペン状の紙に『陽子』と書かれていた。……いよいよ怪しい店なんじゃないかと思えてくる。


「こういうのが好きなら、彼女に頼んで着てもらいなさい。きっと似合うから」

「変なこと言わないでください」


 そんな趣味はない。……が、しかし、すぐ横では佐伯さんが僕の様子を窺うように、こちらをじっと見ていた。こっちはそんな趣味があるのかもしれない。


「因みに、チアのパフォーマンスなら1号館の中庭で定期的にやってるから。よかったらこっちも見にきて。……じゃあね~」


 言いたいことを言って、渡すものも渡して、その人は去っていく。僕たちが黙って見送っていると、さっそく次のターゲットを見つけて声をかけていた。


「ああいうのもけっこういいかも?」

「……やめてください」


 さっきは恥ずかしがっていたくせに、こっちはいいのか。


「それ、どうするの?」

「そうですね。後で寄ってみましょうか」


 せっかくもらったのだし、ありがたく使わせてもらおう。





 そうして、その『後』。


 学園通りをゆっくり見て歩き、そのまま教会広場から3号館へ。チケットに印刷された店の名前と所在地を頼りに、そこへと辿り着いた。中教室を丸々喫茶店に改装したようだ。


「あ、やっぱり普通にエプロンなんだ」

「あの人もそう言っていたじゃないですか」


 当然のようにチアリーディングのユニフォームで出迎えられるようなことはなく、皆私服におそろいのエプロン姿だった。


「ああいうのって個人で買えるものなのかな?」

「……君、何を本気になって考えてるんですか」


 しかし、おそろしいことに「帰ってから調べてみよう」とか言い出す始末だった。


 テーブルに着き、割引券が有効なコーヒーとケーキのセットを注文してみれば、驚いたことに出てきたのは手作りのマーブルケーキだった。大学生ともなれば本格的なお菓子作りを趣味にしている人もいるのだろう。主にお中元やお歳暮のあまりもののクッキーを持ち寄って出していた僕らとは大違いだ。


 しかも、ここではちゃんとコーヒーカップにソーサーを使っていた。もちろん、皿も。僕たちは割ってしまうのを恐れて紙コップに紙皿だった。リースしたコーヒーサイフォンも雀さんが「気をつけて使いなさいよ。壊したらダメだからね。絶対に壊したらダメだからね。だからなに壊す真似してるのよっ。フリじゃないわよ。気をつけなさいっつってんでしょうが!」と何度も念押ししていたものだ。


「コーヒーもなかなかですね」

「そう?」


 ひと口飲んでコーヒーの味に満足していた僕とは反対に、佐伯さんは少し微妙な顔をしていた。そういう感想だから、声のトーンをやや落としながら言う。


「わたしは弓月くんが淹れてくれたやつのほうが好きだけどな」


 それは個人的な好みによる優劣ではないだろうか。ここのコーヒーは明らかに味に拘るコーヒー好きが淹れたもので、これを不味いという人はいないだろう。ただ単に佐伯さんが僕のコーヒーのほうが好みだったというだけのことだ。


「弓月くんって、いつからそんなにコーヒーが好きになったの?」


 テーブルの向かいでカップを手にしたまま、佐伯さんが聞いてきた。


「さぁ、いつからでしょうね」


 僕はマーブルケーキにフォークを刺し込みながら、曖昧な答えを返す。


 これは誤魔化しているわけでも何でもなく、本当に覚えていないのだ。たぶん、何かきっかけがあったと思うのだが、果たして何だっただろう? 記憶の糸を手繰りながら、マーブルケーキを口にする。甘さひかえめのさっぱりした味で美味しい。が、しかし、僕の記憶を刺激するほどではなかった。


 しかし、佐伯さんはそんな僕の返事を気にした様子はなく。


「やっぱり弓月くんのコーヒーのほうがいいな」


 やはり感想は揺らがないようだ。


「せっかくだから将来、喫茶店とかカフェとかやってみたらどうかな? わたしも手伝えるようにがんばるし」

「それはまた夢のある話ですね。でも、そんな資金がどこにありますか」


 僕は無情にも現実を突きつける。


「それにそういう冒険的なことをして、父を心配させたくありません」


 父はただのサラリーマンではあるがそれなりに高給取りで、僕にもゆーみにも私立高校という選択肢を与えてくれた。僕に至ってはこうしてひとり暮らしもさせてくれている。金のかかる長男だ。父には感謝している。


「まぁ、普通に国公立の大学に進んで就職、でしょうね」

「うわ。現実的」

「その昔、親にはずいぶんと迷惑をかけましたからね」


 尤も、それは今でもかもしれないが。


「何かあったの?」

「こう見えて実は、中学三年の一時期、荒れていたんですよ」

「嘘ぉ!?」

「本当です」


 目を丸くする佐伯さんに、僕はきっぱりと返す。


 当時は授業に出てもろくに話は聞かず、先生の注意も無視。やり場のない感情を抱えていたからやたらと喧嘩っ早くて、素行の悪い筋金入りの不良生徒とよく衝突していた。おかげで毎日生傷が絶えなかったものだ。


「……でも、それも一ヶ月と続きませんでしたけどね」


 ある日、先生から父がわざわざ学校に「しばらくそっとしておいてやってほしい」と頼みにきたことを聞かされ、それを機にバカなことはやめることにした。もともと親に迷惑をかけていることは自覚していたし、頭の隅でずっと気にもしていた。結局、僕はそういうのに不向きな人間だったようだ。


「そういうところは弓月くんらしいよね」

「そうですか?」


 今でも喧嘩っ早い性分の名残はあるが。

 因みに、それを境に今の僕の個性キャラクタが決定したのだが……いや、それを言うなら今も迷走中か。


 佐伯さんは僕の昔のことを聞いて、驚き、笑いはするが、その原因までは尋ねようとしなかった。きっと話したくなさそうな空気を察したのだろう。よくわかってくれている。


「そっか。じゃあ、喫茶店の夢は諦めて、ひとまず堅実に幸せな家庭、かな? あ、でも、わたしも大学にはいくつもりだから、学生のうちに結婚はしておきたいな。学生結婚は憧れのひとつだし」

「そんな先の話をしていないで、食べ終えたのならそろそろ出ましょう」

「……人の話を聞け、コノヤロウ」


 コーヒーもマーブルケーキもなくなったのを見て立ち上がると、佐伯さんに睨まれてしまった。……これでもちゃんと聞いているとは思うのだが。「先に相手を見つけましょう」などと言わない程度には。

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