5.「僕が迂闊なばかりに」

 日曜日。


 今日は佐伯さんと出かける予定なのだが、かと言って早く起きるわけもなく――いつも通り平日よりも一時間ほど遅く起床して、ふたりで一緒に朝食をとっている。


 向かいに座る佐伯さんは近ごろ少しずつ気温が低くなってきたこともあって、ゆったりとしたトレーナーを着ていた。それでもボトムはショートパンツで、席を立てばすらりとした足を見ることができる。長い髪は先ほどまで料理をしていたため、ポニーテールのようにまとめられていた。


 今朝のメニューは、トーストにデミグラスソースのオムレツ、生ハムサラダ。それにコーヒーだ。


「弓月くん、今日いく大学って、どんなところか知ってる?」

「多少は」


 佐伯さんの問いに僕は短く答える。


 そう。今日は彼女と一緒に、学園都市のとある大学に学園祭を見にいく予定になっているのだ。

 ここ学園都市では、十一月は大学の学園祭ラッシュで、毎週末必ずどこかの大学が学園祭をやっている。学生の父兄や友人はもちろんのこと、果ては学校とは無関係だがステージイベントのために呼ばれた有名人目当てのファンまでやってきたりで、街全体が非常に賑やかだ。


「たぶんここではいちばん大きな学校でしょうね」

「そうなの?」


 学園都市は教育施設や研究機関の集積を目的とした比較的新しい街だ。新しいが故に大学に関しては、情報大学や芸術大学といった新興の単科大学や、どこかの総合大学の薬学部だけ理工学部だけというところが多い。だが、そんな中で桑島先輩に勧められたところは、総合大学が丸々移転してきた稀有な例だった。確実に学園都市で最も大きな学校だろう。


「確かキリスト教系の学校で、敷地の中に教会があったはずですよ」

「おおー、教会」


 何やら感激している様子の佐伯さん。


「ところで、わたしよく知らないんだけど、その学校って遠い?」

「少し」


 そこが残念なところだ。さすがに学園都市一の広大な敷地を駅前にとはいかなかったようで、わりと駅から遠い場所にある。


「とは言え、歩けない距離でもないです。駅から十五分から二十分というところでしょうね。歩いてる学生も多いと聞きます。……どうします? バスか、それとも歩いていくか」


 バスは市外の各方面に向かう市営バスのほか、学園都市の中の一定のルートを巡回するバスがある。後者は運賃が百円であることから、百円バスなどと呼ばれている。確かこのバスでも行くことができたはずだ。


「う-ん……」


 佐伯さんは箸の先を下唇に当てながら考える。


「歩きたい気分、かな?」

「どうしました? 急に運動の必要でも出てきましたか?」

「しつれーな。ちゃんといつ見られても触られてもいいように気をつけてますー」


 言いながら彼女は頬をふくらませた。


「……その不断の努力の成果も、見せる機会がなかなかやってきませんけども」

「まだとうぶんこないんじゃないですか」


 さらりと流すと、佐伯さんは何か言いたげな半眼を向けてきた。見ていない振り、気がつかない振りで食事を続ける。


 僕は生ハムを一枚、レタスとからめて食べ、結論する。


「じゃあ、ぶらぶらと歩いていくことにしましょうか」


 もう十一月も中旬ではあるが、天気予報では今日は学園祭日和の快晴。外を歩いても寒くてたまらないということはなさそうだ。むしろそれだけ歩けば、かなり温まりそうだ。


「何時くらいに出かける?」

「そんなに早く出なくてもいいでしょう」


 遊園地じゃあるまいし開会と同時に雪崩れ込むこともあるまい。桑島先輩が調達してくれた学園祭のプログラムによると、メインとなるステージイベントは昼過ぎからのようだ。


「話は変わるけど――水の森の学園祭のときって、弓月くんのお父さんやお母さんは見にきたの?」


 佐伯さんがトーストを手にしたまま聞いてくる。


 彼女の口から親の話題が出て、僕は少しばかり驚いた。動揺したと言っていいかもしれない。今までその部分には触れられず、おかげで僕も親について語らずにすんでいたのだが。急にどうしたのだろう? この夏くらいから僕が佐伯さんのご両親と親交をもつようになったからだろうか。


 内心の動揺を悟られぬよう気をつけ、言葉を発する。


「いえ。なにせ呼びませんでしたから」

「あ、そ、そうなんだ」


 目をぱちくりさせる佐伯さん。


 どうやら素っ気ないくらいに平坦な口調になってしまったようだ。失敗したな、と思いつつ自らフォローを入れる。


「まぁ、男なんてそんなものですよ。学校行事に親がきても恥ずかしいだけですから」

「あはは。確かにそうかも」


 が、結局、それ以上会話は続かなかった。


 そのまま朝食を食べ終える。


「ごちそうさまでした」


 そう告げてから僕は先に席を立った。食器を重ねてシンクに下げ、半分ほどコーヒーが残っているマグカップを持ってリビングへと移る。その間、佐伯さんはずっと僕の動きを、気遣わしげな目で追っていた。


 どうやらよけいな心配の種を植えつけてしまったらしい。





 リビングで朝刊に目を通してから部屋に戻る。


 出かける前に簡単にでも家のことをやっておかないといけないだろう。とは言っても、僕がするのは自分の部屋の掃除くらいだが。一方で佐伯さんは、朝食の後片づけから洗濯、この部屋以外の掃除までやってしまうのだから頭の下がる思いだ。


 部屋の掃除も終わり、そろそろ出かける準備をしようかというとき、勉強机の上に放り出してあった携帯電話が鳴った。電話だ。サブディスプレィを見れば、ゆーみと表示されていた。


「もしもし?」

『公園のブランコで首を吊った人は首がぶらーん』

「……」


 いきなり気色の悪い冗談が飛んできた。もとより妹は表情に乏しく、声も抑揚に欠けるため、よけいに気味が悪い。


 まぁ、一説によるとブランコの起源は、ギリシアの葡萄の収穫祭の中で枝に仮面を吊るした樹木を少女たちが揺さぶるという儀礼にあり、さらに遡ればギリシア神話において殺された父イスカリオスの恨みを晴らすため娘エリゴネが、アテナイの娘たちが自分と同じ運命を辿るようにと呪いつつ松の木で首を吊り、その呪いを受けてアテナイの少女たちが次々と松の木で縊死しはじめたことに由来するのだとか。


 それを考えれば、ゆーみの言うこともあながち間違っていないのかもしれない。……気色悪いことには変わりないが。


「……いったい何の用ですか?」

『兄さんがどうしてるかと思って。……今日は、佐伯さんは?』

「彼女なら……家にいるんじゃないですか」


 危うく部屋にいますよと言いそうになって言葉を飲み込む。僕が佐伯さんと同居していることは、いずれ言わなくてはいけないと思いつつ未だに話せていない。せめて佐伯さんと面識のある妹にだけはおしえておくべきだろうか。


『ふうん』


 何か含むところのありそうなゆーみの納得。


「なんですか?」

『てっきりいつかみたいに泊まっていって、仲よくモーニングコーヒーかと』

「……いつもいつもというわけではありませんよ」


 我ながら言っていて嫌になるな。自分で自分を貶めている気分だ。咄嗟とは言え、あのときもう少しましな嘘を吐くのだった。


『いちおーこれでもなかなか家に帰ってこない兄を心配してるつもり。で、ここにも心配してるのがひとり。……代わる』

「え?」


 待て、と言おうとしたが遅かった。声を発する間もなく電話の向こうのゆーみの気配が消えた。


『恭嗣?』


 そして、少しの間があった後に、代わって出てきたのは母だった。


 医学系雑誌の出版社に勤める、古い言葉で言うならキャリアウーマンである母の理知的な顔が頭に浮かび、僕は複雑な気持ちになる。


「何か?」


 自分の声の温度が下がったのがわかった。


『何って、母さん心配してるのよ? 恭嗣、ぜんぜん帰ってこないじゃない』

「月に一度は帰ってるつもりですが」

『本当に顔を見せる程度じゃない」


 確かに使わなくなった一年のときのテキストを置きにきたとか、夏ものを取りにきたとか、そのついでに顔を見せているに過ぎない。


「もう少しゆっくりできないの?』

「忙しいんですよ」


 母の言葉の終わりに僕は自分の発音をかぶせる。


「もともと学業に専念するためにはじめたひとり暮らしですから」

『それはそうだけど……』


 心配げな声が返ってきた。


 いわゆる自立した女性であるところの母は、僕のひとり暮らしにも賛成してくれた。だが、それをきっかけに息子が家に寄りつかなくなったとなれば心配して当たり前だろう。ただでさえわからないところの多い、一時は問題児だった僕のことが、さらにわからなくなったに違いない。


『それとさっきゆーちゃんが話してたのを聞いたんだけど……恭嗣、おつき合いしてる女の子がいるの?』

「……」


 聞かれていたか。まぁ、ゆーみに電話をさせてから代わってもらうという方法をとっている以上、そばにひかえていて当然だ。ゆーみもあの人がいるところでそんな話をしなくてもいいだろうに。


「いますよ」


 おそらく何かの間違いであってほしいと思いながら発したであろう母の問いに、僕は無情に肯定の返事を返した。


『そ、そう……』


 そして、ならば家に泊まるということが何を意味しているかも理解したはずだ。


『あのね恭嗣、あなたはまだ高校生なんだから――』

「冗談です」


 僕は母の言葉を遮った。


「冗談ですよ。ゆーみが言っていた佐伯さんというのは男友達です。仲がいいからよく遊びにきて、週末はそのまま泊まっていったりするんです」

『そ、そうなの。もう、あまり驚かさないで』


 苦笑する母は、電話越しでもわかるくらい、安堵に胸を撫で下ろしていた。


 自己嫌悪を覚える。

 何かの当てつけのように悪い息子を演じようとしても、結局は僕はそれになりきれず、そんなことをしようとした自分が嫌になる。


「すみません。品のない冗談を言いました。それと年末年始は家で過ごそうと思っています」

『わかったわ。いつ帰るか決まったらおしえてちょうだい? 母さん、恭嗣の好きなもの作って待ってるから』

「じゃあ、これから出かける用事がありますので」


 ともすれば冷たくなりそうな発音を努めて平均値に近づけてそう言い、僕は通話を切った。


 今、母は切れた電話を前にして何を思っているのだろう。年末には帰ると言ったことに喜んでいるのだろうか。それとも相変わらず自分を避けているふうの息子に落胆しているのだろうか。


「……」


 ため息を吐く。

 歪んでいるな、僕は。血のつながった実の母親に対してなんて態度だ。





 着替えて部屋を出る。


 と、リビングには佐伯さんの姿はなく、まだ自分の部屋にいるようだった。こちらはよけいな電話で時間をとられたから、彼女のほうが早く支度がすんでいると思ったのだが。


「佐伯さん、出かけますよ」


 先の母とのことが尾を引いていたのだろうか。このとき僕は普段では絶対にしないことをした。


 つまり。

 いきなりドアを開けてしまったのだ。


「用意はでき――」


 言葉が途中で途切れる。


 中にいた佐伯さんは着替えの真っ最中だった。

 というよりも、むしろ佳境。


 今まさにタンクトップを脱ごうかという瞬間で、彼女の豊かな胸が露になっていた。穿いていたショートパンツをすでに脱いでいて、下は白い下着一枚だけ。男の僕にはその刺激的、かつ、扇情的なデザインの下着にどういう名称が与えられているか、さっぱり見当もつかなかった。


「……」

「……」


 互いに何が起こったか理解ができず――時間が止まったみたいな沈黙。


 程なく。


「ゆっ……!」


 佐伯さんの顔が一瞬で真っ赤になり、引き攣ったような半笑いのような表情になった。


 遅れて僕も我に返る。


「す、すみませんっ!」


 慌ててドアを閉める。

 回れ右をして――そのままドアを背に、僕はずるずると崩れ落ちた。


「やってしまった……」


 頭を抱えるしかない。





 約十分後。

 着替え終えて部屋から出てきた佐伯さんは、リビングのテーブルに突っ伏していた。


「ま、また、ナマを見られた……」


 その構造のままでブツブツと愚痴らしきものをこぼしている。そうとうショックだったようだ。本当に悪いことをしたと思う。


「しかも、今日はパンツルックって決めてたから、すっごいの穿いてたし……」

「……」


 確かにすごかったな……などと感心している場合ではないな。


「すみません。僕が迂闊なばかりに」

「……いい」


 と、額をテーブルにつけたままの佐伯さん。


「……別にいい。わたしもいつ見られてもいいとか言ってたし……。言ったけど。言ったけど、でも、さすがに今のは心の準備が……」


 何やら複雑な心境らしい。


 ――不意に佐伯さんが顔を上げた。


 と言っても、顎をテーブルに乗せていて、そのまま僕を見つめてくる。まだ顔が赤く、不貞腐れたような表情だ。


「何かあった?」

「え? どうしてですか?」

「なんか弓月くんらしくない失敗だったから」


 羞恥心の入り混じったばつの悪そうな顔をしながらも、その眼差しはどこか心を見透かすよう。


「……たいしたことじゃありませんよ」


 僕は短く、そうとだけ答える。


「ふうん」


 佐伯さんの返事もまた短い。鋭い彼女のことだから、何かしら気づいていることはあるだろう。しかし、見抜かれたところで、それは僕の気持ちの問題だ。そんなことは放っておいて、それよりもそろそろ出かけたいのだが。


 のだが。


「はぁ」


 しかし、佐伯さんはまた突っ伏して、ため息を吐く。それどころではないようだ。この様子ではまだしばらくは出かけられそうにないな。

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