7.「自分が変なことくらい自覚しています」

 コーヒーを飲み終え、3号館から教会広場へと出ると、いきなり声をかけられた。


「そこの髪のきれいな彼女」


 またナンパだろうか。それにしても横に男がいるのにおかまいなしとはいい度胸だ。


 振り返れば、明らかに僕らより年上の男が。ここの学生だろうか。髪も服装も最新のファッションで固めたようなスタイルだが、ところどころ自分なりにアレンジした部分がある感じだ。ただ単に流行に乗るだけのモード系よりは好感が持てる。人間としてもそこまで悪くはなさそうだ。


 が。


「行きましょう、佐伯さん」


 それとこれとは話が別だ。ナンパにかまってやる理由はない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。話だけでも聞いてくれないか」


 しかし、それでも彼は食い下がる。


「実は三時からメインステージでヘアメイクコンテストがあって、それに協力して欲しいんだ」

「ヘアメイク、ですか?」


 佐伯さんがその珍しい単語に反応し、踏み出しかけた足を止めた。


 彼が説明するには、この教会広場のメインステージで組まれているイベントとして、今言ったヘアメイクコンテストがあるらしい。ただし、ウィッグを使うのではなく、当日、つまり今日の来場者の中からモデルを見つけるのがルール。彼はそのモデルを探していて佐伯さんを見つけたというわけだ。


 なお、彼はこの大学の学生ではなく、ここと経営母体が同じの理容美容の専門学校の生徒なのだそうだ。このコンテストは姉妹校ならではの毎年の恒例行事とのこと。


 話はわかった。


「悪いけどほかを当たってもらえますか」


 でも、そんな面倒なものに協力してやるほど暇ではない。僕は今度こそ彼を振り切って、この場を後にしようとした。


「あ、でも、わたしちょっと興味あるな」


 ところが、佐伯さんの反応は僕と違っていた。


「佐伯さん」

「いいじゃない、それくらい協力しても」


 よくない――と、危うく言いかけて言葉を飲み込む。彼女を差し置いて僕が決めることではない。


「まぁ、この後特に何か用があるわけでもありませんが」


 明確な了承の言葉を口にせずに、不承々々そう言うのが精一杯だった。


「じゃあ、そんなわけで――いいですよ、わたしでよければ。あ、でも、ハサミはNGでお願いしますね」

「わかった。その約束は守るよ」


 横で聞いていた僕は、密かに胸を撫で下ろす。美容師の卵なのかもしれないが本職でもない人間に佐伯さんの髪を触らせた上、カットまでさせるなんて冗談じゃないと思っていたのだ。


「それじゃ、行こうか。あ、よかったら彼氏も一緒に。控え室は参加者全員共同だからふたりだけになることはないんだけど、心配なら横で見ていてくれてもかまわない」


 彼はそう告げると、僕たちを案内するように先を歩き出した。言われなくてもそのつもりだ。僕は佐伯さんと並んで後ろをついていく。


「心配だった?」


 隣から小声で聞いてくる佐伯さん。


「……別に」

「嘘ばっかり」


 笑われてしまった。


「……」


 冷静に自己分析をするに、実際、心配していたわけではないだろう。そう、これはもっと別の感情だ。





 ヘアメイクコンテストの控え室は、メインステージのほぼ真後ろになる2号館の中にあった。彼が言っていたように大部屋で、各参加者があちこちで自分が選んだモデルの髪をセットしていた。特殊な技術の必要なコンテストだけに、参加しているのは十名足らずというところのよう。


 例の彼もさっそく様々な種類の櫛を器用に操りながら、試行錯誤しつつ佐伯さんの髪をセットしていく。間、ふたりは楽しそうに言葉を交わしていた。そのあたりの話術も将来の美容師には必須のスキルなのだろうな。


 僕はそれを少し離れたところで見ていた。ひどい顔をしていそうだな、と我ながらに思う。


 三十分以上もかかって作業が終わった。

 彼女の長い髪は結い上げられ、完成形は左右非対称アシンメトリィ。先鋭的、且つ、前衛的なものができ上がるかと思ったのだが、なかなかに実用的だ。


 これをセットした彼は佐伯さんのもとを離れていった。イベントの進行に関して運営側からの説明があるようで、ほかの参加者とともに部屋の一ヶ所に集まっている。僕は佐伯さんに寄っていった。


「あ、弓月くん、これどうかな?」


 彼女はイスに座ったままこちらに向き直り、見上げてくる。


「そうですね――ひと言で言うなら、外人が考えた外人モデルの芸者ガールというところでしょうか」

「うわ、ひっど」


 確かにひどいな。素直に褒めればいいものを。


「じゃあ、僕はそろそろ外に出ます。ステージはちゃんと客席から見ていますので」

「うん」


 がんばれ、という応援がこの場合適切なのかどうか悩ましいところ。僕は出入り口に向かおうとして、その足を止めた。


「ああ、そうそう。その髪、よく似合ってますよ」


 佐伯さんは嬉しそうに笑ってくれた。





『では、まずはお名前からお願いします』

『佐伯貴理華です』


 佐伯さんは司会の学生からマイクを向けられ、落ち着いて答えた。


 ――ヘアメイクコンテストはほぼ予定通りの時間にはじまった。


 先にモデルが登場し、インタビュー。その後にそのモデルを手がけた若き美容師の卵に質問、という流れだ。佐伯さんたちの出番は四番目。当然のように彼女が出てくると会場が沸いた。盛り上げ役を自任したようなお調子ものが口笛を吹いたりもした。


 ステージの前に用意された客席の数はおまけ程度のもので、僕は多くの観客とともに立ち見をしている。


『学校はこの近くですが、どこかは内緒にさせてください』

『そうですね。そうしておきましょう。男どもが押しかけたら学校に迷惑ですから』


 佐伯さんの冗談めかせた受け答えと司会者の返しに笑いが起こる。


『では、どういった経緯でここに?』

『はい。彼と一緒に遊びにきていたら、間宮さんに声をかけられたんです』


 間宮というのは、佐伯さんの髪をセットした彼のことだ。


『おっと、彼氏ときましたか。その彼氏は今どこに?』

『もちろん、見てくれています』


 瞬間、僕はどきっとした。そこにいますとか言って指を差したりするんじゃないだろうな。


『でも、それも内緒です。注目されるのは苦手な人ですから』


 しかし、すぐに佐伯さんはそうつけ加え、僕は安心した。


『わぁかりました。そうしましょう。個人的には! 個人的には見つけ出して吊るし上げたくて仕方ありませんが!』


 また客席に笑いが巻き起こった。司会者が私情を挟むなよと思うが、これも場を沸かせるためのテクニックのようだ。


『では、次に彼女を手がけた間宮君に出てきてもらって、話を聞きたいと思います。間宮君、どうぞー』


 その後、一転して真面目にイベントを進行させる。そうやってうまく使い分けて、イベント自体を盛り上げていくのだろう。


 しかし、僕は司会者の意図とは裏腹に、あまり盛り上がっていなかった。





 帰り道。

 時計の針はもう五時を回っていた。


 日中はこの時期にしては破格に暖かかったものの、気温と日没は関係ない。十一月の中旬という暦に相応しく、辺りはもう薄暗くなりはじめていた。


「まさか優勝するとはねー」


 隣を歩く佐伯さんは上機嫌。彼女の言葉通り、ヘアメイクコンテストは間宮・佐伯組の優勝で幕を閉じたのである。気に入ったのか、彼女の髪はまだそのままだ。


「別に君が何かしたわけでもないでしょうに」


 一方の僕は、相も変わらず愉快な気分とは言い難かった。


「それくらいわかってるよ、もぅ」


 苦笑する佐伯さん。


「間宮さん、上手だから。ああいう人が将来、カリスマ美容師なんて呼ばれる人になるのかもね」

「さて、どうでしょうね」


 僕はまたも言い返す。ああ言えばこう言う状態。


「今日優勝したのだって、モデルがよかったからかもしれませんよ。会場も佐伯さんのときがいちばん盛り上がっていましたから」

「えー。そう言ってくれるのは嬉しいけど、審査員の人はそういう個人的な好き嫌いははさまないと思うけどなぁ。……ていうか、弓月くん、さっきと言ってること反対になってるよ?」

「……」


 確かにそうらしい。


「今日の弓月くん、ちょっとヘン」


 そんな僕を見て、彼女は指摘する。


「……わかってますよ」

「え?」

「自分が変なことくらい自覚しています」


 思えば今日はずっとおかしかった。さすがにここまできたら認めざるを得ない。


「正直に言います。僕は今の佐伯さんの髪形が好きではありません。もちろん、似合っているとは思います。でも、僕が好きなのは君の長い髪が光りながら揺れているところなんです」


 だから、例えそれが未来のカリスマ美容師の手によるものだとしても、例えそれがよく似合っているとしても、僕はそれが気に喰わない。


 急に、佐伯さんがぴたりと立ち止まった。


「どうしたんですか?」


 遅れて足を止めて問う僕の前で、佐伯さんは自分の頭に手を伸ばし、そこからヘアピンを一本引き抜いた。

 途端、結い上げていた髪が流れ落ちる。まるで重力を感じさせない、ゆっくりとした動き。


 佐伯さんは、今度は両手で髪をかき上げ、再度自然に落とした。後は軽く首を振って揺らせば、それだけでもと通りだ。「……ふう」と解放感を含んだため息をひとつ。


 あの髪がヘアピン一本で保たれていたことも驚きだが、今の一連の動作だけできれいにいつものかたちに戻ってしまう佐伯さんの髪にも驚きだ。きっと丁寧に手入れしているのだろう。


「確信した」


 と、佐伯さん。


「弓月くんって髪フェチ」

「……」


 また人聞きの悪いことを。誰のでもいいというわけではない。


「いや、それよりも……いいんですか?」

「いい。弓月くんが好きじゃないなら意味がないから。……まぁ、ちょっともったいない気持ちもあるけどね。もう一回自分でやれって言われても、うまくできそうにないし」


 そう苦笑して佐伯さんは再び歩き出した。僕も足を踏み出し、その横に並ぶ。


「仕方ないから、弓月くんには帰ったら好きなだけ触らせてあげる」

「そこまではけっこうです」


 あまりにも魅力的な申し出ではあるが。


「それに僕が変なのはもっと別の理由ですよ」


 佐伯さんの隣で、僕は訥々と言葉を紡ぐ。


「僕は佐伯さんが好きです」

「え? そ、それは前にも聞いた、かな」


 彼女の困ったような、照れたような声。


「そうですね。僕にも覚えがあります。でも――今は、君を誰にも取られたくないと思う。どこにも行かないでほしいと思う。そういう気持ちがどうにも抑え切れないんですよ」


 話しているうちにようやく気がついた。これは独占欲だ。


 ナンパ男に腹を立てたり。

 間宮という美容師志望の学生に不機嫌になったり。


 要は単なる独占欲。

 こんな子どもっぽい僕を佐伯さんはどう思うのだろうか。


 意外なことに彼女はすぐには何も言わず、しばらく歩いてからようやく口を開いた。


「わたしもね、そんなときがあった。もしかしたら今でもそうかもしれない。だからその気持ち、よくわかるな」

「そう、ですか」

「うん。だからさ――」


 不意に佐伯さんは小走りに駆け出し、行く手を遮るように僕の前に立った。


「ん」


 目を閉じ、顎を上げて口を突き出してくる。


 は?

 今ここで、か?


「んっ」


 いきなりのことに戸惑っていると、佐伯さんは催促するように一度踵を上げて、下ろした。


 思わず周囲を確認する。道程はすでに住宅街の中に入っていて、周りに人はいない。話しているうちにすっかり日も暮れて、辺りはもう暗くなっていた。


 状況は許す、らしい。


 僕の中の独占欲が僕自身を突き動かす。

 僕は佐伯さんの前に立ち、その肩にそっと手を置き――そして、唇を重ねた。


 やわらかい感触。


 それをもっと感じたくて、僕はさらに彼女を要求する。彼女もそれに応じ、逆に求めてもきた。


「ん……や、はあっ」


 途中、彼女が空気を求めるようにして、苦しそうに喘いだ。しかし、すぐに僕はその唇をまたふさぐ。


 気がつけば僕らは指をからませて、手を握り合っていた。


 ……。

 ……。

 ……。


 そして、


「長っ!」


 佐伯さんが僕を突き飛ばすようにして飛び退いた――のだが。


 直後。

 彼女の動きが止まり、一拍おいてから体が傾きはじめた。僕は咄嗟に地を蹴り、それを受け止め支える。力なく僕にもたれかかってくる佐伯さん。


「ふにゃあ」


 何やらその口から妙な音がもれた。


「ど、どうしたんですか?」

「のぼせた……」

「……」


 僕が悪い、のだろうな。


「歩けますか?」

「あ、うん。たぶん大丈夫」


 どうにか自分の足で立って歩き出す佐伯さん。顔が火照っているのか、手でパタパタと扇いでいる。彼女は空冷式らしい。


「ほんとに今日の弓月くんヘン。いつもはこんなにしないのに」

「ちゃんと反省してますよ」


 自分でも少々驚いている。


 隣では「……別にいいけど」などと佐伯さん。


「ね、帰ったら続きやろうか?」

「自重と自戒のためにも、それは遠慮しておきます」


 まぁ。

 兎にも角にも、やり直し学祭デートはこれで終わりだな。


「えー。わたし、してほしいことがあるのにぃ」

「……」


 選択肢ひとつ誤ったら延長戦に突入しそうではあるが。

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