挿話 「   」と彼は言ってしまった(3)

 朝食の後片づけは弓月くんがやっている。いつもならわたしの役目だけど「ここは僕の家で、君はお客さんってことになってますから」とのこと。少し意地悪く「お泊りの?」と聞き返したら、無言で頭をこつんとやられてしまった。


 そんなわけで、今、わたしはリビングにいる。そばにはゆーみさんがフローリングの床にぺたりと座って、ゴスロリのスカートを大輪の花のように広げていた。


「もしかしてゆーみさんも学校は学園都市?」


 とりあえず当たり障りのない話題から。ゆーみさんは首を横に振った。艶やかな黒髪が揺れる。


「違う。家から遠いけど、もっと別の場所」

「じゃあ、私立?」

「そう。制服はなくて、私服登校」

「へぇ……って、もしかしてそれで学校行ってるの!?」


 それとはゴスロリ服のこと。

 わたしが尋ねると、ゆーみさんは当然だとばかりにうなずいた。行ってるらしい。なかなかの猛者だ。


「ゆーみは私服で行けるから、今の学校を選んだんですよね」


 そう口を挟んだのは弓月くんだ。洗いものを終えてこちらへとやってきた。


「私はただ担任の先生のやり方が気に喰わなかっただけ。君がいける学校は公立ならこのあたり、私立ならこことここって、まるでほかに選択肢がないかのように言うから」

「確かに成績で区切って振り分けるようなやり方ですが、たいていはそんなものですよ。僕のときもそうでした」

「だから私は意地でもほかの学校に行こうと思った」


 ゆーみさんが少しだけむっとしたような表情を見せた。当時のことを思い出したのだろうか。よほど担任の先生のやり方が不満だったらしい。


「そのわりには今の学校に決めた決定的な理由が、制服がないから、ですよね」

「それは否定しない」

「とは言え、そのために努力したゆーみは、僕はえらいと思いますよ」

「……」


 ゆーみさんは黙った。口を尖らせ気味で、居心地悪そうに目を逸らしたりしている。わたしにはそれが、褒められて照れているように見えた。これで意外にお兄ちゃんっ子なのかもしれない。


「ところでふたりとも、コーヒー飲みますか?」

「はーい、もらいまーす」


 わたしは真っ先に意志を表明した。


「ゆーみは?」

「……いる」


 簡潔な返事。


 それぞれの返事を聞いた弓月くんが再びキッチンに戻っていく。


「弓月くんって家でも優しい?」


 家族と一緒にいるときの弓月くんに興味があったので、わたしは尋ねてみた。すると、ゆーみさんは人形めいた動きでうなずいた。言葉は添えられなかった。


「そっか。弓月くんのコーヒーって美味しいよね」

「私は人が淹れてくれたものなら、何でも美味しく感じる」

「……」


 弓月くん特製のコーヒーも、このへそ曲がりにかかったら形無しのようだ。


「兄さんがひとり暮らしをはじめたせいで、それも飲めなくなったけど」


 そして、拗ねたように言い加えた。


 やっぱり素直じゃない。


「はい、どうぞ」


 弓月くんが戻ってきた。

 右手にはわたしのマグカップ、左手には来客があったときのための予備のマグカップがあった。弓月くんはわたしがカップ一杯に対してどれだけの砂糖とミルクを入れるか知っているので、ミルクも砂糖もすでに投入ずみだ。たぶんゆーみさんに対してもそうだろう。


 弓月くんはわたしたちの前にそれぞれのマグカップを置いてから、再びキッチンに自分のを取りにいった。


「で、ゆーみ。これから何をするか、希望はありますか?」


 立ったままコーヒーをひと口飲み、聞く。弓月くん行儀悪い。


「別に。私は兄さんの様子を見にきただけだし、このまま家でのんびりしてても――」

「それは却下させてください」


 弓月くんはゆーみさんの言葉が終わらないうちに言い切った。そう言ったのはずっと家にいるとボロが出そうだからだからだろう。


 ゆーみさんが不思議そうに首を傾げた。


「せっかくわざわざきてくれたのに、ただ家にいるだけじゃもったいないという意味です」

「理解」


 それを受けて彼女はうなずいた。


「じゃあ、兄さんが気に入ってるという学園都市の駅の周りを案内して」

「いいですよ。もう少ししてから昼食に合わせて出かけましょうか」


 弓月くんが兄の顔で笑った。





「じゃあ、そろそろ着替えてこようかな」


 食後のコーヒーで少しの間ゆっくりしてから、わたしは出かける準備をすべく立ち上がった。


 時刻はもう十時を過ぎていた。今から駅の方へ行って、駅前でふらふらしていたら、すぐにお昼どきになるだろう。


 わたしは自分の部屋のドアノブに手をかけ――そこで動きを止めた。

 振り返ると案の定、ゆーみさんがこちらを見ていた。


「えっとね、ここにわたしの荷物が置いてあるの」


 少し前に弓月くんが倉庫状態だと説明した部屋に、勝手知ったる他人の家とばかりに入っていくのも変だろうと思って言ったのだけど、どうにも取ってつけたような説明になってしまった。


 ゆーみさんが無言でうなずくのを見てから、わたしは部屋に入った。


「さて、どんなのにしよっかな……」


 別に何を着てもいいのだけど、ゆーみさんがゴスロリなだけに、何となくこちらも対抗したくなる。

 決めた。

 いつぞやのパンクロリータにする。カットソーとアームウォーマーに、膝丈のスカート。ほとんど黒だ。ついでに髪もパンク系ポニーテールにまとめてみた。


「おまたせー」


 手早く着替えて部屋を出る。弓月くんの反応も気になるけど一度見せているので、先にゆーみさんの様子を窺った。


「む……」


 と、小さく不機嫌そうなゆーみさんの発音。わたしのスタイルは何か刺激するものがあったらしい。


「……」

「……」


 思わず睨み合ってしまった。





 三人で駅へと向かう。


 弓月くんとゆーみさんは、並んで歩きながらお互いの近況報告を交わしている。ゆーみさんのアンティークな旅行鞄トランクは弓月くんが持っていた。


 そのふたりの後ろを、わたしが少し離れて歩く。

 兄妹や家族の話に遠慮したというのもあるけど、このときのわたしは考えごとをしていた。


(瑞穂、かぁ……)


 瑞穂。


 ゆーみさんが口にした名前。弓月くんとの関係は不明。宝龍さんの名前と並んで出てきたのだから、やっぱり前につき合っていた人なのだろうか。いったどんな人だろう? 宝龍さんみたいに美人? それとも真反対にかわいい系? わたしと比べてどう?


「……」

 聞いてみたいけど、あれっきり話題に上らないし。タイミングがつかめない。


 そのとき、ゆーみさんが足を止め、振り返った。


「え? なに?」


 わたしも立ち止まった。


「兄さんと並んで歩いたりしないの?」

「あ、うん。でも、今はゆーみさんがいるから」

「気にしなくてもいいのに」


 ゆーみさんは笑うでもなく、透明なガラスの声で言うと、さっと弓月くんの隣をあけた。


「えっと、じゃあ……」


 わたしはおずおずとその位置に進んだ。弓月くんの隣。こうやって改めてそこに立てと言われると、何となく気恥ずかしいものがある。


 すると。


「手はつながないの?」

「は?」


 わたしは間の抜けた声を出して、ゆーみさんのほうを見た。彼女は表情も変えず続ける。


「つき合ってるんだから、いつもそうしてるのかと」

「……」


 わたしは、今度は弓月くんに目をやった。


 いつもは眠そうな彼の目が少しだけ大きく見開かれ、戸惑いの色を見せていた。わたしだって戸惑っている。だって、手なんかつないだことないし。


 目が合った。


「……」

「……」


 無言。


 でも、ここは彼女によけいな疑念を抱かせないためにもその通りにしよう――その無言の中でわたしたちは意見の一致を見た。


 弓月くんの視線が、目を逸らすようにして少し下がった。わたしの手を見たのだ。


「それじゃあ……」

「う、うん……」


 弓月くんは誘うように手を浮かし、わたしも同じようにしてそれに応えた。それでも手を握ることに躊躇っていると、弓月くんから手を取ってきた。


 初めてつないだ手は、優しい感触だった。


 心臓がどきどきしている。


「ゆ、弓月くんの手、冷たくない?」

「そうですか?」


 努めて感情を殺した弓月くんの声。

「君の体温が高いだけじゃないですか?」

「そ、そうかも……」


 確かにそうかもしれない。少なくとも今のわたしの顔が熱いのは確かだ。


 結局、わたしたちは手をつないでいる間中、ひと言も話さないままだった。





 駅とショッピングセンターの間に広場がある。地面がきれいなタイル敷きになっていて、端の方には段々になった、イベント時には客席代わりになるような場所もある。


 駅にやってきたわたしたちは、ショッピングモールでふらふらしてから、昼食を食べ、今は広場のその客席部分に腰を下ろしている。上から数えた方が早いような高い位置に、わたしとゆーみさんが体を内側に向けるようにして並んで座り、その一段上に弓月くんがいた。三角形の位置関係。


 客席の正面では若い夫婦がよちよち歩きの赤ん坊とボール遊びをしていて、見ているだけで頬が緩んでくる。


「兄さん」

「ん?」


 不意の呼びかけに応えた弓月くんもその親子を見ていたのか、返事には微笑むような響きが含まれていた。


「因みに、子どもは何人くらいの予定?」

「ぶっ」


 噴いた。


「いったい何を言い出すんですか!?」

「ただ兄さんの将来のビジョンが知りたかっただけ。……で、どうなの?」

「どうと言われてもね……」


 弓月くんは助けを求めるように、わたしを見た。ていうか、こっちを見られても困る。そもそも弓月くんがはじめた嘘なんだし。それに今顔を見たら照れるから。


「そんなこと考えてるわけないでしょうが」

「つまり何も考えず刹那的な快楽を求めていると」

「そういう意味ではありません」


 たぶん弓月くんは、将来を誓い合った仲じゃないんだから、そんなことを考えているわけがないと言いたいのだろう。それをゆーみさんが見事に曲解したわけだ。


「そういうのイクナイ。若ものの性の乱れを肌で感じた。お兄様、あなたは堕落しました」

「あのですねぇ……」


 弓月くんが呆れている。いったいどういうネタなのだろう。


「美ゆきさんのときは、もう少し誠実につき合っていたように見えたけど」

「そうですか?」


 弓月くんはなぜか自嘲気味に苦笑した。


 最近わかったことだけど、もとから自分のことを他人ごとのように語って煙に巻くところのある弓月くんは、宝龍さんのことになると途端に拒絶するような態度になる。たぶんわたしにはその理由を聞く権利を与えられているのだろうけど、未だに聞くことができていない。その勇気がないのかもしれない。


「じゃあ、瑞穂――」

 ゆーみさんの口からその名前が出ると、わたしははっとした。弓月くんはどういう反応をするのだろう。


 ――が。


「だから、何でその名前を出すんですか」


 弓月くんはぴしゃりと言って、ゆーみさんの言葉を遮った。あまり話題にしたくないのだろうか。


「……冗談」


 対するゆーみさんも短い言葉でそれに応じた。


 そして。

 なぜかわたしを見た。


 意図は不明。


「そろそろ帰る」


 再び弓月くんのほうを見上げ、ゆーみさんが告げた。


「早いですね」

「家まで二時間あるし、目的は果たしたから。それに瑞穂にも会っていくつもり」

「そうですか」


 心中複雑そうな弓月くんの声。ゆーみさんと瑞穂さんなる人は友達同士らしい。


「ところで兄さん。何か飲みものを買ってきて。すぐ近くに自動販売機があるけどそこじゃなく、はるか遠くに見えるコンビニまで」


 わたしと弓月くんは顔を見合わせた。ゆーみさんが何を意図しているは考えなくてもわかる。本人も隠すつもりはないよう。


「いいですよ。……じゃあ、ちょっと行ってきますので、佐伯さん、しばらくお願いします」

「あ、うん……」


 弓月くんは立ち上がり、段々を跳ねるようにして駆け下りた後、落ち着いた歩調でコンビニへと歩いていった。いつもよりゆっくりかもしれない。


 わたしとゆーみさん、ふたりきりになった。

「……」

「……」


 小さくなっていく弓月くんの背中を黙って見つめる。


 ――と。


「兄さんと同棲してるの?」


 不意打ち。


 でも、本当はどこかでそれがくるのをわかっていたようにも思う。


「知ってたの?」

「わからないはずがないわ。あの家、兄さんの趣味じゃないものがいっぱいあったもの。兄さんの部屋はやっぱり兄さんの部屋だったけど、リビングやキッチンには違う色が混ざってた。それに私は兄さんのことをよく知ってる。仲よくなった女の子を、すぐに部屋に呼ぶほど器用じゃないわ」

「あはは……」


 なんとなく乾いた笑いが漏れてしまう。


「言い変えれば、いいかげんじゃないってこと」

「うん、そうだね」

「その兄さんが同棲してる。ちょっと驚いた」


 ゆーみさんがわたしを見た。あんまり驚いている顔には見えなかったけど。


「えっとね、同棲じゃなくて、ルームシェアなんだけどね。ちょっと事情があって。だから、別に好きだから一緒に暮らしてるってわけじゃないの」

「ふうん」


 ゆーみさんのきれいなガラスを響かせたような相づちは、まるでわたしの言葉に含まれた嘘を見透かしているようだった。


「誤解しないでね」


 わたしは念を押した。

 でも、誤解とはどの部分を指しているのだろう。同棲という部分か。それとも……。


「瑞穂」

「……」

「気になる?」

「……」


 なんか嫌な話の飛び方したっ。

「少し……」


 それが正直な気持ちだ。いったい弓月くんとどんな関係で、どんな人なのだろう。知りたいけど、それを聞くタイミングをずっと逸している。


「兄さんに聞いてみれば?」

「でも、それは……」

「大丈夫よ」


 ゆーみさんはきっぱりと言い切った。


「きっとあっさりおしえてくれるわ。帰ってからでも聞いてみたらいい」

「う、うん……」


 そうは言われても、わたしはあまり乗り気ではなかった。


「私、けっこう意地悪な女の子アリスだから」


 謎めいた笑み。


 そして。


「兄さんのこと、よろしくお願いします」


 そう言って話を締めくくった。


 ちょうど弓月くんが戻ってくるところだった。





 電車に乗って帰っていくゆーみさんを見送った後、わたしたちは帰路についた。


「まさかゆーみがいきなり訪ねてくるとは思いませんでした」


 一段落ついてほっとしたのか、弓月くんが今日を振り返って言った。尤も、まだ夕方なので一日を振り返るには少し早い時間だけど。


「まぁ、何とか誤魔化せたからいいようなものですが」

「……」


 弓月くん、妹さんを舐めてると、いつか痛い目を見ると思うな。


「とは言え、いずれはタイミングを見て、ちゃんと言わないといけませんね」

「同棲してること?」

「ルームシェアです」


 すかさず訂正された。


 しばらくは無言のまま並んで歩いた。

 駅を離れ、家が近づいてくるにつれて、車も人も交通量が減ってきた。街はさながらきれいなゴーストタウンだ。


 わたしは瑞穂について考えていた。結局、ここまで聞けずにきた。それを弓月くんに聞いたら、果たしてどんな返事が返ってくるのだろう。


「ねぇ、弓月くん」


 ようやくわたしは決心した。背中を押したのはゆーみさんの言葉。


 きっとあっさりおしえてくれるわ――


「ゆーみさんが言ってた瑞穂って、どんな人?」

「ああ、あれですか?」


 確かに弓月くんは特に何かを気にしたふうもなく、受け答えをした。


「あれはゆーみの冗談ですよ」

「だから、どんな人かなって」

「佐伯さんも会ったことのある人です」

「え?」


 思いがけないリプラィ。


 誰だろう? 宝龍さんは確か美ゆきだし。あとわたしも会ったことがあるといえば、弓月くんの悪口を言ってよけいな忠告をしてくれた人だろうか。でも、あの人と弓月くんはお世辞にも仲がいいとは言えなさそうだし。


 そういろいろ考えを巡らせていると。


「滝沢ですよ」

「ふぇ?」


 なんですと?


「滝沢瑞穂。彼の名前です」

「え、いや、だって、瑞穂って……」

「言いたいことはわかります。でも、瑞穂って名前は女性に多いですが、男性にもつけられます。少ないですが」

「……」


 そのときのわたしは、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていたかもしれない。


 これが真相?

 あぁ、本当に、ゆーみさんは意地悪だ。


 まるで静かな台風。


 ゴールデンウィーク第一日目は、台風一過でようやく幕を下ろそうとしていた。

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