挿話 「   」と彼は言ってしまった(2)

 ゴールデンウィーク初日の穏やかな朝の食事風景は、モノトーンの来訪者によって、一転して落ち着かないものに変わった。


 理由はふたつ。


 ひとつは、この家に初めてわたしと弓月くん以外の人が足を踏み入れたこと。

 もうひとつは、弓月くんが妹さんに、わたしを彼女だと言ってしまったこと。こっちはわたしの個人的な理由だ。


 さて、その妹さん――ゆーみさんは今、リビングを見ている。テレビや座椅子などをひとつひとつ表情に乏しい顔で見ては、うん、と何やらうなずいている。あちこちチェックされているみたいだ。


 そして、朝食を急いですませた弓月くんは、彼女が変なことをしないように……かどうかは知らないけど、ずっと妹さんの動きを目で追っている。


「……ここは兄さんの部屋?」


 リビングにあるドアのひとつを見ながら、ゆーみさんが尋ねた。彼女の声は透明感があるけど、冷たいガラスのような印象を受ける。


「そうです」

「見ていい?」

「どうぞ」


 さっそくゆーみさんはドアを開けた。中には這入らず、入り口から室内を見回すだけ。


「相変わらず几帳面な部屋」


 彼女は少しだけ表情を崩して笑った。


「家ほどものがないし、まだここにきて一ヶ月ですからね。よけいそう見えるんですよ」


 弓月くんは言い訳のように言うけど、実家の部屋がきれいに整理されていることには違いないらしい。わかる気がする。


「あ、パソコン。……ハードディスクの中、漁っていい?」


 なんかそこはかとなく悪意を感じる。


「絶対ダメです」


 対する弓月くんはきっぱりと断った。今度こっそりと見てみよう。今後のため、傾向と対策がわかるかもしれない。


 それは兎も角。


 わたしは朝食を食べながら考える。

 弓月くんは、わたしのことを彼女だとゆーみさんに紹介してしまった。だったら、それらしい振る舞いをした方がいいのだろうか。でも、具体的にどんなふうに? やっぱりイチャイチャ?


「……」


 弓月くんとのスキンシップを想像したらちょっとドキドキしたけど、それは何かおかしいような気がする。


「兄さん、こっちは?」


 ゆーみさんのガラスの声で現実に引き戻された。彼女が見ているのは私の部屋のドアだ。


「そっちは倉庫状態ですから、中は見ないでください」


 弓月くんはやわらかくもはっきりと禁止の意思を告げた。


 確かにそこを開けられたら困る。部屋が汚いとかそういう意味ではなくて――ベッドの上にパジャマがまだ脱ぎっぱなしになってるかもしれないけど、そこがわたしの部屋だということがわかったら、自然、一緒に暮らしていることがばれてしまう。


「……ふうん」


 ゆーみさんは気のなさそうな返事をしながらも、それから少しの間その切れ長の目で訝しむようにドアを見つめていた。

 そうしてから今度はわたしを見た。部屋からわたしという流れが意味ありげで気になる。


 わたしはほとんど朝食を食べ終えていたけど、その手を止めて彼女の視線を受け止めた。


「……今、朝ごはん?」


 ゆーみさんは平坦な声で問うてくる。


「ええ、そうよ」

「つまり、泊まった?」


 やっぱり、というか、当然のように気がついたらしい。こんな時間に朝食を食べている以上、その連想はごく自然だ。


 わたしは弓月くんを見た。


 すると、


(うわ……)


 弓月くんはゆーみさんからは見えない死角で、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。今にも頭を抱えそうだ。心の声を代弁するなら「しまった……」だろうか。


 もしかして、気づいてなかった……?


 わたしを彼女だと紹介した時点でこうなることは予想がつきそうなものだけど、どうやら弓月くんはそこまで考えが到達しなかったらしい。どんだけテンパっていたのだろう。


 でも、この瞬間、わたしの方針は決まった。


「そうよ。昨日、学校が終わってからここにきて、朝まで弓月くんと一緒」


 わたしがわざと嬉しそうにそう言っても、ゆーみさんは特に表情を変えなかった。弓月くんはすごく何か言いたげだったけど、言葉は出なかったよう。


 さて、次はどうしよう? これが初めてのお泊りか、そうじゃないか。どっちが面白いだろう。わたしは少し考えて――決めた。


「別にこれが初めてってわけじゃないから、今日はちゃんと朝ごはんの用意もしてきて、わたしが作ったの」

「……」


 特に反応なし。


「ね、弓月くん?」


 なので、弓月くんに振ってみる。


「え? ええ、そうです。佐伯さんの作った朝食、美味しかったですよ。またお願いします」

「うん、こんなのでよかったら、いつでも。また今度泊りにきたときにね。いつにする? 今日さっそく? わたしはそれでもかまわないけど」


 またお願いしますだなんて、弓月くんってば情熱的。


「佐伯さんって――」


 ゆーみさんが口を開いた。あ、向こうで弓月くんが首を吊りそうな顔してる。


「兄さんと同じ学校?」

「そう。学年はひとつ下だけど」

「ふうん……」


 今日何度目かの「ふうん」。


「わたしと同い年」


 ぽつりとこぼしてから、モノトーンのゴシックロリータの衣装と黒髪を揺らして今度は弓月くんへと向き直った。


「……兄さん?」

「何ですか」


 投げやりに聞こえなくもない弓月くんの声。


「学校がはじまって一ヶ月も経たないのに、もう新入生をつかまえるなんて、早くない?」

「……まぁ、こういうことに時間は関係ありませんから」


 心にもないことを言っているのがありありとわかる返事だ。弓月くんをいじめているみたいで、ちょっと楽しいかもしれない。


「瑞穂に美ゆきに、とっかえひっかえね。兄さん」


「そこにその名前を入れないでください」


 え?


 今、ゆーみさんの口から聞き捨てならない言葉が出たような気がする。


 美ゆき、は知っている。宝龍美ゆき――弓月くんが前につき合っていたという元カノ。驚くほどきれいな人だ。

 じゃあ、瑞穂って誰? その人も元カノ?


 わたしは説明を求めるように弓月くんを見たけど、こっちの不安など気がつかない様子で、向こうでは兄妹のやりとりが続いていた。


「ところで、ゆーみ。ここに何しにきたんですか?」

「別に。ただ兄さんの新しい生活がどんなのか見にきただけ。一度も帰ってこないし。……こういう理由だったわけね」

「それについてはもう何も言いたくありません」


 疲れ切ったように弓月くんは嘆息した。


「まさか泊まる気じゃ……」

「安心して、そのつもりはないから。でも、遠路はるばるやってきたかわいい妹に、兄としてサービスはしてほしい」

「はいはい。いいですよ。それくらい」


 弓月くんは渋々、というわけではなく、まんざらでもなさそうに承知した。何となく普段の関係が窺える。


「というわけです。いいですか、佐伯さん」

「え? あ、うん。わたしもいいよ」


 これで一ノ宮の方に遊びにいくのは中止かな。


 大変な一日になりそうだ。弓月くんの彼女を演じて、一緒に暮らしてることは隠して。それから――瑞穂って誰なのか聞き出さないと。

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