1.「僕は本屋で哲学書でも」

 ゴールデンウィーク二日目。


 一日目は妹のゆーみが予告もなくやってきて、その対応に追われて一日が終わってしまった。


 二日目である本日は、佐伯さんと一ノ宮のほうへ出かけることになっている。じゃあ十時くらいに出ましょう、と決めたのが朝食のとき。すでに時計の針はその十時を過ぎているが、未だ彼女が部屋から出てくる気配はない。まぁ、女の子は支度に時間がかかるものと相場が決まっているので、気長に待つとしよう。特に急がなければならない理由もないのだし。


 僕はリビングの座椅子に腰を下ろした。テレビは点いていない。手を伸ばせば届くテーブルの上にリモコンがあるが、あえて点けなかった。


 そうして無音の部屋で待つこと数分、


「ごめーん、弓月くん。待った?」


 ようやく佐伯さんが姿を現した。

 彼女の今日のスタイルは、赤いチェックのスカート姿だった。


 待ったかと問われると、待ったと答えるよりほかはないのだが、正直にそう言ってしまうのも心が狭い気もする。かと言って、今のリラックスした体勢では、待っていないと返すには無理がある。

 結局、僕は回答を避けた。


「今日はまた初めて見る服ですね。佐伯さん、出かけるたびに違う服を着てませんか?」


 もちろん、実際にはそうでもない。二週間ほど前に携帯電話を買いに行ったときと、昨日は同じスタイルだった。それでも服を着回している印象がない。


「わたし、けっこう着道楽だから。いっぱい持ってきてるんだ」

「そうでしたか。僕なんか数えるほどしか持ってきてませんよ」


 尤も、それも家が近いからなのだろうが。夏が近づいたら、夏ものを取りの帰ろう。


「じゃあさ、今日、何か買ったら?」

「安くていいのがあればね。……部屋の窓は閉めてきましたか?」


 僕は座椅子から立ち上がりながら尋ねた。


「おっけー」

「こっちも戸締りはオッケーです。じゃあ、行きますか」


 リビングの照明を消して、廊下に出る。

 玄関では僕が先にスニーカーに足を突っ込みつつ、外に出た。ドアが閉まらないように押さえながら、床を蹴って靴を履く。


 振り返ると佐伯さんは、座ってショートブーツを履こうとしている最中だった。……それはいいのだが、どうにもスカートの奥が見えそうだ。というか、たぶん見えている。


 僕は気づかぬ振りをして玄関から離れた。


「おっ待ちー」


 僕が手を離したドアがあと少しで閉まり切ろうかというところで、それを押して佐伯さんが出てきた。出発準備完了だ。


 さして広くないアパートの階段を下りる。

 その最中、佐伯さんの涼やかな声が頭上から降ってきた。


「見えた?」


 思わず階段を踏み外しそうになった。


「……何がでしょう?」

「わかってるくせに」

「……」


 沈黙は金、なり。


「弓月くんのその無関心さは、男の子としてどうかと思うなー」

「佐伯さんのその無防備さも、女の子としてどうかと思いますけどね」


 階段を一階分下りて、アパートの表に出る。佐伯さんが僕の横に並んだ。


「いいこと思いついた」

「君がそう言うときは、僕にとってはたいていいいことではありません」


 彼女の『いいこと』は、ほとんどの場合、悪巧みに類似することと等号で結ばれるのだ。


「ランジェリーショップ行こっか?」

「……行けばいいのでは? 僕は本屋で哲学書でも探してますから」


 なぜに哲学書なのかは、言ってる自分でも謎だが。


「弓月くんに選ばせてあげるって言っても?」

「なおのこと嫌ですよ」


 いったい何を考えているのだろうか。

「男の子の好みに合わせようという、女の子の気合いをなんとするか」

「もっと別のところで気合いを入れてください」

「むー」


 佐伯さんが不満そうにうなっているが――無視。そして、僕はせいいっぱい、この話はこれで終わり、のシグナルを出す。そうでもしないと彼女はまだまだ続けそうなのだ。


 程なく住宅街から大きな通りへと出る。幅の広い道路に、タイルと街路樹で飾られた歩道――と、街並みはきれいなのだが、相変わらず交通量が少ない。

 少しの間、無言で歩く。


 すると、いきなり佐伯さんが僕の前に回り込んで立ち止まった。何かと思い、僕も足を止める。


「ね、手つながない?」


 右手を差し出してくる。

 しなやかな長い指と、艶のあるきれいな爪。誰しもが――僕とて例外ではなく、触れたくなるような魅力的な手だ。


「昨日もやったじゃない」

「昨日はゆーみを騙すためです。理由もなくそんなことできませんよ」

「理由は、わたしがそうしたいから……じゃ、ダメ?」


 佐伯さんは、照れと自信のなさが同居したような上目づかいの表情で、弱々しい笑みを見せながら聞いてきた。そのしぐさにどきっとする。


「ま、まぁ、それなら理由として充分かもしれませんね」


 さすがにそんなふうに言われたら、そう答えるしかない。僕は棒読みに言って、手を差し出す。


「それでは、どうぞ。お嬢様」

「う、うん……」


 佐伯さんは戸惑いがちに僕の手を取った。


「そっちの手じゃないです。フォークダンスでもするつもりですか、君は」

「あ、そ、そだね」


 彼女は慌てて反対の手を出す。

 そうしてようやく僕らは手をつないで歩き出した。……昨日もそうだったが、今日もやっぱりふたりとも駅まで無言だった。





 学園都市の駅前までくると、一気に人が多くなる。ショッピングセンターがあるせいだろう。親子連れの買いもの客が多いのだ。大きな繁華街である一ノ宮に行くにしても電車が手っ取り早いので、駅に流れていく人の数も多い。


 そろそろ人目が増えてきて、手をつないでいるのが少々恥ずかしくなってきたころ(実際には誰も僕らのことなんか気にしてないのだろうが)、ついに顔見知りと会ってしまった。


 宝龍美ゆきだった。


 誰もが振り返りそうな美貌の持ち主は、きれいな黒髪を揺らしながら、改札口から出てくるところだった。これから学校に行くようで、水の森高校の制服を着ていた。


 さすがはクールビューティと言うべきか、彼女は僕たちを見ても特に表情を変えなかった。


 僕はつないだ手を離そうとしたが、しかし、それよりも早く佐伯さんが強く握り、そこから抜け出せなかった。


「あら、恭嗣」

「おはようございます、宝龍さん」


 そして、そのまま接近。


「ふたりでお出かけ?」

「ええ、まぁ、ちょっと――」

「デートです」


 当り障りのない言葉を選ぼうとした僕の横で、佐伯さんがきっぱりと言い切った。思わずぎょっとする。


「そうなの。ゆっくり楽しんできて」


 しかし、宝龍さんはというと、おかしそうに笑っていた。彼女は大人だから、佐伯さんの態度が微笑ましかったのだろう。


「ええ、楽しんできます。下着も水着もぜーんぶ弓月くんに選んでもらいますから」

「いや、ちょっと、佐伯さん……」


 佐伯さんはさらにヒートアップしていく。


「えっと、これはですね……」

「大丈夫よ、恭嗣。それくらいわかってるから」


 こっちはますます楽しそうだった。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった佐伯さんは放っておいて、また僕の方に話を戻す。


「そう言えば、恭嗣の家、この近くなのよね?」

「近いですね。今も徒歩できましたから」

「そう。じゃあ、一度学校の帰りにでも寄ってみようかしら?」

「宝龍さんがいいのなら」


 彼女なら万が一にも間違いは起こらないだろう。


「お話し中のところ悪いんですけど」


 と、再び割って入ってくる佐伯さん。


「わたしにも聞いてくれます? いちおうわたしの家でもあるんですから」

「たしかにそうね。じゃあ、今度お邪魔してもいい?」


 佐伯さんなら聞かせておいて嫌と答えるくらい平気でやるかと思ったが、そうでもなかった。


「いいですよ。ただし、わたしがいるときにしてください」

「そういうことね。わかったわ。それにそのほうが面白そうだわ」

「……」


 面白そう? 何やらひどいことになりそうな気がして、僕はそこにいたくないのだが。


「さぁ、あまり足止めしてても悪いわね。そろそろ行くわ」


 そこまで言ってから、宝龍さんは改めて僕に向き直る。


「恭嗣、最近のあなた、とても面白いわ。少し興味が出てきたかもしれない。……それじゃあ、また学校でね」


 そうして僕らの横をするりとすり抜け、長い髪をなびかせて去っていった。





 僕らは切符を買ってから、ホームへと上がった。


「ねぇ、弓月くん」


 並んで立って電車を待っていると、宝龍さんと別れて以降ずっと黙っていた佐伯さんがようやく口を開いた。


「あの人ともよくデートしたの?」

「いえ、一度も」


 僕は正直に答える。


 それに類すること、例えば学校から一緒に帰ったり、そのまま寄り道したりといったことはあったが、休みの日にわざわざ会ったことはない。


「プラトニックな関係?」

「そんなにいいものではありませんよ」


 口調がやや投げやりになっている自分に気づいた。


「知ってますか? 恋愛において最初の段階としてまず肉体的なつながりがあって、プラトニックというのはそれを越えたところにある、精神的人格的なつながりのことを差すのだそうです。愛情のレベルとしてはより高次のものとして定義されています」


 当然のことながら、僕と宝龍さんではその前段階にも到達していない。


「因みに、そう説いたのは哲学者プラトンです」

「あ、それでプラトニック?」

「そのようです」


 佐伯さんは、ふうん、と関心したような声をもらす。


「ね、わたしたちもまずは最初の段階からだよね?」

「……」

「……」

「……」

「……今、けっこう大事なこと言ったんですけど」


 彼女のむっとした声。

 そちらを見なくても半眼で睨んでいるのが、容易にわかった。


「知りませんよ。聞こえなかったことにしておいてください。ほら、電車がきましたから」


 ちょうどタイミングよく僕らが待っていたホームに、電車が滑り込んでくるところだった。





 休日の電車はほどほどに混雑していて、ふたり並んで座るほどの余裕はなさそうだった。若ものは立っていろということなのだろう。僕らはそのまま真っ直ぐ反対側のドアまで進んだ。


 ドアに背中をつけて立った佐伯さんが両手を広げる。


「なんですか、その動作は」

「日本じゃこういうとき、向かい合ってくっつくんじゃないの?」

「違いますよ」


 時々そういうのを見かけるのは確かだが。


「というか、こんなときだけ日本のことをあまり知らない帰国子女の振りをしないでください。そんなに長く日本を離れていたわけじゃないでしょうに」

「うん。二年」


 彼女は悪戯を見つかった子どものように笑った。


 それからしばらくはふたりとも黙って電車に揺られていた。佐伯さんは左肩をドアにつけるようにしてもたれ、僕は吊り革を持って立ったまま、外の景色を見ていた。


 学園都市を貫く路線は高架の上を走っているので、外を眺めていると眼下に街並みが広がり、遠くまでよく見える。


「前も思ったんだけど――」


 少ししてから佐伯さんが口を開いた。が、目はまだ外を流れる風景に向けられている。


「あの人、弓月くんのこと名前で呼んでるんだね」

「……そうですね」


 事実そうなので、そうとしか答えられない。


「でも、僕は宝龍さんのことを名前では呼んでませんけどね」

「あ、そう言えばそうだね。……どうして?」


 佐伯さんが体ごとこちらを向いた。僕らは向かい合うかたちになった。


「抵抗があります。なにせ彼女は年上ですから」

「年上? 弓月くんより少し早く生まれたってこと?」

「ではなくて、まぎれもなく年上なんです。確か佐伯さんには言っていませんでしたね。宝龍さんは一年留年してるんです」

「え、そうなんだ。留年って、成績が悪かったってこと?」

「まぁ、結論から言えば、そうなりますね」


 水の森高校において留年に至る理由は、成績か出席日数くらいしかない。

 入学試験を最優秀で通過し、新入生総代まで務めた宝龍さんが成績で留年というのも考えにくい話だが、しかし、彼女が一年生最後の定期考査をすっぽかしたのだから仕方がない。再試験の機会も与えられたが、宝龍美ゆきはそれすらも無視し、先生方は苦渋の決断の末、規定に従って彼女を留年させたのだ。


 宝龍さんがなぜそんなことをしたのかは、今もって不明である。


 彼女なりの理由があったのだとは思う。ただし、宝龍美ゆきは天才型の人間なので、その理由が万人に理解できるものかどうかは定かでない。進級したくないわけがあったのかもしれないし、何かの実験だった可能性もある。


「というわけで、本来ならば彼女は三年に上がっているはずの人なんです。だから、名前で呼ぶようなえらそうな真似はできません」

「ふうん」


 佐伯さんは納得したような、そうでないような複雑な返事をした。


「わたしも弓月くんのこと、名前で呼んでみようかな」

「ああ、それはやめた方がいいです」

「どうして?」

「試しに口に出してみるとわかりますよ」


 こういうのは実際にやってみるのが早い。


「えっと、恭嗣くん……うわ、言いにくい」

「そういうことです」

「ゆきつぐ」プラス「くん」だと、『く』の音がふたつ連なるせいで、非常に発音しにくいのだ。

「むー。弓月くんと名前で呼び合ったら、一歩リードかと思ったのに」

「君はいったい何と戦ってるんですか……」


 考えたくもないし考える気もないが。


「ね、弓月くん。この電車、なんかすっごいところ走ってるんですけど」


 再びドアの方に体を向けた佐伯さんが、外に広がる光景を見て驚嘆の声を上げた。


 眼下は谷だった。

 学園都市はどうやら山を拓いてつくられたようで、途中一箇所、妙な絶景が広がっている場所があるのだ。遥か下には山間を縫うようにして道路が一本走っている。そこを走る自動車はミニカーよりも小さく見える。そして、ここを境にして、学園都市らしい風景は姿を消すことになるのだ。


「佐伯さんは見たことなかったですか?」

「うん。まだ電車で遊びに行ったことないしね。試験とか引越しとかで何度か通ってるはずだけど、そんな余裕もなかったから」


 彼女は外に目をやったまま続ける。


「ついでに言うと、一ノ宮も初めて。ほら、少し先に新幹線に連絡してる駅があるでしょ? あそこからきて、いつも一ノ宮は素通りだったし」

「なるほど」


 逆に僕は去年一年、一ノ宮で別の路線に乗り換えていたので馴染みが深い。


「だからね、すっごく楽しみ」


 佐伯さんは再度こちらに向き直り、僕を見上げて無邪気に笑った。





 一ノ宮は日本の有名私鉄とJRが連絡するターミナル駅だ。周辺には多数の専門店が入ったショッピングセンターや百貨店が複数林立している。さぞかし競争も激しいことだろう。

 僕らが乗ってきたローカル線の駅は地下にあり、電車を下りると、さっそく地上へと上がった。


「さて、まずはどこに行きますか?」


 大きなスクランブル交差点を前にして、僕は佐伯さんに尋ねた。


 前も横も、対角線にも、どちらに渡っても何かしらあるので、買いものには困らないだろう。おそらく一ノ宮で最も人通りの多い場所がここのはずだ。


「とりあえず目の前にあるデパートに入ってみようかな。弓月くんはいいの?」

「僕は今のところ、特に行きたい場所はありませんから。今日は君につき合いますよ」


 通りがかりに何か目を引くものがあれば、程度には思っているが。


「ふうん。女の子の買いものにつき合うのって、けっこうエネルギィいるよぉ?」

「覚悟してますよ」


 まさかテレビやマンガのように、両手いっぱいの紙袋や山積みの箱を持たされたりはしないだろう。それにそれこそ多少の荷物持ちくらいは覚悟している。


「じゃ、行こっか」


 ちょうど歩行者用の信号がいっせいに青になり、僕らは横断歩道を真っ直ぐ前へと渡った。


 自動ドアをくぐり、百貨店へと足を踏み入れる。

 佐伯さんはエレベータの脇にある各フロアの案内を見て、


「いちばん上の催事コーナー、かな」


 と、さっそく目的地を明確にした。


「何があるんですか?」

「さぁ?」


 短い答えだった。

 とりあえず行ってみるつもりなのか。それとも最上階から順に見ながら下りてくるつもりなのか。


 僕らはエレベータへと乗り込んだ。

 ほかにも大勢の人が乗っているため、会話は一時中断。黙って階数表示に目をやる。


 こういった行動は心理学でいうところの『視線のエレベータ現象』で説明ができるのだそうだ。


 エレベータ内で話が中断してしまうのは、同乗した他人に話を聞かれてしまうからというのも当然あるが、極端に密接した状態で会話をすると親密度が上がってしまうので、それを避けるために話をしなくなるのだという。


 それを考えると、先ほど電車に乗ったときに僕と密着しようとした佐伯さんは、逆に親密度を上げようとしての行動だったのかもしれない。


 そして、皆一様に階数表示を凝視するという行為は、互いにパーソナルスペースを侵し合った狭い空間で、その息苦しさから早く解放されたいという気持ちがそういう行動になり、増える(或いは、減じていく)数字を見て目的地に近づいている安心を得ているのだそうだ。


 さて、各駅停車ならぬ、各階停車になったエレベータがようやく最上階に着くと、


「……」


 そこは非常に華やかなフロアだった。


 なるほど。こういうのは佐伯さんの言う通り、ひとつくらい季節を先取りしているらしい。夏のものは春のうちから。ここだけひと足先に夏色一色。


 要は、特設の水着売り場だった。


「あれ、どうしたの、弓月くん」


 佐伯さんが固まる僕の顔を覗き込みながら、おかしそうに尋ねてくる。あぁ、この顔はここで何をやっているか知っていたな。


「本当に行くんですか?」

「行く」


 きっぱり言ってくれた。


「昨日も言ったじゃない」

「確かに言ってましたけどね」


 本当だとは思わなかった。

 颯爽と売り場に向かっていく佐伯さんに、僕は渋々後を追う。彼女はまず、ディスプレィされたマネキンの前に立ち、それを仔細に観察した。


「今年はこういうのが流行りなんだって。弓月くん、どう?」

「なぜ僕に聞きますか」

「や、弓月くんの好みかなと思って」

「この際、僕の好みはいっさい無視してください。僕は自分の好みを他人に押しつける気はさらさらありませんので」


 どうせなら僕の意見など聞かず、いっそのこと存在そのものも無視してくれるとありがたい。


「こういうのって、ぇろいと思う?」

「なんて質問ですか……」


 思わず顔に手を当て、嘆息してしまった。あまりにもストレートすぎて呆れる。


「まぁ、真面目に答えると、所詮はマネキンですからね、無機質すぎていやらしさは感じません」

「じゃ、わたしが着たら?」

「それはノーコメントです」


 僕は誤魔化すように、さらに言葉を継いだ。


「ついでに言うと、僕としてはマネキンよりもむしろ、売りものとしてハンガーに吊るされているもののほうが目のやり場に困りますね。新発見です」

「ふぅん。そっか」


 納得したように相づちを打つ佐伯さん。こんなことに納得されても、それはそれで複雑なのだが。


 そうしてから彼女は、さらに売り場の奥に進んでいく。すでに逃げるタイミングを逸してしまっている僕は、後についていかざるを得なかった。どこを見ても水着ばかりなので、どこか一点を見ないようにしつつ、且つ、きょろきょろしないように――という、そのあたりの加減が難しい。


 そんな僕の心中などおかまいなしで、佐伯さんはアイテムを物色している。そして、何度かとっかえひっかえして手に取ったそれを、


「はい」


 と、僕に渡した。


「ッ!?」


 思わず受け取って、声にならない悲鳴を上げる僕。


 さらに、


「はい。これとこれと、これも」


 彼女は次々と僕に押しつけてくる。


「なんで僕に持たせるんですか!?」

「候補」

「だからなぜ僕に持たせるのかと」

「あ、弓月くんの意見も聞いた方がよかった?」


 そして、無視。

 明らかにわざとやっている。そろそろやり返した方がいいのかもしれない。


「ほう。僕の意見、言っていいんですか?」

「え、えっと……あくまでも参考で、あまり過激なのは……。わたしも頑張るけど」


 何を言ってるのだろうか。


「大丈夫です。……そうですね。君は学校で扱ってる一般的なスイムスーツで十分だと思います」

「む」


 途端、佐伯さんは半眼で睨んできた。これにはご不満だった様子。尤も、狙いはそこなので、そうでなくてはこちらも困るのだが。


「色気も何もあったもんじゃないですけど」

「いいじゃないですか。背伸びはいけません」

「最近の高校生を舐めるんじゃないと言いたい。……ん? でも、スクール水着って、それはそれで……。弓月くんって意外とマニアック?」

「……」


 どうやら生半可な反撃を試みた僕が間違っていたらしい。





 昼食どきになり、僕らはショッピングセンターの地下にあるパスタの店へと入った。


「弓月くんがこんなお店を知ってるなんて意外。美味しいし、ちょっと暗めの照明もいい雰囲気」


 佐伯さんがパスタの最初のひと口を食べてから、感想を述べた。


 僕と彼女の前にはそれぞれカルボナーラとシーフードパスタが、そしてテーブル中央にはシーザーサラダの皿が置かれていた。因みに、時々店員が持ってくる焼き立てのパンは取り放題となっている。


「喜んでもらえて何よりです」


 当然といえば当然だが、この店を選んだのは僕だった。


「あの人ときた?」

「……君はいやなところで鋭くなりますね」


 確かにそうだ。前にここにきたときは、僕の前に宝龍さんが座っていた。十一月の土曜日、学校の帰りだったか。何を話したかは覚えていないが。


 話があまり面白くない方向に向かいつつあるな。話題を変えよう。


「結局、どんなのを買ったんですか?」

「気になる?」


 と、にんまり笑う佐伯さん。


「あれだけ騒いでおきながら、最後には僕が見てない隙に買ったみたいですからね。そういう意味では気になります」


 そうなのだ。さんざん引っ張りまわされた後で、いきなり解放されたと思ったら、僕が売り場を離れて待っている間にとっとと買ってしまっていた。結局、僕は佐伯さんがどういうものをチョイスしたか知らないままだ。


「それは夏になってからのお楽しみ」

「……」


 果たしてそんな機会はくるのだろうか。海かプールか知らないが、行くなら友達同士で行ってもらいたいものだ。


「実はもう一着欲しかったりする」


 佐伯さんは言いながら、手ではスプーンを上手に使って、パスタをフォークに巻き取っていた。


「もう一着? ひと夏に二着も買うものなんですか?」

「ちょっと外では着れないような、過激なのがほしいかなって」

「……」


 何かまた妙なことを言い出している気がするな。


「外で着れなかったら意味がないでしょう」

「外で着れなかったら家で着ればいいじゃない」


 なんだその「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言った、マリー・アントワネットみたいなノリは。尤も、あれが本当に言った言葉かどうかは怪しいようだが。


 僕は木製の大きなスプーンとフォークでシーザーサラダを取りながら問う。


「家で着ても仕方ないでしょうが」

「えっと……水着プレイ用?」

「ぶっ」


 さすがにこれには吹いた。食べている途中じゃなくて本当によかったと思う。


「家に水着エプロンの女の子がいるとか、ぐっときませんかっ」

「……知りません」

「わかった。じゃあ、お触りいたずらアリで。もー、弓月くんったら意外とぇろいんだからー」


 佐伯さんは顔を赤くして照れつつも、嬉しそうに笑っている。まんざらでもない様子だ。


「……僕には君が何を考えているか、さっぱりわかりませんよ」


 まったく、隣のテーブルに聞こえたらどうするんだ。


「そんなに変なこと考えてるつもりないけどなぁ」


 しかし、佐伯さんはスプーンの先を下唇に当てながら天井を見て、さも不思議そうにつぶやいた。


「たぶん、弓月くんと一緒」

「僕はそんな特殊なことは考えてませんよ」

「そう? スキンシップとか触れ合うことで心も満たされたいとか、そういうのってそんなに特別なことじゃないんじゃない?」


 そう言った佐伯さんはふざけている様子はなく、真面目に語っているように見えた。


「……まぁ、その点に関しては僕も否定はしませんよ。人間として当然の欲求と行為だと言えます。だからと言って、今の僕が、それも君相手にそこまで考えているかはまた別問題ですが」

「じゃ、夏までに」

「……」


 夏までに何をどうしろと?

 佐伯さんが言うと、どうにも不純なものを感じずにはいられないな。


 やはり後で書店に行って、プラトンの本でも買ってくるとしよう。一足飛びにプラトニックな段階までいければいいが。





 食後にミルクティを飲んだ後、買いものは午後の部へと突入した。


「次はどこに行くんですか?」


 今、僕らは再び百貨店に入り、エスカレータで上へと向かっていた。他愛もない話をしながら佐伯さんに合わせてここまできたが、果たして目的地は決まっているのだろうか。


「ん。ここ」


 そう言った佐伯さんはエスカレータを上がり切ったところで次には乗り継がず、少し進んで立ち止まる。


 と、そこで彼女は腕を組んできた。


「何ですか、これ」


 僕は絡み合った腕を見ながら尋ねる。


「腕を組んでみました」

「それは見ればわかります」


 なぜこのタイミングで、と思う。まぁ、こんなことをしたまま買いものができるわけでもなし、すぐに外れるだろう。

 そう思って顔を上げて、ようやく自分がどこにいるか把握した。


 レディスのフロアにいるとは思ったが、ここは婦人服でもかなりベーシックなものを扱うフロアらしい。……要するに下着売り場、である。


「本当に行くんですか?」

「行く」


 きっぱり言ってくれた。

 このやり取りは午前中にもやった気がする。


「くるとき言ったじゃない」

「確かに言いましたけどね。というか、むりです」


 僕はこの場から逃げようとしたが、あいにくと今は腕を組んでいる状態だった。しかも、佐伯さんは僕を逃がすまいと、さらにがっしりホールドしてきた。遅まきながらこのタイミングで腕を組んできた彼女の意図を理解した。


「離してください。僕は本屋でも行ってますから」


 プラトン先生が僕を呼んでいる気がする。


「ダーメ。ちゃんと弓月くんの希望も聞いてあげるから。どんなのがいい? ソング? ストリングビキニ?」

「そんな固有名詞を出されてもわかりませんよっ」

「えっと、ソングっていうのはヒップの方の面積が小さいやつで――」

「説明しなくていいです!」


 こんな感じでやいのやいのと大騒ぎして、むりやり引っ張っていかれた売り場でもうひと騒ぎ。それを見ていた女性の店員さんが、必死で笑いを堪えていた。


 確かに女の子の買いものにつき合うのはエネルギィがいるらしい。

 特に精神面。

 いや、もしかしたら佐伯さん相手だからかもしれないが。





 この後もこんな調子でゴールデンウィーク二日目の午後は過ぎていき。

 家に帰るころには、僕はぐったり疲れ切っていた。


 果たして、そのお詫びなのか、或いは、ただ単に彼女の機嫌がよかっただけなのか、その日の夕食はいつもより少しだけ豪勢だった。

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