――#3
挿話 「 」と彼は言ってしまった(1)
ゴールデンウィーク初日の朝。
休日なのでいつもより遅い起床。時計の針はもう八時を回っている。
わたしはさっそくベッドから抜け出し、パジャマから部屋着に着替えた。上はTシャツに薄手のフード付きパーカー。下はショートパンツ。ナマ足が健康的、且つ、色っぽい。
色っぽい?
「……」
うーん、果たして彼がそんなことを思ってくれるだろうか。思ってくれないんだろうなぁ。
気を取り直して部屋からリビングに出る。無人。彼はまだ寝ているよう。
彼は起こすまで起きない。起こしたら起きるけど、起こすまで起きない。でも、起こさなかったら、勝手に起きてくる。……わたしはあまり関係ないのかもしれない。
ひとまずリビングの全面窓を開けて換気。こもって淀んだ空気を新鮮なものと入れ換える。それから洗面所に行って顔を洗い、不思議な光彩を持つ(彼も綺麗だと言ってくれた!)自慢の髪にブラシを通した。
それからキッチンに戻って朝食の用意。
今日は起きたときからホットケーキと決めてある。どこかのファーストフード店の朝メニューみたいだとか、何日か前もそうだったとかは気にしない。
ホットケーキは面倒だ。ホットケーキのもとをつくって、その間にフライパンを暖めて、と思ったら今度は濡れ布巾で一度温度を下げて。結局は最後は弱火で焼くことになるから、けっこう時間もかかる。
こんなに面倒でもやれてしまうのは、ひとりじゃないからだ。一緒に食べてくれる人がいるから、少しくらい手間でもやろうと思える。
さて、サイドメニューであるソーセージとカリカリベーコンもできたので、そろそろ彼を起こしに行こう。
わたしはコンロの火をギリギリまで弱めてから、その場を離れた。
彼の部屋をノックする。
と、同時に突入。
「グッモーニンッ」
その部屋のベッドに眠っているのは、弓月くん。この家での同居人だ。
同居人……。
うん、同居人。
何となく再確認。
弓月くんは、わたしの声と入ってきた音で起きはじめる。
「う、ん……」
ベッドの上で身をよじった。
わたしはそんな弓月くんを見下ろし、
「むー……」
思わず小さな声が口から漏れる。
最近はずっとこんな調子だ。何となく弓月くんの顔に見入ってしまい、落ち着かない気持ちになって、変な声を出してしまう。落ち着かない気持ちはくすぐったい感じに似ているけど、それとは少し違っている。
そうこうしているうちに弓月くんが目を覚ました。
彼は普段から眠そうな目をしている。でも、その目は時々わたしを不安にさせる。奥にある深い色の瞳に目の前にあるものを映しながら、本当はもっと別のものを見ているのではないか、わたしなど見えていないのではないか。そんな思いに駆られるのだ。
その目も今は眠気で光が弱い。
「おはようございます、佐伯さん」
そう挨拶をされて、わたしは慌てて笑顔を用意する。
「おはよう。朝ごはんできてるよ」
「わかりました。着替えてから行きます」
弓月くんは気がついていないかもしれないけど、こう答えるときの彼は頭の回転が本調子でないせいか、時々無防備に笑顔を見せてくることがある。ちょっとかわいい。
「うん。待ってるから」
そして、そんな普段では絶対見ることのない表情にドキッとしたわたしは、逃げるようにして部屋を出ていくのだった。
ダイニングキッチンのテーブルで、向かい合って朝食を食べる。
「ねぇ、今日は一ノ宮の方に遊びに行ってみない?」
ここにきて初めての大型連休。わたしは提案してみる。
一ノ宮は、学園都市の駅から電車で二十分ほど行ったところにある、同じ名前のターミナル駅を中心にした繁華街のこと。学校帰りの遊び場としては定番の場所だ。でも、残念ながら電車通学をしていないわたしとは縁が薄い。
「いいですね。じゃあ、午後からでも行きますか」
弓月くんは誰にでも、年下のわたしにすら敬語で話す。前に一度どうしてと聞いたら、「そういう性格なんですよ」と、自嘲気味に、でも、どこか寂しげに笑って、誤魔化されてしまった。それ以来もう聞いていない。理由は未だわからないままだ。
敬語・礼儀作法は外交では武器だったと聞いたことがある。交渉の席で本心を明かさない、真意を悟られないための武器。弓月くんはまさにそれ。
読めない人。
でも、攻め方を間違えなければ案外脆い。
「夏に向けて水着を見たいなぁ」
「……早くないですか?」
ほら、返事がワンテンポ遅れた。一瞬目が泳いだのも、わたしは見逃さなかった。
「早くないよ。ゴールデンウィークが終わったら、もう夏は目の前だしね。デパートのファッションフロアに行ったら、今年の水着が並んでるはずだよ」
「そうだとしても、それなら女の子同士で行ったときに見ればいいじゃないですか」
「そうなんだけどそこは、ほら、男の子の目線での意見も欲しいかなって」
我ながら苦しい言い訳。でも、大丈夫。弓月くんはすでにいっぱいいっぱいのはずだから。
「コーコーセーなんだから大胆めにビキニとかどうかな?」
「……さぁ、僕には何とも」
コメントを極力避けつつ、黙々と朝食を進める彼。
「ねぇ、弓月くん」
わざわざ名前を呼んで、こっちを向かせる。
「わたし着やせするタイプだから目立たないけど、けっこう胸あるんだよ」
「……」
弓月くんの目だけが動いて、視線がわずかに下がった。
「ウェストも細いし」
「僕にそんなことを言われてもね」
「触って確かめてみる? ウェストと……なんなら胸も?」
直後、弓月くんの動きが止まった。
そして。
「莫迦な言ってないで、さっさと食べなさい」
「はーい」
わたしは心の中で舌を出す。
このあたりがボーダーラインだと思っていたけど、予想通りだった。
うん、かわいい。
――と、そのとき、インターフォンが鳴った。
わたしたちは無言で顔を見合わせた。誰だろう? さぁ?
時間は九時を少し過ぎたところ。わたしも弓月くんも友達に家をおしえていないので、誰かが遊びにくることはまずない。あと思い当たるといえば働きものの運送屋さんくらいか。
弓月くんは、腰を浮かしかけたわたしを手で制し、先に立ち上がった。
ドアフォンに出る。
「はい?」
と、きて、
「は!?」
弓月くんらしからぬ大きな声。
「い、いや……ちょっと待ってください」
やけに慌てている。相手はいったい誰で、どんな用件なのだろう。
彼は一旦ドアフォンを置いた。
「弓月くん?」
しかし、わたしの声も耳に入らない様子で、リビングを抜けて玄関の方へと消えていった。
それから。
「なんで――、君が――」
「……――。――」
かすかに言い争いのような声。ここまで聞こえてくるのは弓月くんの、しかも、断片的な声だけだけど、ただならぬ様子であることはわかる。
気になったわたしはリビングから玄関を覗いてみた。
手前に弓月くんの背中。
その向こうに――お人形のような女の子が立っていた。
年はわたしと同じくらい。モノトーンの所謂ゴシックロリータと呼ばれる衣装に、足元は編み上げブーツ。セミロングの髪も艶やかな黒なので、彼女だけ神様が色をつけ忘れたかのようだ。そんな別世界の住人のように思えたのは、彼女自身表情の変化に乏しくて、人形めいていたからかもしれない。
傍らにはアンティークな
「……お客さん?」
わたしは少々現状把握に手間取ったものの、ようやくとてつもなく基本的な問いを口にした。
「あぁ、佐伯さん」
弓月くんはそこで初めてわたしが奥から出てきていたことに気がついたようだ。
「僕の妹です。ゆーみ。連絡もなく遊びにきたようなんです」
「あ、そうなんだ」
妹がいるとは聞いていたけど、顔を見るのはこれが初めてだ。
確かに似ているかも。弓月くんは眠そうな顔のわりには目つきが鋭いけど、彼女は目が切れ長で顔も全体的にシャープだ。弓月くんとベーシックなところでよく似ている。
弓月くんの妹さん――ゆーみさんはその切れ長の目でわたしを見て、
次に弓月くんに目をやり。
「……誰?」
と、口を動かした。
弓月くんがわたしを見た。わたしも弓月くんを見た。
「……」
「……」
わたしが彼女を見て誰だと思ったように、彼女の疑問も至極当然のものだ。
困った。
この様子だと弓月くんは家族にルームシェアのことを話していないのだろう。正直に言っていいものか、それとも何か嘘で誤魔化すべきなのか。
「……」
ここは弓月くんに任せよう。
弓月くんは妹さんに向き直り、コホン、と咳払いをして。
そして。
「僕の彼女です」
と、言ってしまった。
「……え?」
「えっ!?」
ゆーみさんの声にわたしの声がかぶった。勿論、それでは不審がられるので、すぐに平静を装った。
が、心中は。
(ええええ~~~~っ!!!!)
かなりパニック。
彼女? 彼女って言った?
それはいい。いいんだけど。
こんな時間に一緒に朝ごはんを食べてる彼女って、つまりもうお泊りコースもしちゃう彼女ってことに、ならない……?
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