第22話 ㊵

「無駄だと思いますよ」

 病院の廊下を歩きながら、看護師を連れた白衣の精神科医は言った。その横を一緒に、スーツ姿の年配の男と若い男が歩いている。頭に白髪の混じった年配の男は、何も言わずに医者をじろりと睨んだ。

 医者は怪訝な顔をしたが、一つの病室の前で足を止めて、スーツ姿の二人を中に入れた。

 病室はベッドが一つの個室で、ベッドの上には虚ろな顔をした女が寝ている。それは沙月だった。沙月は目を開けていたが、その視線はまるで何も見ていないかのような空虚さを感じさせた。

「お加減は如何ですか?」

 年配の男が言った。沙月は何も答えない。

「我々は刑事です。先日、夏香市立第一中学校で起きた事件のことで、お話をお伺いしたくて……」

 年配の男は言葉を止めた。沙月の目が動いて、男を見たからだった。

 沙月の唇が微かに震えて、ゆっくりと動き始めた。男は沙月が何かを言うのを待った。

 次の瞬間、突然、沙月が絶叫した。ベッドの上で体が跳ね、手足を振り回す。まるで自分に寄って来る何かを追い払うように暴れる。蒼白になって引き攣った顔は、今、沙月が感じている恐怖がどれ程のものか如実に物語っていた。看護師が慌てて沙月の体を押さえ、精神科医が鎮静剤を注射する。その光景を、スーツ姿の男二人は言葉を失って見ていた。


 病院から、スーツ姿の二人が出て来る。若い方が病院を振り返って言う。

「一体、何があったって言うんでしょうね」

 年配の方がため息を吐いて答える。

「さっぱりだ。中学校の女教師が突然暴れて多数の死傷者。その女教師は三階から飛び降りて頭から落下したというのに無傷。しかもその後に生徒の一人が屋上から飛び降り自殺ときた」

「さらに理科室には生徒の、濃硫酸を用いた惨殺死体。準備室ではガスまで発生していた。校舎裏の池の中にも惨たらしい死体でしょう? わけの分からないことばかりですよ」

「話を聞こうにも、無傷で生き残った女教師はあの調子だ」

「一日に何度もああいう発作を起こして。一体彼女の目には何が見えているんでしょうね?」

「俺に聞くなよ。でもあんな状態になるなら、頭かち割って死んじまった方がマシだったな」

 二人の刑事は、病院を後にして歩いていく。

 彼等は気が付かなかったが、歩き去る彼等の背後で、天空から一枚の花弁のようなものが、ひらひらと宙を舞って、地面に着地した。

 ――えー、また失敗? これ何回目?

 ――まだ二百と四十七回目だよ、タンゲラ。

 ――さっさと次の遊びを始めてぇな。

 ――あはは、どうせまたチヨクロが一番に消えるけどね。

 ――なんだとぉ?

 ――喧嘩はやめたまえ。しかし本当に、次の遊びが楽しみだ。今度は、沢山連れてきたからな。皆、目を覚ましたくてうずうずしているよ。

 ふと、花弁は地面から舞い上がった。重力が逆立ちでもしたかのように、天空へ向かってひらひらと落ちて行く。やがて花弁は、雲の中に見えなくなって消えた。


<完>

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