Ⅵ
待つというのは幸福な時間だと、彼は鷹津学園の校舎をグラウンドから見上げていた。
次に何が起こるのか、何が始まるのか。現実的な予測も、空想的な願望も、織り混ぜて考えるのは楽しいことだった。その中で彼は世界の全てを決定できる自由な王だからだ。
面白いことが起きるかもしれない。
心躍らせることが始まるのかもしれない。
今も彼は確定していない未来に対し、身勝手にあれこれ想いを馳せる。
幸いなことに、待つことは嫌いではない。正確には嫌いではなくなった、とでも言うべきだろうか。何せ一年半以上、彼はずっと待ち続けてきた。想い人が自身の気持ちに気づくことを、言葉に出さなくとも察してくれるロマンチックな展開を望み続けていた。
友人という気軽で、尚且つ近い距離に収まってしまった故に、失敗してしまえば遠ざけられてしまうリスクに怯えて、彼は切り出す勇気がなかった。臆病な心が前進しようとする意思を押えつけ、結果彼は待ちに徹することになった。
歯痒い、と思ったことはない。
日々の触れ合いは充実していて、満足だと納得していた。これ以上を望んではバチが当たると、身の程を弁えた立ち回りをしていた。
「でも、それは間違いだったんだ」
冬の乾燥した空気が包む鷹津高等学校第二グラウンド。橘幸助はそこにいた。
第一グラウンドは授業で使用されていて、貸し切りにはできなかった。人払いの結界を張れば、退去させることも可能ではあるが、既に意識操作の結界を張った後である。『書』のスペックでは、結界の中に結界を張るような高等魔術は使えない。
耳を澄ませば聞こえてくる言葉は数式と、英文と、社会学だろうか。既に昼休みは終わり、五時限目の授業が始まっている。恐らくは校舎の中腹に位置する自分の教室でも、教鞭が振るわれているだろう。由紀と幸助を欠席扱いにして。
「結界張ってるからつっても鈍いよなぁ。裏側ではまだ、ドンパチやってるってのによ」
自らの放った多数の使い魔は、未だ水無月の鎧人形によって叩き潰され続けている。
このままのペースならば、校舎内に設置した仕掛けは三十分も満たないうちに壊され、使い魔たちは霧散し、自分は黎明機関の名の元に殺されるだろう。
「ははっ、はははははっ!!」
三十分後に尽きる寿命、という字面が笑えてくる。水無月と接敵すればまず勝てない。あの魔狼モドキは出し抜けても、『ブレイズ・ワン』は甘くはない。『書』の前持ち主から引き継いだ記憶が、勝つ術がないことを幸助に教えてくれている。
「それでも――十分だ」
最初から生きたいだなんて、『俺達』は考えてはいない。
望みはただ一つ。あの人の心を手に入れること。
本を開く。ページをめくる。校舎に向けて腕を突き出す。手のひらに集う光は、徐々に大きさと破壊力を増していく。放てば教室一つくらい、吹き飛ばせるだろう。
『書』が歓喜の悲鳴を上げるように輝く。やはり俺達は相性がいい。他の使い手は、ここまで力を引き出せてはいなかった。道具として使われる悦びが、幸助にまで伝わってくる。
由紀の場所はわからないが、誘い出す方法はわかる。派手な花火を上げればいい。
「委員長以外にも人質なんてゴマンといるわけだしな。使わない手はない、だろう?」
凶弾が唸りを上げる。翔ける時はまだかと、幸助に誇示するかのように大気を震わせる。
時間は有限だ。撃つのを躊躇っていては、目的が果たせない。
「……違う、躊躇ってなんてねえ」
不愉快なノイズが思考をかき乱す。これはいらない感情だ。光弾を放っても多分、水無月が防いでくれるから、なんて安心感も邪魔だ。消えろ、消えろ、消えろ、消えろ!
「俺は、撃てる。壊せる。殺せる」
実際にそうだった。俺にはできた。宗方由紀を背後から襲い、胸を貫くことができた。ならば、やれないはずがない。恋に焦がれた相手は殺せて、顔も知らないクラスメイトを殺せない道理はない。それが一クラス単位であってもだ。
だが、トリガーを引く覚悟を決めても撃つことが幸助にはできなかった。
『俺』の支配に俺が抗えたわけでもない。
「なんとなく。そう、なんとなくだ。来るんじゃないかって、予感はしてた」
足音が二つ。背後の方から聞こえてくる。確か後ろの校舎は実験室や、家庭科室などの特別教室が集まった棟だったか。保健室も一階にあるから、そこで一旦避難したのだろう。
「かっこいいよなぁ。最高の登場タイミングだよ。持ってるっていうか、こうでなきゃいけないっていうか。望んだところに合わせてくるのは、一種の才能だって思うぜ」
腕を振って、溜めに溜めた光弾を掻き消す。振り返らなくとも愛しい人の気配はわかった。邪魔な犬がいるのにはこの際、目を瞑るとしよう。
胸を満たす感動を噛み締めるようにゆっくりと、体を回して出迎える。
「そっちはどう思う、むなっちゃん?」
シロは由紀の隣に立ち、由紀はシロの隣に立つ。誰が前に出て盾になるわけでもなく、誰が後ろに下がり影に隠れるわけでもなく。二人は互いに肩を並べ合う。
「そっちはどう思う、むなっちゃん?」
これ以上はないといった満足の笑みを浮かべ、幸助が殺意に体を滲ませる。
一度目のときは、為す術もなく殺された。
二度目のときは、シロの傷つくのを見ているだけだった。
風が吹く。強く激しく。由紀の決意に揺らぎはないのかと問いかけるように。
抱えた問題全てを投げ出し、グラウンドを走り去りたくはないか。水無月に任せて安全な場所に居たくはないか。手を伸ばせばすぐ手に入る未来に妥協したくはないか。
「そんな終わりなんていらない」
ご都合主義のハッピーエンド。ただそれのみを求め、由紀は瞳に炎を灯す。
「確認したいことが二つある」
「質問を質問で返すのは、って言いたいけど、いいぜ。遺言ぐらいは聞いてやるよ」
由紀は静かに腕を肩口まで上げて、指を一つ立てた。
「『書』をお前から取り上げれば、元に戻るのか?」
「俺から『俺』がなくなれば、そりゃね。エラーの源が消えるんだから、ここも戻る」
コメカミをトントンと幸助は『書』で叩く。
「なら次だ。これが一番大事なことなんだが、幸助。殺したのはオレだけか?」
「もちろんだ。途中で委員長とか殺しかけたが、無意味に事を起こせば水無月に察知される可能性も強まる。何より俺の特別はむなっちゃんだけにしたいしね?」
狂人の思想だが、筋は一本通っている。幸助は由紀しか眼中にない。校舎の人間を使い魔に襲わせているのも、委員長に怪我を負わせたのも、全ては由紀を殺すための布石。
幸助は由紀以外の人間を殺していない。
「なんか意図がいまいち見えねえけど、これで満足か?」
十分だと、由紀は頷いた。あの手に塗られた血は由紀だけのものだ。他人のものなんて混ざっていない。ならば、ならばだ。
「オレが許してやれば、お前は苦しまずに済むわけだな」
他の誰かを手にかけたならば、背負ってやろうと思っていたが好都合だ。自分だけなら笑って済ませられる。シロの心臓で生き返った由紀だけならば、許すことで救われる。
確かめたかった事実は聞けたのならば、後は行動するのみ。
「行くのだな、我が友よ」
そっと、擦り傷だらけの手をシロは由紀へと差し出す。肌が白いだけに、皮が捲れた後は目立つ。一部血が滲んでいる箇所もあった。これは誰かを守るために立ち向かった者の、誇りだと由紀は優しく受け取り、指と指を絡め合う。
「かける言葉は何が良い。激励か、忠告か、警告か」
「祝福だ」
これからの明日に、選び取る未来に。
「よかろう、我は全身全霊をもって祝おう! 貴様の目指すハッピーエンドの到来を!」
シロの体が光り輝き、崩れていく。指の先から光の粒が零れ落ちる度に欠けていき、握り合った由紀の手のひらへと集っていく。
暖かな光。魔力で作られていたシロの存在全てが宿るソレを、由紀は握りしめた。そして皮膚と肉と骨の向こうに収まる、魔狼の心臓へと振動を伝えるかの如く、強く叩き打つ。
この力を何と名付けるかは、話を切り出したときから決めていた。
彼女の力を無名のままにするというのは、あまりに無粋すぎる。かといって、捻り過ぎて本質を失ってしまっては意味がない。だからシンプルにすることにした。
「魔狼咆哮――」
叫び上げる。存在を告げる。寄り添い合う者の名を轟かせるべく、声を張り上げる。
「―――フェンリルハート!!」
瞬間、血液が爆ぜるような錯覚に襲われた。視界が光に潰される。暴力的な量の魔狼の力が全身を駆け巡り、由紀の体を食い破ろうと荒らし回る。壊れる、という本能的な恐怖の支配を跳ね除けたのは、この身で猛り狂う力はシロのだという信頼と事実。
コレの源がアイツならば、酷いことになりはしないだろう。
逆らうな。受け入れろ。そして望め。
『描くがいい、貴様の力の形を!』
光の中で囁かれた声に導かれ、由紀は『ソレ』を選んだ。
「……ほう、日本語とは実に難しい。この国に来て五年ほど、内一年は拘束されていたから実質四年か。その中で言葉の読みも書きも喋りも会得したと自負していたが、どうやら勘違いであったようだ。今の言葉、貴様が戦いに赴く意図だと捉えてしまったぞ」
「間違ってない。オレが幸助を止めにいく」
遡ること数分前の保健室の外。
「こんのぉ……戯け者がぁーーーーーー!!」
脳を直接揺さぶるような大音量の罵声を、全身で由紀は浴びていた。痺れるような感覚、テレビで見た音でグラスを割る実験の映像が脳裏に浮かんでくる。多分シロなら同じことができるなと思いつつ、いきり立つ彼女を落ち着かせるために頭を撫でる。
「はぶっ、こら誰が触れていいと……っ、というか雑過ぎる、力が強過ぎる! 撫でるならもっとこう、優しく髪を梳かす様にであって……あ、そうそう、そんな感じに……」
要望を聞いて反映させるうちに怒気が小さくなり、萎んでいく。話し合いができるレベルまで落ち着くのに時間はかからなかった。
先ほどもそうだったが、どうも撫でられることに弱いらしい。手を離すと、とても切なそうな目で『もう終わりなのか?』と良心に訴えかけてくる。事が片付いたらいくらでもしてやろうと固く誓いながら、由紀は自身の胸を軽く叩く。
「確認の意味で聞くが、心臓をシロに返しても短時間なら問題ない、ということは」
「ある意味で問題はない。心臓を戻しても、貴様の傍で魔力を流し続ければ死ぬことはないが、術をかける対象との距離と、時間は多ければ多いほどに、魔術の難易度は上がる」
加えて蘇生術となれば、とてもではないが戦闘の片手間にできることではないと、シロは小さく付け加えて腕を組む。駄目で元々であっただけに、由紀にダメージはない。むしろ想定通りだと頷きながら、用意していた次のセリフを使う。
「ならオレが魔狼の心臓を使うことはできないのか?」
目から鱗が落ちたという言葉があるが、まさにそれだった。考えもしなかっただろう事案を提示され、シロは暫しぽかんとするも意識が戻った途端に首を振る。
「理論では可能だが、実行は不可能だ。確かに魔狼の心臓には魔力がある。それも膨大な魔力だ。使えればこれ以上ない力になるが、貴様には制御する術がない。魔術を知らない」
「だからそれをシロがやれないか」
「……む?」
怪訝そうに眉を顰めるシロに、由紀が意見する。
「オレは今、心臓を通してシロが魔術をかけてくれてるから生きていられるんだろう? それと同じことを攻撃的なものでできないだろうか」
「つまり貴様の中にある心臓を使って、あの小僧に対抗する術を得たい、と?」
「身体強化とか、そんなので構わない。幸助と戦えるように魔術で底上げしてほしい」
難しい顔をしながら、シロは口元に当てた手の指を軽く噛む。
「できないことはないが……」
一区切りして、中々出てこない言葉の続きは聞かなくてもわかる。
「わかってる。オレが幸助と戦えるかってことだよな」
喧嘩だってやったことはない。痛いのは嫌だし、暴力だって振るうのに抵抗はある。それが殺す、殺されるの世界に飛び込んだ場合、動くことができるのかどうか。
また、魔術で底上げしてもらえたとしても、あの幸助を倒すことができるのか。
シロと幸助の一戦はまだ記憶に新しい。圧倒的なスピードと力の嵐。瞬きする刹那に戦局が一転していき、勝者と敗者が決定される中へと、今度は自分が飛び込んでいく。
自殺行為と言われても仕方のないことだ。もしかしなくとも、シロが挑むより勝率は低い物になるだろう。
「だが、やらなければならない理由があるのだろう?」
腰に手を当て、嬉しそうに呆れながらシロはため息を付いた。
「貴様は無意味に行動を起こすような阿呆ではない。言ってみろ、考えてやる」
理解してもらえる、そのことが嬉しかった。お互いの間に結ばれる確かな絆を感じながら、由紀は狂気に捉えられた友人の姿を、思い浮かべながら応える。
「オレはこの事件、単純に幸助を倒すことで決着にするつもりはない。一度殺されたくらいじゃ嫌いになんてなれない大切な友達だ。オレが本を引きはがして正気に戻す」
由紀のハッピーエンドにはシロがいて、水無月がいて、委員長がいて、幸助もいる。誰一人欠けることなく日常を迎えるのが勝利条件だ。
『書』の概要を水無月が語った際に、所有者から離れれば元に戻るようなことは言っていた。あの状態が今後、常にというわけでないのなら、取り返す以外に目指すところはない。
教室で最初に声をかけてきてくれたクラスメイトを、失うわけにはいかない。
「心意気は良しとしよう。理解も、共感もできる。しかし、仮に『書』から解放できたとしても、記憶が残る。愛するものを殺した過去を抱えてしまっては、元の関係には戻れないのではないのか?」
「そうだからこそ、水無月でもシロでもなく、オレが許してやる必要があるんだ」
由紀を殺した幸助を許せるのは、由紀にしかできないことだ。
他の誰かがピリオドを打ってしまっては、幸助は立ち直れないだろう。罪悪感に塗れ、聞かされた他の『書』の持ち主同様に生きることを諦めてしまうだろう。
「他に手を出したヤツがいた場合は難しくなるが……少なくともオレについての罪悪感はこれで清算させる」
変な話だが、できることならば手を赤く染めたのが由紀だけの血であって欲しい。
「貴様の意図は把握した。行動に思い至った経緯も納得したが、足りないな」
険しい表情で腕を組むシロが、由紀を強い言葉で射抜くべく、弓を引く。
「我の首を縦に振らせるには、足りていない。我らは運命共同体だ。貴様が下手を打って死ねば我も死ぬのだぞ? 残念ながら安請け合いできる範疇を超えている」
「ほぼ勝ち目がなくて行こうとしたのは、シロだって同じじゃないか」
「馬鹿を言え。十全ではないとはいえど、素人の貴様よりは上手く立ち回れる」
己が挑むよりも、貴様が立ち向かう方が勝率は低いと、シロは由紀の胸を指差して批判する。間違った意見ではない。幸助と戦えるようになっても、壇上に立っただけだ。勝てる算段を握りしめてのことではない。
シロは言った。足りないと。
理解、共感、把握、納得をしながらも、まだ不足があると由紀に求めた。
欠けているピースは何か、瞼を下ろして考える。自身の胸中に問いかけ、答えを出す。
「助けてくれ、シロ」
「ようかろう、我が友よ」
単純なことだった。どれほどの危険があろうとも、誇り高き狼は友を二度と見捨てない。求めれば応える、進むのなら寄り添う。由紀がそうだったように、シロも同じなのだ。
「やらなくていい戦いだ。命の損得で見れば、無駄もいいところだ」
それでも付き合ってくれるかと、由紀は視線で問いかける。己の胸に手を置き、尾を翻しながら、満たされた表情でシロが応じる。
「使うがいい、我が魔狼の力を」
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