Ⅳ
行き交う買い物客のたわいない話声と、店内に取り付けられたスピーカーから流れるBGM。人にとっては賑やかとも、うるさいとも取れる音たちに身を浸らせ、由紀は婦人服売り場を出てすぐのところに設置されたベンチに腰かけていた。
特に意味もなくスマフォの時間表示を見ながら、ここで座る切っ掛けとなった水無月の言葉を思い出す。
『選びますし、がんばりますが、多分私はもうダメです。きっと格好悪い姿を晒すことになるので、できれば外で待っていてもらえませんか……?』
虚ろな目をしながら儚げに訴えた水無月の姿と声音が、脳裏に焼き付いて離れない。シロにやり過ぎるなと釘を刺しておいたが、やはり不安だ。魔狼の心臓の関係もあって、遠くには行けず、こうして近くで待機はしているものの、姿は見えてはいないわけで。
「やらかしてくれないといいんだが……」
お互いに敵対する関係だ。多少は仕方ないところもあるだろうが、できれば仲良くしてほしいものである。アレではいつまた殴り合いが始まるか、わかったものではない。
シロはともかく水無月はまだその辺りを弁えている様子なので、そこだけが安心できる部分だ。これで二人とも血気盛んだったら、絶対に服選びなんて出来なかっただろう。
「いい加減にしてくれませんか、無駄に煽るのはやめてくれませんか。貴方は今、見逃されている立場だというのに、よくまあ、そんな横柄な態度が取れますねっ?」
「見逃されている? 寝言は寝てから吐く物だぞ。我が仕方なく平和的解決を持ちかけているのだ。貴様ら黎明の連中が頭を下げることこそ筋であろうが!」
ブースから聞こえてくる喧嘩腰の会話に、不安は募るばかりであった。
「……帰ったらシロは説教だな」
あれで本当に自分よりも年上なのだろうか。確たる証拠のない自己申告なのだが、水無月が特に否定するわけでもないので、事実ではあるのは間違いないだろう。にしても少女の背格好をした百歳越えかと、冗談染みた存在を鼻で笑った。
面白かったのではない。現実で起きたことに呆れたのだ。
人狼。
魔術師。
黎明機関。
そして最後にこの心臓。
まだ一日も経っていない時間の中で、何度常識を砕かれたことか。自分の体に魔狼の心臓なる、わけのわからないものが埋め込まれた不快感を忘れられていたのが、唯一の救いだろう。思い出して、ゾクりとした、
そっと、服の上から心臓部分に手を当てる。脈打つ感覚を肌で捉える度に、これは一七年間付き合ってきた自前の物とは別のモノだと自覚が進み、怖さが込み上げてくる。
シロのことは信じている。水無月のことも信じている。
けれど、自分の中に異物があるこの生理的嫌悪感だけは、さすがに抑え込めない。
この命を司る器官は完全な未知、人間の心臓ではないのだ。
慣れの問題だとは思うが、それは同時に解決策に即効性が備わっていないのを意味する。
「情けない奴」
誰かが隣にいて、何でもいいから話しかけて、気分を紛らわせて欲しいと思う軟弱さに唾を吐いた。いつも一人でやってきたというのに、今更何を思うのだろうか。
そう、今更だ。
父と母が火葬場で灰になってから、ずっと一人で生きてきた。
でも、今はシロがいて。しかも由紀は彼女と離れることができなくて。
「……ああ、もう一個。メリットがあったな」
生き返る以外にも、考えようによってはもっと大きい恩恵を、シロからもらったのだなと、由紀は心臓の持ち主のことを想っていたときだった。
「あれびっくり。むなっちゃんじゃないの」
聞き違うことがないくらいに何度も聞いた声音に反応して首を動かす。遠くから手を振りながら近づいてくる幸助に応えるべく、こちらも手を上げようとして、ぴしり固まった。
由紀は幸助しか、悲しいことに友達はいない。だが行動力も気遣いも上手く、ノリがいい幸助には由紀以外にもたくさんの友達がいる。それは知っていることで、特段驚くことではない。だが、隣に同級生の女子がいるとなれば別問題だ。
「えっ、むなっちゃんってまさか、ええぇ……っ!?」
眼鏡をかけ、肩にかかる程度に切りそろえた緑の髪。表情は先日、プリントを回収しに来たとき同様に慌てている委員長が、幸助の同伴者だった。
「おっすおっす、ばったり出会うもんだな。どうしたのさ?」
「それはこっちのセリフだ」
近づいてきた幸助に言い返し、委員長と交互に視線を送る。
放課後のデパート。婦人服売り場。外交的でやんちゃな幸助と、内向的で大人しい委員長の組み合わせこそ悪いが、状況証拠が導き出すのは一つの結論である。
「お前ら、付き合ってたのか」
「つ、つつつ、つきあ、へぁ!?」
煙が噴き出してしまいそうなほどに、委員長が顔を赤らめる挙動に確信を得た。
「デートで服でも見にきた、ってとこだろ?」
学生らしい健全な付き合い方だと感心するのだが、委員長は混乱を大混乱へと進化させていくだけで、いつになっても『照れ』へと変わらない。その姿にようやく由紀は違和感を覚え、幸助は苦笑しながら口を開く。
「デートも服選びってところも大不正解だよ。な、委員長?」
「は、はいです! 違います、橘幸助君はわたしのこ、恋人ではありませんし、なので付き合ってもいません! 友人です、友人なのです!」
「力強い拒否って、わかってても結構傷つくからマイルドでお願い」
「ごごごごごめんなさい! ごめんなさい!」
ぜえぜえと息を切らせながら、可愛そうなほどにテンパる委員長に罪悪感が胸を締め付ける。放課後という構えてないところに由紀と出会ってしまい、怯えているのだろう。
目で『早く離れたほうがいいのでは』と、幸助に送るも返ってくるのは『大丈夫でしょ』という微笑みだけ。深いところの意図は読めないが、早々に立ち去る気はないらしい。
「委員長、落ち着くときは人という文字を手のひらに書いて、気合だと叫びながら両頬をバチンと叩くといいらしいよ?」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、それも力を込めれば込めるほど効くらしいぜ」
「なるほど。ではや、やってみます……!」
「待て。それウソだから。前半は聞いたことがあるが、後半はデタラメだから」
デマを吹き込む幸助も幸助だが、信じる委員長も委員長だ。
「そうなんですか、橘くん……っ? わたしを騙したんですかっ?」
「おやおやー? 委員長はこの紳士で高潔を好むことで有名な俺をウソつきだと、むなっちゃんを信じると、そういうことですかなぁ~?」
「その一言でウソだと確信してしまいましたよっ!?」
そんな馬鹿なっ、とおどける幸助を見て確信した。コイツはオレをダシにして、委員長で遊びたいのだろう。
面倒なヤツと一緒にいる委員長に同情の念を寄せる。前にずれていたベンチの座りを直し、改めて幸助に尋ねる。
「それで、デートでもないのにお前らはどうして一緒にいて、何でここに来たんだ?」
恋人という接点が崩れた後に出てくるのは、疑問だった。幸助と委員長、クラスメイトなのだから知人ではあるものの、放課後どこかに出かけるほどの間柄ではなかったはずだ。
「んー、俺の口からは言っていいものかどうか……」
言いつつ、幸助が意味ありげに委員長へと視線を投げる。
幸助が表立って連れてきた、というわけではなく委員長が頼んで付いてきてもらった、という形なのだろうか。考えてみれば婦人服売り場にいるのだ。後者の方が考えとしては、自然さがある。
「どうする、委員長? 言っちゃう? 言ってみちゃう?」
「だ、ダメに決まってるじゃないですか。秘密です、内緒ですっ」
「いや、こういう考え方もあってね……ごにょごにょ」
隠し事を匂わせるセリフと、委員長に耳打ちする幸助の行動。こいつらは目の前でなにをやっているのだろうと考えていると、囁かれた委員長の表情がきょとんとしたモノへと変わり、次に得心がいったという風に首が上下する。
それを見てから幸助が離れ、由紀に声をかけた。
「むなっちゃんて入浴剤とか好きだったよね?」
「まあ、それなりには」
入浴に面白さを加える品として、その日その日の気分で入浴剤を使うのが由紀の数少ない趣味の一つだった。温泉の元シリーズのカタログを開き、アレコレ吟味しながらネット通販で取り寄せるだけで休日を終わらせたことも何度かある。
「いやねー、実は委員長好きな人がいまして。その人も入浴剤とかが好きらしいんだよ。今日はその買い物でここに来たわけさ」
「……なるほど」
ここは主に婦人服を売るフロアになっているのだが、そういった入浴用品を取り揃えているコーナーも構えている。二人の目的地はそこなのだろう。
「一人だと何選んでいいか、悩んで決められなくなりそうって相談を委員長からされて、俺がついてきたわけだけど、ぶっちゃけ俺もその辺はさっぱりなんだわさ。よかったらむなっちゃん、手伝ってもらえないかな?」
言われて、返事に窮してしまう。
幸助の言う場所は近い。同じ階層だ。だがシロとの距離が定められた限界以上に離れてしまう。かといってシロを連れて幸助の前に出るのもマズい。
幸助以外の友人はいないことも、詳しい事情は伏せてだが、親戚間の仲が悪くて独り身なことも由紀は話してしまっている。シロとの間柄を説明できる方便が皆無なのだ。
なら水無月の血縁者にしてしまえばいいのではと考えるも、そうなると今度は水無月と由紀の繋がりを説明しなければならない。相手が相手だけに、たまたま話して意気投合して買い物にきた、なんて誤魔化しは通らないだろう。
「無理なら、いいんです……っ。私事ですし、宗方さんの都合がよければでいいのでっ」
「えー、でもいてくれると心強いよー?」
「いいですから、本当にいいですからっ」
考え込んでいる由紀にネガティブなものを感じて、断るための逃げ道を作ってくれたのか、それとも怖い物を遠ざけようとしているのかはわからないが、この流れはありがたい。
「オレも今は都合が悪くてな。すまないが二人でがんばってくれ」
心の中で手伝えないことに謝りを入れながら、由紀が済まなそうに頭を下げる。
「そっかぁ……むなっちゃんがそう言うなら、仕方ないね」
「埋め合わせは必ずする」
望むべき方向に転がっていくことに胸を撫で下ろす由紀に、幸助は言う。
「一つ聞くけど、そっちは何の用事でここにいるわけさ?」
溜めて、続ける。
「むなっちゃんは一人で服買ったりとかしないはずだし。でも何でかここにいる。……これはちょっとした不思議だと俺は思うわけデスヨ」
口調こそいつものとぼけた幸助なのだが、何か変だ。どこかこう、責めるようなニュアンスが言葉の端々に滲んでいる。
「なあ、なんでだ?」
ふいに委員長の方も見ると、彼女も顔を強張らせてこちらを見つめていた。手を手で握りしめる指の白さが、力の入り具合を雄弁に語っている。
豹変というほどの豹変でもない。幸助はただ疑問を投げているだけだし、委員長は元々緊張屋で怖がりだ。普段通りの二人だというのに、どこかにズレを感じる。
勘違い、だろうか。
何かと事が起きた後だ。疲労が作用しているせいだろうと、由紀は結論付けた。
「いつまでも幸助に頼りっぱなしなのもアレだからな。この歳で服一枚選べないなんて、恥ずかしいだろう。訓練しにきたんだよ」
「昨日も同じ様な店に行ったばっかなのに?」
「昨日行ったところとは違う」
やけに絡みついてくる幸助に、委員長も間から入り込む。
「橘くんと昨日、買い物に行ったんですか?」
「そうだが」
黙っていることでもないので素直に答えると、委員長の頬にヒビが入る。
そのヒビが走る理由も、幸助のわざとらしい 笑顔の裏側もわからない。わからないからこそ、胸騒ぎがして止まらない。
「言いたいことはそれだけか? ここで無駄話して時間潰してると、夕方が夜になるぞ」
本来の目的に戻れと話を持ち出すことで、この場を強引に由紀は切り上げることにした。
@
生活に必要な衣類の他にマグカップや茶碗などの雑貨も軽く購入すると、それなりの時間が経っていたらしい。デパートを出るころには、空は深い夜色に染まっていた。
冬特有の冷たい空気が、暖房で温められていた体を冷やし、ぶるりと震わせる。
「今日は本当に助かった。ありがとう、水無月」
長い間付き合ってくれた水無月にこうして礼を言うのは、何度目になるだろうか。水無月は小さくはにかみ、構わないという風に首を振る。
「私も久々の日常を満喫できて楽しかったです。最近は機関のお仕事が忙しくて、ずっとそちらばかりでしたので」
「……もしかして、全然学校に来ないんじゃなくて、来れなかったのか?」
「はい。二つ名持ちはあらゆる局面で必要とされますから、中々お休みがないんです。最も、前の戦いで消耗したこともあって、回復期間という名目で暫くは登校できそうですが」
消耗を抑えられなかった悔しさに布を噛めばいいのか、だからこそ休養を貰える嬉しさに手を上げればいいのか、複雑な心境だと水無月は苦笑する。
あの学校に通う全員が抱いていた謎の氷解と、それが絶対に明るみになる理由でないことに得心がいったと由紀が頷く。まさか世のルールを保つため、水無月が日夜戦い続けているとは誰も予想しないだろうし、そもそも知られてはならない。
「ただ久々過ぎて、授業に追いつくのが少しばかり大変ですね。出席の日数などはその、仕方ないと魔術で誤魔化させてもらっていますが、学業面はそういったずるをしたくはないです」
出席日数の足りなさと、それに比例しない教育指導不実行の謎も同時に判明する。
「……魔術師と学生の二足のわらじも大変だな」
「だからこうして、普通の女の子みたいなことができて楽しかったです。私こそ誘ってくださってありがとうございました、宗方先輩」
と、ここまでは良い笑顔だったのだが、聞こえてくる風切りの音が徐々に瞳を曇らせていき、毒たっぷりのため息を水無月に吐かせた。
「まあ、この駄犬の買い物、という点がなければ完璧だったのですけれどねー……」
「黙れ、囀るな、口を閉じて静止ししていろ。……と言いたいところだが、今の我は気分がいいから見逃してやる。運の良さに感謝するのだな」
拳を放ち、身を捻って蹴りを繰り出す、と思えばその勢いを殺さぬままに上げた足で一歩前へと踏み込み、体重の乗った掌底で空を叩く。その度に長い髪が跳ね返り、自身に浴びせられる街灯と月の光を散らせていく。
最初に買った服が動きやすさが、とても気に入ったらしい。シロはさっきからこの調子で体を動かしていた。だぼだぼの服はやはり大変だったのだろう。大層なはしゃぎ様なのだが、できれば人目を集めるからやめてほしい。警備員の人の視線で背中が痛い。
ちなみに寒いのは苦手のことなので、タートルネックとホットパンツの組み合わせに黒のニーソックスが追加されていた。上着は由紀から奪いっぱなしの白いコートである。
「夜になっていることですし、私はこの辺で失礼させて頂きます」
「いや待て、この後の予定がなければ夕飯でもどうだ」
付き合ってくれた礼もなしに帰せないと、由紀は引き留める。
「お気持ちだけ受け取らせて頂きます。そういう目的で引き受けたわけではないですから」
「金の心配でそう言ってるなら問題ない。奢ろう」
「だから怖いんです」
「……?」
怖いの意味が分からず、保護者である園部夫妻から渡された白銀のカードを財布へとしまいながら、食事の誘いを断られたことに由紀が肩を落とす。あまり使う機会がないため、使える額には凄く余裕があるのだが、残念だ。
「しかし、この礼は必ずさせてもらう。オレだけだったら、やり遂げれなかった」
「そこまで言うなら、そうですね。金銭的な物は気が引けてしまいますので、それ以外でお願いします」
「………………わかった」
「ごめんなさい、何か失礼なことを言ったでしょうか? とても、苦渋に満ちたお顔に見えるのですが……」
最大の武器を使うなと言われれば、それは渋い顔にもなる。
「お前みたいな良いヤツが、初めて会った……黎明機関、だったか? とにかく、そこの人間でよかったなって、そう思ってただけさ」
誤魔化しに手を振る由紀を深く追い込むことはせず、水無月は話の切り替えに乗る。
「見つけた私としては、どうしてシロさんと一緒にいるのかと驚愕していましたけどね」
「……追ってきたわけじゃないのか?」
追手があるとシロが語っていたので、てっきりそれ目的で現れたものだと思っていたが、完全に偶発的な遭遇だと水無月は言う。
「例え万全の状態でも危険な相手ですから、指示がない限りは突きたくはない藪です。弱体化していると判明していなければ、報告だけして他の者に任せていました」
「何にせよ、話の分かる水無月でこっちは助かった」
「私がここ一帯を治める機関を抑えるので、取り敢えずの問題は起きないでしょうが、犠牲はつきものだとする過激派の存在も否定できません。気を付けてください。……特にそこの焼き鳥屋の匂いに釣られている子犬さんは、自分から喧嘩を吹っ掛けるような真似はせず、じっと大人しくしていてくださいね」
「だだだ誰が意地汚く食い物の匂いに引かれているというのだっ?」
「お前だ」
目をきらきらと輝かせ、デパート前の並びにある小さな焼き鳥屋から顔をぐるんと振り向かせ、口元の涎を手の甲で拭いながら、シロが分かりやす過ぎる嘘をつく。
本人はこれで隠し通せたつもりなのか。胸を反り返らせ、まったく馬鹿馬鹿しいとポージングを取る。だが、ばっさばさと尻尾を揺らしているのだから説得力はゼロだ。鼻が小さくひくついているのは、匂いを嗅ぎ取っているからだろう。
「欲しいなら、何本か買っていくか?」
財布の余裕はあるのだ。そこまで露骨に気になると表現されてしまうと、声をかけないわけにはいかない気分にさせられるのだが、シロはぶんぶんと首を振る。
「いらぬ。別にあんな物、食わなくても死なぬ」
水無月の子犬発言がある手前、頷きたくても頷けないのが視線でわかる。こうして面と向かって話していても、時折ちらちらと例の方向を覗き見るのだから思わず苦笑が漏れる。
こうなってしまったら素直な本心が表に出ることは難しいだろう。勿体ない性格をしているなと、ため息をついて出しかけた財布をしまう。
「そういうならしかたない。……美味いんだがな、あそこの焼き鳥屋。たっぷりと絡められた甘く辛い醤油ダレも、肉の旨味を引き出す塩ダレもいい感じだし、しっかりと炭火で焼くからコンビニのとは全然違うし。匂いが引き立つんだよな、匂いが」
「ぐ、う、貴様……っ!?」
つーんと澄ましていたシロの表情に亀裂が走る。耳を強く塞ぎ、音の世界から遠ざかろうとしているのだが、何故そんなことをしているのだろう。
「ねぎまも、もも、はつも、しろも、全部美味いんだが特にレバーがいい。鮮度の良さが味に直結するものを、その日に仕込んでその日に調理してくれるからな」
「や、やめろおおぉぉ……やめてええぇぇ……っ!」
悶え苦しむシロの姿に理解を示せないと、由紀は首を傾げて、デパート前の壁時計に気づく。帰ると決めてから、大分遅くなってしまった。無駄話にこれ以上は使えない。
「重ね重ねになるが水無月、今日は助かった。また明日、学校で会えたら会おう」
「はい。また明日。学校で」
「えっ、待て待て。帰るだと?」
急速な状況の離脱動作にシロが耳から手を離し、驚きに声を上げる。
「何をぽかんと口を開けてるんだ。用事が終わったら帰るに決まっているだろ?」
「いや、だが、しかしだな……」
表を上げ、しかしすぐに下げる動作をシロは何度も繰り返す。口の中に切り出せなかった言葉をいっぱいに溜めて、吐き出すことも、かといって飲み込むこともできず、由紀と水無月を順々に弱った目で見つめる。
「どうした、シロ。言わないとわからないぞ」
語らなければ心の中身は他人に見えない。帰りに夕飯の材料を買って帰るが、果たして手持ちはどんな状況だったか。予算をオーバーすることはありえないが、一応確認だと、財布を再び取り出す由紀に他意はない。
コートのポケットから出した瞬間、シロの視線が一点に集中する。何か強い意識を抑え込もうとしているのだが、完全に討ち勝てていなかった。目を逸らそうとするも、離す事ができないのがその証拠である。
「う……うぅぅ……っ!」
違和感に気づきながらも正体を見破れない由紀は、気軽にシロへと声をかけた。
「ちなみに今日の夕飯は野菜中心で、味より栄養を取る内容になる予定だ」
それがシロの理性を崩壊させた。
「うきゃあーーーーーー!!!」
と、叫びながら由紀の財布をひったくるように奪い取り、そのままのテンションで焼き鳥屋へと走り出す。耳を澄まさなくてもオーダーを矢継ぎ早に飛ばすシロの声が聞こえてくる。差し詰め、限界まで張りつめていた風船を針で突いて割ったかのような暴走といったところか。あれでは相当の本数を買ってくるだろう。
「……先輩の鈍さにため息をつけばいいのか、これがあの魔狼フェンリルなのかと頭を抱えればいいのか」
注文した品で鉄板を制圧し、ご満悦そうにシロが尻尾を振る。水無月はこめかみに手を当て、由紀はそんな二人を交互に見て、やっぱりわからないと眉を顰めた。
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