Ⅲ
服装や髪形に対する美意識が欠落していると自覚したのは『試しに自分で選んでみる?』 と、母が我が子に提案したのがきっかけだった。
当時、小学四年生。そろそろ自我が形成されてくる時期。今まで買い与えられたものを、そのまま渡されて着るだけだった由紀にとって、初めての服選びである。無論そんな年頃の子供がまともに選べるわけがない。母にとってみれば、一種の遊びのような気持ちで言ったのだろう。
結果は悲惨なものだった。
『あなたが今、着ているものを参考にして選ぶことが何故、できなかったの?』と戸惑いながらコメントを残す母と、見るも無残な由紀の姿に苦笑する父。
このとき、子供心で由紀は悟った。自分はこういったもののセンスがない、と。
「つまりこういうことだ」
それは小学生から高校生へと成長した今でも、哀しいことに変わらない。
「……なるほど、理解できました」
由紀の選んだ服を試着して、更衣室から出てきたシロを見ながら、水無月がとんでもなく渋い顔で頷いた。
「着替えている途中で何となくわかっていたが……貴様、ネジが一本足りないのでは?」
ドピンクのブラウスと、強いレモン色のタイトスカート。着飾るためではなく、人の色彩感覚を破壊することが目的と言わんばかりの組み合わせに、思わずシロも引いている。
しかもそれを肌も髪も白い彼女が着ているのだから、全体が明るすぎて滲んでしまう。吐き出される毒舌に反論できるはずもなく、由紀はただ受け止めるしかなかった。
授業をやり終えて迎えた放課後。約束通り付き合ってくれることになった水無月を連れて、学校近くにある駅前のデパート、その婦人服売り場に由紀達は訪れていた。
目的はもちろんシロの服を購入することである。さすがにだぼだぼジャージのままでは、だらしがないし、これからを考えれば寝間着や下着も必要になる。
だがここで問題となってくるのが、由紀のそういった服装への感覚だ。まず確実に一人でやるのは無茶を超えて無謀である。かといって実力未知数のシロに任せるのも怪しいし、シロの事情を教えられない幸助に頼むこともできない。
そこでその二つをクリアできる水無月の登場というわけである。
「突然の申し出に疑問を抱えていましたが、蓋を開けてみれば納得の理由です。言い方が悪くなってしまいますが、確かに助けが必要ですね」
「すまない。もうどうしようもないんだ」
悪いことはわかっている。美意識が欠けているのにも理解ができる。しかし由紀の中ではこれは『アリ』という判定が出ているのだ。ある種の病気なのだろう。
「私も得意と言い切れる自信はありませんが、ご期待に沿えるよう努力してみます」
胸元に手を当てて引き受けてくれる水無月の頼もしさが眩しい。
「では見繕ってきますので、少々お待ちください」
「急ぎ事でもない。ゆっくりでいいからな」
わかりましたと言って、売り場の一角へと水無月は消えていった。
「次はまともなのが来ると期待したいところだが……大丈夫なのだろうか」
更衣室のカーテンから顔だけを覗かせ、シロが心配そうに呟く。今は隠遁の術を耳と尻尾だけに適応しているらしく、それ以外は視認が可能な状態らしい。掻い摘んで言うと、他人からは普通の人間に見えているとのことだ。
「多分、平気だろ」
「多分? 今多分と言ったな? 確証なしであの小娘を呼んだということだな?」
「私服姿を見たことはないからな。保証はできない」
鷹津高校は服装の自由が許されているのだが、水無月は学生服派であるらしく、私服で登校したことは全くないらしい。実際、何度か由紀が見かけたときも全て学校指定のセーラー服であったのを覚えている。
故に今回の服選びについてどの程度、信頼を置いていいかはわからないのだ。そんな相手を呼んだことに、シロは口を開いて呆れと驚きの混ざった声を上げる。
「要するにこういうことか。我はまた外れくじを押し付けられる可能性があると。そういう相手に貴様は助力を乞うた可能性があると」
「有体に言えば、そうなる」
「ふ、ざ、け、る、な、よ。博打は巻き込まないでやってもらおうか」
一字一句、力を込めて怒りを露わにするシロに、由紀は冷静に返した。
「なら逆に考えてみろ。オレ以上に変な服を選ぶ人間が、この世にいると思うか?」
「……………………いや、いない。いて堪るものか」
「だろう?」
「最底辺を体験したのなら、後は上がっていくだけというわけか。確かに貴様のような壊滅的なセンスの人間が、ピンポイントで二人も集うはずがない。うむ、期待は別になるが、安心はできそうだ」
「だろう?」
最底辺、壊滅的なセンス。二つの言葉が胸を突き刺し、生み出す痛みに耐えながら由紀が渇いた笑みでシロの意見に同調する。欠点があることを理解はしているが、それが気にしていないこととイコールを引かれているわけではない。
「ファッション誌、買って帰るか……」
どうせ見ても一切身につかないことを経験則から知りながらも、また本棚に新しい雑誌を増やすことを決めた瞬間だった。
「お待たせしました。シロさんのサイズが中々見つからなくて、手間取ってしまいました」
そうこうしている内に時間が程よく潰れたらしく、水無月が戻ってくる。手にはグレーのタートルネックと、紺色のホットパンツがかけられたハンガーがあった。由紀の視線に気づいてか、二つの上下を合わせて見せる。
「大人しい感じではなく、元気な方向で。でも冬ですから落ち着いた色合いにしてみたのですけど、どうでしょうか?」
「……オレに聞いても悪くないとしか、返せないんだが」
「あ、あはは……」
上手いフォローが浮かばないらしく、水無月は困ったような笑顔を浮かべながら、持ってきた品をシロへと手渡した。
「小娘、正直言って貴様のことは気に食わないが、今だけは信じよう。裏切るなよ」
そう言って顔も更衣室の中へと引っ込め、シロが視界から見えなくなる。こうなると試着が終わり、カーテンが開かれるまでやることがない。
「次は、上手くいくといい……ですね?」
「あ、ああ」
水無月の言葉に、硬い声音で由紀が返して、それっきり会話が止まる。
非常に気まずい空間が、ここにはあった。
相手とは知り合ったばかりで、尚且つ下級生だ。どう話題を振ればいいのかが、さっぱりとわからない。授業の話や、テレビのネタ、漫画のネタなど、幸助相手になら気軽に投げかけられるのに、水無月相手だとそうではなくなる。
緊張で中々、言葉を切り出せない。
並んで立つ、その横顔をちらりと盗み見て、余計に口の中が苦くなった。
空気の気まずさを感じているのは水無月も同じなのか、どこか表情が硬い。時たま視線を投げかけてくるのが、発声までは至らない。場の重さを改善したいのに、方法がわからないから身動きが取れないのだろう。時折聞こえる咳払いが、鼓膜を悪戯に震わせる。
どう考えても年上である由紀が、一歩目を踏み出すべき場面だ。
先輩と敬ってくれる後輩に応えなくてどうするのだ。
天気の話、気温の話と会話に置けるポピュラーな切り出し方を頭の中で巡らせ、しかし違うと否定しながら、咄嗟に降って湧いてきた最適な話題を由紀は咄嗟に口走った。
「そういえば、今日は付き合ってくれてありがとう。水無月も色々と忙しいだろうに」
完璧な切っ掛け作りであると、水無月に見えないようにガッツポーズをする。
服選びを助けてくれたお礼をしながら、相手への思いやりを示す。会話はキャッチボールというが、このスローボールならば水無月もキャッチしやすいだろう。
そもそもだ。シロのことなどで気がつかなかったが、水無月は由紀に怖がる素振りなく話しかけてくれている。これは貴重なことであり、念願の幸助以外の知り合いを増やすチャンスに他ならない。
相手が学園の妖精というのが少々高嶺の花だが、怖気づいていられない。なんとしてでもモノにするべく、どんな玉が投げ返されても言いように、由紀は静かに構えた。
「え……? あ、ごめんなさい。何か言いましたか?」
ぽすんと、水無月を通り越して、芝生へと落ちる白球の音が聞こえた。
「気にするな。大したことじゃない……」
渾身の投球が空振りに終わった事実が、鳩尾を深く強く殴りつける。出鼻を挫かれてはどうしようもない。幸助ならちゃんと聞けと、小突けるのだが水無月には無理だ。
もはや貝のように口を塞ぎ、シロが出て来るのを待つしかないと諦めていたときだった。
「……突然ですが、先輩」
おずおずと言葉の節々を濁らせながら、水無月が自信なく由紀を見上げる。
「あの日のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「……あの日、とは」
冷や汗が止まらなかった。地雷原を駆け抜ける心境で、オウム返しで尋ねた。
「まだ桜が咲く四月の初め、宗方先輩から話しかけてくれたあの日です」
「あ、いや、待て。思い出す。四月の初めだよな。……何? オレから話しかけた?」
言いながら必死で記憶の海をバタフライで泳ぎ始める。相手が覚えていて、自分が忘れているというこの状況は、非常に心象を損ねる流れだ。
なんとしても探り当てねばならないと、脳裏を掘り返すも見つからない。水無月のような華やかな相手と話している記憶なら、強く残っているはずだ。
時間が経つにつれて背筋に嫌な寒気が走り出す。落ち着け、こういうときは順序を辿ってみるものだが、範囲が広すぎる。四月、自分はどこで何をしていたのか。水無月と出会ったというのは、いつなのだ。唸り声を上げながら、ひたすら検索に検索を続けて、
「……すまない、思い出せない」
風船の空気が抜けるような、あまりに情けなくか細い声音だったのだろう。水無月は背中を軽く曲げ、顔を由紀から見えないようにと反らしているが、忍び笑いを抑えきれていない。息を押し込めるも堪らず噴き出してしまう、といった感じで肩を震わせていた。
「む、宗方先輩が……そんな、そんな変な声を出すのはひ、卑怯です……っ」
「そんなに、おかしい声だったか……?」
「ですね、とても……く、くふ……ふふ……っ」
ツボにはまったのか、中々平常時に戻ってきてくれない。あの水無月のレアなシーンを間近で見られるのはいいのだが、ここまでネタにされて何か思う所がないわけではない。
少し逆襲させてもらうとしよう。
「それを言ったらオレだって意外だ。お前もそんな風に笑うことがあるんだな」
「それこそ、ですよ。私も人間です。笑ったり、泣いたりします」
眼元に滲む涙を指で拭う水無月の目を、正面から見つめ返す。
「本当にか? 少なくとも、学校での水無月は違うだろ?」
取り巻きに囲まれ、四方から飛んでくる言葉に対応するときの、水無月の表情が脳裏に浮ぶ。笑顔は笑顔なのだか、ここにある本物と比べれば作り物であることは明白だ。柔らかさが違う、温度が違う、何より声のトーンが違う。
「私は影に生きる者ですから。日の当たる皆さんとは、違う存在です。深いところまで手を伸ばされても、払わなければならないと考えてしまい、自然と壁ができてしまうのです」
「じゃあ、オレがこうしてお前と会話できるのは、その壁を越えて、影に足を踏み入れたおかげというわけだ。シロに感謝しておかないとな」
「……嬉しがるところではないと思いますよ?」
不用意に取れる由紀のセリフを、水無月が嗜めるように口調をやや強める。
黎明機関は常識の維持が目的だと、シロは説明してくれた。ならそこに所属している水無月に取って、自ら理の外へ向かう人間が好ましいはずがない。
完璧な誘導が行えたと自分で自分を褒めながら、爆弾の投下準備に移る。今度は外さない。受け取られなくても足元で爆ぜる特別製だ。
「嬉しがるところだろ。何せ、水無月の本物の笑顔を見ることができた」
一拍空けてから、言葉にこれでもかと感情を込めて言い放った。
「可愛かったぞ」
前振りこそ長かったものの、心からの率直な感想に水無月が凍りついた。
まず表情がフラットになる。次に瞬きが止まる。見開いた目が由紀をたっぷりと三秒ほど映してから、音もなく首を下へと曲げていく。
「……」
沈黙の数秒間。反応の無さに由紀も固まる。さすがに臭かっただろうか。それか、この手の冗談が許せないタイプだったのだろうか。挽回の為の最善手を模索し始める。
「やめて、ください」
ぽそりと、これまた感情のない声で呟くのだから、後悔が沸き上がる。下手を踏んだかと生唾を飲み込み、そこでようやく水無月の耳が朱に染まっていることに気づいた。
「そんなことを言われたら私、どんな顔をすればいいか……わからなくなります」
「……もしかして、照れてるのか?」
「照れていません」
完全に声が上擦っていた。
「魔術は心を具現化するものです。故に魔術師は自己の制御が得意でなければなりません」
自身に聞かせるように言うほど、照れていると叫んでいることに気づいていなかった。
「なら顔上げられるよな。こっち向いてみろ」
「だめです。今は、だめです」
「澄ましていないほうが、話し易くて助かる。オレはそういうお前のほうが好ましい」
「………………」
悪乗りした一言が、水無月を完全な石像へと変えてしまった。うんともすんとも言わないまま、俯き拳を握って動かない。必死に心のエラー処理を行っているのだろう。
こうしていると水無月は可愛いと褒められ慣れていない、普通の女の子でしかなくて。
「ざまあないのう。口説かれて顔を赤くするなど、やはり小娘ではないか」
にゅうっと、カーテンを音もなく開け、シロが水無月の顔を覗きこむ。
「ふぇ、ふぇんり……っ」
あわあわといきなりの登場に慌てふためく水無月の口を、シロの人差し指が塞いだ。
「おっと、ストップだ。甚だ不本意であるが、今の我はシロだ。間違えるでない」
「……っ。わかって、います」
宿敵の前では隙を晒したくはないのだろう。ぐらついていた心の水平を水無月は保つべく、表情から正し始める。にやけ気味だった口元が引き締まり、持ち上がっていた頬の肉が定位置へと下がっていく。
「しかし意外だ。まさかこんなヤツが貴様の趣味とはなぁ?」
そしてシロの一言で、全てがどかんを爆ぜてしまう。
「ちちちちちち違います! 違わないけど、違います! それ以上、不埒な発言をするなら今すぐここで屋上の続きを始めますよいいですか、いいんですね!?」
「我は構わんぞ。今の貴様なら軽く捻れそうだ」
「やめないか、特にシロ」
言い合うだけなら仲裁は入れないが、死体蹴りとなれば別問題である。これ以上はさすがに可愛そうだ。クールな雰囲気が跡形もなくぶち壊れ、なんていうかもう哀れだ。
「第一、水無月がオレに気があるわけがないだろう。相手を考えろ、相手を」
しかし言いながら、そういうことかと由紀は内心で納得していた。シロに対して一つ、魔術も人狼も関係のない部分で違和感があったのが、今になって理解した。
だが自分から言い出すのもどこか間抜けなので、黙っているとしよう。
「そうであったな。貴様のような根暗な男に好意を寄せる女がいるはずがないか。済まなかった、謝罪しよう。小娘は小僧のことなど、これっぽっちも思っていない。違いないな?」
ここまで皮肉な謝罪を聞いたのは生まれて初めてだった。水無月司は宗方由紀のことが好きであると、言外に忍ばせているのが気にかかるが、深く触れるのはよそう。これ以上は水無月の精神崩壊に関わる。
実力行使の尻尾モフりで黙らせられれば早いのだが、もし店内で叫ばれでもしたら他の人に迷惑がかかることを考えると、行動には移しにくいので話術で対処するしかない。せっかく更衣室からシロが出てきたのだから、話の流れをそちらに変えることで、水無月から意識を逸らさせる。
「今度のはどうだ。着心地とかに違和感はないか?」
改めてシロは自身を見直す。
グレーのタートルネックは無駄な肉が一切ないシロの体を綺麗に縁取り、ホットパンツからすらりと伸びる足が健康的な色気を醸している。色合いも由紀の選んだ服とは違い、着る人の雰囲気を壊さず、白い髪を印象付ける働きをしていた。
「悪くないと思うんだが。シロに似合ってるとオレは思うぞ」
「どピンクを持ってきた貴様の意見など、当てにはならんが……ふむ」
その場で屈伸、次に腕を上へ伸ばしてぐるりと回し、最後に空に向けてジャブを見舞う。
「確かに悪くない。見た目もそうだが、動きやすさが気に入った。ここだけは褒めてやろう。いい仕事をしたな、小娘」
話の外に置いた水無月をわざわざつつきに行く辺り、本当は好きなのではないだろうか。
「……犬が服を着る滑稽さですよ」
豪快不遜な態度のシロに、負けじと悪態をつく水無月だが、声に力がこもっていない。度重なるいじりで削れきってしまったのであろう。その原因が自分であると自覚しているだけに、由紀が躊躇いがちに肩を叩く。
「水無月。今後の生活も考えると、あと二着欲しい」
「え?」
展開を先読みした水無月の引き攣った顔に、胸が締め付けられる。卑怯者だと、頼み込めば断れない水無月の優しさを利用する自らを内心で罵る。
「そっちの方も選んでもらえないか?」
「えぇ?」
「頼む」
消耗しきった兵隊を足止め目的で死地へ突っ込ませる司令官とは、こういう気持ちなのだろう。罪悪感と後悔の渦で目も合わせられない。
葛藤に揉まれながらも、ぐぬぬと口を結びながらも、最終的にこくんと頷いてくれた彼女の決意に、思わず敬礼しそうになってしまった。
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