「黎明機関。それがあの小娘の所属している集団の名前だ」


 鷹津高校東棟。指定された屋上への移動中、シロがおもむろに話し出した。


「掲げる目的は一つ。常識の維持だ。彼らは表側に、裏側が関わることを好ましく思わない。既に形成された光景を、魔術や我のような人外で汚すことを良しとしない。所属人数は万単位。世に存在する最高の魔術機関だ」


 授業中。お喋りなシロが黙っていたところを見て、状況が悪いことの察しはついていた。これから下手を打てない事態が始まるのだと、何となく理解もしている。


「故に彼らは機関に所属しない異物に対して、攻撃的な態度を取る。特に我のように力を持つ存在の放逐を認めはしない。追い詰めて、排除か従属をさせるまで諦めない」


 立ち入り禁止と張り紙のされたテープを跨ぎ、四階から屋上へと続く階段を上り始める。長い間、誰も入らなかったのだろう。一歩、段を踏みしめるごとに埃で足跡ができた。


 そして由紀達以外の足跡が一つ、既にできているのも見つけた。


「しかし策はある。対抗手段は備えてある。……備えてあるが」


 分厚い鉄扉に鍵も、錠前もついていなかった。ノブを回して引けば簡単に開くだろう。


「……我を軽蔑するがいい。貴様にはその権利がある。……話すことは以上だ」


 神妙な面持ちで扉を開こうとするシロの手を、由紀が掴んで遮る。


「なら今度はこっちの番だ。お前、オレに何か隠し事があるんだな?」

「……そうだ」

「自分を軽蔑しろっていうのは、その隠し事が理由なんだな?」

「……この後、すぐにわかるであろう」


 歯切れの悪い返事で、シロは肯定していく。


「なら最後だ。オレを暴力で屈服させない理由は、ウソだったのか?」


 だが、この問いかけだけには、すぐに言葉が返ってはこなかった。イエスとも、ノーとも発しない。しかし、そのことこそが答えを示している。


 シロは尻尾を触っても怒るだけで、拳を振り上げたりしなかった。学校という、由紀の日常にも付き合ってくれた。まだ短い時間しか経っていないが、彼女は誠実だ。


「お前が善意だけでオレを助けてくれた、なんて思ってない。そこに何かがあることくらい、当然だと考えている」


 ぴくりと、不愉快な部分に指を這わされたのかのように、シロの耳が微かに跳ねた。


「だけどオレはシロを信じる。欺くなら欺け、オレはお前に最後までついていく」


 この命は文字通りシロのものだ。何もかもが判断し難いこの状況下であっても選ばなければならないのであれば、シロの手を取る。この胸で鼓動を刻む心臓を信じる。


 掴んでいたシロの手を離して、由紀がドアノブを握る。


「……我はとんだ戯け者を助けてしまったようだな。あのまま見殺せばよかった」


 力のない憎まれ口に、由紀は軽口で返した。


「後の祭りだ。次は気を付けるんだな」


 そうして扉を開き、潜った先にあったのは黒に犯された空だった。


「これも魔術か……?」


 よく見るとすっぽりと膜のようなもので、屋上を覆っているのがわかる。空自体が変色しているのではなく、コレが黒いから勘違いしてしまったのだろう。随所に金色の象形文字が張り付いており、ぼんやりと妖しく光を放っている。


「先輩の推察通りです。他に支障がでないよう、結界を張らせてもらいました。ここでのことは外に伝わらないようにしています」


 異様な空間と化した屋上の中ほど、既にそこにいた水無月が由紀の呟きを拾う。その声音は冷たい。教室のときはもっと暖かさが、柔らかさがあったのに全て消えていた。


可憐な顔立ちは敵意に染まり、険しい目付きで由紀達を見据える。


「数日振り、だったかな? いやはや、もよやこのような出会いが再びあるとは思わなかったぞ、魔術師。あの夜の日の傷は十分に癒えたかな?」


「……お前ら、顔見知りなのか?」


 由紀の一歩前、水無月との間に入り込みながら語るシロの言葉には、皮肉な親しみがこめられていた。険悪な仲なのは察しがつくが、初対面のソレではない。


「少し前にこの地の黎明がちょっかいを出してきてな。教育的指導をしに支部を一つ、叩き壊しにいったときに鉢合わせたのよ。無論我の圧勝であったがな。小細工ばかり弄して大したことのないド三流の魔術師というのが、その娘の正体だ」


「随分と鼻に突く言葉が好きだよな、お前も」


 なら、水無月も、シロと同じ世界の人間。自分とは違う境界線の向こうにあった存在。


「再会は望んでいましたが、こんなにも早くになるとは思っていませんでした。魔狼様は相も変わらず、子供のように気だけは大きいようで」


 投げられた挑発に水無月は受けて立つ。肌を泡立たせるような一触即発な空間に彼女の声はよく響き渡る。雰囲気に呑まれそうに己を必死に失うまいと由紀は強く自分を保つ。


「百を超える狼を子供とのたまうか、貴様の目は随分と出来が悪いのだな?」

「は?」


 ただ、そんな異質な空気の中で聞き逃せないことが飛び出してきたことに気が逸れる。


 シロの小さな小さな全身を見る。百四十あるかないか、といったところか。喋り方からして年若いといった印象はなかったが、それでも三ケタの数字ともなると話はべつだ。


「はあ?」

「何だ貴様、二回も呆れたな。一回目はセリフで二回目は身長を見てから呆れたな? 我は人狼で、魔狼だぞ。人の寿命などというものに当てはめないでもらおうか」


「いやでも、こんなに小さいのに百歳」

「正確にはそれ以上だが……それを言われると何も言い返せないではないか、戯け」


 急所を突かれたとシロが口を苦くする。

 人間中身が大事、とは言うがやはりイメージを作るのは外見だ。こんなにも小さいシロが年上だと知っても、大人として扱うにはギャップが邪魔で出来そうにない。


「大体よくこの空間で口を開けるな。貴様からしてみれば我らこそ異物だが、今は非常識こそ常識の世界であり、常識世界に属する貴様こそ異物なのだぞ?」


 魔術を使える人間と人狼がいて、結界で外に情報が漏れない状態。確かに今この場においては、ただの人間である由紀こそ異物である。


「そうだが、慌てても仕方ないしな。水無月が本題を切り出すまでは別に構わないだろ?」


 言ってから目で水無月の様子を探る。言葉での小競り合いはあっても、呼び出した目的については語りも動きもしない。何か思案しているのか、先ほどとは違って顔が俯き、前髪で目が隠れている。雰囲気こそ変わらないが、やはり仕掛けてくる気配はない。

 こうなると呼ばれたことに対して問い質す必要が出てきそうだ。


「時間の浪費は罪だぞ小娘。何かがあったからこそ、呼び出したのだろう。沈黙は認めぬ」


シロも同感らしく、話を切り出さない水無月に催促をかけるべく一歩踏み出して、


「――よかった。本当に何もないのですね。これなら今の私でも制圧できます」


 水無月が動いた。下げていた右手を胸の高さまで持ち上げ、力強く虚空を薙ぐ。


 軋む空間の音が鳴り響く。一歩前に出たシロの前後左右の床に、幾重にも三角や四角を重ねて丸で括った図形が浮かび上がる。その如何にも魔法陣といった感じの円から、鋼の剣を手にした中世の騎士甲冑達が現世へと湧き上がること計四体。


 全長二メートル弱の騎士たちが、無言で一斉にシロへと斬りかかった。

現れてから攻撃に移るまで一秒もかかっていない。唐突な出現からの迅速な包囲と、攻撃への移行に由紀は声を上げる事すらできずにいたが、シロは違った。


「無駄だ」


 まず正面に一歩踏み出し、目の前の一体へ拳を叩き込む。大きさから計って、重さも相当あるはずだ。しかしシロが殴り、騎士を紙のように空へと飛ばす。舞い上がる鋼が弧を描き、強烈な破壊音を立てて床へと落下して二度、三度と跳ね転がる。


「何体出てこようが――」


 数が減り、出来上がった包囲の穴から脱出。三本の白刃が追うも速度が足りず空振り、床を砕く不様をしり目に、シロはそのまま手近な一体に近づき胴体へ蹴りを浴びせる。


「この程度の木偶では我に届かぬ!」


 細い脚、柔らかな皮膚、それが鉄で出来た胴を拉げさせる光景に、由紀は理解が追いつかない。ただ目の前の常識外に圧倒されていた。


 残り二体、一瞬で半数になった騎士たちは退かない。風を切り裂き、敵へと迫る剣筋は背筋が凍るほどに速いが、シロはそれの上を行く。数度、足さばきだけで攻撃をやり過ごしてからタイミングを計り、後方の振り下ろしに掬い上げるようなアッパーを合わせる。


 手首を弾き上げ、剣ごと籠手を弾き飛ばして無力化させてから、最後の一体が叩き下ろす剣を拳で出迎える。


「バカ……っ!!」


 刃物を受け止める、しかも素手で。考えられない行動に、思わず由紀の顔が歪むが次の瞬間、砕け散る剣を見てすぐさま驚きに染められた。


 武器がなくなったことに動揺する素振りなく、打撃での攻撃に騎士がシフトする。ガントレットでの一撃が繰り出されるも、ふんと鼻を鳴らしながシロは受け流す。反撃に放つ力任せの蹴りが、胴体を粉々に破砕した。


 ぱらぱらとコンクリートを打つ鉄片。砕かれた胴から覗くのは人ではなく、虚空の暗闇。使い手無き武具たちはそこで死んだかのように止まった。


「誰が馬鹿だと?」


 そう堂々と言い張り、耳と尻尾を逆立てるシロに由紀は生唾を飲む。


 魔狼の名前は伊達ではないということか。弱体化しているというのならば、本気はどれだけの化け物になるのだろう。


「貴様の持ち駒……ブレイズだったか、やはり脆いな。軍隊での制圧行動というのは強味であろうが、絶対なる一の前では塵も同然だ」


 状況から見て、騎士達を呼び出したのは水無月で、操っていたのも彼女だろう。それがこうまで破壊されたわけなのだが、敵意は萎えていない。逆に微笑みすら浮かべている。


「今の貴方がそんなことを言うんですね、フェンリル」


 底の見えない余裕の保ち方が、不安を呼び起こす。


「減らず口を。我は慈悲深い、大人しく地に頭を擦り付けるなら命だけは見逃してやるぞ」


「お優しいですね。私なら敵は殲滅します。情けなどかけません。確実に殺します」


 再び魔法陣が床に描かれる。その数は十二。先ほどの三倍。シロと水無月の間に騎士たちが姿をもう一度、顕現する。


「先輩には、まだ正式に名乗らせて頂いていませんでしたね」


 規則正しく列を成す騎士たちが左右に別れ、水無月の姿を由紀達に示す。


「黎明機関執行部隊第十七位『魔術師の為の軍勢ブレイズ・ワン』水無月司。これが私の力の証明です」


「ブレイズ、ワン……」


 呟く声に然り、然りと騎士たちは剣を抜き、己の心臓の前にて掲げる。


「言葉の通り、手前味噌になってしまいますが、世界で十七番目の魔術師というのが私の本当です。得意とする魔術は無機物の操作、及び錬成。個で軍となる魔術師、集団殲滅戦のエキスパート、呼び方は人様々ですね」


 シロではなく、水無月が由紀の疑問に答える。


 制服のスカートを摘み、礼をする姿は戦場には場違いなほどに丁重で、彼女の自信がよく伝わってくる。それだけに、由紀の中に疑念が芽生えた。


 展開された騎士の数は、第一波よりも多い。戦いは数の勝負というが、それでもあそこまで圧倒できたシロならば、いくら揃えてきても同じ結果を辿るのではないのだろうか。


 ちらりとシロへ視線を向ける。敵は既に現れている。喧嘩も既に吹っ掛けられている。


 なのに彼女は動かない。


「シロ……?」

「無理なのですよ。今のフェンリルではアレが限界です」


 びくりと、尻尾が揺らめいた。


「酷い有様ですね。魔力の胎動がまるで感じられない。抜け殻同然です。もう一度あの動きができるほど、燃料が身に詰まってはいないのでしょう?」


「お見通し、か」


 隠すことは無駄と悟ってか、シロが自嘲気味に笑う。


「じっくり観察させてもらいましたから。無駄なお喋りしていてくれて助かりました。私自らが時間を稼ぐために、汚らわしい人外と言葉を交わす必要がなくてよかったです」

「人間らしい排他的な言葉だ。同類を善しとし、異類を悪とする」

「それは貴方も同じでしょう、駄犬さん?」

「――我を駄犬と呼んだな」


 ぎりっと、歯の軋むほどの屈辱を受けても、シロは動かなかった。水無月の弁を借りるなら、そうしたくとも出来ないのだろう。魔力を生み出し、貯蔵する源の心臓は今、彼女の身体にはないのだから。


「だからこそ許せない。だからこそ理解できない。貴方の魔力、吐き気がするほど濃厚な力が、何故先輩から感じられるのか。答えてもらいましょうか、フェンリル」


 主導権は誰が握っているのか、水無月は明確に理解していた。応えなければ即座に斬り捨てると、騎士達にいつでも合図を送れるように腕を上げる。


「人に教えをこう態度ではないな」

「生殺与奪は私にあります。貴方との戦いで、手持ちの騎士達を九割九分失い、残っているのはたったこれだけですが……現状ではこれで十分な戦力です」


 追い詰められているのが、素人の由紀でもわかった。シロの意図も大方、察することができる。最初に全力を出したのは威嚇だ。敵に自身を大きく見せようとしての行動だったのだろう。だが看破され、手札は全て尽きてしまった。


 完全に場を掌握された状況で、それでもシロは偉そうな口調を崩すことなく言った。


「いいのか、我を殺せば後ろの人間も道連れだぞ?」


 微かに、本当に見間違いかと思ってしまうほど微かだが、冷静に事を運んでいた水無月がシロの言葉に肩を震わせた。


「人質ですか。しかし、貴方が先輩を殺すよりも先に、私が貴方を殺して防ぎます」

「正しく言葉を理解しろ。我を殺せば、と言ったのだ。今の我はこの人間と魔術的に繋がっている」


 目を細め、水無月はシロと由紀を順に見つめた。魔力の波動とやらを観測できるなら、繋がりとやらも視認することができるのだろう。


「……続けなさい」


 ブラフではなく事実だと理解して、シロに続きを促す。


「昨晩、死にかけのこやつを見つけてな。我の心臓を使って生き返らせた。我を殺せば心臓を楔にしている術も消えて、元の死体に戻るということだ」

「――なんて、ことを」


 絶句する水無月。助けたことの真意を理解する由紀。事前に軽蔑する権利があると言ったシロの言葉が蘇る。少し考えればわかりそうなことだ。由紀はシロから離れられないのは制限ではない。一方的に埋め込まれた爆弾だ。


「黎明機関は正義の味方。魔術と人外による日常の浸食の阻止、つまりは人間を守るのが行動目的だ。その人間を貴様は見捨てられるかな?」

「さすが犬畜生ですね。家畜に道徳はないようで」


 今度は水無月が唸る番だった。一度目の強襲でシロだけを狙った事が、由紀を敵として見ていないことを証明している。人質としての機能は狙い通りに稼働しているのだ。


「効果的であれば何でも使う。貴様らはしつこいからな、逃げるのではなく手を出せない状況を作らせてもらっただけのことだ」


 人を駒として扱い、自分が生き延びる最善手を打ったのだと、シロは憎たらしく語る。


 悪者は自分だと、敵は己一人だけだとわざと誘導するかのような言葉選びだと思った。


 シロは場のコントロールに必死だ。生死がかかっているのだから自分の不用意な発言で、乱す分けにはいかない。だから一歩、由紀はシロとの距離を縮めてつま先で尻尾に触れた。

 そんなことかと。信じると言った言葉は未だ健在だと。


「……触るでない、戯けめ」


 振り向かずにぽそりと呟き、シロが尻尾でべちりと由紀の脛を叩き返した。


「要求は一つ。お互いの不干渉だ。我は貴様らに害を加えず、貴様ら黎明機関も我らに害を及ぼさない。これだけを望む」


 提示された条件を前に、水無月はたっぷりと時間を使ってから俯き気味の顔を上げた。


「その言葉がウソでないことを信じられると思いますか?」

「なら好きにするがいい。出来上がる死体の数は二つになるだけだ」


 互いに手は打ち合ったのだろう。シロの隠し札も切られた。後は判断が下されるのみ。


 水無月は悔しそうに口元をきゅっと引き結ぶ。考えのまとまらないことが、硬く作られた握り拳で伝わってくる。弱体化したといえど危険な存在を放っておいていいのか、不干渉が本当ならばソレは、相手を無効化したのと同意義ではないのか。


 様々な考えが彼女の中で渦巻いているのだろう。

 数十秒ほど流れてから、水無月が決める。


「――信用、できません」


 騎士たちが即座に戦闘態勢を取る。胸の前で保持し、天に向けていた切っ先をシロへと向けさせながら、水無月が苦しげに言葉を吐く。


「貴方はフェンリルだ。危険分子は取り除かなければならない」

「見捨てるのか」

「私は黎明の魔術師です。貴方でなくとも、先輩の生命維持ぐらいやってみせます」

「不可能だ。魔狼の心臓を用いてギリギリなのだぞ」

「それでもっ!」


 声を荒げる水無月が、手を振り上げて騎士達に攻撃の命令を下す。


「私は人でない者の言葉を信用できない。信じろと言った口で、人を食む貴方達を……っ」


 突撃を開始する騎士団。その先頭がシロへと迫る。対抗手段はあるのか、このままでは水無月の行動が通ってしまう。それだけはよくないはずだ、何か切る札があるはずだ。


 由紀は何もできない。人の枠の中にいる者が、この場で出来ることなどない。


 しかし、それでも。


「――」


 振り返ったシロの表情が、あまりに弱々しくて。震える瞳は泣きそうな子供のようで。


 そんなのを見てしまったら、動くしかなかった。

 

腕を目いっぱいに伸ばし、シロを強引に抱き寄せ、由紀は身を騎士たちの剣に晒す。


 後のことなんて考えてなどいない。痛みに備えるべく、歯を食いしばる中で、悲鳴にも近い叫び声が耳朶を撃った。


「ダメ、止まりなさい……ッ!」


 水無月の号令で、喉元から下へと切り抜けるはずだった剣が、カーディガンを薄く裂く。皮膚までは至らず、といったところで止まった。


「……えっ?」


 シロはというと状況が把握できないのか、腕の中で目を丸くし、ぺたぺたと手のひらで由紀の顔を触ってから、まだここがあの世でないことを理解して暴れ出す。


「は、離せ貴様何を抱きしめておるのだー! やめろー! 今変なところ触ったぞこやつこんなときに何を不埒なことをしているのだ戯け者めー!!」

「痛い、シロ痛い」


 あまりにも暴れるものなので、即座にリリースする。コメカミを引き攣らせながら、由紀に向かって低く吠える。そしてくるりと体を背けて、風に消えそうなくらい小さく呟く。


「……何故、助けた。貴様自殺願望でもあったのか」


 答えに詰まる。反射的な行動故に、上手く説明できるような言葉が思いつかないのだ。アレコレを考えている内に、騎士たちが半歩ほど下がり、水無月の問いかけが聞こえた。


「そうです、どうしてそんなのを庇うのですか……?」


 信じられないようなものを見る眼つきを水無月は由紀に向ける。


「お前がシロを嫌ってることも、オレ達人間の味方であるのもよくわかった」


 打算があったわけじゃない。けれど由紀はこうして生きている。水無月が止めてくれたおかげで、服が少し切れた程度で怪我一つない。彼女の善意を逆手に取るようなことをしてしまったことに心が痛むが、シロを守るためには利用しなければならない。


「だからその人間であるオレが信じてると決めたシロを、信じてはくれないか」


 無力な由紀は頼み込むことしかできない。シロを背後にして、水無月に言葉を投げる。


「……先輩はソレが過去に何をしたのか、その手が如何に汚れているか知らないから言えるのです。魔狼フェンリルの歴史を紐解けば、きっと同じことはできなくなる」


 それは暗に人を殺したことがある、ということなのだろう。


「だとしても、シロはオレを力で従わせようとしなかった。一度もだ」

「それが先輩の信じる根拠ですか」

「これでもお前が信じられないなら、オレを殺せ。オレを殺してもシロは多分死ぬ。魔術も何も使えないオレのほうが、ずっとやりやすいはずだ」


「先輩をっ!」


 がばっと、弱気に顔を沈めていた水無月が強く反応する。


「殺すなんて、できません。そんなことをできるはずがないです」

「……そう、なのか?」

「はい、聞くまでもありません。絶対にです」


 よくわからないが、決意に満ちた同意だった。黎明機関の掲げる目的を考えれば、正しいことなのだが、それにしても勢いがいい。


「決まりでいいなら、すまない。この鎧を片付けてくれると助かるんだが……」


 これらに殺されかけた由紀としては、いつまでも立っていられると、気が落ち着かない。


「……わかりました。そこの獣ではなく、先輩を信じることにします」

「力で制した途端に調子に乗りよって。器が知れるというものだな?」

「あまり挑発しないでください、手元が滑って腕の一本でも切り落としたくなりますから」

「やってみろ、手品師」

「やってみましょうか、駄犬」


 シロと水無月の間で火花が散る。場としては丸く収まっただけで、二人が仲良くなったわけではないのだ。由紀が目を離した途端、また殴り切り合いが始まりそうな勢いである。


 視線に敵意を込めて飛ばし合う中、先にやめたのは水無月だった。

騎士達が現れたときと逆に床へと沈んでいき、屋上を覆っていた結界も消えていく。本来の青い空は、薄暗かった空間に慣れてしまった目を眩ませた。


「ついでに壊れたところも直しておきますね」


 手を空へ翳し、そこに光が宿り瞬いた思えば、飛び散ったアスファルトが元あった場所へと戻っていき、最後には癒着してヒビも残さず元に戻った。シロが見せたコップと水の同様の魔術を使ったのだろう。


「一般人を巻き込み、更には魔術知識まで提示……不干渉条約を結びましたけど、宗方先輩をこれ以上、こちらの世界に関わらせないようにしてください」


 頭痛がすると、コメカミを抑える水無月をシロが鼻で哂う。


「頼みではなく命令か」

「当たり前です、命令ですから」

「お前ら、少し落ち着け。気が立ってるのはわかるが、言い争うな」


 即座に『無理』と、呼吸を合わせて返された由紀が、困った顔で頭を掻いた。何にせよ、危惧していた黎明機関の追手はこれで対処ができた、と思いたい。


 勝手に人質にされていたことに引っ掛かりを覚えないわけではないが、気にかかる程度で聞き出そうとはやはり思わない。


 本人がいずれ語ることだと締めくくり、水無月とガン飛ばし合うシロを見る。


「用も済んだことですし、私はこれで退こうと思います。先輩、何か起きたらすぐに呼んでください。必ずやご期待に沿える動きでそこの駄犬を屠りましょう」


 一言添えなければ気が済まない病気らしい水無月が、一足先に屋上から立ち去ろうとして、今度は由紀が用件を思いついた。


「なあ水無月。いきなりで悪いが、放課後とか空いてないか?」

「放課後ですか?」


 扉を開けようとした手がぴたりと止まり、水無月が由紀へと向き直す。


「空いていますが……私に何か御用ですか?」

「ああ、付き合って欲しい場所がある」


 早速で申し訳ないし、後輩に頼るのも格好悪いが、自分だけでは自信がない。


「構いませんよ、先輩。放課後は時間を空けておきます。それで、その場所とは?」


 頼られることが嬉しいのか、水無月が胸を張って由紀に聞く。


「洋服屋だ」


 幸助はだめでも、水無月ならシロの事情に噛んでいる。


「シロの服選びに付き合ってほしい」


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