2章 対立するは正義にあり

 朝のホームルームは少し苦手だ。賑やかな会話、和やかな雰囲気、そして空気に馴染めないでいる自分。羊の群れの中に紛れ込んだ山羊の気分とは、こんな感じなのだろうか。


「さっきから随分と目を向けられているようだが、貴様何かやらかしたクチなのか?」


 やらかしたと言えばやらかしたと、高校生デビュー失敗の苦い記憶を齧りながら、開いたノートの隅に『少しな』と書き込む。


「ふむ。詮索せぬが、立ち回りは上手くやるべきだと思うぞ。個より群だ。烏合がいくら集まってもというが、やはり複数のほうが取れる手段は多くなる」


 三人寄れば文殊の知恵。普通に考えればそれはそうだと頷きながらも、送られてきた真っ直ぐ過ぎるアドバイスに顔を渋くさせる。上手くやれるなら既にやっている。できていないから、こうして時折チラチラと盗み見られているのだ。


 授業になれば自ずと前を向く必要が出てくる。少なくとも、自分は黒板に集中することができる。だから自由に行動できる今や昼休みは苦手なのだ。


「ちなみに、我を視認している素振りは皆無だ。誰も彼も焦点は合っておらぬよ」


 その点については安心しろと、由紀の机の上に座りこむシロが言う。来る途中のコンビニで買った握り飯を小さな口で咀嚼する姿は、狼というよりも子犬を連想させた。


 本人に言えば怒るだろうなと思いながら、人間臭いモノは嫌だと、先日購入した新品のコートを着たシロを見る。正確には、その裾から伸びている尻尾になるか。白い毛並みが、白い布地を背にしてぼやけるが、カモフラージュには到底至っていない。だが、はっきりと異物が表に出ているというのに、その姿を見て悲鳴を上げるクラスメイトはいなかった。


 登校中にすれ違った人々がそうであったように、シロの姿は今、見えているのに意識を逸らされて認識できない状態でいるらしい。


 魔術の恩恵。耳と尻尾を持ちながらも、人間社会を歩く方法。

 便利なものがあるだと、いつも通りに過ごすクラスメイトを確認してから、心の中で由紀は安堵した。


「最も、魔術を齧った者に対しては筒抜けな隠形だが、それ以外にはまず感知は不可能だ。例えばそこの馬鹿丸出しでぺちゃくしゃ煩い女の頬を、軽く叩いても気づくことは……」


「おい、待て」


 だぼだぼの袖でぺちんと叩こうとするシロの行動に、声と体が咄嗟に動いてしまう。

 

 しまったと思ったときには遅く、件の女子が由紀に反応してしまっていた。彼女にシロは見えていない。空に向かって独り言ではない音量で喋りかけ、腰を浮かせて手を伸ばす同級生の姿は、さぞ不審なモノと映っているだろう。


「え、あ……ごめ……。うるさかった……?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

「う、うん。ならいいんだけど、ごめんね。気を付けるから」

 何がごめんで、どこに気を付けるのか。そそくさと隣で談笑していたグループの輪に戻っていくが、ぎこちない空気が肌で伝わってくる。

「くっくっく……っ、阿呆め。隠形は視界と聴覚だけで、接触は厳禁だ。触れれば認識される。冗談でも叩くなどするわけがなかろう。だがいい気味だなあ、ニンゲン。恥を晒すというのはどんな気分でひいいいいいぃい!? 貴様、は、離さああああああ!!」


 ちょうどよく目の前にある尻尾を、怒りを込めてむずんと握りしめ、即座に復讐を遂行。悶えるシロに連動して揺れる机を、肘で押さえつけながら顔を俯かせて、周りに聞こえないように小さく呟く。


「ごめんなさい、は?」

「にににニンゲンに屈するほど我は落ちぶれておらぬ! こ、この程度の責め苦などっ」

「わかった、もっと強くしてほしいわけか」

「……き、貴様の反応が薄いのがいけないのだ。折角我が話しかけても『そうか』『わかった』『なるほど』の三つではないか……もっと会話を膨らませる努力をだな」


 後になればなるほど、シロの言葉から力が抜けていく。


「それは」


 隣の女子グループからの送られる、不気味な物を見るような視線に続きを飲み込む。

小声で呟いていたつもりだが、先の一件でこちらに過敏になっているらしい。自由に会話ができないことに歯痒さを感じながら、ノートにシャーペンを走らせた。


『つまり構って欲しかったわけか』


 書き出された文字を読み取った瞬間、シロの顔に朱色が混じる。


「構ってほしいなどと誰が言った!? 叩けば弾まぬ毬が楽しくないのと同じだけだ、虚しいのだと我は言いたいのだ! 決して寂しいなど……そんなわけではないわ!」

『ならどうすればいんだ』


 シロから話しかける分は問題はないが、由紀が声で返せば変人の出来上がりだ。

筆談にしても一々長文を書くのは手の疲労という限度がある。これ以上の意思疎通は不可能だ。


「決まっておろう、ここを出ればまるっと解決だ。貴様も居心地がいい場所、というわけではないのだろう?」


 何故お前に付き合わなければならないと、反論したいところだが図星に唸る。悔しいことにシロの言う通りなのだが、それでも救いはあるのだ。

 黒板の横にある掛け時計の時刻を見ながら、今日はいつもより遅いなどと思っているときだった。スライドドアが開く音と、騒がしい男の声が耳に入り込む。


「ういーっす。いや、まいったまいった。スマフォの電池切れてさ、アラーム鳴らないの。おかげで遅刻するかと思ったぜ。あー、朝から走って汗掻いたわ」

「はー? 充電切らすとかお前バカじゃね?」

「昨日忙しくて忘れてたんだよ。あるじゃん、そういう日ってさ」

「ねーよ! そんな日ねーよ!」


 教室の入り口、その付近にいる友人たちと軽い冗談で突き合ってから、こちらに歩み寄ってくる唯一の友人に手を上げて挨拶する。


「遅いと思ったらそんな理由か。間に合ってよかったな」

「おう、おはようむなっちゃん」


 言いながら幸助が後ろの席へと腰を下ろして、机のフックへと鞄をかける。席替えの籤引きには何度感謝してもしきれない。友達と近しい位置はとても助かる。


「この男は話かけてくるのだな。良かったではないか、構ってもらえる相手がむぎゅう」


 小うるさいことしか喋らない顔を、手で掴んでくしゃりと潰して、黙っていろとノートに書き込む。共同生活は相互理解から始まるのだから、少しはこちらの気持ちを汲んでほしい。これ以上、校内で悪評を立てるわけにはいかないのだ。


 などと思ってから、それなら由紀が幸助と話す間、誰がシロの相手をするのだろうという考えが頭を過ぎる。瞬時してから、書き込んだ言葉の隣にもう一文だけ付け足した。


『今は無理なだけだ。時間は作る』

「……そんなことをせんでもいいわ。貴様は貴様の日常を送るがよい」


 セリフ面も表情もきついものなのだが、落ち着きなく揺れる尻尾が心の嬉しさを雄弁に語っていた。頭隠して尻隠さずを実演されると、可愛そうな体質だなとしか言えなくなる。


「んん? なあ、むなっちゃん。キミが着てるのはいつものコートではないかい? 昨日買った白いコートはどうしたのかね?」

 

 かけられる幸助の言葉に、意識をシロから引き戻される。


「何だのその口調。背中が痒くなってくるからやめないか」

「紳士風に喋ってみただけなのに、その言い用は酷くね!? 泣いちゃうぞ!?」

「事実を述べたまでだ。似合ってない。……それで、コートだが」


 シロに半ば奪われたと、事実を語るわけにもいくまい。かといって買い物に付き合わせた幸助に、でっち上げた嘘の理由を答えるのは気が引けた。


「出かける様だ。学校程度に来るなら、こっちで十分だろ」


 デタラメではない。デザインが気に入ったので、学校用にするには勿体ないと考えていたのは事実だ。防寒具のないシロに手渡し、新品から古着にされてしまったが、合えて本人に言うことでもないだろう。


「まあ、本人がそういうなら俺が言うことは何もないけど……折角選んだ身としては、着てるところ、見てはみたかったかなぁ」

「店で試着して見せただろ?」

「学校だとまた違った見え方があるんだよ。そういうところに意識を置かないよな、マジでさ。高校生らしかぬファッションへの執着のなさに、俺は心配だよ」

「母親か」

「ほうれ、しょうがないからこれでいいのを買ってくるんじゃぞう。なぁに、へそくりというやつだ、ばあさんには内緒だからなぁ~?」

「孫に甘い爺さんか」

「ナイスツッコミ」


 褒められても嬉しくはない。頭の悪い会話だと普段ならばっさり切り捨てるところだが、非現実的な世界に足を踏み入れてしまった今だと無性に恋しく感じる。


「なんだいむなっちゃん、そんな情熱的な目で見つめて。俺に惚れた?」

「相変わらず愉快な顔してるよなって思っただけだ」

「愉快に素敵なナイスガイな顔ってことかい、ハニー?」


 どうやら今日はウザ絡みがしたいご気分のようだ。通常の三倍ほど面倒くさい。


「男色趣味か、こやつ」


 シロも我慢できなくなったらしく、届かないと知りつつも冷え冷えとした声を飛ばす。色々気になる発言なのだが、ここでシロのいる後ろへ振り向くのは不自然で出来ない。


「でもホント、ちょーっと見たかったからさ。明日は着てきてよ。折角買ったんだしね」

「……考えてはおく」


 選んだ幸助としては、どうしても気になる所なのだろう。断る理由もないし、そもそもシロの着ている服は取り敢えずの間に合わせだ。放課後辺りに、ちゃんとサイズに合ったものを揃えてやれば、コートも戻ってくるはずである。


 しかし、耳と尻尾がある以上、その買い物に幸助を連れてはいけない。センスのない自分が選ぶしかないが、マネキンの着ているセットを選べば大きな間違いは起きないはずだ。


「にしてもやけに執着するな。そんなにオレのコート姿を……」


 学校で拝みたいのかと、続けるはずの声が黄色い悲鳴で塗りつぶされた。

 

 教室で突如として鳴り響く声にまずシロが机から飛び跳ねた。獣の耳は伊達ではないのだろう。教室に響くあまりの音量に耳を逆立て、何事かと原因を探る。


 ワンテンポ遅れてから幸助が、由紀が周囲を見回してから即座に理解した。悲鳴の理由も、ドア付近の男子生徒が見っともなく椅子から腰を浮かせて、体を反り返らせている心情も、全てを察した。二年生の教室に妖精が現れれば、驚かないはずがない。


「ホームルーム前にすみません。少しだけ、入らせてもらってもいいでしょうか?」


 特別許可がいるわけではないのにそう、水無月司は近くにいた男子に声をかけた。


「ど、どどどどうぞ! あはっ、あはははっ!」


 壊れたラジオのように飛び飛びの声で返事をした男子に、ありがとうと水無月が微笑む。


「完全に追い打ちだよね、アレって」

「アイツ結構なファンだったよな。これで一日頭トんだぞ」


 ぼそぼそと目の前で起きた珍事について、幸助と言葉を交わしながら由紀は水無月を見る。一体全体、この二年の教室に何の用があって彼女は訪れたのだろうか。二日連続で登校することすら、初めてのことだというのに。


 見通せない状況に対して訝しんでいると、水無月が歩き出し始める。昨日と同じ私服高の中でセーラー服を着込む姿が、ズームになっていく。


 一歩、二歩、三歩と進んで、目的の場所に辿り着いたらしく、ぴたっと止まる。


「おはようございます、先輩」


 そう、由紀の机の前で。


「………………おはよう、水無月」


 初めての人のための英会話。その例文のような挨拶のやり取りだけで、空気に混じりつつある水無月登場の熱が、一気に絶対零度へと下がっていく。

 誰も彼もが目の前の突拍子の無い事実に口を閉ざしていた。クラスメイト達の口には出さない本音が、由紀には聞こえてくる気がする。


『あの水無月が、あの宗方と会うために、教室に押しかけてきただと!?』


 恐らくこんな感じで、間違いはないはずだ。


 校内一の美少女と、校内一の悪役面が対面すれば、当然の反応であろう。まとわりつく嫌な空気から逃げる為、あえて水無月に集中することで感覚を鈍化させる。


「昨夜はよく眠れましたか? 顔色が優れないように見えますが……どこかお怪我でも?」

「……至って、健康だ」

 突然の事態に、顔を青くしたからだとは言えなかった。

「授業が始まる前の準備時間、忙しいのを承知で訪れた無礼を許してください」

「無礼も、何も、かけられてなどいない」


 許さないなどとほざいた日には、ファンから八つ裂きにされるとは言えなかった。


「大事な話があります。どうしても聞きたいことと、お願いがあったのです。すぐに済ませます。お時間は取らせません」

「そうか。……そうか」


 もう煮るなり焼くなり好きにしてくれと、水無月が去った後に教室中から向けられる嫉妬と羨望の視線を想像して、苦さのあまりに吐息を漏らした。


 水無月関連の出来事だ、すぐさま広まってしまうだろう。ただでさえ変な注目を浴びているのに、更に上塗りされてしまうとは、頭が重くて嫌になる。


「前置きはいいから早く言ってくれ」


 これから起きるだろう出来事を想像して、軽い眩暈を起こしながら、由紀が投げやりな口調で本題の切り出しを求める。


 水無月は表情を崩すことなく、笑顔で言った。


「では聞きたいことの方です。もう一度、確認の意味でお尋ねさせていただきますが、本当にお怪我などはしていませんか? 


 だからこそ、笑顔で隠し事を抉ってきたことに、背筋が泡立った。


「……っ」


 咄嗟に横にいるシロへと、心臓の持ち主へと振り返る送る。どうすればいい、何が起きている、ここにきた水無月の意図は何なのだ。


 視線で尋ねようとして、体がびくりと恐怖に震えた。

 

 シロが殺気を放っている。刃物のように鋭く細めて、今にも襲い掛からんと水無月を睨む姿は、見まごう事なき開戦の姿勢だ。そんなシロに対して、水無月がにっこりと挑発的に微笑むことでようやく理解がおいついた。


 完璧に見えている。つまりは、シロの魔術が通じていない。


「水無月、お前まさか」


 隠形の術を看破できる方法を、由紀は二つ教えられている。隠れている人物との接触か、魔術を齧りでもしているかだ。

 付け加えると朝、自分には追手がかかっているとシロ本人からも聞いていた。これらの情報が導き出す答えは一つだ。


「お願いの方は宗方先輩のお昼休みを私にください、ということです」


 言うよりも早く、由紀の耳元へと顔を近づけて、水無月が囁く。


「東棟の屋上。鍵は開けておきますから、そこで会いましょう」


 吐息が耳や頬を撫でる感触に反応する余裕はない。早くも危惧していた未知の到来に、ただただ握り拳に力が入っていくだけである。


「拒否権はない、そういうことか」

「はい。必ず来てください」


 聞きたいことと、お願いはこれで全てなのだろう。それではと、由紀に向けて一礼をしてから水無月は教室から退出していった。


「な、なあ。今何言われた? 近づかれたとき、ぼそって何言われたんだっ?」


 野次馬根性丸出しの幸助に聞かれても、言葉が喉に詰まって出てこない。シロも警戒を解かないまま、水無月の出て行ったドアを無言で凝視し続ける。


 一度死んで、シロと出会って、非現実に触れて。けれど学校に来ることはできて。

 そこで厄介事の連鎖は切れたと、そう思っていたが甘かったらしい。


「昼休みか……どっちに転ぶのやら」


 事が起きる前から慌てても仕方がないと、不安がる自身に言い聞かせて落ち着かせる。取り敢えずは、一気にざわめき始めた教室の沈静化を願うとしよう。

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