終章
「留寿純一郎……あいつこそ正真正銘、本物の正義の味方だった」
自らを巨人と化し、巨人を倒すために作られた機械と戦い堂々と破れ、人間に巣食う見えざる巨人に対する恐怖を克服させた者。朱音三正が俺に告げた言葉そのままの結果だ。
人の命すら犠牲にしなければ正義を貫けないのであれば、裂弩を踏み潰したことだって、あんたが罪を被ることによって生まれた正義だよ。
「ジュジュくんも心の奥底では、ギガフォビアをこの世界から無くしたかったのだろうな。愛すべき家族を奪ったギガフォビアを」
俺の誰に宛てたものでもない呟きに、先輩が答えてくれた。
「……」
留寿副会長の最後の微笑みが思い出される。あいつは本当に巨悪になり、そして自分の希望通り堂々と打ち倒され、そして満足気に死んでいった。
正義の味方を演じるのも大変だけれども、悪を演じるのも――大変なのよ。
赤坂室長が残した言葉。留寿純一郎は一番大変なことをやり遂げてそして死んでいった。
副会長、あんたはそれを望まないだろうけど、あんたがやった事は正義の味方そのものだよ。
「……」
戦いを終えて呆けた状態になっている俺たちは、疲れを癒すように病院の花壇の前に座り込んでいた。俺はあぐら、先輩は膝を抱えた体育座り。前から見たらスカートの中の紺色が丸見えだろうが、今更だな。
目線の先では擱坐したドールハンマーと、銀の巨人の回収作業が行われている。
ドールハンマーは巨人の凄まじいパワーにより、胴体が千切れかかるほどのダメージを受けていた。手足もボロボロ。最後まで良く動いていてくれたもんだ。
「こら! もうちょっと優しく運びなさい!」
回収の陣頭指揮を取る朱音三正の怒声が聞こえる。ドールハンマーがあそこまで動けたのも、手塩にかけて育て上げた三正の力なんだろうな。
その隣では銀の巨人の死骸が、トレーラーへと積み込まれている。多分これからのギガフォビア治療のための標本にされてしまうのだろう。自分は死んでいるのに、肉体だけは残って半永久的に保存されるのってどんな気分なのだろう。
そしてその奥にある蘇芳病院自体は大変な騒ぎになっていた。
ドールハンマーと銀の巨人の戦闘に惹かれるようにして目覚めた患者たちは、その戦闘終了直後に殆どが再度眠りについてしまったのだという。しかしその再度の睡眠を蹴破って暴れだす兆候は見られない。つまり麻酔を足して眠らせ続ける必要がなくなったということだ。
そしてつい先ほど、何人かの患者が再び目覚めたという報告がこの病院内に流れた。そして目覚めた患者からは再びのギガフォビア発病の兆候は見られないという。
その事態を受けて蘇芳病院院長は、この病院内におけるギガフォビアの収束宣言を発表した。
これはこの場に居合わせた者がたまたま回復できた特殊例だったのかもしれない。まったく同じシチュエーションを別の場所で行なってもギガフォビアは治らないかもしれない。しかし、それが早まった考えで危険な判断であったとしても、それを決意させてしまうほどに劇的な変化であるのは間違いない。
何しろこの場だけとは言え、絶対の死病が完治したのだから。
「今日この日、人類の願いが叶ったってことなのかな」
「五月の雪も降ったんだ、願いのひとつくらい叶う」
背後に咲き誇る牡丹の花を見やりながら先輩が言う。
その五月の雪を降らせたのは先輩本人なんだけどな。そんな意味では女神様って言ってもいいくらいの活躍と風格だよあんた。BL好きの女神――どんな最強キャラだそれ。
「ここにいた?」
俺たちの前に、朱音三正が現れた。額に包帯を巻いている。
「三正、良いのか現場を離れて?」
「ちょっと一区切りついたから。それにあんたたちに伝えなければならないこともあるし。あたしは室長代理なんだから」
三正はそういいながら俺たちの前に腰を下ろし、俺と同じようにあぐらになった。
「瑠璃香、あんた前から見たらパンツ丸見えよ? 女なんだからもうちょっと恥じらいなさい」
「パンツではなくブルマだ。あなたもいいところのお嬢様なのだからあぐらは止めたほうが良いのでは」
どっちもどっちだよ。というか朱音三正が先輩の名前を呼ぶのを始めて聞いた。意外にも下の名前で呼ぶのか。
「ドールハンマーとあの巨人との戦闘は、監視カメラなどで録画されたものを編集して全世界に公開されることになったわ」
「それはまた大事になってきたな」
「何しろあの戦闘を見ていた患者のほぼ全ての体からギガフォビアが消失したのよ。これが絶対の治療薬になるとは早計だけれど、強力な特効薬になるのは確かになったわ」
「そうなるとドールハンマーとラトロワの巨人は公表されることになるのか?」
「第三ウィルスであるラトロワは公表されることになった。もう隠していても仕方ないし、それにその存在がなければドールハンマーの活躍によるギガフォビア快方の意味がなくなる。ドールハンマーに関しては今夏の公開予定が早まっただけ。そしてあらゆる問題を前倒ししてこれからドールハンマーの大量生産が始まるわ。陸保の全勢力を使って。それに陸保だけじゃない、海保も自衛隊も一般企業も全部巻き込んでの一大プロジェクトになる」
一応の効果を見いだせた打出の小槌(ドールハンマー)というワクチンをこれから全世界に配布しなければならないんだ。それは日本だけではなく、世界全てを巻き込むプロジェクトに進化するだろう。
「それの主役があんたってことか?」
試験操縦士という立場とはいえ、現状で唯一の正規操縦士(レギュラードライバー)は三正しかいない。だからこのプロジェクトは自ずと彼女が中心になるはずだ。
「……そういうことになる」
俺の言葉に三正は不満げに答えた。
「さっきの映像の話だけど、俺の出演シーンはもちろんカットしてくれるんだよな?」
世界中に映像が流れるとしたらどれだけの知名度になってしまうのだろう。そんな全世界的英雄なんかに俺はなりたくない。そんな柄でもないしその役割をする者は別にいるし。
「ニードライバーもニードライブ症候群も、今後も秘匿の存在になる。あまり表沙汰にしても良い影響は無いし。だからあんたが映っている部分、修正しきれない箇所はあたしの映像を差し込むことになってる」
そんな俺の役を代わりにしてくれるお嬢様は大層ご不満そうだけど。
「三正、あなたが望んだ世界になったか?」
先輩はそういいながら三角塩の入ったケースを出すと、一つ摘んで口に放り込んだ。ボリボリと塩の塊を噛み砕いている先輩に向かって、朱音三正は首を横に振る。
「なんで自分の手柄でも無いものを、自分の手柄にしなきゃならないのよ! 最高の屈辱よ!」
今までしおらしかった三正がいつもの三正に戻った。この女はやっぱこうでなきゃな。
「キミも」
先輩は開封されたケースを今度は俺に向けるが
「いや、俺はさっきもらったのがあるからいい」
登校時に一度含んで吐き出してしまった塩塊を俺はポケットから出した。少し汚れの付いた三角錐型の塩。というかこれもらったのって今日の朝なんだよな。もうあれから何日も経ったような気がするよ。俺は少し付いた汚れを指で弾くと、綺麗になったそれを再び口に含んだ。
「……キクなぁコレ。よく先輩はそんなにボリボリ食えるよな?」
「もう慣れてしまったからな――あなたもどうだ、一つ」
先輩が朱音三正にもすすめている。
「そんなのあたしが食べたら死ぬわよ……でも、いただくわ」
朱音三正は三角塩を一つつまむと、先端をガリッと噛みちぎった。
「ほんと、こんなの食べてて良く死なないわね」
「逆に食わないと死ぬからな、わたしたちは」
「難儀な病気ね。でも今度ばかりはその難儀な病気に助けられたわ」
残りの塩塊を胸ポケットに収めながらそれを成した俺を三正が見つめてくる。
「あの子をあんな簡単に乗りこなしてくれちゃってさ。大事に育てた我が子が親の知らないところで嫁に行った気分よ」
「俺もずいぶんと酷いことをしたと思っている」
台車に載せられて格納庫に入っていくドールハンマーが遠くに見える。直前まで動いていたのが奇跡なくらいに酷い有様だ。
「あの機体は……直るのか?」
「はっきり言って新しく作り直したほうが早いわ」
やっぱり朱音三正もそう判断するぐらいの破損率なのか。
「でもね」
「でも?」
「絶対にあの子は直してあげるわ。それにこれからギガフォビアを治していくにはあの子自身が必要だもの。巨人を倒した機体だという、あの子が」
確かに新しく機体を建造してもそれは同型機というだけであって、その機体自体が銀の巨人を倒したわけじゃない。相手は概念の病気なのだから巨人を倒した概念というものを維持するためにも、あの機体は必要というわけなんだよな。なんかそれを聞いてほっとした。
しかし朱音三正はドールハンマーのことを「あの子」って呼ぶんだな。なんか和むな。この女(ヒト)も基本的には根は優しい女性なんだよな。いいお母さんになりそうだよ。
「キミはメカ娘まで虜にしてしまったのだな。まさかわたしもドールハンマールートまであるとは思わなかった」
娘? あれは娘なのか? 三正も嫁とか言ってたし。軍艦なんかは女性名詞で呼ばれることがあるが、あの機体もそんなカテゴリーなんだろうか。だったらヒロイン人気投票第一位はあの機体にあげてくれ。それだけのことをしてくれたんだからさ。
しかし俺がドールハンマーに乗るのは、多分今日が最初で最後だ。これから先は普通の人間に任せないと、このドールハンマーが薬になってくれない。
「朱音三正」
「なによ?」
「これからはただの人間であるあんたが上手く操縦できるようにならないと困るんだぜ?」
「子供が偉そうな口効くんじゃないわよ」
三正はそんな憎まれ口をききながら立ち上がった。そろそろ行かなければならないらしい。
「でも――これだけはいわせて頂戴」
「?」
「……この星を救ってくれて、ありがとう」
朱音三正はそういいながら、小さな微笑みを見せた。
その直後ぷいっと後ろを向くと、靴音も高く現場処理に戻っていってしまった。こんな真っ赤な顔見せられるものか――朱音三正の背中がそう語っていた。
「彼女にあれだけのセリフをいわしめさせるとは、キミには難キャラヒロイン攻略テクニックの才能もあるのだな」
そんな自覚は更々無いけれど。でもこれが本当に朱音ルートの攻略コースだったとしたら、間違いなくトゥルーエンド用のエンディングテーマが流れてるな今。というか朱音三正の精一杯の笑顔……凄く綺麗だったな。
「彼女の笑顔はわたしの中のアルバムに保存された。いつでも閲覧可能。削除不可」
その機能だけはぶっちゃけ羨ましいな。
「なぁ、室長が今日まで生きていたら――助かったんだよな」
ギガフォビア治癒に向けて陸保が、そして全人類が動き始めたんだ。あと数時間生きていれば……いや、発病した時点で麻酔で眠って入れば室長は死なずに済んでいた。
「彼女はギガフォビアでの死を望んでいた。彼女の望みは叶えられた。たとえ快方が見つかるまで生き残ったとしても、それを彼女は快く思わない。自分が望む死の手段が永遠に断たれた時、何れは近しい手段での死を選んでいただろう。例えばドールハンマーに踏まれての死など」
先輩は塩塊のケースをポケットにしまいながらそう答えた。確かに、それぐらいやりかねないよな室長なら。
「それにギガフォビアに殉じるという覚悟があったからこそ、ニードルやドールハンマーという極限のテクノロジーが必要なものの基礎理論を作り出せたのだろう。これらはそれだけの血の宿命への想いが無ければ生まれてこない。その意味では、麗子の命で救われたのだろうな、わたしたちの住む世界は」
なんだよ……ここにも正義の味方いるじゃねえか。副会長、あんたも含めてこの星には、正義の味方いっぱいいるじゃねえか!
「なぁ先輩は、ギガフォビアって本当は誰が作ったと思う?」
そこまで何人もの正義の味方を消費してようやく快方に向かいつつあるこの病気は、そもそもいったい誰が作ったんだ? そいつこそ悪の権化だ。
「誰かが作った――その範疇ではないのだろうと、わたしは思う」
「というと?」
「人間自身の体から自然発生的に生まれたウィルス、風邪のようなものだと思う」
風邪か……。確かに酷い風邪になると命を落とす場合もあるしな。完治のための完全な特効薬が存在しないのも似ているのか。
「わたしたちの中にこの巨人恐怖症(ギガフォビア)が自動的に生まれたのは、警告なのかもしれない。何かに対して準備しろ、と」
「準備……俺たちを食いに巨大宇宙人でも攻めてくるのか?」
「そうかもしれない」
「でもそのために人間自体の数を半分に減らしちゃ意味がないだろ?」
「その警告が、人類自身ではなく、この星に生きるすべてのもの、そして自分たちを生んでくれたこの星そのものへの警告だとしたら、どうする?」
「それって……」
「本当にそうなのだとしたら、この死に至る病は、今までこの星の支配者として傲慢に生きてきた人間の中に眠る、最後の良心なのかもしれない」
だとしたらギガフォビア自体も正義の味方ってことになる。副会長はそのギガフォビアに直接助けられたが、それ以外の俺たち全員も将来起こるであろう災厄から間接的にギガフォビアに助けられているってことになる。なんていう皮肉だ。滑稽すぎじゃないか。
「しかしその警告も、どうやら今日で目的を果たしたようだ。ひとりの少年の純真な愛によって、人類の命懸けの警告は役目を終えて止まった」
「……ちょっとまて、ひとりの少年の純真な愛ってなんだ!?」
「キミはここまでしてもまだ気がつかないのか?」
「まだ気づかないって、どういうことだよ?」
「男の天邪鬼はあまり可愛くないぞ?」
「だから――」
「キミは幼馴染くんが大好きなのだろう? 大好きな女のために命を懸ける。男して当然だ」
「!!!」
あまりのことに、俺の前で火花が弾けたような気がした。
そんな発火的とんでも台詞(パイロフォリックワーズ)を俺に突きつけた先輩は――なぜ女のわたしがそんなことを説明してやらなくちゃならん――そんな顔になっている。
俺……アイツのことが好きなのか? この場合ライクではなくラブだよな……やっぱり。
結果的にはアイツのために世界を救ってやったようなもんなのだが、それは女としてのアイツが大好きで、そんな好きな女が失われたくないから、そのオマケで世界を救ったようなもの――そうなるのか!? なんだそれ。俺はアイツのことがそんなにも好きってことなのか!?
「キミは、わたしがつきあってくれといったらわたしのことを素直に彼女にできるのか?」
自分の中でどうにも整理できない気持ちを更に混乱させるように、立て続けにとんでもない言葉を先輩が重ねてきた。
「改めて告白する。わたしとつきあってくれ。キミより背の高い女は嫌かもしれないが、わたしの気持ちは本気だ」
先輩がそう言いながら静かに立ち上がる。俺の体もそれに引かれるようにして立ち上がってしまった。見つめ合う二人の男女。
「あの……そ、それは」
確かにあんたはその性癖を別にしてもとんでもないくらいにイイ女だよ。身長だって関係ない! でもなんでこの状況で俺なんかに告白なんだよ!? しかも俺に向かってアイツが大好きなんだろって告げた後にさ!
「……」
「今そこで躊躇した気持ち。それが――答えだ」
ぶんっと風が切り裂かれる音がしたあとに、乾いた打撃音が続く。それが俺の頬を先輩が叩いた音だと気づくのにしばらくかかった。
「他の女に好きだと告白されても、キミは素直に選べない。それが共に死地をくぐり抜けてきた者からの告白だとしても。それだけ幼馴染くんはキミの中では大きな存在だということだ。いい加減気づけ。そんな朴念仁に振り回される女の身にもなってみろ」
「先輩……」
「わたしをこんな簡単なことで失恋させるな」
「今のは……本当に本気だったのか?」
「そんなことを女に対して訊くな」
今度は腹に拳が入った。
「ごふ!」
「次にそんなことを訊いてきたらテンションレッグでぶっ飛ばすからな。覚えておけ」
うぁ……それは体がまっぷたつになりそうだ。でも先輩っていうイイ女をふっちまったんだから、胴が二つに分かれるぐらい仕方ないな。
そんな意味では俺は永遠に後輩だ。赫凰瑠璃香という女が俺を弟と認めても、俺自身はこの女の弟にはなりきれない。そのプレッシャーで破裂する。もちろん愛し合う恋人なんて無理だ。
「キミ自身は彼女のことが好きだという気持ちはまだ自覚しなくていい。それはこれからゆっくりと育んでくれ。しかし君自身が彼女のことが好きだという本能がこの星を救うという結果をもたらした――その事実は覚えておいて欲しい。でなければこれだけのベストシチュエーションで告白して盛大にフラれたわたし自身が可哀想でしかたない」
「……いいのかそれで?」
「そんな良くわからないものが女心というものだ」
自分でいうなよ。
「さて、そろそろキミの好きな女(ヒト)も完全に目覚めるころだろう。幼馴染くんの病室に行こう。彼女も目覚めた瞬間に、大好きなキミが目の前にいてくれた方が安心するだろう」
「……向こうも俺のことが好きだとは限らんぞ」
「好きでもない者に『たすけて』なんていうものか」
「うぉっ、あんたあの状況で聞こえていたのか!?」
「キミの顔にそう書いてあった」
先輩はそう言いながら病棟へ向かって歩き始めた。
「わたしは側で二人の再開を見学させてニヤニヤさせてもらおう」
「確かにそれは最悪の羞恥プレイだな!」
先輩に着いて行きつつの抗議。
「わたしはこのままキミの姉役を楽しませてもらうことにする。それぐらいの権利は、あるだろう?」
「……勝手にしてくれ。でも俺にとっては、あんたは永遠に先輩だからな!」
「ああ、望むところだ」
【FIN】
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