第三章 02

 俺たちは正門にたどり着くと、壁際に立てかけられていたスクーターに再び火を入れた。原動機付き自転車程度のメカニズムであれば一回の発動で覚えられるらしいので、マリオネットマインド無しで今度は乗れた。先輩はいつでも対応できるようにテンションレッグを付けたまま後ろに乗ってきた。爪先が地面につかないように今度は横座りで、マフラー部分に先端を引っ掛けている。俺たちは一瞬にしてボロボロにされてしまった。ここはこのスクーターにもう少し頑張ってもらおう。


「なんで学校なんて目立つ場所に研究所を作ったんだろうな」


 銀の巨人が残した地響き以外相変わらず静かなままの街中へと、再びスクーターを走らせる。


「赦殿高校(この場所)が巨人になるための素材の生成に必要な場所だったからじゃないのか。ジュジュ君が食べていた灰色のニードルが基本的には我々のニードルと同種ならば、多分開発には練丹術も使っているだろう。その術の効果には地形学も含まれているからな。この学校の上か下を生成に必要な龍脈が走っているのかもしれない」


 俺もニードライブ症候群になってからは色々知る機会も増えて、その「亜細亜の魔術」と呼ばれる練丹術なる術法も今は亡き赤坂室長から聞いた。天災と季候の変化により常に破壊と再生が繰り返されているこの日本が、その術行使にもっとも適した場所だとも。


「それに学校施設というものは若くて新鮮な肉が大量に手に入る場所でもある。巨人へと変化するために本来使用する肉が失われたときの予備としての、素材確保も含まれるのだろう」


 更に先輩が恐怖の予想を付け加える。鬼も巨人も人を食う――副会長自身が語った言葉が思い返される。本来の肉が使えなくなったときは、俺たちに塩をぶっかけて食うつもりだったのか。それも含めて人の多く集まる学校という施設で、そんな秘密の研究を行なっていたのか。


「……恐ろしいな」


「人は言う。お化けも妖怪も恐ろしくはない。本当に恐ろしいのは生きている人間だと」


「まったくだ」


 制限速度を大幅に超え、スクーターの限界スピードギリギリで飛ばしてきたのだが、俺たちが銀の巨人の背中を捉えられたのは、巨人が今まさに蘇芳病院の正面入口から侵入しようとしていた時だった。病院本棟の前には、仁王立ちで待ち構えるドールハンマーの姿。パイルバンカーデバイスは修理が間に合わなかったのか左肩には何もない。


 対峙する巨人と巨人。


 一瞬の睨み合いの後、ドールハンマーがまた先に仕掛けた。先手必勝。白き巨人なんか問題にならないくらいにヤバイ相手なんだ。なりふりなんか構ってられない。それに朱音三正の後ろには千人以上の患者がいる!


 しかし銀の巨人はドールハンマーの全力の体当たりを見事に受け止めた。地面を足の裏で猛烈にこすり、土煙が上がる。銀の巨人はドールハンマーの必死の勢いを殺すと、足払いをかけて相手のバランスを崩した。鋼の巨体が地響きを上げて沈む。


 これが……本物の巨人の戦いか。


 俺たちに肉を投げつけた時は、本当に手加減しまくりだったんだな。あの威力で投げられていたら、見えざる巨人に踏み潰されずにミンチになっていたぞ。それが巨悪の余裕か。


 何とか立ち上がったドールハンマーは間髪入れずに、巨人の頭部を狙って右拳を突き出した。朱音三正はその閉じられた左瞼の奥に弱点が隠されているとは知らないだろうが「頭部を潰せば大概の生き物は死ぬ」という本能に従っての攻撃に違いない。


 しかし銀の巨人はそんな必殺の一撃を、銀の大男時に先輩をあしらったように軽くいなす。突き出された鋼鉄の拳を軽く掴むと、そのまま相手の威力を加えて投げを撃つ。


 10メートルの巨体が、その勢いも利用したとは言え、いとも簡単に吹き飛ばされた。その先には格納庫。凄まじい激突音。ボーイング747が墜落してもここまでの音はしないだろう轟音を響かせ、鋼の巨人は自らが普段は眠るねぐらの扉へと叩きつけられた。


「「朱音三正!」」俺たちの声が重なる。


 蘇芳病院に俺たちが到着する直前に、ドールハンマーは倒された。


「急げ!」


「判ってる!」


 転がり込むように正門を通ると、スクーターを乗り捨ててドールハンマーと銀の巨人が対峙している下へ行く。そこへ向かう途中。


「みんな……固まっている」


 その場にいるほぼ全員がその場に立ち尽くし、魅入られたように巨人を見上げていた。


 本物の巨人が現れたという根源的恐怖。


 こんなもの……巨人に立ち向かえる力そのものがなければ、耐えられるもんじゃない。


 俺たちはその力と、体育館で一度遭遇して耐性がついたのか何とか動けるが……。


 一応は「本物の巨人が来る」と言う前情報は先輩から知らされていたから、いきなりのギガフォビア発病は無かったようだが、それも何時まで持つか。朱音三正もドールハンマーという特効薬に守られていたとはいえ、この凄まじい重圧の中で良く戦えたもんだ。


『『――弱イデスネ。コレガ巨人ヲ倒ス為ノ武具デスカ? イヤ……乗リ手ガ悪イノデスネ――』』


 俺たち以外の全員が動けないでいるこの広場に、銀の巨人の声が冷たく響きわたる。


『『――巨悪ニナル為ニハ、ソレヲ打チ倒ソウトスル相手ガ居ナイト困ル。ソシテソノ相手ヲ堂々ト退ケテコソノ巨悪。今操縦席ニ居ウル御嬢様デハ僕ノ相手ニハ不足。時間ヲアゲマショウ。交代ヲ要求シマス。僕ト対峙出来ルダケノ者ト――』』


 これは朱音三正が言った通り病院の患者全員を人質に取られたのと同じだ。あの銀の巨人がいる限り何も手出しができない。自衛隊に応援を要請して火力で制圧できたとしても、ここは病院だ。一体どれだけの被害が出るかわからない。それに自衛隊員だって何人恐慌者がでるか。


「あいつは病人たちを食おうとしているのか? それでさらに進化しようとしているのか?」


 いや、食う食われないで言ったら、俺たち以外の人間は既に食われちまってる、その思考を。神経が焼き切れて動かなくなった陸保の保安員がその証拠だ。


 どうする? 砲来鉄鼠の隊長みたいな朱音三正以外の試験操縦士(テストドライバー)がいるのか? そいつはこの状況で動けるのか? それができたとしても三正以上に動かすのは不可能だと思うが……


「留寿! お前なんだろ留寿!」


 その時、俺たち以外に動ける第三の人物が現れた。誰かが三正の代わりに名乗り出たか。そんな強靭な精神を持っている者がまだいるなんて。


「裂弩?」


 だがそれは三正の代わりができる者ではなかった。招かれざる客だ。しかしあいつも一応ニードライバーだ。だからこの根源的恐怖の中でも動けるのか。


「もう自力変身できるほどの怨念が溜まったか」


 現状の裂弩の姿を見て先輩が呆れたように言う。


 今の会長は下半身だけ塩の鎧に覆われたような感じになっている。先輩のように足技での戦闘に特化したというよりもただ単純に移動力のみだけ向上させただけ、そんな印象だ。裂弩が白き巨人になったのは灰色のニードルを使ったからであり、自分の体の中にある本来の『ショートレンジ』としての力はまだ使っていない。変身できたのはそのためか。


「教えてくれ留寿! 俺は次は何をすればいい!? 父さんに留寿の言うことを聞いていれば大丈夫だと言われているんだ!? お前がいないと俺は何もできない!?」


『『――只一度許サレタ変身ヲ、僕ニ意見ヲ聞キタイガ為ダケニ使ウトハ――救イヨウノ無イ莫迦デスネ、本当ニ君ハ――』』


 その周囲の状況をまったく見れていない態度に、さすがの銀の巨人も呆れ声をもらした。


『『――ナラバ君ニ最高ノ役目ヲ与エマショウ――』』


「最高の……役目?」


『『――人類史上初メテ、本物ノ巨人ニ踏ミ潰サレテ死ヌト言ウ、史上初ノ栄誉ヲ――』』


 銀の巨人はそう宣告すると、裂弩の上に巨大な足裏をかざした。


「!?」


 肉や骨が砕かれる音が響きわたる。自らの筋力で圧壊されるのとは段違いの凄惨な音。今までギガフォビアでしか再現されていなかった人間の潰される音がリアルに再現されてしまった。


「******!?」


 根源的恐怖がさらに満ちる。


 偽物の巨人(ギガフォビア)ではない、本物の巨人による、絶対の死病(ギガフォビア)の再現。


「……ぐがぁっ!?」


 その惨状を恐怖で動けないまま鑑賞させられた保安人の中から、幾人かの悲鳴が上がった。地面に仰向けに倒れ伏して絶叫しながら体を痙攣させている。


 まずい……ギガフォビアだ。裂弩が踏み潰されるのを見て、恐怖が臨界を超えてしまった者たちが遂に絶対の死病を発病し始めた。


 ……本当裂弩のヤツは、最後の最後まで良いように使われて生きやがって……その死まで上手く利用されやがって。お前の代わりに……俺が悔しがってどうするんだよ!


 だめだ……早く何とかしないと、伝染する。街に、日本に、世界に!


「やはり彼女では駄目だったか」


 その死病と死病を撒き散らすものを唯一食い止められるはずだった存在は、沈黙してしまった。擱坐したドールハンマーを見やって、先輩が悟ったように呟く。


ここで終わるのか……この星は。この国に一体どれだけの恐慌が伝染するのか。


「だが――」


 この世界は……この瞬間に終わってしまうのか。


「歴史に幕を下ろすには、まだ早い」


 その時、世界を滅ぼそうとする銀の巨人が、まだ留寿副会長だったときに語った台詞と同じ言葉を、先輩が俺に向けた。


「キミが、動かせ」


 さらに重く言葉を重ねる。……俺が、ドールハンマーを?


「キミが得た力を、今こそ使うときだ。彼女では駄目でも、キミならできる」


「俺……が?」


「今は代行者の代行者の、さらに代行者が必要だ。そしてそれができるのはキミだけだ」


 代行者の代行者の代行者!? どこまで代わりの人間が必要なんだ。しかもそれが俺!?


「キミはなんのためにこの世界に戻ってきた?」


「……それは」


「キミの蒼き手甲は、何のためにある?」


「でもこれは、スクーターを動かすくらいしか……」


「そんな訳があるか! ニードルは本人の望む形にしかならない! キミの望みは幼馴染が生きて帰って来れる世界を作ることだろう! そのために君の力ある! そうだろう!」


 俺の情けない第二次成長を先輩が強く否定する。


「でも……しかし」


 でもそんなこと――俺にできるのか?


 世界の命運を懸けた戦いなんて――俺にできるのか!?


「……」


 俺がそれでも躊躇していると、先輩が酷く残念な顔を見せた。


「……キミにそこまで乗る意志が無いのだと言うならば、キミをこの世界に連れてきてしまった責任を取って、キミが本来進むべきはずだった世界へと、わたしが今一度送り届けよう」


「それは……俺を殺すってことなのか」


「キミはこの世界に戻ってきた理由を果たそうとしないのだ。これ以上生きていても仕方あるまい。すぐにあの本物の巨人か、見えざる巨人(ギガフォビア)のどちらかにキミは殺されるだろう。だったら今すぐ死んでしまったほうが楽だ。もっとも、勝手に戻して勝手に送り返すのも礼儀に反するので、キミを送ったあとにはわたしも着いていくことにする」


 それは俺を殺して自分もその責任をとって一緒に死んでやる――その意味の言葉だ。俺一人が死ぬのは構わない。でも……なんだよこの女。そんなにまでして俺に何を。あんたは二人分の命を背負ってるんだろ!


「それがダメな姉の意見なのだとしても、一度くらいは信用してみたらどうだ?」


 先輩はそう言うと、俺の前髪をかき上げ、空いたスペースへとそっと唇を押し付けた。


 姉……?


 ははは、そうか、そうか! 俺はこの女のことを姉と呼んでも良いと! 後輩から遂にそこまで前進したか! 俺はこの女にそこまで認められたってことか! この強くカッコ良く生きてる女に! だったら俺だって……できるよな!


「わかったよ――おねえちゃん」


 自分に姉がいたのだとしたら、本当に姉から勇気をもらうようなキスだよ、おねえちゃん。


「よし」


 先輩は俺の覚悟が決まったのを表情で読み取ったのか満足げに頷くと、次の瞬間いきなり俺の脇腹に手を回し、俺を横抱えの状態にして飛び出した。


「急いでいるのでお姫様抱っこできなかったのは残念だが」


「いや、今の状態で充分恥ずかしい!」


 飛翔中にそんな会話を交えながら、一気にドールハンマーの頭部部分へとたどり着く。


「大丈夫か、朱音三正!?」


 先輩は俺をドールハンマーの肩口に下ろすと、目立つ位置に付けられていたコクピットの緊急開放レバーを引いた。試作兵器だからこその装備、簡単に動いた。空気の抜ける音と共にキャノピーが開く。中の朱音三正は額から血を流してぐったりしていた。


「大丈夫だ、息はある」


 素早く首に手を当てて生死を確かめると、先輩は三正の体に巻き付くシートベルトを外して、横抱きに抱えた。


「後は、頼むぞ」


「なあ先輩、先輩の変身前の名乗り、俺も使わせてもらっていいか?」


「キミはわたしが認めた後輩でもある。存分に使ってくれ」


 先輩はそう言い残して、三正を抱えてドールハンマーから離れた。


「……ありがとう先輩」


 世界の命運の鍵となったこの機械巨人には俺一人が残された。静かになったコクピット。


 さて――ここから先は、俺の仕事だ。


 ドールハンマーのコクピットに乗り込むと、俺は左肩に吊っていたケースからニードルを抜き取り、ケースは床に投げ捨てた。投げ捨てた先には朱音三正が砲来鉄鼠の隊長を倒すのに使った黒いニードルのラックがあった。俺はそれを見て、三正がここに自分の戦う意志を残していってくれたように思えた。


「……」


 俺は自分のニードルをかざす。


「……灼け、灼たかに――血の言葉を詠え!」


 先輩に使用を許された祝詞。朱音三正だけじゃない、先輩とも共に戦い、先輩の力も借りて、全力で相手に立ち向かう……そんな想いを込めて。


 ニードルが弾け飛ぶ。狭い室内を埋めるように舞った赤き塩粒は俺の両腕へと再び収束して、あらゆる絡繰を使いこなす手甲へと再形成される。


「――我ガ名ハ、マリオネットマインド」


 ウルトラマリンのガントレットが装着されると共に、自分の普段の声とは違う、人間本来が使えていた血の言葉――緋色の流れの声が俺の口から発せられた。


 そして操縦桿を握る。


「う……あぁあああ!?」


 その瞬間スクーターに触れた時とは比べ物にならないほどの情報が腕の先から頭へと流れ込んできた。思考が熱を帯びる。体中の血液が沸騰したように、熱く滾るものが体中を駆け抜けていく。意識が肉体から離れていく感覚。個であった自分が世界へと溶け込んでいく。視界が拡大し、世界が頭の中に取り込まれていく。。この世の果てまでも見渡せるような凄絶な感覚が俺をかき混ぜた。熱した鉄のように体が熱い、熱イ、アツイ!


「……熱いぃぃぃぃいぃいぃいい! ……!?」


 酩酊状態にあった俺は、自分の発した絶叫で我に帰った。


「……はぁ、はぁ」


 とんでもないくらいの情報の波が、まだ俺の中に荒れ狂っている。しかし頭のどこかでは、それを冷静に見下ろしている自分がいる。……大丈夫だ、いける。そう自分に言い聞かせて、まず最初の操作、キャノピーの閉鎖を実行する。頭の中に浮遊する操作方法から、コクピットハッチ開閉に該当する操作を選び出すと、無数に存在する計器類の中から開閉ボタンが見つかった。それを閉の方向に動かすと、開いたままだったキャノピーが閉じた。


 よし、最初の操作はできた。次は機体の立ち上がりだ。フットレバーを踏み込み、立ち上がりの操作を再現するトグルスイッチを上げる。今度は機体引き起こしに該当する操作方法を選び実行すると、ドールハンマーは素直に従ってくれた。


 直立に戻った機体を、悠然と待ち構える銀色の巨人の下へ進ませる。進む途上に下を見ると、朱音三正を横抱きに抱えたままの先輩が「だから言っただろう、本人が望む形へとニードルは変化すると」という顔で見上げていた。ああ、確かにあんたの言うとおりだよ!


「今度は、俺が相手だ」


 銀の巨人の正面にドールハンマーを一旦制止させ、そう言い放った。


『『――ヨウヤク、僕ト対等ニ戦エル者ガ来テクレマシタカ。弱イ者ヲ簡単ニ潰シテシマウノデハ巨悪トハ言エマセンカラネ。自分ニ挑戦シテ来ル強者ガ居ナイト巨悪ノ証明ガ出来マセン――』』


「その余裕の態度……もう終わりだぜ!」


 気合一閃、その勢いに任せてドールハンマーを突撃させる。


『『――ソレハ、アリガタイ!――』』


 銀の巨人は両腕を突き出し、余裕の体で鋼の巨人の突進を受け止めた。


 お互い両掌を合わせ力比べの格好になる。


 巨人の上腕の筋肉が盛り上がった。


『『――人類ノ希望ノ力トハ、コノ程度デスカ?――』』


 ドールハンマーの四肢がギシギシと軋む。間接の一部からはネジが吹き飛んでいる。


 ちくしょう……もっと力を! 出力補正用のトグルスイッチをバチバチ上げる。あんまりパワー全開にしても回路やらモーターが焼き切れてしまうので、そんなに無理もできない。しかしそのかいあって今度はドールハンマーが圧し始める。


『『――多少ハ、アノ御嬢様ヨリヤルヨウデスネ。デモ、マダマダ――』』


 銀の巨人は不意に手を放すと体を沈ませた。急に力の拮抗を失ったドールハンマーは勢い余って銀の巨人の肩に衝突、巨人はそのまま勢いを付けて立ち上がる。その一連の動きでショルダータックををアッパーカットのように食らってしまう。


「ぐはっ!?」


 ドールハンマーはその衝撃で2メートルほど飛び上がり、再び地面に沈む。極限まで揺さぶられたコクピットの中で、脳までぐちゃぐちゃになるほどかき回された。


「……く、そ」


『『――コレデ、終ワリデスカ?――』』


「……まだだ!」


 俺はふらつく頭をさらに振って意識をなんとか元に戻すと、再び機体の引き起こしの操作をし、その勢いで右腕を突き出しながら相手へと飛び掛った。巨人はその攻撃を左腕の外面にドールハンマーの拳を乗せるようにして回避すると、自分もその勢いを利用するようにその場で回転、巨体が再び元に戻ったときには、巨人の左手の甲がドールハンマーの腹部にめり込んだ。


「ぐあぁあ!?」


 5階建てのビル程度なら軽く倒壊させられるだろう凄まじい裏拳を食らって、ドールハンマーは再び倒れ伏した。緊急を告げるアラームが鳴り響いている。まるでドールハンマーが痛い痛いと泣き叫んでいるようだ。すまねえな、俺がもうちょっと上手くお前を動かせればこんなにも痛い思いをさせないで済むのにな。こっちは操縦席から巨人を動かしている、向こうは巨人そのもの。その反応力の差が歴然と力の差に出ている。


 だが……それがなんだ。俺たち人間はこの機体を乗りこなせなければ、ギガフォビアの驚異から助からないんだ。そんなことで、負けるわけにはいかない!


「こなくそ!」


 俺は再びドールハンマーを立ち上がらせる。そして間髪入れず相手に飛びかからせる。


「!?」


 コクピットのガラスの向こうから、巨大な拳が迫ってきた。今まで受けの姿勢を保っていた銀の巨人が始めて積極的攻撃を見せた。俺はドールハンマーの姿勢制御用レバーを下向きに叩きつけて姿勢を低くする。その直後俺の頭上を岩石みたいな拳が通過していく。そして相手の必殺の攻撃をよけられたということは、一瞬でも巨人に隙が生じたということだ。俺はそのチャンスを活かすようにドールハンマーの両腕を振り上げ巨人の腕を掴んだ。そのまま右肩に担ぐように固定する。このままバックして相手を引き倒せられれば勝機が見える――


「……動かない!?」


 俺はバックギアの方にフットバーを踏み込んでいるのだが、機体が後退しない。脚関節から悲鳴のようなギアの噛み合わない異音が聞こえてくるだけだ。銀の巨人は体を斜めに構え足を開き、手練の武道家のように悠然と姿勢を保っている。その完璧な重心制御によりビクしない。


 力(パワー)の差までこんなにあるというのか……いや、相手だって元々人間だったんだ、留寿は巨人となった自分の体を上手く使いこなしているということなのか。何度も大男への変身を繰り返し、大きな体となった自分をどのように動かすかということを学習していたのか。


 こんなヤツに……勝てるわけがない。いくら巨大ロボットの操作がマリオネットマインドですぐできるようになったとしても、相当な訓練を積んだヤツが相手では、操縦覚えたての素人が戦うのと変わらないじゃないか!?


『『――ワザト此方カラ攻撃ヲシテワザト隙ヲ見セタノデスガ、ヤハリ駄目デシタカ――』』


 銀の巨人はドールハンマーに右側面に回り込むように体を捌くとそのまま自分の右腕を捻るように引いた。ドールハンマーは相手の右腕を掴まえているので同時に引っ張られてしまう。相手の腕を離せばいいのだが、既に姿勢を崩されているので巨人の腕に身を預けた格好になってしまっている。銀の巨人は拘束が若干緩んだドールハンマーの手からスルリと腕を引き抜く。支えを失ったドールハンマーは再度地響きを上げながら地面に沈んだ。


「……ぐぅ」


 静かになったコクピット内。もうアラームすら鳴ってない。機械の故障か、ドールハンマー自身すら諦めてしまったか。


『『――前ニ忠告シタ筈デスヨ。正義ノ味方等居ナイト――』』


 何度目かの擱坐を晒しているドールハンマーを見下ろしながら、銀の巨人が冷たく告げる。


 くそ……やっぱり駄目なのか? 俺たち人間は巨人には勝てないのか?


「……?」


 その時、モニターの一つに、ある一点を見つめたまま立ち尽くしている先輩の姿が映っていた。先輩はドールハンマーを見ていない、銀の巨人も見ていない。朱音三正を横抱きのままで何かを凝視している。そして今まで気を失っていた三正も何かに惹かれるように先輩の腕の中で目覚めた。そして目覚めた直後の三正も、先輩が見ている方に目を向けると、そのまま固まった。いったい二人は何を見ているんだ? 俺がそう思ってドールハンマーのカメラの一つを、二人の視線の向かう先に動かし――


「……!?」


 そこは蘇芳病院の本棟だった。その窓という窓に人が立ってこちらを見ていた。あれだけの数の人間、医師や看護師の病院で働く職員の訳がない。病院の中における人口密度のもっとも高い人々――患者たちだ。


「患者たちが、目を覚ましています!?」


 看護師たちの叫び声が聞こえた。


 看護師も陸保の保安員と同様、根源的恐怖に晒されて動けないでいたはずだが、患者が目覚めるという異常事態を目にしてその圧力が薄れたらしい。


 ギガフォビアにかかり麻酔で眠らされた患者は、目覚めた瞬間に止まっていたギガフォビアが再始動してしまうはずだが、窓際に立ち尽くす患者たちにはその兆候が見られない。更に周りを見れば、ギガフォビアに掛かっていた保安員もいつの間にか苦しみから解放されている。


「この戦いに……呼び起こされたのか?」


 その光景を目にした先輩が思わず出した声を、集音マイクが拾った。


 ギガフォビアにかかり、ギガフォビアの進行を遅らせるために眠っているはずの患者たちが、起きている。そして見ている。俺を、ドールハンマーを。俺たちの戦いを。


 ……まさか、まさか、まさか!


 その中にはアイツも!?


 俺はアイツが眠っているはずの病室の窓をカメラに走査させた。……あった、アイツの6人部屋。窓際にはそのベッド数と同じ数の人影。全員が病院着……居た。


 何度男の子に間違われても絶対伸ばそうとしないベリーショートが、ひと月半の入院でずいぶん伸びて女の子らしくなっている。そんな風にして自分の矜持を曲げてでも眠り続けてずっと待っていたアイツが、目を覚まして……その唇が動いた。


「****」


 アイツが言葉を形にした。一つの言葉を。


 そうだ……そうだったな。


 お前あの時、今口にした言葉と同じことを言ったんだよな。ギガフォビアに侵され意識を失う直前、お前は言ったんだよ、倒れる前に俺にこう言ったんだよ!




「……たすけて」




 オオオオオオオオオオ!!!


「そうだよ! たすけてって言ったんだよアイツは!!!」


 俺の咆哮とドールハンマーの咆哮が重なった。沈黙していた機関が再び回り、雄叫びのような駆動音が機体の内側から聞こえだす。お前、機械のくせに俺の気持ち判るのか? そうか、だったらもう少し俺に付き合ってくれるか。


「アイツが助けてって言ったんだ。だから俺はこの世に戻ってきた。アイツの病気を治すために! 見えざる巨人を倒すために!」


 オオオオオオオオオオ!!!


 ドールハンマーの機関の回転数が更に上がる。俺の昂揚とシンクロするように。


「お前が俺たちにとってのギガフォビア(見えざる巨人)と同じだっていうんなら……お前を、倒す!」


 俺はフットレバーを蹴り付ける。その勢いのままドールハンマーが立ち上がり銀の巨人に向かって猛ダッシュする。銀の巨人が捕まえようと巨腕を振るうが、俺はドールハンマーを横転直前まで傾がせギリギリでかわした。そのままの勢いで巨人の側面に回りこみ、両手を組み合わせて振り上げ、振り下ろす!


『『――甘イ!――』』


 しかしその渾身の打撃を、銀の巨人は腕をクロスさせて防いだ。更に体を正面に向けながら密着させ、ドールハンマーの胴体に両腕を回し羽交い絞めにする。


『『――サテ、捕マエマシタ。ソロソロ終ワリニシマショウカ――』』


 銀の巨人はこのままドールハンマーを上下に真っ二つにするつもりらしい。金属のひしゃげる嫌な音が響く。


「……甘いのは――お前の方だ!」


 俺はドールハンマーの手で巨人の上腕を掴ませると、ありったけのトグルスイッチを上げた。


「パワー全開だドールハンマー!」


 オオオオオオオオオオ!!!


 ドールハンマーが再び咆哮を上げると同時に、巨人を捕まえた腕に設計限界のパワーが送り込まれる。


『『――何ィ!?――』』


「こっちは機械なんだ、単純なパワー勝負だったら負けないぜ!」


 工業用機械万力に挟まれたようなものだ。さすがの銀の巨人も身動きできないだろう!


『『――僕ノ事ヲ捕マエタ様デスガ、ココカラドウヤッテ攻撃スルノデスカ?――』』


 しかし銀の巨人も既にドールハンマーが機体限界の力を出していて、もう長くは持たないのは判っているらしい。あと数十秒耐えれば銀の巨人の勝ちだろう。金属のひしゃげる音がさらに大きくなり、各部の危機が負荷に耐えかねてショートしていく音が混じり出す。


 すまないなドールハンマー、お前は関係ないのにこんな人間同士の戦いに巻き込んじまってな……でもあと少しだけ、そいつのことを捕まえていてくれるか?


 オオオオオオオオオオ!!!


 ドールハンマーの機関が俺の願いに答えてくれたかのように、限界を超えて回転数を上げた。


『『――往生際ガ悪イデスネ。サァ、終ワリデス――』』


「終わるのは、お前の方だ!」


 俺は三正の残した黒いニードルを引っつかむと、キャノピーの開閉ボタンを押した。コクピットが強制開放されると共に、目の前にある顔面向かって俺は飛び出した。


『『――!?――』』


 狙うは巨人の左目。そこには留寿の顔がある。巨悪だからこそ、余裕で披露した弱点の場所。だが今となっては、それが命取りだ!


「俺たち人間は、もうお前らに潰されるだけの存在じゃねえ!」


 俺たちの戦いを見ている視線の全てがその答えだ! ここで俺がこんな支離滅裂な世界なんて終わらせてやる!


 俺は渾身の力を込めて黒いニードルを銀の巨人の左目へと振り下ろした。グシャ……硬いものが裂け、砕ける音。全力で振り下ろした黒いニードルは銀の巨人の分厚い瞼に遮られ砕けた。


『『――フフフ、ハハハハハ!――』』


 巨人の嘲笑。その笑いと共に左目が開かれた。


「やっぱり詰めが甘いのは紅河君のほうだったみたいですね」


 勝利を確信したのか留寿が瞼の奥から現れた。


「本当に詰めが甘いのは……どっちだ?」


 そして留寿が見たものは、マリオネットマインドを解除して再び元の姿に戻った、俺の赤きニードルだった。


「!?」


「このニードルの赤は人間本来の生きる意志、血の叫び! この緋流の詠声を聞いて、お前が本来いるべき世界へ逝け!」


 ニードルを再び振り下ろす。留寿は再び瞼を閉じようとするがもう間に合わない。


「お……あ、あ」


 両目と鼻の三点の間にニードルを叩き込まれ、留寿の顔には口だけが残った。


「……」


 力を消失した銀の巨人がグラリと揺れる。


「……あなたには……こっそり,、教えましょう」


 口だけ残った留寿の顔が、最後の力を振り絞るようにそう言った。


「……立ち向かってくる相手を堂々と退けてこその巨悪ですが――堂々と敗れても、巨悪なのですよ……」


 残された唇がそれだけ告げると、満足げに微笑んだ。


「……」


 力を失った巨人が倒れてゆく。ドールハンマーにもそれを支える力は残ってない。その巨人とドールハンマーの上に乗っている俺も運命は同じだ。高さ的には10メートルなので上手くすれば両足骨折くらいで済むかもしれないが、俺自身にも落下する体制を気にする体力が残ってない。倒れゆく巨人とドールハンマーから振り落とされるように、俺の体が離れた。


 巨人は倒した。俺が生きて帰ってきた役目は果たした。だからもうここで死んでも――


「今キミは、ここで死んでもいいと思っただろう?」


 そう声が聞こえたと同時に、体がふわっと浮かぶのを感じた。


「……先輩」


 テンションレッグをはめたままの先輩が相変わらずの驚異的跳躍力を見せて、落ち行く俺を抱きかかえて受け止めてくれていた。


「勝手に死を選ばれては困るぞ。わたしはまだキミの死を悲しんで慟哭したくないからな」


 凄まじい地響きを立てながら地に沈む二体の巨人の前に、俺のことを横抱きにした先輩が着地した。


「それにしてもようやくキミのことをお姫様抱っこできた」


 確かにこんなシチュエーションでもなければ、あんたに体を預けることなんてないからな。脇を見るとそこには先に下ろされていた朱音三正がいて、痛い視線で俺を見ている。


「……どうだよ俺の抱き心地は?」


 もう状況が状況なんで自虐的に突っ込んだ。


「朱音三正の方が柔らかくて気持ちよかったな」


 そうだろうさ!

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