第三章 01
「ようやく、ここまでたどり着きましたか、待ちくたびれましたよ」
「……副会長」
俺たちがこれから探し出そうとしていた人物が、そこに立っていた。
「まぁいきなり大盤振る舞いで丸出しにしても興味を失してしまいますけどね。最初はちょっとずつ小出しにしなければ興味を引くことはできない。だからこのスピードなら一応は合格ですかね」
乾いた拍手の方に目を向けると、留寿(るうじゅ)順一郎が立っていた。周りを見渡すと保安員は誰もいない。俺たちが二人きりになるタイミングを見計らっていたか、
「あなたたちに『オーガネスト』でちょっかいを出せば、ドールハンマーが出てきてくれると思いましてね。現状での力量は見させてもらいました」
じゃあやっぱり白き巨人はドールハンマーとの戦闘が本来の目的で、俺たちとの戦闘はどうでも良かったのか?
「何を考えている、何故こんなことをする、副会長?」
「あなた方からドールハンマーが本当に巨人相手に戦えるのか? という情報を得る為です」
先輩の問いに副会長は素直に答えた。
「何の、目的で?」
「僕は待っていました。会長からドールハンマーというギガフォビア用の究極治療薬の開発建造が行われているという情報をもらってから、僕の目的を達する物が遂に出来た喜びと共にね」
「その目的とは何なのだ?」
「そのお話をするにはもう少し説明をしないといけません。聞いていただけますか?」
「聞こう」
俺も頷いた。
「フフ、ありがとうございます。さて問題のドールハンマーなのですが、僕を相手にするには少し力不足のような気もしましたが、裂弩君にしては良いことをしてくれたみたいで、その要素に関しては解消されそうですね。僕自身もいつギガフォビアそのもので死ぬか判りませんからね。その意味では一刻も早く目的を達成したいのですよ」
副会長の視線が、一瞬だけ俺のニードルの方に向けられたような気がした。
「最初は裂弩君をドールハンマーとしての役割――正義の味方に仕立てあげようかと思ったんですよ『オーガネスト』でね。元々『オーガネスト』もそのために作ったものですし。でも裂弩君経由でドールハンマーの存在を知ったとき、その計画は変更されました。彼は元々正義を名乗れるほどの器でもありませんし」
しかもその計画を頓挫させたのは裂弩自身の情報提供なのか。
「しかしドールハンマー自体の詳しい性能は今まで知ることができませんでした。会長のお父上は陸自派の議員。建造しているのは陸保。いくら影響力があるとは言っても肝心な部分は教えてもらえません。そんな訳ですので、陸保所属の正規ニードライバーならその完成情報も持っているだろうと。だから赦殿高校(ここ)に餌を蒔きました。大男という餌をね」
それで見事に俺たちは餌に食いついちまったのか。海老でも針についてたか。
「でもまさか、怪我で入院したという事になっている我学校の生徒がニードライバーとなって帰ってくるとは思いませんでしたけどね。同時にドールハンマーの格納場所も知る事ができました。随分と都合の良い場所にしまってあるものです。まぁあれはワクチンですからね、一応」
「その情報は一体どうやって手に入れたんだ? 裂弩会長は何であんたの意見だけは聞くんだ?」
俺は副会長が披露する秘匿情報の数々と、前から気になっていた疑問を、ここぞとばかりにぶつけた。
「簡単なことです」
「簡単?」
「金を出して買ったんですよ」
「……買う?」
「裂弩君に関しましては、息子に対して意見を言える権利を裂弩議員から買いました」
確かに親からの命令であれば誰の意見でも聞くようになるだろう。しかし、そんな手段とは。
「意外に簡単な買い物でした。一人息子だというのに大事な跡取りという認識よりも、都合良く使えるコマの一つくらいにしか思っていなかったのですね」
それもこの時代(ギガフォビア)のなせる技なのだろうか。自分より先に息子が簡単に死んでしまう可能性もかなり大きいのだし。
「貴重な情報を買うには同じだけの情報を用意しなければなりませんが、人間一人を買うのは結構簡単なものなんですね、良い勉強になりました。まぁその辺をシリアスにしてしまうと色々問題はありますので、裂弩君は僕の家庭教師をしているという態(てい)になっています。それの報酬としてお父様の口座に幾ばくかの金が振り込まれているのです」
会長としてはその家庭教師歴も将来の政策にとって有用な経歴の一つになっただろうに、今となっては無意味だ。しかし教師役と生徒役がまったく逆だな。確実に教師が生徒に教えられている。
「お二人(ニードライバー)に関する情報も金で買えましたよ。裂弩君が『ショートレンジ』であるという情報も」
先輩がニードライバーになった時代には、まだ親族に『ショートレンジ』がいるという情報が流されていた。その方法を使って必要な情報を手に入れたのか。陸保関係の誰かに接触して。
「その潤沢な資金はどこから得たんだ?」
「僕の家族が殺され、後には多額の保険金だけが残ったと説明しましたよね? それですよ」
自らに起こった不幸で得た資産の有りかを副会長が淡々と説明する。
「あんたの同好会の活動資金もそこからなのか?」
「そのとおりです。資金繰りよりも場所の確保の方が面倒でしたけどね。裂弩君を会長に据えて盤石な体制を築き、その威光を持って秘密の同好会を管理する。裂弩君を外から見たら有能な生徒会長にしていたのも、そのためです」
そのためだけに裂弩は会長をやっていたのか。いや、その程度の使い道しか無いのだろうな。そしてたまたま使ってもらえる人間に出会えたからこそ、あれだけの生徒会長になれた。
「潤沢な資金をたった一つの目的のために使ったらどうなるか――大抵の夢はかなってしまいますね」
「あの同好会の研究のことか? 本当は一体何をやっているんだ?」
「肉の研究ですよ。それ自体にブレはない」
「あの研究員の二人も金で雇ったのか?」
「もちろん。学会には認められず、それでも自分の理論は証明したい。ギガフォビア絡みでもそんな風に燻っている者は多くいる。そんな人たちに研究の場を用意しただけです」
確かに……ギガフォビア研究者の全員が赤坂室長みたいになれる訳じゃない――だけど
「でもそれは正規に認められた者には、確固たる信念があったからじゃないのか!?」
「ええ、そうですよ」
「!?」
なんだこいつ? 何を言おうとしている?
「正義になる信念もなければ悪になる信念もない。ただ持論を発表して自慢したいだけ。そんなクズ学者は多量にいる。でもクズはクズなりに利用価値はある。そして必要がなくなれば処分してしまえばいい。出たゴミクズはクズかごへ――僕もそのように指導しましたよね?」
あの渡り廊下での昼過ぎの接触が思い出される。今から考えてみればあそこに落ちていた塩の塊も、副会長がわざと放置したものなのか。自分の計画を進めるために。
「裂弩君も『ショートレンジ』であり、陸保の影響を与えられる人間の息子なのですから、そんな逸材とこの学校で偶然出会えたのは中々の僥倖でした。もっともその二つを失ったら裂弩君はただの莫迦ですけれども」
右腕的存在だった副会長にもそんな風に思われていたのか。自業自得というか不憫というか。
「それにしても、これだけ証拠をばらまいているのに気づくのが遅すぎですよ。でもこちらもドールハンマーが完成し、いつでも本来の目的に投入できるという情報を得る必要がありましたので、ある程度は焦らす必要はありました。だから差し引きゼロといったところですか。潜入して三日というのは及第点の評価ですね」
「あなたの頭の中だけで勝手に完結して欲しくないな」
今まで黙っていた先輩が決然と言う。そうだ、まだ終わってない。
「あんたの目的って、結局なんなんだ? もう説明は終わっただろう。あんたが目指そうとしているものを説明してもらろうか」
「あなたたち人間が希望としているものを完膚なきまでに叩き潰して、自分が巨大なる悪――巨悪であることを証明したい」
俺の問いに、副会長はあまりにも簡潔に答えた。
「人類が最も恐れる巨大な悪の根源へと僕はなりたい。それが僕の目的です」
巨悪……こいつは絶対の死病であり見えざる巨人である、ギガフォビアそのものになろうとしているのか?
「家族の全てを失ったとき、悪と称される存在が、ほんのちょっとの気まぐれで僕を助けてくれたあの日。正義の味方なんてこの世にはいないってことに気づかされたあの瞬間。僕の中で何かが大きく変わるのを感じました。前にそれを聞かれたとき、自分の中の気持ちが大きく変わったとお答えしましたが、一つ嘘をついておりました。肉体そのものも大きく変わっていました。内から染み出す強者へ変じたいという欲望。それに精神と肉体が同時に犯され、狂うほどの食欲が肉体に巻き起こりました。そして気付いたときにはソレを平らげ、見事な大男に変態していた」
副会長が遂に大男の正体は自分であると告げた。しかしそれよりも
「食ったのかあんた……**を」
「いいえ、死体損壊をしてしまっては僕が疑われますからね。ちょうど隣の家に前からうるさいと思っていた大型犬が三匹ほどいましたので、ソレを食させていただきました」
それでも吐き気をもよおす話を、副会長は務めて淡々と語る。
「しかしそれも一時的な変化。大男止まりでそれ以上大きくなれない。すぐに元に戻ってしまう。だからこれ以上大きくなるには人為的操作が必要なのだろうと。そのために同好会という名の研究機関を立ち上げ、さらにそれ以上の進化を得るための機関を作った。その後に得られた情報では、僕以外に巨人になろうとした者――ラトロワというそうですけど、それらは全て自壊してしまったそうですからね。それも克服しませんと意味がありません」
そんな情報まで掴んでいるのかこの男は!?
「会長が持っていた灰色のニードルもそのためのものなのか?」
「それは巨人になるための塩を作った副産物です」
「副産物?」
「一回しか変身できないはずの『ショートレンジ』に複数回の変身能力を与える。まだ命名はしていませんでしたが、そうですね、あなたがたの命名ルールに従うなら『回数制限(カウントリミット)』といった感じでしょうか」
「カウン、トリミット……」
「会長には特別に製造段階から塩の巨人になるようにデータを入れておいてもらいました」
第二次成長を最初から決めてしまう。回数制限付きニードルならそんなことまで可能なのだろうか?
「キミはそこまでして何をしたい? そこまでして巨悪になってどうしたい?」
「自分の欲望を叶える」
先輩が発した改めての問いに、副会長が答える。
「自分の欲望に従って生きるのは、今の時代、普通でしょう? なら僕はその欲望に従い悪になろうと決めた。しかもどうせなら小さい普通サイズの悪ではなく、巨悪になりたい。人類史上最悪の悪になりたい。それだけですよ」
それが現状において人類最悪の存在である、巨人になることなのか。
「僕はそのために準備をした。そのための餌もまいた。そして見事に食いついてくれた。希望通りの情報も釣り上げた。あとは実行に移すのみです」
「釣った魚に、逆に食い殺される危険性は感じなかったのか?」
先輩がコートからニードルを引き抜いた。副会長への改めての問いは彼が倒すべきなのかどうなのかを決める最終判断だったようだ。そして先輩はその答えを聞いて副会長は制圧する目標であると定めたようだ。相手が俺たちが相手すべき『ショートレンジ』とは限らないが、ここで止めなければ、終わる。それだけの危険度だ。俺もケースからニードルを抜いて構える。
「確かにあなたがた二人を相手にしたら釣り上げた直後に手足の一本ずつくらい食いちぎられそうですよね。でもですね」
「でも?」
「食べれば手足くらい簡単に生えてくるようになっているんですよ、今の僕はね」
そう言った瞬間、副会長の胸郭が内側から破裂するように膨張した。
「!?」
「先ほど専用の塩漬け肉を食べたところです。そろそろ効果が現れてくるころですね」
その膨張は腕、足と連鎖していき、最後に頭が膨らんだ時、副会長の着ている制服が避けた。
散り散りになったブレザーの中から現れる銀色の巨体。
「……銀色の大男」
先に副会長自身が正体を示す事を言ったが、改めてその変身課程を見せられるのは鮮烈だ。久良臼会計に大男役をやらせているのではないかと予想もしたが、それは完全に虚構だったか。
「『ええ、この姿では用具倉庫の上で会った以来ですね、お久しぶりです』」
寺の鐘突きを酷く失敗したような割れ声が響く。
「『さて、僕はこれから目的を達成するために移動します。第一の目的地はこの学校の敷地内です。場所の特定はお二人にお任せします。僕も準備に少し時間が掛かりますので、正直なお答えはお許しを』」
「なぜそんな情報を?」
「『僕は巨悪になりたいのです。巨大なる悪は正々堂々としているものです』」
微妙に卑怯な気もするが、思わせぶりな部分も巨悪の演出か。
「『では、これにて』」
「待て! キミが始めたパーティーだろ! 主宰が途中退場は許さん!」
いつの間にかテンションレッグを装着していた先輩が、コートを脱ぎながら銀の大男に向かって飛びかかった。
「『あなたからダンスのお誘いを受けるとは光栄ですね』」
輪舞(ロンド)を舞うように空中で放たれた回し蹴りを、大男は余裕でガードする。
「『ですが僕には野暮用ができてしまいましたので』」
「女からの踊りの誘いを断るとは失礼千万だぞ!」
「『ごもっとも』」
銀の大男はその非礼を詫びるつもりなのか、懐に入り込んだ相手の右腕と腰を掴み、ペアダンスの開始姿勢のような状態で先輩を捕縛した。
「!?」
先輩も相手を突き放そうと思わず肩を掴み、二人でワルツを踊るような体制になる。
「『でも今はやっぱり無理ですね。普通の人間として再会できましたら、今度は僕の方からお誘い申し上げます。たとえそこが地獄の底でも、受けてくれますか?』」
大男はその場で華麗にターンを決め、力の頂点で手を離した。振り回された先輩は腕一本では相手に掴まりきることができすそのまま吹っ飛んできた、俺に向かって。
ちょっと待て、またこのパターンか!?
受け止めようと手を差し出すが、勢いの落ちない先輩はその上を通り過ぎ、俺の顔面に先輩のヒップがヒットした。
「ぐふぉっ」
強烈すぎるヒップドロップを食らって俺はその場に沈む。
「『少しやりすぎましたか? あなたに死なれては困りますので手加減はしたのですが』」
手加減!? 俺がニードライブ症候群で強化されていなければ確実に首の骨は折れてたぞこの紺色の弾丸は! 中身の柔らかさなんて意味がねえ。
「『まぁ大丈夫そうですね。ではあらためて、失敬』」
病棟での戦いの時のように重なり合って蠢く俺たちを残して、銀色の大男となった副会長は相変わらずの凄まじい敏捷力を見せて姿を消した。
「……すまんな、なんどもなんども」
「いや、もう……いいから」
「キミの顔面に尻を押し付けてしまったハプニングをしばらく使用して妄想にふけりたいところだが、今はその暇はなさそうだな」
「ああ、懸命な判断だ」
先輩がよろよろと立ち上がり、俺も遅れて立ち上がる。
「副会長の行き先って……あそこだよな」
「肉を食らい変化するのだから、あの場所しかあるまい。しかも大男以上になろうとしているのだから多量に必要だろう」
俺たちはその場所、体育館へと急ぐ。今日の昼に会長が自ら後夜祭用の食材を納品していたあの場所。その意味では月一に予定されていたイベントやその後の後夜祭も全て、その変身用の素材の大量確保がそもそもの目的だったのか。それもドールハンマーの完成時期に合わせていつでもスライドさせて実行可能になっている。なんて用意周到な計画だ。
「ラトロワって『ショートレンジ』からしか発症しないんだよな? じゃあ副会長も『ショートレンジ』陽性者だったのか?」
移動中、俺は副会長の体質の謎を先輩に訪ねた。
「ジュジュくんが『ショートレンジ』であるという記録は陸保の方には無い。単純に検査漏れか、それとも段階を経ずに直接発症する新種のウィルスになってしまったのか」
先輩はテンションレッグを装着したままなのでかなり上の方から説明が聞こえてくる。コートは再び着ているので中間モードといったところか。
「クワトロ……ってやつか」
「いずれにしろ彼の口ぶりからすると、かなり完成度の高いラトロワ型巨人が生まれるのは確かだろう。ここまで自信を持ってわたしたちに全てを公表してからの変身なのだから」
「確かに」
体育館前に到着すると正面扉が無理やりこじ開けられていた。
大男としての怪力で開いたのだろう入口を俺たちも通り、中に入った瞬間――
「……!?」
「……!?」
体育館の中は、ある一つのものに満たされていた。
根源的恐怖。
人の肉体に刻みつけられた、死への概念。体育館の中には破壊されてさらに訳の分からなくなった形状の塩の芸術品と、後夜祭で使われる予定であった生肉の残りが散乱している。これから行われるはずだった祭の、台無しにされた姿。
その中心。これから代わりに始まる狂祭の主演。絶対死を演出する舞台装置が一つ。
会長が変身した塩の巨人を一回り大きくした銀色の物体が、こちらに尻を向けた状態で肉塊を貪り食っていた。
巨人。
あれは塩で作られたまがい物なんかじゃない、本物の巨人だ。
『『――御待チシテマシタヨ――』』
銀の巨人が俺たちに気づいたらしく、グルリと巨大な顔をこちらに向けた。
『『僕モヨウヤク御腹イッパイニナレテ人心地ツイタ処デス。既ニ人デハ無イノニ人心地……今ノ僕ニハ似ツカワシクナイ言葉デスネ――』』
大地の地脈そのものを振動させているような声。理解できない発音なのに、体そのものが無理やりその声を認識している。地球そのものに流れる血液が震える音。龍脈の声――そんな言葉が頭を過ぎる。
銀の巨人が四つん這いのままこちらに向き直った。その挙動と連動するように口にくわえていた肉片が噛み切られ、俺たちの手前に落ちてきた。カケラといっても50キロはあるに違いない。それと共に灰色をした棒状のものがバラバラと落ちる。会長が持っていたグレーニードルと同種のものか。何時の間に運び込んだのだろう。会長とドールハンマーの戦闘中か?
しかしその食事行為……あいつはニードルそのものを食っているということなのか。
『『――ドウデスカコノ姿、怖クテ声モ出マセンカ?――』』
確かに――怖い。俺たちがニードライブ症候群という巨人と戦うための病に侵されていなければ、立っていることすらままならないだろう。根源的恐怖。これが、本物の巨人。
全体的には大男をそのまま10メートルサイズに巨大化させただけの印象なのだが、それでもその存在感は段違いだ。形状的な相違があるとすれば、開かれているのは右目だけで、左の瞼は閉じられたままということぐらいだ。
『『――空腹モ満タサレマシタノデソロソロ僕ハ出カケル事ニシマショウ。人間達ニ絶望ヲ振リマキニ――』』
銀の巨人がそのとき、閉じられたままだった左目を開いた。
「!?」
そこには眼球の代わりに留寿順一郎の人間としての顔があった。
「僕はニードライバーではありませんので明確な弱点はありませんが、多分この僕自身の顔を貫けば死ぬでしょう。所詮は人間から進化した巨人ですので、人間としての弱点が残っているのも悔しいものですね」
その顔から発せられた言葉は、まだ普通の人間の声をしていた。留寿本人は俺たちに向かって薄く微笑むと、再び巨大な瞼を閉じて姿を消した。
「……なぜ、そんな、自ら弱点を、教えるようなことを、する……?」
先輩が体から無理やり搾り出すように声を紡いだ。戦士として強いはずの先輩でも、これだけの根源的恐怖が前では、耐えるだけでも必死らしい。留寿が人間の言葉で喋ってくれたおかげで根源的恐怖の呪縛が少し緩んだらしい。俺も少しだけ平気になれた。
『『――絶望ダケヲ与エルノハ巨悪ニ反シマス。希望モ与エマセントネ――』』
希望……。どこまでスカシたヤツだ。これだけの大きさになってもまったく性格は変わらないらしい。
『『――ソシテ、アナタ方ヲ此処ヘ招イタノハ、僕ノ真ノ姿ヲ披露シ、ソノ上デ僕ガ向カウ目的地ヲ教エル為デス。僕ガ向カウ最終目的地ハ、蘇芳病院――』』
「!?」
何だと!? こんなヤツがそんな場所に向かったら……混乱なんかじゃすまないぞ!?
『『――僕ハDOLLHAMMERトノ戦闘ヲ求メテイル。場所モ指定シマス。決戦場ハ蘇芳病院ノ正面広場――』』
こいつの目的は人類の希望を完膚なきまでに叩き潰すこと。それを実行しようという訳か!
『『――ソレガ守ラナレナケレバ市街地ニ侵攻シテ無差別破壊ヲシマス――』』
破壊。コイツがただ歩き回るだけ全てのものが破壊されるだろう、人間の精神も含めて。
くそ……コイツを何とかここで食い止めなければ……できるのか、俺たちに?
『『――僕ヲ此処デ食イ止メヨウトシテモ無理デスヨ、小サキ者達――』』
銀の巨人は……それすら既にお見通しなのか!
『『――小ヨク大ヲ制スナンテ言葉ヲ人間ハ良ク使イタガリマスガ、物ニハ限度トイウモノガアリマス。ソノ限度ガ巨人恐怖症ガ治ラナイ根源デス。僕ヲ倒シタケレバ針一本デハ力不足。打出ノ小槌ヲ用意シテ下サイ、一寸法師ノ御二人――』』
銀の巨人は両腕を伸ばすと脇に転がっていた肉塊を両手に持ち、それをクロスさせるように俺たちに向かって投げつけてきた。
「!?」
よけるまもなく俺たちの胴にそれはぶち当たり、その勢いのまま壁際に叩きつけられた。
「ぐはぉ……」「ぐ……」
根源的恐怖に満たされたこの空間では先輩も上手く動けなかったらしく、俺と同じようにまともに食らって隣で呻いている。
『『――ソレデハ再ビ、失敬――』』
銀の巨人は上に向かって右腕を突き出すと、いとも簡単に天井をぶち破った。破口に両腕を入れて広げ、そこから器用に抜け出していく。
「くぅ……」
ドールハンマーと同じかそれ以上の轟音級足音が徐々に遠ざかっていく。肉塊の直撃を食らった俺たちは、そのダメージで身動きが取れないまま、遠ざかる音を悔しげに聞いていた。しかしこの肉塊は軽く百キロはあるよな。毎回思うが良く生きてるもんだよ俺。さっき死なれては困るとか言っておきながらこの手加減の無さはなんだ?
「……こんなのを食らうぐらいだったらまだ先輩の尻の方がよかった」
「……ありがとう」
「……褒めてねえ」
同じように大ダメージを食らった先輩は、まだ身動きが取れない状態で腕だけなんとか動かすと、携帯を取り出して何処かへかけた。
『なによ?』
通話先は朱音三正らしい。先ほど喧嘩別れしたような相手からの突然の電話だ。語気も自然と荒くなる。
「朱音三生……大変なことになった。本当に……ぐふっ、本物の巨人が、現れた」
口の中を切ったらしく、血を吐き出しながら先輩が説明する。
『どういうことよ?』
先ほど塩で出来た巨人との大戦闘を終えたばかりである。疑う声になるのも仕方ない。
「赦殿高校に巣食う大男が進化して、巨人になった。ラトロワだ」
そのラトロワという言葉を聞いた瞬間、朱音三生が息を呑むのが電話越しに判った。
『……本物ね』
「ああ、自壊するような兆候は見られなかった。本物だ」
『……』
先輩が嘘を吐くような性格ではないのも三正は判っているらしくそれだけで確信したらしい。
「巨人はドールハンマーとの戦闘を求めている。塩の巨人型『ショートレンジ』はドールハンマーの力量を見るためにそいつが用意した前哨戦だったらしい」
『そんな……』
「場所も指定された。蘇芳病院の正面広場だ。それが守られなければ市街地に侵攻して無差別破壊をすると警告された」
あの巨人はただ歩くだけで疫病をまき散らす。あの姿を見ただけでいったい何人ギガフォビアを発症するか想像つかない。今は陸保による規制でこの街の通行人はほとんど皆無になっているが、それもいつまで持つか。
『ドールハンマーとの戦闘……その巨人の目的は、ドールハンマー自体の破壊?』
「そのようだ。人類の希望を打ち砕きたいのだと」
先輩が重々しくその事実を告げる。
「塩の巨人よりも激しい戦闘が予想される。患者たちを退避させられるか?」
『無理よ。いったい何人寝てると思ってるの?』
あの病院から全ての患者を逃すとなると、一日はかかる。無理な話だ。
『それにその条件に従っても、そいつが病院に到着したら千人単位の患者が人質として移行するってことじゃない。いったいどうすれば……』
「ひとつだけ方法がある」
『……なによ?』
「あなたが、巨人を倒せばいい」
『……』
そうだ、まだ何も終わってないし何も始まっていない。死病に対する治療薬(ドールハンマー)という希望が悪鬼を倒してくれれば、それで全てが終わり、始まる。そしてそれが朱音三正の仕事だ。
『ニードライバー(あななたち)は……一緒に戦ってくれるの?』
携帯のスピーカーから流れてきた今にも泣き出しそうな朱音三正の声。いつでもクールな三正がそんな弱音を吐くとは、この電話越しに根源的恐怖が伝わってしまったか。
「あたりまえだ」
そのらしくない弱々しい声に先輩が強く答えた。そして先輩が俺の方に目を向ける。俺は親指を立てて同意を示した。
「わたしたちは同じ第八対策室の仲間だ! ちゃんと仲間を頼れ、室長代理!」
そうだよ、俺たちは啀み合う仲なのかもしれないが、今はそんな時じゃねえ!
『……わかったわ。全力を持って、阻止する。そいつの企みを』
朱音三生は命を賭す覚悟を決めたように自分の方から通話を切った。
「さて……そろそろ立てるか?」
先輩が軋む体を無理やり動かすように立ち上がった。
「ああ、室長代理が命を懸けようってんだ……早く加勢に行ってやらなきゃな」
俺もまだまだ倒れていたい気分だったが、そういう訳にもいかない。
「うごぉあ……助け……」
痛む体を引きずりながら学校の正面玄関へ向かう途中、何人かの保安員が地面に倒れて苦しんでいた。ギガフォビアだ。何の事前情報も知らされずに、あの銀の巨人を直視してしまったためにいきなり発病してしまったらしい。
「こちら赫凰三正だ。要救護者数名、校舎脇渡り廊下付近、至急救助求む」
保安員が苦しみで投げ出してしまったらしい通信器を拾って先輩がそう吹き込むと、他の場所で捜索していたらしい保安員が駆けつけてきて、苦しんでいる同僚に麻酔処置を行なった。
「事態は余りにも深刻な状況に進んでしまっているらしい」
「そのようだ」
保安員のてきぱきとした対応を後ろに見やりながら俺たちは再び急ぐ。一箇所に固まった状態で保安員があの巨人を見たら、初期処置ができる者が誰もいない状態で今頃全滅していただろう。俺たちニードライバーは正規の保安員とは立場が違うので、悪用されてしまう可能性のある麻酔薬の常備は基本的にしない。
そしてあの巨人は街中に解き放たれてしまった。一体どれだけの被害者が出るだろうか。
「……」
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