第二章 09

 とりあえず予定の変更を告げる者がいないので俺たちは通常通り、夕方には再び学校に戻ることにした。


 本来その役目は室長代理になった朱音三正の仕事なのだろうが、今後のことを何も言わずに行ってしまったのでどうにもならない。陸保の諜報部に仕事を頼もうにも、室長代理がいないので要請もできない。なので自分たち独自で行動するしかなくなった。


 それに赤坂室長は「明日一日は今日と同じ行動をして」と言い残している。その指示に従うのも務めだ。たとえ今日一日しかその指令が有効でなくとも。


「……」


 俺は早めに病院を出てこの場所を訪れていた。アイツがギガフォビアに倒れた場所。俺がアイツを追うようにギガフォビアに倒れ、その後にニードライブ症候群を発症した場所。


 ここは全ての始まりの場所。


人が住まなくなって何年も経つ地域。車一台なんとか通れそうな裏路地の行き止まり。今の時代の日本ではこんなゴーストタウンはいたるところにある。ここもその一つ。


 ここは病院からも学校からも結構遠い場所にある。だからまとまった時間がないと来れないので、ニードライバーになってから来るのは始めてだ。先輩は室長が死んだ後の引継ぎなどがあり、まだ病院にいる。室長代理でなくても受け継ぐべきことは色々とあるらしい。そのため先輩は少し遅れるので、俺はその分早めに病院を出て久しぶりにここを訪れた。


 やはりここに来てしまったのは、自分に近しいものが急にいなくなってしまったから――なんだろうか。しかし、ここで見えざる巨人を見てしまったアイツには、まだ帰ってこられる希望はつながっている。だが室長は、もうそれが途切れた。


「……あったか」


 周りを見ると、アイツが倒れる直前まで付き合ってた練習に使うペイントガンがそのままの状態で転がっていた。俺が前回ここを訪れたのはそれを回収しようと思ってやってきたのだが、その際にギガフォビアとニードライブ症候群を発症したので結局そのままになっていた。


 俺はペイントガンを手に取る。インクの残量はアイツとの練習で使った分しか減っておらず、誰かに遊ばれた形跡もない。元々ほとんど誰も来ない場所だ。こんなものを持ち去ろうとする者も現れなかったか。


 目新しい光景と言えば、古ぼけたスクーターが一台壁に立てかけられているくらいだ。捨てられたのか、それとも駐車しているだけか。


 駐車したまま持ち主が消えてしまった場合もあるのか。このペイントガンと同じように。


「……」


「ここにいたか」


 後ろから声をかけられた。もう随分と聞きなれた女性の声。


「先輩……なんでここが判った?」


「キミの血の匂いを辿ってきた」


 本当に? でもあながち冗談とも言い切れないんだよなニードライバー(俺たち)の場合。


「随分と早く病院を出たと思ったらこんなところにいたのか……ここは、わたしたちが始めて顔を合わせた場所だな」


 全てが始まった場所。それは先輩と出逢った場所、でもある。


「でも先輩はずいぶん前から俺のこと知ってたんだろ?」


「そうだな。キミを死から守り、キミに選択を与えるために、キミを見ていた。だからあのとき生を選んでくれたのは本当に感謝している。ありがとう」


 先輩は随分と死の方を進めていたけれども、それはそれで先輩の優しさの表れだよな。


「なぁ先輩、もし俺があの時にギガフォビアを発症していなかったら、どうなっていたんだ?」


「キミのことを遠くから永遠に見つめるだけになっていただろう。キミはニードライバーとしての戦いにも巻き込まれず、平穏無事な生活を送って天寿をまっとうする」


 それはそれで良かったのか? ――いや、良くはない。その平穏な生活にはアイツがいない。


「キミはなぜ始まりの場所(ここ)へ来た?」


 先輩が問う。


「任務を失い、指示を出してくれる者も失い、どうしていいのか判らない。だから全ての始まりであるここに来て、原点を見つめようとした……んだと思う、俺は」


「そんなことが考えられるとは、キミも戦士として強くなったな。第二次成長を迎えるのもそう遠くないかもしれない」


「先輩にそういってもらえるのはお世辞でも嬉しいよ」


「そうか。……キミの幼馴染くんもここで倒れたんだったな」


「ああ」


「しかし、キミと幼馴染くんはこんな人気のないところへ何の目的で来ていたんだ? エッチな目的か?」


「そんなワクワクするような顔で訊いてくんなよ!」


 シリアスな雰囲気ぶち壊しじゃねえか!


「アイツは家の事情でちょっと特殊な古武道をやっていてな。それの付き合いだよ」


「古武道?」


 先輩が不思議そうに呟くのと同時に、突然この路地の中が大排気量の内燃機関の騒音に満たされた。


「なんだ?」


 路地の入口にトラックの荷台が見えた。それがそのままガソリンエンジンを轟かせて迫ってくる。トラックと両サイドの建物の間は人一人が抜けられるくらいの隙間しか空いていない。そこをすり抜けようとしても横から押しつぶされるだろう。くそ、誰だ! どこの誰が、俺たちを圧潰そうとしている!? どこかの狂人が俺たちを標的に何かをやらかそうってのか!?


しかし俺たちに迫ってきたトラックは、十メートルくらい手前で停止した。だがエンジン音は止まっていない。油断は禁物だ。ギアが切り替わる音が聞こえる。トラックは止まった状態で荷台を立ち上がらせ始めた。


「!? トラックじゃない、ダンプか!?」


 しかもこのダンプ――昼に体育館前で見たやつじゃないか!


 ダンプには今度は生肉ではなく山盛りの白色の粒が積載されており、荷台の上昇と共に滝のように流れ落ちてくる。


「……塩か」


 飛んできた砂粒の瀑布の飛沫を先輩は宙で掴むと、数粒を口に含んでその正体を見極めた。


「塩?」


 荷台が完全に立ち上がり、載せられていた塩が再び地面に山を作ると同時に、運転席のドアが開き、乗っていた者が降車の勢いそのままに運転席の天板に乗り、更に限界まで上がった荷台の縁に飛び上がった。


「探したぞ」


「……裂弩(れつど)会長」


 ダンプの主は昼間と同じ者だった。


「彼が言ったんだ……お前ら二人を見つけて、戦えと」


 そり立った荷台の頂点に器用に立っている会長の右手には、棒状のものが握られている。


「あれは……ニードル?」


 鋭利な先端に後端には穴。だがその色は、俺たちが持っているのとは違って灰色だ。


「裂弩会長、その手に持っているのは、ニードルか?」


 いきなり常軌を逸した行動に出た会長に対して、冷静に先輩が問う。


「彼が言ったんだ。必要な情報は得られた。だから計画は最終段階に進むと」


 しかし今の状態の会長には、声が全く届かない様子。それにさっきから言ってる彼って誰だ?


 しかもあの会長の状態って……変身直前の『ショートレンジ』の症状そのままじゃないのか?


「彼が変身しろと言ったんだ……だから俺は、変身する!」


 やっぱり!? 会長はそう宣言すると、荷台の上からジャンプをし、塩の山の頂上へと着地した。豪快に塩をまき散らしたかと思うと、それが会長に向かって収束していく。会長の体が完全に覆われ三メートルはありそうな真っ白い大男が出現した。


「やっぱり大男の正体は会長だったのか!?」


 夜だったから白色が銀色っぽく見えたのか!? 大男出現後に塩塊が転がってたのも合点がいくし! しかし会長の変化は、まだ終わらなかった。三メートルの大男の体に更に塩がまとわりつき、今度は五メートルの大男が現れる。それでもまだ終わらず、その五メートルの大男に塩が取り付いていく。そうして全ての塩を使い尽くして、そこには七メートルはあろうかという大男が現れた。いや、既に大男という範疇は超えている。それはまさに


「……巨人」


 全身塩で作られた白き巨人がそこに立っていた。


「我ガ名ハ――オーガネスト」


 血を直接震わせる言葉を使って、会長が名乗りを上げた。


「なにものなんだ会長は!? 『ショートレンジ』!?『エブリシング』!? それとも『ラトロワ』か!?」


「わからん。だが」


 先輩がコートを脱ぐ。それと同時に紅きニードルを引き抜いた。


「ニードライバー(わたしたち)が対処すべき相手が現れたのは間違いない。彼の攻撃目標もわたしたちらしいしな!」


 ニードルが砕け散り、赤い飛沫となった塩が先輩の足に取り付いていく。


「我ガ名ハ――テンションレッグ」


 先輩も血脈を震わせる名乗りを上げニードルの変形を完了させた。


「……大丈夫なのか、あんなにデカイ相手」


 会長の変身した巨体を前に、俺は思わず訊いてしまった。


「まぁなんとかなるだろう。ニードライバーであるならばエンブレムを突けば崩れるのだし」


 しかして先輩は、そんな威容を前にしても冷静なままだ。やっぱり強いよこの女!


「それにわたしたちの本来の任務を忘れたか?」


「本来の任務?」


「わたしたちは一寸法師(針を操りし者)。元々があんなデカイ敵を倒すためにいるのだ。針一本で鬼を退治した者の後輩が、臆してどうする」


 その時、白き巨人が右腕を振りかぶった。それを俺と先輩の間に打ち下ろそうとする。


「跳べ!」「うわっ」


 先輩は俺のことを突き飛ばすようにして横っ飛びをし、俺は先輩に突かれた勢いも借りて壁際に転がり込んだ。俺たちが退避した直後今まで立っていた場所に白き巨人の右腕がめり込む。


 先輩は横っ飛びの勢いのまま横壁を蹴り付けると、そこを支点に三角飛びで白き巨人に向かって飛び出し、空中で回し蹴りを決めた。鋭利な刃となったテンションレッグのつま先部分が左顔面にヒット、塩粒をまき散らす。先輩は白き巨人の左腕に一旦着地するとそこを踏み台に再びジャンプし建物の屋根に飛び乗った。


「あまり効いていないようだな」


 屋根の上から間合いを取る先輩。白き巨人の顔面にはかなりいい感じに傷が走っているのだが、ダメージを受けた様子が無い。元々が塩の塊だしな。


 右腕を大地に突き立てたままだった白き巨人が再び立ち上がる。傷を付けられた顔を、傷を付けた者の方へ向ける。今度は左の巨腕を持ち上げ、先輩にぶつけようとする。だがその巨体が災いして、大ぶりに振りかぶった腕が建物に接触してしまい、辺りに震度2程度の弱震が発生する。先輩はグラグラ揺れる足場をものともせず、攻撃力の減少した左の拳を余裕でよけた。


 白き巨人はこんな狭い場所であんな巨体に変身したもんだから、上手く動けないでいるらしい。行き止まりに追い詰めた筈なのに、詰めが甘いのはいかにも単純そうな裂弩会長らしいが。


そんな相手の直情的性格を利用して、俺も何とか加勢しなければ。このままでは傍観者で終わってしまう。俺もニードライバーなんだ。戦わなければ意味が無い。


 まずはエンブレムの発見だ。先輩が言ったようにどんな相手だろうがニードライバーであればそこを突けば終わる。くそ、どこだ、会長のエンブレムは? 人の高さで届く位置にあるとは思えないが、せめて発見しないことには――そしていつでもそこを突けるようにしなければ。


 俺は左肩に吊っているケースからニードルを出そうと思って右腕を上げたとき、アイツとの練習で使っていたペイントガンを持ったままだったのに気づいた。――そうか、これか!


「裂弩ぉ!」


 屋根伝いに逃げ回る先輩を、建物に壁に腕を削られながら追い回している白き巨人に向かって俺は叫んだ。


 呼び捨てにされた怒りからか、先輩との戦闘中だというのに白き巨人はこちらに顔を向けた。その無防備に向けられた顔に銃口を突き付ける。距離は、12メートルくらいか。ギリギリの射程。でも大丈夫。俺はこれ以上の距離でちょこまか動くアイツに何発も当てているからな!


 全弾発射。すべてのインク弾が相手の目に命中する。白き巨人が本当に頭部の眼球部分で視界を確保しているかどうか不明だが、あまり深く物を考えないと思う会長が変身しているんだ、多分奇をてらった場所には無いだろう。


「オオオオオオォ!?」


 その予想は正解だったらしく、視力を潰された白き巨人は目を抑えるようにして暴れ出した。体中を建物に擦りつけどんどん削れていく。このまま放っておけば自滅するんじゃないのか――そう思ったとき、いきなり白き巨人が爆発した。


 本当に自滅? いや自爆? そう思ったときその爆音をかき消すほどの大音声がする。


「くそっ、ここじゃ狭すぎる! 俺の学校に来い!」


 その絶叫と共に、爆発力を利用するように何かが中心から飛び出した。会長が被っていた塩の塊が粉砕されるとその中から小型の――と言っても三メートル以上の大きさがあるが――塩の巨人が現れた。最初に変身したサイズだ。


 会長は塩の粉塵で俺たちを攪乱するようにしてそのまま逃げていった。意外に頭がいい――いや、たまたまか。コンパクトサイズになった会長は大男と同じくらいの敏捷力を見せ、跳んでいってしまった。やっぱりあの大男の正体は本当に会長だったのだろうか?


「しょ、しょっぱ……どうする先輩?」


 塩まみれにされてしまった俺は体に付着した塩粒を払い落としながら先輩に問う。会長を目撃した一般市民の悲鳴が遠くに聞こえ始めた。


「どうするも何も『ショートレンジ』が発動状態で現れたのだ。我々の任務はそれの制圧だ」


 俺の隣に着地した先輩が今後の行動予定を決める。


「しかしキミは随分と射撃が上手いんだな。助かった」


「アイツとの練習でかなり撃ってきたからな」


 奇妙すぎる古武道のさらに奇妙な練習の付き合いがこんなところで役に立つとは夢にも思わなかったけどな。


「裂弩会長は俺の学校に来いと言ったな。目標は赦殿高校に撤退したのは間違いない」


「そうだよな、急いで向かわないと」


 裂弩会長はなりふり構わず行動している。大事になる前になんとかしなければ。しかしここから学校へは遠い。先輩がテンションレッグを発動させて先行するのもあるが、夕暮れの街中で目立つ行動はマズイ。会長のように直情的行動をするのは俺たちにはまだ早計だ。


「では、失礼して――」


 俺がそう考えを巡らせていると、先輩が俺の背中と膝の裏に手を入れようとしている。


「ちょっとまて、何する気だ?」


「お姫様抱っこを」


「なんで!?」


「わたしにはテンションレッグがある。だからキミのことを抱きかかえて移動すれば、早く移動できる」


「止めてくれ!」


 それにテンションレッグって足回りの強化だけだろ! いくらニードライブ症候群で強化されているとはいっても、男の体を担いで長時間走るのは女の腕じゃ辛いと思うぞ。俺も一応165は身長あるから重いと思うし。というか俺たち秘匿存在が自分から目立っちゃダメだろ!


 くそ、どうする? 何か良い方法を考えないと。だから先輩もそんなワクワクしているような目の輝きで俺を見るな! お姫様抱っこは却下だからな! 嫌なイベントフラグを拒否する権利は俺にもあるって言ったろ!


 周りを見回す。会長が乗ってきたダンプ? 却下だ。あんなもん動かせるか。自転車でもあれば……そうか、スクーターがあるか。そうだな、あれが動かせれば。


 しかし残念ながら、俺は自動二輪の動かし方は知らない。ここにあるのは教習所での講習の必要がない原動機付き二輪車ではあるが、未知の機械へ挑むには抵抗があるのも確かだ。しかもこんなギリギリの状態で失敗してコケるのもマズイ。それに鍵がなければ動かない。


 地道に走っていくしかないのか――そう思っていると


「なんだ――頭の中に――声が――聞こえてくる?」


「どうした?」


「我ガ名ハ……マリオネット……マインド?」


 確かにそのように聞こえた。しかも今しゃべったのは自分の声なのに自分の声じゃないみたいな。体内の血が震えて、その振動音が言葉になったような。何かに導かれるように体が動く。右手に持っていたペイントガンがずり落ち、左肩に吊っていたケースからニードルを取り出す。


「――我ガ名ハ、マリオネットマインド」


 俺の口がその言葉をもう一度形にした瞬間――


 右手に持ったニードルが爆散し、それが砂粒となって腕にまとわりつき始めた。


 これって……先輩がテンションレッグを装着する時と同じ状態? じゃあ、俺も遂に!?


 一瞬にして、俺の肘から先には手甲(ガントレット)状のパーツが装着されていた。全体のカラーリングはウルトラマリンブルーにサポートカラーのブラック。その隙間には先輩と同じように血管を思わせるスカーレット。


「マリオネットマインド――人形使い、いや、この現象から鑑みるに、絡繰使い……そんな意味だろう」


 ニードライバーの先任である先輩が補強の説明をしてくれる。遂に俺も、先輩と同じ第二次成長を遂げたのか!? しかしこんな状況で!? 普通は戦闘中の極限的状況とかから成長するもんじゃないのか!? 裂弩との戦いはなんだったんだ?


「キミのエンブレムは随分と目立つ部分に付いているな」


 先輩が早速俺の弱点を発見した。俺も確認すると右腕の表面にデカデカと付いている。


「もし間違ってここでニードルを防御しちまったら即気絶だな」


「そうだな、エンブレムの場所だけはニードライバーの思い通りにはいかない。わたしも本当は内ももの部分などセクシーな部位に欲しかったのだが」


 ニードライバーの神様ありがとう! あなたがこの女に付けた紋様の場所は正しい!


「とりあえず装着はできたが、何をすればいいんだ?」


 指先をカチャカチャと動かしてみる。分厚い手甲をはめているというのに、ほとんど違和感がない。すごいな第二次成長。


「キミは何を考えてそれを装着できた?」


「えーと、あのスクーターを動かせれば、と」


「だったらあのスクーターに触れてみろ。何か起こるはず」


 俺はそう先輩に促されてハンドルを握ってみる。その瞬間


「うぉっ……なんだ、」


 情報の本流に突き落とされるような落下感。


 胸に突き立てられたニードルから流れ込んできた感覚と同じ――でも違う、全身に違う何かが侵食していく感覚。三半規管が麻痺する。平衡感覚が消失する。狂った五感。歪む視界。どこまでも落ちていく――落ちていく。自分は地面に立っているというのに。


「大丈夫か?」


「は!?」


 もはや自分がどのような体制になっているのか判らなくなっていたとき、先輩の声が呼び戻してくれた。ほんの一瞬だけ、俺は世界から切り離されていたらしい。だがその一瞬で俺は


「スクーターの動かし方が、頭の中に、いっぱい」


 原動機付き自転車の操作説明が、頭の中に刻み付けられていた。


「それが第二次成長だ。本人が望む形へとニードルは変形する」


「俺の能力ってこんなんなの!? こんなの教習所通えば誰でも使える能力だよ!」


「原付ならば教習所すらいらないぞ」


「ヒドイ突っ込みだ!?」


 俺ってこんな能力を得るために生きて帰ってきたのか? もっとこう先輩みたいにかっこいい力が欲しかったよ……。


しかし俺のそんな嘆きなんかどうでもいいように、スクーターの操作方法がどんどん自動的に理解されていく。鍵のない状態での強引なスタート方法まで判ってしまった。


「ていうかそのためにはキーを入れる蓋を壊さないと」


「どけ、わたしがやる」


 一瞬で状況を判断したらしい先輩は、テンションレッグを履いたままの右足を振り上げると、キーの差し込み口だけを蹴り飛ばした。


「これで良いか?」


 ひらっとスカートを格好良くなびかせ右足を着地させながらの台詞。いつものブルチラのおまけ付きだ。


「ああ充分だ!」


 俺は露出した銅線のカバーをひん剥くと、起動回路を直結させてエンジンを始動させた。でかい手甲をはめているというのにこんな細かい作業も平気なのはこのマリオネットマインドのおかげなんだろうな。そうして起動状態にしたスクーターのシートに跨ぐ。


「よし、急ごう」


 そう言いながら先輩が後に乗ってきた。テンションレッグは既に解除済みで、脱ぎ捨てたコートも着ている。元々二人乗りでない機械に二名が強引に乗車したため、必然的に必要以上に体が密着することになる。


「さぁわたしの胸の感触を味わいつつ急いでくれ」


「そんなこと女の方から言うなよ!」


 しかし背に比例して胸もデカイなあんた! バストサイズでも男と間違えられるアイツとはえらい違いだな!


「なに、金は取らんぞ」


「あんたのプレイに付き合わされる俺の方がバイト料もらいたいよ!」


「しかたないな。終わったらちゃんとしたギャラを」


「いらない!」


 そんなもんもらったら俺の中の大事な何かが終わる!


「というか先輩、テンションレッグがあれば走って付いてこれるんじゃないのか?」


「む、バレたか」


「バレるわ!」


「だが真面目な話をするならば、こうやってキミに体を預けているのは体力の温存だ」


 ……この人、急に真剣になるから困るよな。ホント女子の気持ちなんて、男にとっては永遠の謎だよ。


「それに、キミはバイクの運転を速攻でマスターできても、道交法はマスターできていないのではないか?」


「は、そういえば」


 原付は教習が必要ない代わりに、道路交通法に関しては自力で覚える必要がある。確かに動かすだけならば、交通ルールを知らなくても動かせる。私有地内なら無免許であらゆるものが動かせるのと同じ理屈だ。だからスクーターに訊いても道交法までは教えてくれない。


「わたしがナビになる。急げ!」


「……判った」


 走り出す前、俺は一瞬だけその方へ目を向ける。来たときと同じように地面に転がるペイントガン。アイツに助けられた。眠り続けるアイツに。


「……また取りに来るから、それまで待っててくれ」


 持って行ってやりたいが、多分この後の戦闘では邪魔になる。俺は苦渋の決断を告げた。


 しかし再び置き去りにされようとしているペイントガンは、力(インク)を使い果たした自分にはもう助ける力は残ってないから気にしないで――そう言っているように思えた。



 建物とダンプの間の隙間を何とか通り抜けると、先輩のナビゲーションにより夜の街中へスクーターを走らせる。意外にも的確なナビによりすいすい進んでいく。先輩も18歳なんだから車の免許くらいもっているのかもしれない。というかだったら先輩がこれを運転してくれたら良かったんじゃないのか? せっかくのニードライバーとしての第二次成長をコレの運転のために使うことも無かったのでは!?


「なぁこの塩の針って、一回変形しちまったらもう違う形にはならないのか?」


「どうだろう。とりあえずニードルの第三次成長を果たしたニードライバーの報告はないな」


 ニードライバー版のラトロワの出現は希望薄しか、ちくしょうめ!


「というか今さらなんだけどこれって窃盗なんだよな」


 それ以前に無免ノーヘル二人乗りという重度の交通違反状態ではあるが、原付の紛失はまた違う事件のカテゴリーだ。


「まぁ陸上保安庁の方でなんとかしてくれるだろう」


「なんとかならなかったら?」


「バイトして弁償するんだな、古本屋チェーン店で」


「そういうオチか! でも先輩も乗ってるんだから同罪だぞ?」


「ああ、わたしはピザ屋の面接をもう一度受けに行くことにする」


「……そういう生真面目な部分はホント尊敬するよ、あんた」


「なんだ、惚れたか?」


「惚れない!」


 その時、後方からサイレンの音が近づいてきた。


「早速来ちゃったよ!」


「むぅ、しょうがない。緊急事態だからテンションレッグで吹っ飛ばすか、あの車」


「やめてくれ!」


 しかしそんな会話をしている俺たちの隣を、その車両はものすごい勢いで通り過ぎていった。しかも俺たちは無視で何台も通り過ぎていく。


「あれ?」


 しかもその深い青(ディープブルー)に彩られた車体は


「陸保の車両だな」


 車体側面にもデカデカと白色で「陸上保安庁」と書いてある。


「なんだこの緊急展開は?」


 制服姿の男女が重度の交通違反状態だというのに陸保の車輌は脇を通過していくのみ。俺達は一応陸保登録の正規ニードライバーだからその辺は放置なのか? 今はありがたい限りだが。


「何か別の事件でも起こってるのか?」


「いや――そうか、わたしたちに着いている支援係が情報を流したか」


「どういうことだ先輩?」


「塩で出来ているとはいえ、巨人が現れたのだ。朱音三正が待っていた本来の敵が」


「そういうことか!」


 配下の情報係から塩の巨人出現の報を受けて、ようやく自分が出動できる状況が来たもんだから、こんな大騒ぎになってるのか!? この騒ぎはあの女の仕業!?


「……あれは」


 後方を伺っていた先輩が、遂にやってきたソレを見つけた。


「ああ、先輩のご想像どおり、あれがドールハンマーだ」


 二車線をまたいで爆走する紺碧色の巨大トレーラーが近づいてくる。ドールハンマーはその上に、電線に引っかからないように極力身をかがめた状態で乗っでいた。今はまだイベント用のハリボテを輸送している態(てい)で済んでいるようだが、あれが動き出したら大混乱だろうな。


『そこのニードライバー、道を開けなさい!』


 そのトレーラー備え付けらしいスピーカーから、あの女の声が聞こえた。


『巨人を狩るのは――あたしの仕事よ!』


 朱音三正の怒声。殺るき満々でお出ましだ。


「ここから先は代行者の代行者の仕事、のようだ」


 先輩はそう告げると俺に道を譲るように指示する。俺もそれに従って路肩に寄せた。


 代行者の代行者。それが俺たちの天敵であり、俺たちの仕事を引き継いでくれる者、ドールハンマー試験操縦士、朱音美羽三生の仕事か。死病に対する特効薬が遂に必要とされる場面が訪れたのだ。道を譲るのはそれまでの代行者としては当然の行為だな。


「それにしてもこれがドールハンマーか……カッコイイな」


 俺たちの前を地響きを上げながら通り過ぎる巨体を見上げて、先輩がそんなのんきな感想をいっている。実は脇にどかせたのは、近くでこの巨大ロボが見たかっただけか?


 ドールハンマーを載せたトレーラーが通りすぎるとき、助手席に乗っている朱音三正の姿が見えた。道を開けたことにより俺たちには興味を失ったのかシカト状態だったが、一瞬だけこちらに流し目をした。その目は「ここからの主役はあたしよ」と、雄弁に語っていた。


「なぁ、俺たちの仕事はこれで……終わりなのか?」


 主役を下ろされてしまった俺たちはもうこれで用無しなのか?


「そういうわけにもいくまい。このまま赦殿(しゃどの)高校には向かう。脇役には脇役なりにやることもある。彼らのようにな」


 先輩が街中に溢れ出した陸保の車両に顔を向ける。彼らは通行人や住民に退避を呼びかけ始めていた。


『これから陸上保安庁が状況に入ります。付近の住民の方は素早く家の中に避難してください』


 一般市民のみなさんに軍隊用語を平和主義国風に「状況」と言い換えているのがイマイチ伝わらないのか、外を歩いている人の数は減らない。しかし陸保のみなさんもここが活躍時とばかりに人を押しのけ始めた。野次馬如きに人類の未来がかかった戦いを邪魔されるのは御免とばかりに強引な制圧を行なった結果、ドールハンマーを載せたトレーラーが赦殿高校に到着する頃には辺りから人の気配が絶たれた。すごいな陸上保安庁。明日の朝刊が楽しみだ。


 そうして露払いが行なわれたのちに、俺たちが遅ればせながら赦殿高校に到着すると、再度変身を完了させた塩の巨人が校庭に立っているのが見えた。今現在学校には大量の塩があるからな。変身する素材には事欠かないだろう。


 スクーターで正門から乗り入れ、脇に乗り捨てると役目を終えたマリオネットマインドを解除した。どうやって元に戻すのか不安だったが、気付いたときには元のニードルになっていた。考えるより感じろってことなのだろう。俺たちは復活した白き巨人の前まで急ぐ。校内に展開した陸保の保安員に止められるかと思ったが、そんなこともなく手前まで素通りに進めた。


『太蔵……久しぶりだわね。中学ご入学依頼かしら?』


 大地を穿つ轟音と振動を伴って、白き巨人の前に鋼の巨人が歩を進める。ドールハンマーも既に起動状態にあるらしく、コクピットに収まった朱音三正の声が良く聞こえた。少し緊張が混じっているのがわかる。あの女でも緊張するなんてことがあるのか。まぁ初の実戦だしな。


 輸送中には気付かなかったが、ドールハンマーの左肩には俺たちのニードルをそのまま巨人サイズに大型化させたモノが付いていた。いや、あのサイズだから既に杭(パイル)だ。そのパイルを射出できる建設現場の重機のようなデバイスをドールハンマーは装備している。火砲の装備ではないにしたってあんな物騒なものを付けていいのか? 本当に法律って不思議だな。


 そろそろ没しようとする夕焼けを背景に退治する二つの巨体。凄い絵だ。ドールハンマーが始めて歩くのを見たときに人類の夢が叶ったのだと思ったが、本当に今このときこそ、見果てぬ夢が叶った瞬間なんだろうな。正義の味方の方が上背があるのが様にならないが、仕方ない。


『あなたも随分と大きくなったわね? でもあたしの方がまだ大きいみたいね』


 初戦闘前の緊張をほぐすためか三正がはぐらかすようにいう。しかしその大きさも自分の利点に変えるとはさすが朱音三正だな。というか子供時代は三正の方が大きかったのか。


『太蔵、昔から嫌な奴だとは思っていたけど……まさかあなたと差しで戦うことになるとは、思わなかったわよ!』


 朱音三正の方が先に仕掛けた。


 ドールハンマーが右足を踏み込み相手への距離を詰める。一瞬にして相手の懐に迫ったドールハンマーは右の拳を突き出した。相手の左胸にヒット。表面が削れ塩塊がまき散らされる。白き巨人はそんなダメージは食らった内に入らないのか、臆すことなくカウンターで右ストレートを出す。しかし朱音三正もその反撃は予想済みだったか、ドールハンマーの左マニピュレータでその拳を捕らえた。


『砕けなさい!』


 拡声器から聞こえてきた三正の声と共に、ドールハンマーの左腕を動かす駆動音が早くなったような気がする。そしてその直後、廃車がスクラップ場で解体重機に潰されるような音がして、白き巨人の右拳が砕けた。「おお!」という響めきが、校庭に展開した陸保の保安員から上がる。巨人を倒すために作られたその機体が、本当にその役目を果たしているんだ。


 ドールハンマーが意外にも人間的な動きで相手を翻弄しているのには、俺も正直驚いた。最初はパワーショベルで襲いかかるみたいにとにかく力圧しで相手を単純に潰すイメージしかなかったのだが、そうではなかった。人間のようななめらかな動きが再現されている――と、までは言えないが、人間大の二脚歩行ロボットをそのまま大きくしたような動きは出来ている。遥かに巨体なために動きはそれに準じた遅さと鈍さがあるが、それでもそれを考えた上での動きをこなしていた。巨人を狩るのはあたしの仕事と宣言しただけはあるよな。さすがだな試験操縦士(テストドライバー)。その腕は確かに認めるぜ。


 だが、右手を潰された巨人はそれをものともせず、逆にもがれて自由になった右腕を振り上げてドールハンマーに叩きつけた。だが朱音三正はそれも予想していたのかドールハンマーをバックさせてギリギリでかわす。白き巨人の右手首から先があったら、ドールハンマーの胸郭の一部はへこんでいたかもしれない。


 しかし白き巨人にとっては戦うべき相手が俺たちから交代してしまったのだが、その辺はあまり気にしていないのだろうか? というか、白き巨人の中身である裂弩は、最初は俺たちの殺傷目的で現れたはずなのに、その目標が足元に来ても、まったく注意を向けるそぶりがない。まるでドールハンマーとの戦闘が本来の目的みたいだよな?


 その白き巨人は無事な方の左拳を今度は突き出す。ドールハンマーはそれを体(たい)を右肩を後方へ流しつつよけながらバックすると、左肩の装備を可動させ槍先を相手に突きつけた。


『この戦艦をも沈める鉄槍を食らって死になさい――対艦用鋼鉄射出槍(パイルバンカー)!』


 轟音と共に左肩に装着されたユニットから長槍が射出された。その力は過大な比喩でもなく、現在において唯一その艦種類別が許されたキーロフ級巡洋戦艦の装甲すら貫く勢い。その威力を持って白き巨人の右肩から先を吹き飛ばした。


 しかし技を打ち放なった直後の膠着状態を狙ったように、白き巨人は無防備にさらされたドールハンマーの左肩に手を伸ばすと、自分の右肩から先を切断したパイルバンカーデバイスを掴み、そのままもぎ取ってしまった。


『!?』


 大型の攻撃ユニットを失い大きくバランスを失ったところに追い打ちの拳が入る。更に塩の巨人はもがれた自身の右腕を拾って掴むと、それを棍棒のように振り払った。まともに胴に入ったドールハンマーは大きく吹き飛ばされ校庭の外壁に叩きつけられる。自分の肉体(モノ)であるのに自分の肉体(モノ)ではない扱い――いかにも裂弩会長らしい暴虐な戦い方だ。


 そんな戦法に翻弄されドールハンマーは沈黙してしまった。朱音三正もその衝撃で気を失ってしまったのか、鋼の巨人は動く気配を見せない。その姿に校庭内に展開した保安員から再び響めきが走る。今度は先ほどとは違い恐慌の方の響めきだ。それはそうだ、我らが人類の希望が倒されてしまったのだから。


 そんな希望と朱音三正の野望を見事に打ち砕いた白き巨人は、もがれた腕を再生させよう、肩の切断面に落とされた右腕を当てている。ゴリゴリという音をさせながら破損部分が吸着していく。しかも良く見れば潰された右手も再生され始めているではないか。


 白き巨人もその大部分は塩の塊だからな。多少の攻撃ではビクともしないのかもしれない。中身の裂弩本人を倒すか、エンブレム部分をニードルで突くか。どちらかをしなければ倒せないのかもしれない。体の大部分を失ったとしてもさっきのように離脱して、どこかで塩を補給すれば良いのだし。


 しかしそんな無敵の白き巨人も、今は自身のダメージを回復するのでいっぱいらしく、動きがまだ鈍い。やるなら――今か。


「ニードライバー(わたしたち)が出なければ、やはり駄目か」


 先輩も今が好機と判断しているらしい。


「このまま朱音三正とドールハンマーが会長を倒してくれたなら、歴史が変わっていたのかもしれないのにな」


 せっかく先輩も俺も、そのために主役を降りたのにな。朱音三正が大根役者だとは思わないが、相手が悪すぎたのかもしれない。


「彼を倒すには一撃必殺の高機動戦闘しかあるまい。だからキミの出番は残念ながら無しだ」


「だったらせめてこいつを持ってってくれ」


 俺は持ったままだったニードルを先輩に差し出す。俺自身は役に立たないが、このニードルだけなら役に立てる。


「このニードルが折れてしまって、そのままキミも死んでしまうかもしれないぞ」


「しょうがないよ。だから先輩に命は預けた」


 あんたの弟も、あんたのために自分の命を使ったんだ。後輩の俺も、それぐらいのことはしてやるよ。あんたはそれに値するだけの女だ。


「ならば答えてくれ。その命は死に使うための命なのか、生に使うための命なのか。それが判らなければキミの命は預かれない」


 かつて俺に生死を問うた女が、再びその選択を俺に迫った。


 また、死か、生、だと――そんなもの


「生きるために決まってんじゃねえか!」


 先輩はそれを聞くと、満足気に微笑んだ。


「よし、キミの命、預かる」


 俺の意思が通じたのか、先輩は素直に俺のニードルを受け取った。


「裂弩くん、今度はわたしが相手だ」


 白き巨人に向かって先輩が告げる。相手も先輩の方に顔を向けた。


 針をたずさえた小さき戦士が、悪さをする者へと向かってくるのだ。鬼役としては本能に従って顔を向けざるおえまい。それに裂弩が最初に向かってきた相手はこっちなのだ。


 先輩は自分のニードルも抜き取るとそれを左腕に持ち、俺のニードルと共に体の前で下向きにクロスさせた。


「灼け、灼たかに――血の言葉を詠え!」


 先輩の咆哮。それと共に両腕のニードルを広げると、左腕の一本が砕け散る。爆砕で生まれた赤い粉末が先輩の足に取り付く。先輩はふわりと軽く跳ぶと、浮いた状態の足に装甲脚が装着され、静かに着地すると同時に左手でコートを脱ぐ。裾が地面にはらりと落ちた。


「――我ガ名ハ、テンションレッグ」


 もう何ども聞いた血を震わせるその名乗り。なんと力強く頼もしい声だろう。


 右手に俺の赤いニードルを構え、左手には白いコート。その二つの色が重なる夕日の残り火に、先輩自身が燃え立っている。やべぇ……たまらなくカッコイイぞ。惚れそうだ。男が男に惚れる、そんな意味の惚れただけど。


「なぁ、惚れたって言ったら、先輩はもっと強くなれるか?」


 一度対戦したとはいえ、相手は朱音三正とドールハンマーを倒している。強敵を前にして先輩が強くなれるのなら少しでも協力したい。


「ああ、五割増しは確実だな。『おねえちゃんのえっち!』も付けてくれたら更に上がるぞ」


「……俺のこと弟とは認めないんだろう?」


「今この瞬間だけは特別だ」


 ……。


「――……おねえちゃんのえっち」


 ……。


「フルパワー200パーセントだな!」


 先輩がコートを落とす。合図。始まり。


 バゴン! という音と共に地面が陥没して吹き飛ぶ。自分が蹴りつけて打ち出したその土塊と砂煙の中から、先輩が塩の巨人へと飛び出していく。


 その勢いのまま相手の左腕に右足での全力の踵落としを食らわせると、そのまま一回転を決め、残りの足で二撃目を叩きつけた。その一秒にも満たない時間に受けたダメージにより塩の巨人の左腕が落ちる。再生途中とはいえ、ドールハンマーが戦艦をも貫く超槍を用いて破壊した腕を、先輩はいとも簡単にぶち壊した。先輩にとっては二回目の対戦だ。既に攻略法も判っているに違いない。何千もの塩の破片と巨大な腕と共に、先輩が落ちてくる。


「ふん」


 塩の破片が降りしきる中を優雅に着地した先輩は、軽く鼻を鳴らすと、その場で右回し蹴りを食らわし、それで深く削った場所へ全力の胴回し回転蹴りを叩き込んだ。


 胴回し回転蹴りは人体のすべての回転力を叩き込む大技なのだが、それゆえ対人対戦では命中率も低い。だが人間ではない相手に対して、木を倒す様に使ってみせた。


 足を刈られた塩の巨人は、既に左腕を失っている状態ではバランスを維持できるわけもなく、樹齢百年には達しようかという大木が倒れるがごとき音をさせて、地面に沈んだ。


「裂弩くん、これでおやすみだ」


 先輩は塩の巨人の上に飛び乗ると、俺のニードルを高々と振り上げ、既に見つけていたらしいエンブレム部分に打ち下ろす。


「もし次に目覚めることがあるのだとしたら、キミの職業にはダンプドライバーをお薦めする。本当に良く似合っていると思うぞ」


 大爆発。逃走時に見せた爆砕の何倍もの破裂が当たりを襲う。そして静かになったとき、


「……雪?」


 そこにいる誰しもが天を仰いだ。雪が降ってくる。鮮血色の日が没して、流れ出た血が凝固するように濃い紫色へと変化している夜空の始まりから、雪が降ってくる。


 五月の雪。誰かが夢見て病院の花壇に再現した願いを叶える奇跡の雪が、赦殿高校の校庭に実際に降り積もっている。そんなソルトダストと共に先輩が舞い降りてきた。雪の妖精(スノーホワイト)。そう見間違えても今は許されるだろう。


 というかこの女……ホントに巨人倒しちまったよ。

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