第二章 07
まだ終わってはいない。
だから俺たちは独自の調査を始めた。昨日の時点で怪しい場所を見つけているんだ。ギガフォビア快方という真の目的に対してどれだけの役に立つのか判らないが、何もしないよりはましだ。
「なんか急にバーベキュー大会が決まっちゃってさ。また今日もその調整で遅くまで帰れないよ。焼き台とか何台用意すればいいんだか。でも木を切らないで済むのは助かったけどね。久良臼先輩は力仕事向いてないし」
登校して教室に到着したとき、久利から新しい情報をもらった。塩祭後の後夜祭が変更されたらしい。今朝早く副会長からのメール一斉配信によってその変更は伝えられたそうだ。
前日まで探索目標としていた人物がいる場所で動きがあった。俺たちは予定通り午前中までの授業で早退すると、軽く食事を済ませ、生徒会室と副会長の同好会の並ぶ廊下へと向かう。
「……?」
生徒会のある一階へつながる廊下を歩いていると、体育館の脇に小型のダンプトラックが駐車されているのが見えた。
「何をしているんだ?」
そのダンプは疑問に答えるように、荷台を傾け始め積載されていた荷物を下に落とし始めた。土嚢を落として積み上げる何倍もの重い音がして、赤と白が混ざった大きな塊が予め敷かれていたブルーシートの上に投げ出された。
「なあ先輩、あれはやっぱり……肉、だよな」
「久利くんからバーベキューに変更されたと聞いたのだ。その準備用の搬入だろう」
しばらくすると生徒会雑用係と思われる者たちが台車を持って現れた。その肉塊は一人では到底持てないほどの重さらしく四人がかりで台車に載せると、体育館へと運び始めた。
「おお、運転しているのは裂弩くんか」
俺は一連の搬入作業を見ていて判らなかったが、先輩はそのダンプドライバーの正体に気づいたらしい。運転席のドアが開くと一人の巨漢が降りてきた。
「会長って自動車免許持ってるのか?」
「彼の誕生日は四月上旬のはずだから既に持っていてもおかしくない。それにあのダンプは2トン車クラスなので普通自動車免許だけでも動かせる。免許を持っていればの話だが」
無免っていう可能性もあるのか。
そんな不振がられている会長は、車を降りた後は特に指示を与えるわけでもなく、雑用係の作業を眺めている。もちろん手伝いに加わる素振りも見せない。俺がここまでダンプを持ってきてやったんだから、俺の仕事は終わりだと言わんばかりなオーラが漂っている。
しかし今さら会長の特異な行動を発見しても、あまり嬉しくない。本人自体は目標から外れてしまったからな。だがそれにしても
「会長のダンプドライバー姿って良く似合うな」
俺と同じブレザー姿だというのに、これからその格好で長距離輸送の仕事に行っても全然違和感のない似合いっぷりである。
「ああ、それはわたしもそうだと思った」
先輩も同意見らしい。ん? 会長を見つめる目がキラキラ光っとるぞ。ヤバイ兆候だ。
「というか、展覧会の準備も大詰めってところなのかな」
なにやら会長をネタにしてBL妄想を始めそうな雰囲気を、先んじて制する。
「そのようだな。詳しい話は生徒会室に行けば判るだろう」
と言いつつ名残惜しそうに会長を見ている先輩を連れて、生徒会室へ再び向かう。
生徒会室の並ぶ廊下は昼の休憩時間中とは思えないほどに静かだ。
昨日のように渡り廊下が現場ではないので昼でも閑散としているだろうと予想はしたが、思ったとおりの展開だ。せっかくの長い休み時間、用もないのに学校絡みの案件の多い場所をうろつきたくはないよな、一般生徒の気持ちとしては。
「……?」
問題の副会長の同好会部屋を通り過ぎて生徒会室の前に来ると、扉が少し開いていた。
「なんだこの音は?」
さらに中から、なにかを咀嚼する音が。しかも豪快に。ガフガフと大型肉食動物が餌を食らうような音。
「なんだ、この中に虎でもいるのか?」
先輩も同じような印象を持ったようで、そんな恐ろしげな予想をしている。意を決しそっと隙間から覗くと
「あれは……久良臼(くらうす)くんか?」
一心不乱に肉の塊に食らいつく久良臼会計の姿があった。というか先輩って女相手でも君付けなんだな。似合ってるからいいけどさ。
しかしなんだこれは? 昼飯……にしたって限度があるよな。
「のぞき見とは趣味が悪いですね」
緊張しながら中を覗いていた俺たちに、後ろから声をかけられた。
この声、もうずいぶん聞きなれた――振り向くと予想通り留寿(るうじゅ)副会長が立っていた。
「生徒会に何かご用ですか?」
「いや、たまたまここを通りかかったら、薄く開いたままだった扉の向うで久良臼くんが豪快に肉を咀嚼するのが見えてな。その食べっぷりに思わず見とれていた」
確かに俺もその異様な光景から目が離せなかったのは事実だ。
「それはそれは。扉をちゃんと閉めていなかった彼女にも非はありますでしょう、僕も同罪になりますので、のぞき見は不問ということに」
「すまんな」
副会長を解説役に加えて、三人で久良臼会計の大食いシーンを見ることになった。
「昨日もパンを随分と食べていた記憶があるが、彼女は大食い選手権にでも出場するのか?」
「そんな理由で彼女があんなにも食べているのでしたら幸せでしょうね」
副会長はため息を一つもらした。
「彼女は過食症なんですよ。しかも食べるために絶大なカロリーを消費してしまうために、太りもしない」
世の大半の女性が聞いたら羨ましい限りの病気だろうが、あの悲愴感漂う食べっぷりを見ているとその気持ちも消えるだろう。何かに怯えながら口を動かしているのが判る。
「彼女はギガフォビアから身を守るためにああして食べています。自分が食べて食べて食べまくれば巨人と同じだけ巨大化できるのではないか。そうすれば巨人も怖くなくなるのではないか。その概念に従って摂取を続けています。今は発作的に週に一回程度大量摂取をするだけで、毎日このようなことが起こるわけではありませんが」
それでもかなりの量ではあるよな。さっき体育館前で見た肉塊ほどではないが、大きさ的に子豚一頭くらいのサイズがある。それを週に一回とは。
「塩の展覧会後の後夜祭がバーベキュー大会になったそうだな」
先輩が今の肉の話題に載せるように、久利から入手した情報を副会長に問いただした。
「良くご存知で」
「わたしのクラスには書記がいるからな」
「そうでしたね。でも全クラスには生徒会の雑用係がいますので、それは共有情報ですね」
微妙に釘を刺すのは忘れないのか。お前たちだけの情報ではないと。
「昼から体育館へ後夜祭用の肉の搬入が行われます」
「それは見てきた」
「おお、お早い」
「会長が自らダンプを運転していたが大丈夫なのか? 免許はちゃんと持っているのか?」
「学校内は私有地ですからね。私有地内の運転に限っていえば免許は必要ないですよ」
「それでも運転技術は必要だろう」
先輩と副会長の間にピリッとした空気が再び流れた。
「まぁそれ以上は不問ということにしよう。先ほどの覗きの借りもあるしな。しかし、そんなダンプも動かせる会長が持ってきてくれた肉は大丈夫なのか? 生肉なのだろう、塩の展覧会開催日はまだ結構先なのでは?」
先輩が会長の免許問題はこれ以上の詮索は不要と判断して話題を切り替えた。しかもあの肉ってダンプの荷台に野ざらしで載っけてきたっぽいしな。
「あれはもともと冷凍肉ですし、木箱に詰め直して一日ごとにドライアイスも足しますよ」
「木箱? そんなものは見当たらなかったが?」
「キャンプファイヤー用に発注した木材がありますので、それを使って組み立ます」
「垂木(たるき)を加工して箱組するのは結構な手間だと思うが」
キャンプファイヤー用に用意されている木材は木造建築の柱の建材なんかにも使われる野太いものだ。縦に切って薄くするだけでもとんでもない労力だろう。久利と久良臼会計の泣き顔が目に浮かぶ。ああそうか、こういう時のための雑用係か。サボリ目的で役員になったヤツは、この裂弩体制の中では泣きを見ているだろうな。さっきもエライ目にあってたし。
「それにまだ五月ですし、肉の周りにドライアイスを載せているだけでも結構しのげますよ」
五月って言っても、もう片足は初夏に突っ込んでるぐらいなんだけどな。ホントに大丈夫か?
「それに」
「それに?」
「そのために研究を続けてきた我同好会ですから」
副会長が自分の同好会の扉を目で示しながら言う。今こそこの謎の同好会の実力発揮の時来たりか。
「キミはなんの目的で塩漬け肉の研究を行なっているのだ?」
「塩漬け肉で一つの時代を乗り切った当時の船乗りの故事にあやかってのことだと、昨日説明しましたが?」
「本当にそうなのか?」
先輩が疑いの目を向ける。確かに「大男」関係で一番怪しいのは副会長の同好会なのでもっと探りは入れなくてはならないのだが。
「数多くの研究のきっかけなんて、その場のふとした思い付きなのでは?」
そう言われてしまえば元も子もない。確かにほとんどの研究成果なんてそんなもんだ。
「まぁ今の目的としては、彼女にああして肉を提供してあげることですかね」
久良臼会計は後ろで自分のことが語られているのにも全く気付かないように、巨大な肉塊に挑み続けている。
「でもいつの日か彼女の肉体が消費と摂取のバランスが狂ってしまったとき、彼女自身が巨人になってしまうのかもしれませんね」
「巨人は無理でも大男くらいにはなれるのでは、今すぐにでも?」
――!?
副会長が口にした言葉へ付け足すように先輩がとんでもないことを口にした。大男の正体は久良臼会計!? 先輩は「久良臼会計=大男」という新しい図式を予想しているのか!? それが実証されれば怪しいと思われていた副会長の同好会が、問題の発生場所そのものになる!
「この肉を食らって彼女が巨大化し、この赦殿高校を賑わせている噂の大男になるということですか?」
その予想に何を馬鹿げたことをと、副会長がクスクス笑っている。
「だったらこうやって、そっと観察しているのがいいでしょうね。そのうち彼女の体がムクムクと大きくなって大男になるかもしれない」
自分の同好会が事件の真相であると断定されたに等しいのに、副会長が至極冷静に対処する。確かに、こうやって見張っているのが一番の解決方法だ。何しろ彼女は巨大化の原料と思われる大量の肉を摂取している真っ最中なのだから。
「でも根本的に間違ってますよ?」
「何をだ?」
「目撃情報があるのは『大男』であって、久良臼さんはレディーですよ?」
「それは、そうなのだが」
昨日見た「大男」はその呼び名通り男性的存在に思えたが、中身が女性であったならば、その雰囲気の違いで「大女」という噂になっていたのかもしれない。
「女の子を大男だなんていってしまったらかわいそうではないですか。もっとも大男とか巨人とか呼ばれる存在は、性別など関係ないのかもしれませんが」
確かにあの大男は性別とかを超越した存在のようにも思えた。
「巨人で思い出しました。僕はね、巨人に助けられたことがあるんですよ」
「巨人、に?」
俺も先輩もいきなり出たその言葉に訝しげな目で副会長を見る。
「ええ巨人です。そして今この星で巨人といえば、見えざる巨人ギガフォビアなわけです」
「どういうことだ?」
「まずその話をする前に、僕の家が襲われた話をしなければなりません。狂人に。殺人鬼という名の狂人に、僕の家は襲われました」
殺人鬼。正気を保つための狂気を、そのまま直接的欲望として再現してしまった人種。副会長にもそんな家庭事情があったのか。
「父が殺され、母が殺され、兄弟が殺され、最後に僕の番がやってきた」
自分のおぞましい過去を、副会長が淡々と語り始めた。
「しかしそのとき、殺人鬼が急に苦しみだした。それはどれくらいの時間だったのか、今となっては判りませんが、一つだけはっきりしているのは、そこにはぐしゃぐしゃに潰されていた殺人鬼であった薄っぺらい肉の塊が転がっていたということです」
「……」
「そう、僕は助けられてしまったんですよ、巨人に、ギガフォビアに」
巨人に……人間を確実に殺す病(ギガフォビア)に、助けられた。そんなことがあるのか。
「誰からも悪と称される存在が、ほんのちょっとの気まぐれで僕を助けてくれた」
しかし副会長は、そのおかげで生き残っている。それはまぎれもない事実だ。
「正義の味方なんてこの世にはいないってことに気づかされましたよ、その時にね。後に残ったのは、正義を司るはずの国家から支払われた、僕以外の家族全員の多額の保険金のみ。この世界の正義と呼ばれるものなんて所詮はそんなものです」
正義の味方なんてこの世にはいない――確か前にも副会長は同じことをいっていた。
「そう思った瞬間、僕の中で何かが大きく変わるのを感じました」
「何か、が?」
黙って話を聞いていた先輩が、副会長の言葉の中に不自然を感じ取ったらしい。
「何か……自分の中の気持ちが大きく変わったということですよ。話が過ぎましたね。まぁこんな役職をやっていると、ちょっと愚痴を喋りたくなる時もあるんですよ。すいませんでした。お詫びといってはなんですが、後夜祭では美味しいお肉をお出しますよ、我が同好会から」
しかし副会長はそれをはぐらかすように話を変えた。
「同好会(ここ)から出るとなると肉とは言っても塩漬け肉を出すことになるのか?」
先輩もそれ以上詮索することは不自然になると思ったのか止め、副会長の話に合わせた。確かにさっき搬入された肉に塩漬け加工すればかなり日持ちは良くなる。塩の展覧会はそんなには先ではないので、大航海時代のようにカチカチの肉が出される心配も少ないだろう。でもそれが美味しいかどうかは別の問題か。
「我が研究会はどこまで肉を美味しく保存できるかを研究しているのです。その点は問題ありません。事実、彼女はあんなにも美味しそうに食べているではありませんか」
生であれだけ食べられるのだから焼いてしまえば普通の肉と変わらなくなるのかもしれない。
「参加の選択はあなたがたしだいですよ。スタートボタンは、皆さん一人一人が持っています」
始めからゲームをやらないという選択は、これに限ってはまだあるってことか。
「ギガフォビアを受け入れるという行為も、一人一人に選択権があったら良かったのにな」
先輩が副会長の言葉にかぶせるように言う。
「そうですね……でも巨人恐怖症発症以前から、人間とは昔から鬼とか巨人とかを恐れていましたよね。それはなぜだか判ります?」
絶対の死病(ギガフォビア)に助けられたあまりにも稀有なる生還者が、問うた。
「鬼も巨人も人を食うんですよ」
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