第二章 06

 こういうのを、エンディング後の世界っていうんだろうか。


 朝に目が覚めたとき、何となく「戦いは終わった」と、妙に安心していた自分がいた。


 身支度を整えて病院のロビーに顔を出すと、既に先輩がいた。相変わらず閑散とした無人の椅子ばかりの場所に、ぽつんと座っている。


「おはよう先輩」


「おはよう。じゃあ行くか」


 二人並んで病院の自動ドアを抜けていく。


 突然出会った男女が成り行きでひとつ屋根の下で暮らし始める。以前先輩はそんな妄言を吐いていたが、任務がなくなってしまった今となっては、その言葉通りの状態だ。俺は赫凰ルートを見事クリアし、先輩という彼女をゲット、そして今は同居している場所から一緒に登校、ドタバタしたイベント生活から開放されて、少しだけ変わった平穏無事な毎日に戻る。


 ……なんだかそんな日々も、いいような気もしてくる。


「そうだ先輩、この花壇って誰が管理してるんだ?」


 正門に近づいたとき、その脇に据えられた花壇が今日も目に留まった。


「どうした急に?」


「いや、四月も五月も全部白い花が咲くから、どんな趣味の人間がこの花壇を世話しているのかと思って」


「これは五月の雪だ」


「五月の雪?」


「花壇いっぱいに白い花が咲いた時、まるで雪が降り積もったように見える。それが五月の雪」


「五月限定なんだ?」


「七月とか八月とかではないのは、ギリギリ降りそうなイメージがないと願い事のありがたみも半減だからな」


 世話をしている人間のことは教えてくれなかったが、この花壇の意味は教えてくれた。


「五月に降りしきる雪が見られたら、夢が叶う。そんな言い伝えがある。ここに咲くのはその願いが込められた白き花たちだ」


「でも寒い方の地域って、五月でも雪が残ってたりしないか?」


「まぁそうなのだが、それは残雪であって空から降ってくる降雪ではないだろう」


「……そういうことか」


 この花壇にはそんな意味があったのか。


 じゃあ白い花は五月で終わりか。六月にはどんな色の花が咲くのだろうか。


「あ、そうだ。これ、室長から」


 誰かの願いがこもった花壇を眺めながら正門を出て、あのドールハンマーの格納庫が柵越しに見えるところまで来たところで、室長からの頼まれ物を思い出した。俺は指定通りに紺色の運動着に包まれたままそれを渡した。


「む?」


 先輩が何のためらいもなく包み布を開くとプラスチック製の箱が出てきた。


「そうか、もう在庫が無くなっていたからな」


 蓋を開く。ポケットに入れやすそうな長方形の箱には、白い粒を圧縮して塊にしたものがいくつも並んでいた。先輩はそれを一つ掴むと口の中に放り込んだ。


「なにそれ、角砂糖?」


「この調味料は麗子から薬として処方されているものだ。ニードルを装着した後、体力の低下を感じたら含むようにと。さっき一度装着して軽く訓練をしたからな。ちょうど良い」


 ぼりぼりと口の中で噛み砕きながらそう教えてくれた。


「ちなみに角ではなく三角だ」


「ほんとだ」


 最初は良く判らなかったが、正三角形を四面合わせた三角錐の形になっている。どこで売ってるんだこんな砂糖?


「キミも将来的に必要になる。今から慣れておくか?」


 先輩はそういって、一つ俺の掌に載せ――るように見せかけて


「はい、あ~ん」


「……そう来ると思ったよ! 自分で食うから!」


 俺は俺の口にねじ込もうとされていた三角砂糖をひったくると、そのまま口に放り込み


「!?」


 舌に伝わってきた感覚のあまりの衝撃に「ぶほぁっ!?」と吐き出してしまう俺。


「これ塩じゃないか!?」


 角砂糖サイズの塊が丸ごと塩だよこれ!


「こんなの食ったら死ぬって!?」


 あまりの衝撃に立ち止まりながらの抗議。先輩も止まる。


「だから私たちは病気なのだ」


「……え?」


「わたしたちはこれを食わなければ死ぬ。普通の人間はこれを食えば死ぬ。塩のニードルと共にあるわたしたちにとって、これは必要な薬。薬とは元来毒を薄めたものだ。全ての薬は大量摂取すれば死にいたる。用法に従えば生き残れる。それだけだ」


 先輩の冷静な説明。俺もそれを聞いて気分を収めると、地面に転がってしまった三角塩に目を落とした。食べ物は粗末にしてはいかんと思うので、とりあえず拾ってポケットに入れる。


「高血圧の人間が聞いたら心底羨ましがられる病気だな俺たちは」


「今の時代、高血圧程度の診断結果が出たからといって、塩分摂取を控えようと思う者もいないと思うが」


「それもそうだな」


「さて、もう一つの支給品だが――ちょっと持っててくれ」


 先輩はそう言いながらコートのポケットに三角塩の入った箱を押し込み、更に通学鞄を俺に押し付けた。そして唯一手に持ったままだったブルマに両足を通しそのままスルスルと上げ、穿いた。先輩は一連の作業を終えると、俺から鞄を取り返しつつ、何事もなかったかのように再び歩き出す。


「昨日の夜に在庫全部洗ってしまって乾かなくてな。ちょうどよかった」


「今……ありえないことをしましたよね?」


 とりあえず俺も着いて行きつつ、とりあえずのツッコミ。


「なんだ、ちゃんとスカートとコートで隠れて下着そのものは見えなかっただろう?」


 それ以前に女が道端でスカートの中に何か穿くってどんだけだ。


「あの……もし本日テンションレッグを使わなきゃならなくなった場合、俺はあなたの生パンを鑑賞しながら戦わなければならなかったのですか?」


「そういうことになるな。そっちの方が嬉しかったか?」


「嬉しいとか嬉しくないとかそういう問題じゃねえ!」


 女が日常空間で下着を晒してしまう状況に陥った時、男は本能的に目を背けなきゃ! って思う生き物なんだよ! そんな時に攻撃が飛んできたらどうするんだよ!


「BL好きなら、男が女の下着を直視しちゃいけない男心判ってよ!」


「リーマンものはちょっと苦手だな。だからその手の小説での情報を提供できないのは心苦しいのだが」


「BL好きの部分だけ反応するな! そんなお得情報聞きたくないよ!」


 そんなことで心が苦しくなってほしくないよ!


「あんた本当にBL以外の知識ないんかい!」


 大航海時代の知識も結局BL絡みだったしな! 戦車のエンジンのくだりもな!


「百合……」


「じゃなくて!」


「ギガフォ……」


「それとニードライブ症候群関係は無効! というかその二つより百合の方が先なのかよ!」


「ふーむそうだな、昔の偉人の言葉くらい知っているぞ」


「ホントに? モーツァルト以外でだぞ?」


「茶人、千利休はいった」


 お、それっぽい? マジか? この女にそんな教養が――


「そろそろお茶にしませぬか」


「普通いうだろそれ!」


 なんのトンチだよ!


「トンチとは漢字で書くと頓挫の頓に、知る、もしくはチリの国字表記である智利(チリ)の智だ」


「俺の思考の方に突っ込むなよ! というかそっちの豆知識の方がすげーよ!」


 俺の智利(ともとし)って名前、国名と同じなのかよ! ビックリだよ!


 ――……。


 こんな莫迦な話をしながら歩いていると、自分がニードライバーなんてものになってしまったことをすっかり忘れてしまうよな。


 多くの物語作品に登場する世界を救った主人公とかって、その後どうしているのだろう。世界を破壊しようとした悪の親玉を倒すほどなのだから、とんでもない力を持ったままその後の世界を暮らしているのだろうけど、どんな気分なんだか。本人にしろ、周りの人間にしろ。


 俺がそんな風に今後の身の振り方を考えていると、そんな思い込んだ頭をなぶるように強く風が吹いた。季節の変わり目の不安定さからか、一瞬だけだったかかなりの突風が起こり、先輩のコートを大きくめくっていった。その外套のおかげでガードされていたが、それがなかったらスカートの中が丸出しになっていたな。まぁ中身は今穿いたブルマなんだけどさ。


「というかスカートの下って短パンでも良いんじゃねえの?」


 ここでいう短パンとはショートパンツではなく、足の付け根ギリギリの長さな俗にホットパンツと呼ばれるものだ。赤坂室長が語っていた白短パンと同じように大きく足を動かすたびに中身が覗いてしまうが、ショーツが丸出しになってしまうよりは良いだろう。現にミニスカの裾から更に短パンの裾をチラチラさせつつ歩いている女も結構見るし。


「キミはわたしの後輩のくせに、先輩にそんな格好悪い格好をしろというのか?」


 後輩!? そうか、俺が毎回「先輩」って呼んでるんだから、俺自身は後輩ってことになるのか!? いや、待て! ちょっとかなりやばいぞそのポジションは!?


「ミニスカートの下にショートパンツなど、キミたち男にとってはチェック柄のワイシャツの裾をジーンズの中に入れ、更にフィンガーレスグローブをはめて街中を歩くようなものだぞ!」


 うぉっ!? それはカッコ悪い! というかそれに比例するんなら女にとってはとんでもないくらいの格好悪さなんだなそれ?


「わたしは丸出しでも構わないのだが他の同性に対する手前、ブルマという当時は体操着として普通に流通していたのになぜか卑猥であるというレッテルを押され消滅してしまった衣服でガードすることによりメンタル面の減少を抑えているのだ。これが失われればわたしの戦闘力は著しく減少するだろう。キミはわたしに死ねというのか!?」


 ……限りなくしょうもない理由のようのような気もするが先輩が言うのだからそうなのだろう。というか「後輩」になってしまった俺の立場では、そういうことにしておかないといけないような気がする。


「なんというか、なんで謝らないといけないのか良く判らんけど一応誤っとく。ごめん」


「うん、ありがとう」


 先輩はそんな風に言いながら、微笑を見せた。


 ……なんだよその極上の微笑みは!? 天使の微笑みかと思っちまうほどの綺麗な笑顔じゃねえか! そんな風に笑えるんならもっと違うシチュエーションで見たかったよ! でもあんたはこんな局面でも無い限りはそんな笑顔は見せないんだろうな、こんちくしょう!


「ホント、いきなりダメな姉が出来た気分だ……」


 その時先輩の顔が珍しくキョトンとした顔になった。


 あ、やべ、先輩にとっては「姉弟」って言葉は禁句なんじゃ……まずい、口が滑った。


「おお、姉×弟か、わたしも望むところだ」


 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!? 変な情報与えちゃったよ!? というか何でもありかこの女! 心配して損した! 赤坂室長も吹っ切れてるっていってたしな!


「わたしのことは今からおねえちゃんと呼んでいいぞ」


「全速力でお断りします」


「ちなみに『おねえちゃん』と『お姉ちゃん』は違うからな。ちゃんと心して呼ぶように」


「人の話聞けよ!」


「キミみたいな男子から『おねえちゃんのエッチ!』なんて言われるのは女として究極の夢の一つだ」


「死んでも言うか!」


 ニードルで串刺しにされる前「生きるためにはわたしの弟になって『おねえちゃんのエッチ!』と言え」とか選択肢だったら間違いなく死を選んでたよ! ごめん、この物語はここで終わりだ!


「わたしとしては麗子とキミの『女医×少年』という妄想でわくわくしていたのだが、自分自身をその妄想に加えるのも悪くはないな」


 底無しだなあんた! あの女が相手だったら間違いなく再起不能だよ! 妄想止まりで命拾いしたよ! 俺何回命拾ってんだよ! 赤坂ルートは本当に先輩の頭の中だけにしてくれ!


「というか、一緒に行動している仲間をそんな妄想に使って申し訳ないとか思わないのか?」


「非常に申し訳ないと思っている」


「だったら止めてくれよ」


「溢れ出るあなたへの想いを押し止めることができないの」


「俺イヤだこの人!」


 せめてそういうことは本人の前では言わないでくれよ!


「だが」


 先輩はそこで一拍置くように言葉を切った。


「キミはまだわたしの弟になるには覚悟が足らないな。『おねえちゃん』は保留だ」


「……その評価で充分だよ」


 なんかそういわれるのもムカつくものがあるけど俺ではあんたの弟役は本当に力不足だ。


「今のわたしは二人分の命を背負っている。自分の分とわたしのために死んでいった弟の分と」


 先輩が、自ら自分の弟のことを口にした。俺の言葉が呼び水になってしまったか。


「麗子からわたしに弟がいた話は聞いたか?」


「……ああ」


「だったら話は早い。わたしは二人分の命なのだ。だから重い。そういうわけなのでわたしが新しく弟として認める男には、二人分の重さを受け止められる強さが必要なのだ。そして今のキミにはそれがない。だからキミはわたしの後輩だ」


 なんだか心底悔しい評価だが、戦士としても強く、人間としても強いこの女にそう評価されるのは仕方ない。やはり弟にはなれず後輩止まりか。


「キミは任務から解放されて、平穏な生活が戻ってきたと安心しているかもしれない」


 平穏な生活。さっきからそれは俺も思ってたことだ。そして満たされた状態であるはずなのに、妙な違和感も。


「キミの隣には、わたしだけが歩いていて良いのか?」


 平和になったその後の世界を、俺は歩いている。なんでもない日常。


 隣には綺麗な先輩が歩いていて――となり?


「……!?」


 先輩がいる方とは違う側を見る。誰もいない俺の隣。


 そうだ――ここにはアイツがいるはずなんだ。


「先輩には申し訳ないけど、今の状態はバッドエンディングだ」


 俺は今日の朝起きてからの平穏な生活に安心していた感想を伝えた。


「いや、申し訳なくはない。わたしもそうだと思う」


 お前は俺にとってのヒロインじゃねえと言われたのに等しいのに、先輩は気分を害することもなかった。それ以上に大事なことを既に知っている顔をしている。


「キミにとっての真のエンディングは一つのルートしかない」


 そうだ、俺は何のために死から戻ってきた? ギガフォビアをなんとかするためじゃないのか、アイツのために。


「それにキミはまだ、自分自身に持たされた力を発動していないではないか。必殺技の一つもみせないで何がエンディングか。なめるな」


 そうだ、その通りだよ先輩。俺はまだ、俺が戻ってきた理由に対して何もできていない。


 なんでもない日常じゃない。俺の隣に歩いていたアイツがいない。


 ついさっきまで感じていた安心は、自分が負うべき責任が無くなった安心でしかなかった。自分が現時点で任されていた戦いが終わっただけだ。人間の戦いそのものは終わっていない。


「そして俺は……誰が何と言おうとも、人間だ」

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