第二章 05

 俺は帰院すると、報告のために第八対策室を訪れた。先輩は本日学校に泊まる予定がキャンセルされたので、その処理のためにまだ学校に残っているので、俺一人だ。


「紅河君が持ってきてくれた塩、やっぱり普通の塩だったわ」


「裂弩会長=大男」の図式が壊れた報告の後、昼に持ち帰った岩塩の説明をされた。鑑定結果はシロらしい。


「でも少しあまじょっぱかったな」


 あんたも舐めたんですか? ニードライバーでもないのになんてアグレッシブな。


「あれ、でも、そういうことはその塩の出どころはあの同好会ってことになるんですか?」


「うーん、でもそれは、味に関してはまだ確定情報がないから、保留ね」


 確かに「あまじょっぱい塩か!?」ってのは単なる先輩の希望だけだからな。


「それにこの塩も、見た感じまったく同じね」


 これは先程の遭遇後に、用具小屋の屋根に上り回収してきたものだ。数個の塩塊が転がっている他は、真新しいヒビがいつくか入っている程度。


「それだけの大質量に踏み台にされたら、いくらコンクリート製とは言ってもバラバラになりかねないのにその程度で済んでるって、相手は圧力を上手く流せる方法を知っているのね。結構知能の高い相手なのかもしれない」


 俺の報告から室長はそんな情報を読み取った。それは基本的には直情的な単純タイプに見える裂弩会長には無理な作業だ。あの男が大男の正体だったら、校舎のほとんどが今頃ボロボロだろうな。何しろ「俺の学校」だし。自分の所有物に何しても構わないって感じで動き回るに違いない。ここでも「裂弩太蔵=大男」という図式は崩れた。じゃあ、一体何なんだ、あれは?


「あの大男は、何ものなんだろう」


「……もしかしたらラトロワの力を持っている者、かな」


 俺のつぶやきに導かれるように室長が言葉を落とした。またなんだか新しい言葉が出てきたぞ。今日の昼に聞いた「ドールハンマー」もそうだけど、新しい言葉が出てくるたびに厄介事が発生する。だからあんまりその先は訊きたくない――でもそういうわけにはいかないよな。


「ラトロワってなんですか?」


「陸上保安庁も全てを把握出来ているわけではないわ。ギガフォビアの全容も。誰がニードライバーになれるかも。そしてそれには新種のウィルスも含まれる」


「ウィルス? ラトロワって新しい病気?」


「ニードライブ症候群自体もギガフォビア第二次症状ともいわれる。基本的には進化形のウィルスよ」


「じゃあそれが次の段階に進むってことなのか?」


 俺の予想に室長は大きく頷いた。


「ラトロワとはラ・トロワ、フランス語で3の意味。フランスの地で始めてその事例が発見されたためにそう呼ばれるようになった――自らを巨人そのものにしようとしてしまう病気」


「巨人、そのもの……」


 ああ、やっぱり聞きたくなかったよ。俺たちを襲う根源になろうとする病気なんてな。


「そして今のところ『ショートレンジ』からの発症しか確認されていない」


「『エブリシング(俺たち)』からは進化しない?」


「そう。フランスのとある村でその事件は起きた。養鶏場が襲われ、一切の鳴き声が消失した飼育小屋の中で身長5メートルの男が倒れていた。それが最初のラトロワ」


「その巨人になりかけた『ショートレンジ』陽性者はどうなったんだ?」


「絶命していた。陸に打ち上げられたクジラと同じ、内蔵が自重で全部潰れていた」


 大型爬虫類のような進化を遂げるには俺たち動物には無理なのか? 巨人と呼ばれる存在は多分象よりデカイのだろうし。


「今回も『大男』って聞いたときに、そのラトロワの可能性も考慮しておくべきだったのかもしれない。でも全世界合わせても五例くらしかないし、みんな死んじゃってるしね」


 ニードライブ症候群を発症する者の数も少ないのだし、更にその次となると減るのは当然か。


「でも、赦殿高校での唯一の『ショートレンジ』陽性者だった裂弩君が候補から外れちゃったんで、またふり出しね。学外に目を向けるとなると、大規模な搜索になるわ」


 ふりだし。先輩も同じことを言っていた。――だが


「素の状態からギガフォビアもニードライブ症候群も発症せずに、いきなりラトロワになる可能性もあるんじゃないのか?」


 ギガフォビア自体が進化系ウィルスなのだとしたら、いきなり進化したウィルスに感染することだってあるんじゃ? 事実『ショートレンジ』って、いきなり発症するわけだし。


「良いところに気づいたわね。それも充分ありえる。ギガフォビア自体が『ニードライブ症候群(2)』と『ラトロワ(3)』に進化してきたんだもの。もしかしたら4(クワトロ)が生まれようとしているのかもしれない」


「クワトロ……」


 また新しい言葉が出てきた。どんどん深みにはまっていく気分だ。相手は見えざる巨人だというのに。俺が――いや、人間(俺たち)が足を突っ込んでいるのは見えない底なし沼か。最悪だな。


 いつ終わるともしれない戦い。そこで俺たちは戦っている。


 キミも戦う理由というものを、早く見つけたほうが良いだろうな――それは先輩の言葉。


「先輩はなぜあんなにも一生懸命戦えるんですか?」


 そんな見えない泥沼の中で、俺の先任である赫凰瑠璃香が戦う理由とはなんなのだろう。しかもあんなにも戦士として極限まで強くなろうとしてまで。


「……ルリとペアになったあなたには、話してもいいかな」


 ふぅと息を吐いて、赤坂室長が俺を見つめる。


「ルリはね、弟を亡くしてるの、自分の言った言葉が原因で」


「な……え、」


 弟? 先輩には弟がいたのか。


「弟とは言っても義理の弟だけれども。ルリがお父さんの連れ子で、弟がお母さんの連れ子。そんな関係」


 人の減った世の中、子連れ同士の再婚は珍しくない。先輩にもそんな家庭事情があったのか。


「ルリがニードライブ症候群を発症したとき、その時代では家族の中にニードライブ症候群の陽性者がいる場合、本人と家族に告知される風潮があった」


「なんでそんなことを?」


「数少ない純正なニードライバーを守るためよ」


 確かに、何がトリガーになってギガフォビアが発症されるか判らないのだから、貴重なニードライバーを失わないために、ある程度必要な情報とされていたのだろう、当時は。


「しかしこの時にほんの些細なズレが生じた。ニードライバーになったばかりのルリには、弟が『ショートレンジ』であると知らされたことが伝えられなかった。だから彼女は『ショートレンジ』との初戦闘を終えてボロボロになって帰ってきたとき、弟の目の前で言ってしまったのよ、『ショートレンジ』と判っている者を隔離してしまえばいい、と」


 まったく同じだ。俺があのとき、『ショートレンジ』との始めての戦いを終えたとき、先輩に言ってしまった言葉と同じ。あのときの怒りは、俺に対してと同時に自分自身に対するものもあったのか。だから次の日に、あんなにも簡単に許してくれたのか。


「ルリ自身、死の淵から帰ってきたばかりで混乱するところもあったのでしょう。そしてその辛い経験を経て、ルリが『ショートレンジ』と戦う者になったことを弟も知った。その夜、ルリの弟は身を投げた。この病院の屋上からね」


 蘇芳病院(ここ)には……そんな辛い記憶まであるのか。


「残されていた遺書にはこう書かれていた。『おねえちゃんの敵にはなりたくない』と」


 彼は――先輩の弟は、どんな思いで身を投げたのだろう。最後の瞬間は、敵にならずに済んだと、幸せに思えただろうか。


「……その、父親と母親はどうなったんだ?」


「両親は離婚したわ。こんな形で長男を失って娘以上に混乱するのを避けようって。三人とも今は距離が必要だと思ったのね。この蘇芳病院にルリを預けて二人はルリの下から去っていった。でもルリはちゃんと二人に愛されていたわ。両親ともルリの親権は放棄してないしね、血の繋がらない母親の方も。両親ともいつでも自分の下へ来いっていうことよ」


「でも、いたわって……ことは」


「うん、父親の方はギガフォビアで死んだ。血の繋がらない母親はそれでもいつでも帰っておいでって言うけれど、彼女はまだここにいる。永遠なる病人であるとは、また別の理由でね」


 先輩の戦う理由。先輩の強さの理由。彼女は弟が死んだこの場所で、戦いを続けている。


 なんて強いんだあの女は。確かに弟の死がそこまで強くしてくれたのだろうけど、それでもここからは逃げ出したくなるだろう。でも逃げない強さは、なんなんだ。


「ねぇ、その母親がもし私だっていったら――どうする?」


「!?」


 そんな……まさか!? 確かに年齢的にも先輩くらいの子がいてもおかしくないはずだが。先輩が「麗子」と親しげに呼んでいるのもつじつまが合うが


「そうなんですか――って俺が訊いていいんですか?」


 それは俺が知っていいことなのか?


「ふふ、そうね、とりあえず秘密かな。真実はルリに訊いてみて」


 小悪魔のような微笑みで室長が話をはぐらかす。自分で振っておいてそれはないのではと普通は思うだろうが、今は俺もその提案には賛成だ。できれば室長と先輩の二人が同席している場所で真実を訊きたい。


「でもルリ自身は、今は吹っ切れたみたいね。キミっていう仲間ができたからかな?」


 ……そういう意味ではあのBL好きのド変態な性癖は、そこから立ち直るために身に着けた鎧みたいなもんなんだろうか。これからは付き合い方も俺なりに工夫していかないとな。まずは明日から――って、明日?


「そうだ室長。明日からどうするんだ?」


 探査目標だった裂弩会長は結局大男ではなかったので、俺たちの任務も解除されると先輩は語った。これからは陸保の諜報課による仕切り直しになるとも。


「とりあえず明日一日は今日と同じ行動をして」


「それでいいのか?」


「う~ん、蘇芳病院(ここ)で遊ばせておいても訓練ぐらいしか今のところやることないし、だったらそのまま学校に通っておいてよ。明後日以降はまだ決めてないけど、次の観察任務もまだ決まってないから、このまま赦殿高校に通ってもらうことになると思う。紅河君もちゃんと高校ぐらいは卒業しておきたいでしょ?」


「……それって、俺が高校出るまで次の任務無しってことなのか?」


「さぁ、どうでしょうね」


 赤坂室長が曖昧に笑う。


 本当にそんな事態になったとしたら、俺は一体何の為にニードライバーになったのだろう?



「あ、そうそう、明日ルリに渡してもらいたいものがあるんだけど」


 室長への報告も終わり、そろそろ自室へ帰ろうかと思うとそんな風に呼び止められた。先輩のことを自室に帰って色々考えようと思っていた矢先に、その本人関連の品を渡されるとは。どういう狙いだ?


「なんですか?」


 差し出されたその物体。長方形の平たい箱が布に包まれている。紺色の布。多分四角じゃない。三角に近い。そして要所要所にゴムが縫い込まれている。


「この包んでる布って……あれですよね」


「そう、ブ・ル・マ♪」


「室長が直接渡せばいいじゃないですか、どうせあとで先輩もここへ来るんでしょ」


「君がこれをルリに渡す時の、羞恥に染まる顔を想像したい」


 ……ホント最低だなあんた! 室長からの直接命令なんだから俺には拒否権はないんだろうし! というかこの程度の羞恥プレイ、あの先輩相手じゃ恥ずかしくもなくなってきたよ! というかこんなもん渡されたら、この後先輩のことを重く考えられなくなるだろ!


「その箱の中身はルリみたいな第二次成長を迎えたニードライバーには必要なものだからちゃんと渡してね。包み紙の方はまぁオマケ」


 というかこの包んでいる方のヤツだって、あの女にとってはすげぇ必要なアイテムなんじゃないのか? 無かったら無かったらで困るぞ、俺が!


「君はこのブルマが普通に存在していた時代の、男子の方の格好を知ってる?」


「え? そんなこと急に言われても」


 というかブルマが普通の時代って、俺は生まれているのか?


「君の時代では穿くことなく、既に消え去ってしまっていたもの。ブルマの陰に隠れてひっそりと消えていった絶滅服、白短パン」


「それがブルマの話とどういう関係が?」


 そもそもなんでブルマの話になってんだ?


「実は『卑猥』『卑猥でない』の判断をするならば、ちょっとお尻を突き出しただけで下着の線がクッキリ出ちゃう白短パンの方がよっぽど卑猥。今では『ブルマ=穿くの恥ずかしい』ってイメージが先行しちゃってるけど、あんなものを穿かされるぐらいならブルマの方が良い! という女子も当時は多かったのよ」


 そういうもんなのか!?


「そんな意味ではブルマの方が下着をガードする防御力は高い。食い込みの激しいショーツを中に着用しておけば裾からはみ出ることもないし。私は良くそれで防御したわ」


 というかさりげなくこの人の年齢がほぼ正確な形でバレてしまっているような気もするが、歳に対する突っ込みは心の中だけにしておく。俺って大人だな!


「対して白短パンの下着露出に対する防御力は皆無。履いてるのなんて意味がないくらいにすっけ透けになることだってある。しかも激しいポーズを取れば裾から下着そのものが覗き放題。そうやって古き良き時代の男の子たちはお互いの下腹部を鑑賞し合い、ちょっと変な気分になりながら体育の時間を過ごしていたのよね」


「そんな頬を赤らめながら男子全員がBLみたいに語るなよ! 男子代表としてあんたのBL妄想を拒否する!」


「女子力が格段に向上している今の少年たちの時代にも、白短パンが生き残っていたらと思うと悔やんでも悔やみきれない。ブルマが失われた以上に私にとってはショックよ」


「みなさーん! 痴女ですよー! 痴女がここにいますよー! 早く逃げてくださーい!」


「本当のことを本当のように語っても、得てして認められないものだ」


「難しく語って誤魔化そうとするな!」


「その当時はスパッツもまだ浸透してなかった。だからその時代のサッカー選手たちは、女性用のショーツをサポーター代わりに履いていたのよ。白短パン時代にはそんな扇情的な苦労話もあるのよ」


「そんな豆知識いらねえよ!」


「当時のバレーボール小学生男子選抜チームの中にはブルマをユニフォームとして穿かされていたチームもあったわ。白短パンよりコート内での運動性に優れるという判断だったのでしょう。大人は恥ずかしがって穿けないけど、子供なら大丈夫ってことで穿かせたのよね。そんな風にスポーツ学的に認められていた時代もあったのよねぇ」


「だからそんな豆知識なんの役に立つんだよ!」


「ちなみにオリンピック級の女子バレーボール選手の中には、足を長く見せたくてハイレグのブルマを特注してた人もいたり。ただでさえ身長に比例して足長いのに、さらに長くしてどうしようってのかしらね。羨ましい限り」


「すいません……もう勘弁してください」


 ここでもエンドレスリピートか……いや、エンドオブワールドだよ……。


「というかなんでブルマ&白短パン談義になっちゃったのかしら?」


「全力であんたの所為だよ!」


 ……疲れた。さっきまでの重い雰囲気どこへやらだよ。


「紅河君、さよならね」


 色々疲れ果てた体を引きずって部屋に戻ろうとした俺に、別れの挨拶が投げかけられた。


「……なんでそんなしっかりとさよならを言うんですか?」


 そういえば昨日もしっかりと別れの挨拶をされたな。俺も思わず「さよなら」って素直に返したが。というか今の時間なら「おやすみなさい」じゃないのか?


「私もいつ死ぬか判らないし、だから誰かと別れる時は、しっかりとさよならを言っておきたいの。『また明日』とか『おつかれさまでした』とかははいらない。しっかりとした『さよなら』が欲しい」


 うーん、これはこの人にとっての自分の精神を安定に保つための欲望の一つなのかな? 一期一会を大切にしたいみたいな。BLプレイに巻き込まれるよりは遥かにマシだし、俺もそれくらいこれからは合わせるか。


「じゃあ室長、さよならです」


「うん、さよなら!」

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