第二章 04

「そうか、それは災難だったな」


 夕方になり赦殿高校への再出発の時間になった。


 俺は歩きながら午後に起きた一連の出来事を先輩に報告という形で話していた。


 なんだか愚痴を言っているような感じで気分のいいものでもないが、仕方ない。情報の共有は大事だ。その辺は朱音三正のようなことはしたくない。


「だがわたしは言ったはずだぞ。そうでもないと」


 ニードライバーは必要ないと言われた発言に先輩が反応する。確かに先輩は赤坂室長の同じ言葉の時にも「そうでもないとは思うがな、わたしは」と重ねていた。


「わたしたちにもそれなりに利用価値はある」


「利用、価値?」


「本当に巨人が現れても、わたしたちなら恐慌に襲われずに立ち向かえるだろう」


 確かにそうだろう。俺たちなら戦える。そのために俺たちはこんな病に侵されている。でもさ……いつ現れるんだよ、その本当の巨人ってのは! やっぱりニードライバーの誰かがなるしかないのか? そしてそれは俺なのか? 俺はそのためにこの世界に戻ってきたのか?


「それに、わたしたちは普通の人間には持たざる力を得ている。その力を使えばギガフォビアを治せる助力にもなる。キミが生を望んだのもそのためだろう?」


 それが――自ら巨人になるってことなんじゃないだろうか。でも先輩の言葉の響きからすると、その意味は全く含まれてないな。この人、性癖はともかくとして後進思いの良い人なんだよな、心の芯は。


「あんたをニードライバーにした先輩の先輩って人がいるはずだよな」


 そんな先輩にも、彼女自身をニードライブ症候群に感染させた先任がいるはずだ。どんな人だったのだろう。姿を見ないところを見ると、別の拠点にいるのだろうか。


「その人って、どうなったんだ?」


「死んだ。ギガフォビアでな」


 ……そういう事なのか。その人が「三日三晩苦しみ抜いてようやく死んだ人」なんだろうか。


「わたしもいつそうなるか判らない。明日にはもう踏み潰されていなくなっているかもしれない。だから覚悟はしておいてくれ」


 それは裏を返せば俺も――ってことか。


「その時にわたしが残せるのはこのニードルだけだ」


 先輩はそういいながらコートを少しめくって、赤いニードルを外気に晒した。


「ニードルってのは、所有者本人がいなくなっても使えるものなのか?」


「朱音三正が持っていた黒いニードル。あれは、かつて『エブリシング』であった者が、命を落とした際に残したものだ」


 そうか、三正のニードルはそういうカラクリなのか。


「ただ、我々が持っているニードルとは違って傷が付いたらもう直らない。先端だって突けば突くほどどんどん削れていく」


「俺たちのニードルはどうやって治ってるんだ?」


「ニードルを装着しそして解除すると、傷が直っている。我々の体内から塩分を吸収して復元しているらしい」


「便利なもんだな」


「だから傷が目立つようになってきたら戦闘行為がなくとも装着してやらなくてはならない。ニードライバーの方もこのニードルが無くなってしまえば死んでしまうのだからな」


 訓練などで変形させる機会も多いのであまり気にしなくても良いがと先輩は付け加える。


「その意味では朱音三正はニードライバーのことを黒いニードルの入手手段くらいにしか考えていないのかもしれない」


「三正はどうやってその黒いニードルを手に入れたんだ?」


「父親を利用したのだろう。ドールハンマーの運用には必要とかなんとか理由を付けて」


 予想される対戦相手のことを考えると必要ではあるとは俺も思う。さっきみたいに緊急時に止めを刺す銃剣的な使い方のためとか。そういえば先輩の先輩が残した黒いニードルは今どうなっているだろうか。まさか朱音三正が持っているものがそれなのか? それが事実だとしたらどこまで外道な女だ。そこまでして強くなりたいか。


「でも三正の親父は陸自の高官だろ? なんで陸保の方にまで顔がきく?」


「完全独立を果たしているとは言っても、やはり様々な要素から影響を受けるのは避けられない。触手を伸ばそうとする者が強い立場である限り」


 元々組織なんてものはそういうものなんだろうな。


「親の権勢でもなんでも使って自分の正義を貫き通す、強くなるためならなりふり構わない態度――その意味では朱音三正も本物の戦士だ」


 スカートと黒いニードルって同じウェイトなのか。でも二人とも戦士であるのは変わらないな。それは俺も認める。三正に対しては同量の憎しみもあるのは間違いないが。


「しかしキミは特効薬(ドールハンマー)を見ることができたのか。しかも動いているシーンまで。羨ましいな」


 そうか? まぁ一般的男子なら「巨大ロボット」というフレーズには心躍るものがあるが、先輩は一応女の子なのでは?


「そもそもドールハンマーって本当にそんな理由で作られたのか?」


 あのドールハンマーの建造理由にしても、戦闘が目的なのに倒すべき相手がいないという、不思議なものだ。


 巨人を倒す。しかもどこにいるのかすら判らない相手を倒すためにあれは作られた。


「わたしたちが恐怖する巨人とは、そもそもなにものなのか? その答えには未だに決着がついていない。人の中には十人十色の巨人像がある。だから『これだ』と世界的に確定しても、その人独自の巨人像を自分の中に作ってしまい、それを元にしてギガフォビアを発症してしまう。だから『10メートルサイズの巨大な人型の何か』ということしか明確にはされていない。そしてその可能性の中には『異星から来たもの』というものも含まれている」


 ……遂に宇宙人まで登場ですか? まぁそれぐらい突飛な考えでもないと「巨大ロボが治療薬」なんて考え、そもそも思いつかないよな。


「それも赤坂室長の説?」


「いや、これは古くから定義されていた。世界の各所から巨人の骨のように見える大型の人骨らしきものが発掘されている」


 それは俺も知ってる。でも真相は象とかマンモスの骨っぽいような気もするけどな。


「でもまさかその骨が宇宙人の骨だってのか? 宇宙人でかいな」


「T34という戦車を知っているか?」


「知らない」


 というかなんで異星から来たものから戦車の話に急に変わる?


「第二次大戦のヨーロッパに登場し、戦車戦に革命をもたらしたT34。しかしてそのエンジンは、当時最高の技術力を誇っていたとされるドイツでさえ、コピーの難しいシロモノだった。しかも長期間擱坐したT34のエンジンに再びガソリンを入れたら動いたという事例は数多くある。沼地から引き上げた車輌にガソリンを入れたらノーメンテナンスで動いたこともある」


「そいつはすごいな」


「だからこんな事を言う者もいる。あのエンジンは異星の者が作ってくれた物ではないのかと」


「……それはまた、突飛な飛躍だ」


 あまりの話に、同じ意味が二連続になってしまった。


「ああ。そしてもちろんこんな突飛な考えに出演させられるのだから、登場する異星の者はギガフォビアの元となった一つと予想される巨大宇宙人に準えられる。古来からこの地球には武器商人的な異星人が度々飛来していて、その時はロシア人の注文に従って戦車用エンジンを注文数作って納品した」


「随分とベタベタな設定だな」


「笑ってしまうほどにな。そして宇宙人は大きい。身長は10メートル。その感覚で作ってしまったため、妙に出来がいいものになってしまった。サイズによる感覚のズレはどうしようもない。だから次の世紀になってもガソリンを入れただけで再び動いてしまう異次元機関ができてしまった」


 確かに大きいものを作るより小さいものを作るほうが難しいとは良くいわれるが、それって戦車のエンジンをそのデカイ手で一個ずつ手作りしてたってことなのか?


「だからこそ証明される。T34という当時のロシア軍では作り得ないオーパーツが存在するのだから、それを作った巨大宇宙人も存在する、と」


「……」


「眉唾ものの話だろう?」


「異議なしだな」


「ああ、確かにマユツバ、こんな話はな。だが、虚偽が真実に昇華して、それが病を治す糧となるならば、ヒトはいくらでも嘘を吐く」


 T34という戦車を設計した当時の技術者が未来でそんな理論に使われていると知ったらどう思うのだろうか。激怒するか。それとも宇宙的規模の設計を後世に残したと祝杯を上げるか。


「見えざる巨人に踏み潰されて死ぬウィルスであるのならば、こちらも見えざる巨人を作り出してワクチンを作る――概念の病気であるならば、こちらだって自分たちに都合の良い概念で対抗するだけだ。そしてわたしたちが創造した見えざる巨人を倒すために作り出したのが、キミの見てきたドールハンマーだ」


 そのドライバーである朱音三正は、ニードライバー(俺たち)にその見えざる巨人役をやれと強要する。でもそれだけのしっかりとした空想を並べられると俺たちも倒されるために生まれてきたような気もしてきちまう。何しろ妖怪なんだし。妖怪自体は人類との共存を望んでいるだろうが多くの人間は妖怪(自分たちより強いもの)との共存を望んでいない。始めから退治するために生み出した人造妖怪。


「しかしそのヨーロピアンな戦車の知識ってどうやって知ったんだ?」


 ドールハンマーを見てきたのも羨ましいとか言ってたしメカマニアだったりするのか?


「レック・ミッヒ・イム・アルシュ」


「……なにそれ?」


「当時のヨーロッパ戦線での決めゼリフの一つだ。それを初めて聞いたときドキッときてしまってな。だからそれ関連を少し勉強した。かのモーツァルト作曲の曲名の一つでもある」


 うぉっ、意外に博学な言葉なんだな。


「で、意味は?」


「Leck mich im Arsch(俺のケツをなめろ)」


 ……とりあえずこの綺麗なお姉さんから「ケツ」なんて単語は聞きたくなかったよ。


「日本でいうところの『おととい来やがれ』に近いスラングなのだが、その意味を正直に受け入れてしまった者も何人もいるのだろうな」


「ああそうだろうな! そしてその一人があんただ!」


「照れるな」


「褒めてねえ!」



 学校に到着した俺たちはジュースとパンの入ったコンビニ袋をぶら下げて廊下を歩いていた。


 これは俺たちの夜食の分ではない。大男探索の前に生徒会に寄って、必要情報の補強をしようというのである。だからこれは相手から話を引き出しやすくするための差し入れだ。


 早退する前に久利に訊いたところ、今日も作業がいっぱいあるので帰りは遅くなるとのこと。それならばこの時間でも誰か生徒会室に残っているだろうと向かっている。


 そしてそこにもし裂弩(れつど)会長本人がいるのなら「裂弩=大男」だった場合、かなり揺さぶりをかけることができる。大男に変身したければ俺たちの前から不自然に消えなければならないし、そうでなければ裂弩会長が視界に入っている内は大男は登場しないことになる。


「先輩、それにしてもちょっと買いすぎじゃね?」


 俺が持ってる袋の中身には10人分くらいの食料が入ってる。


「一人で何個も食べたいほどに腹の減っている者もいるだろう。生徒会への訪問は、純粋なねぎらいも半分ある。雑用係の者もいることだしな」


 なるほどね、それは賛成だ。ちなみに予算は領収書を提出すれば陸保の方で払ってくれるので何個買っても問題ない。しかし女の子の口から「腹が減っている」なんて台詞が出るのもなんだかオツなもんだ。先輩が言ってるから似合うのか?


 先輩か。あれ? でも今は同級生なんじゃなかったっけ。しかも同じクラスで。学校に再び到着して気づいたよ。


「そうだ先輩。『先輩』って呼び方止めようか? 仮りにもクラスメイトなんだし、そう呼ばれるのもなんか困るよな?」


 自分は今まで何のためらいもなく「先輩」とこの女のことを呼んでいたのだが、本当に先輩とはいえ彼女はまだ18歳で普通に高校に通っているならば三年生なのだ。任務とはいえ、微妙にダブっているように見える感覚は年頃の乙女心には、嫌な感覚だと思う。


「いや、そのままで構わないぞ」


「そう?」


「むしろ同級生から先輩と呼ばれる背徳感でわたしの心中ははぁはぁ真っ最中だ」


 乙女魂残機ゼロ!


「……俺、あんたが本当に同級生で男だったらぶん殴ってると思う」


「なんなら現状で対決してもいいぞ?」


「いや、負けそうだからいいっす……」


 この女、テンションレッグ発動以前に、素手で人体をニードルで串刺しにできるだけの力を持ってるからな。俺もニードライブ症候群で強化されているはずだけれども、とりあえず勝てる気がしない。色んな意味で。


「なんだこの施錠のしっかりとした部屋は?」


 生徒会室の前までくると、その隣にえらくセキュリティのしっかりした部屋があるのを見つけた。蘇芳病院内の陸保関連施設ほどではないが、それでも専用の鍵が数個必要な感じだ。俺もこの高校に入学して間がなく、しかも半月も入院していたので生徒会室前には始めて来た。だからこの部屋の存在も今知った。


「わたしも前から気にはなっていたのだが、目標との関連性が見いだせなければ無理やり入っても不法侵入になるからな。まだ手は出していない」


 なんというか物々しいというか禍々しいというか、そんな雰囲気の部屋だ。喋るベートーベンの肖像画が掲げられた音楽室とか、花子さんの済むトイレの個室のような、学校の怪談に共通するような雰囲気だが少し違うような気がする。リアルな禍々しさというか。


「ここの情報も得られれば良いと思っている。できれば中に入って内部を確認したい」


 そうだな。それに「まだ手は出していない」っていってたから、必要があれば不法侵入も辞さないってことだよな。そうなる前に俺もなんとかしたい。


「じゃあ、とりあえず生徒会室入るか。あと先輩これ持って」


 俺はコンビニからずっと持ったままだった袋を先輩に渡した。


「なんだ? わたしから渡せと?」


「そうだよ」


「キミがここまで持ってきたんだ。その苦労をわたしが台無しにしたくない」


「男の俺が渡すより、女子である先輩が渡したほうが差し入れっぽいだろ。それだけでも心象は良くなるってもんさ」


 それぐらいの機転は俺も効くぜ。


「ふむ。それは重要な役割を授かった。女に生まれてきて始めて良かったと思った」


「それはどうも。じゃあ行くぜ――ちわーす」


 とりあえずノックの後にいきなり扉を開く。これはノックして在室を確かめたあげくに入室を拒否された場合に対する対応だ。礼を失した行動だが仕方ない。素早く中を確かめると、都合良く久利(ひさとし)がいてくれた。


「なんだ紅河(こうが)? こんな時間に――」


 久利はそこまで言って固まった。俺の後ろからキョロキョロと内部を確認している先輩の姿を認めたのだろう。いきなり先輩が扉を開く手も考えたが、無愛想な先輩では無用なひと悶着もありえたので俺が開けたんだが、久利相手ではどっちでも良かったな。


「赫凰(かくおう)さんまで!? どうして!?」


「ちょっと必要で保健室まで学内カルテを貰いに来たんだ。ここに寄ったのはそのついで」


 適当に答えてみたが学内カルテってなんだ? 自分で言ってて謎だぞ? 部屋の中を改めて確認すると久利の他には会計と思しき女生徒が一人。上履きの色から察すると二年生か。


「差し入れだ、久利くん」


 持ってきたコンビニ袋を先輩が机の上に置く。


「赫凰さん、それは?」


「今日も遅くまで残っているのだろう? 大変だなと思って」


「俺の担当の看護師が面倒見のいい人でな。塩祭と生徒会の話をしたら毎日遅くまで残ってて大変でしょうって、持たされた」


 とりあえずそれっぽい理由を付け加える。あの看護師が面倒見のいい人だったのは事実だ。


「うぉーっありがとうございます!」


 そんなに嬉しがってもらっても困るのだが。会計の先輩女子も頭を下げてる。


「で、そっちの調子の方はどうなんだ? というか今二人だけ?」


「うん、今は僕と久良臼(くらうす)先輩の二人だけ。会長と副会長は出払ってる」


 その久良臼と呼ばれた二年女子はニコッと会釈しながら早速袋の中のパンに手を伸ばしていた。そんなに腹減ってたか。役に立ってなによりだよ。しかし目標は居ないか。ちょっと残念。


「とりあえず塩の展覧会の準備は、後は他校からの作品待ちなんだけど、そのあとの後夜祭の準備が終わらなくてさ」


「後夜祭? キャンプファイヤーにフォークダンスでもするのか?」


「そうだよ赫凰さん」


 それを聞いて先輩がズイっと乗り出すように訊いてきた。遠くの美しい風景でも見ているように目がキラキラとしている。ヤバイ兆候だ。


「……なにそんなに嬉しそうな顔してるんだ?」


「女子の人数が足らないので、仕方なく女子の輪の中に入れられた男子と男の子同士でダンスしている図を妄想していた」


「あははは、赫凰さんは面白い人だなぁ」


 先輩のBLトークに久利が笑っている。お前はなんだか好きな人の新しい一面発見みたいな顔してるけど、この女の頭の半分はBL妄想でできてるんだからな!


「でも実はフォークダンスともう一つバーベキューも予定されてるんだよね」


「BBQ?」


 どっちも火には関係するがなんだその二択は?


「それって他校の人間も含めてか?」


 なんだかすごい規模になりそうだったので思わず俺は訊いた。


「そう。だって学区域内ほとんどの高校に協力してもらってるからね。それぐらいのおもてなしはしないと」


「……肉とかどうすんだ?」


「肉関係は会長と副会長が用意してくれることになってる」


 それはまた殊勝なこって。しかし一体どれだけの量になるんだ肉? まぁ会長が親に頼んで用意してもらうんだろうな。副会長はその調整役か。しかしそこまでして学校政策に取り組みたいか。やっぱ将来父親の後を継いで立候補するための足場固めなのかね。


「でも今の予定ではフォークダンスだからね。もう燃やす垂木(たるき)は届いてるし。明日は久良臼先輩と二人でそれを切らなきゃならないんだけども。ただ展示場所の確保はどっちにしろやらなくちゃいけないんで今はその調整で難儀中ってとこ」


 確か数メートル規模の、芸術作品というかよくわからん塩でできた幾何学模様の何かやら、でかい岩塩の塊から削り出した動物なんかを並べるんだったっけか。


「その置き場所で室内系の運動部が練習できないって抗議も来てるんでそれの処理も大変なんだけど、大体は会長が直接行って交渉してくるとほとんど静かになるんでその点は助かるよ」


 まぁ長年校内政策に務めてきた実績があるからな。そんな生徒会長が直接やってきたら誰も文句いえないよな。生徒会首脳陣が今いないのは、そんな理由なのか。


「だから僕たちはその後のスケジュール調整担当なんだよ。バレー部にバスケにハンドボールにバドミントンとか、何しろ数が数だからね。体育館を使いたい部活は多いんだよ」


 それは、毎日遅くまで帰れないわけだ。文化部でもでかい作品づくりには体育館の使用許可をもらうしな。大変だ。


「しかもこんな他校巻き込んでのイベントが月単位で予定されてるんだよね」


「そうなのか? それは初耳だな」


「塩の展覧会みたいに大規模なやつはあんまりないんだけど、六月には各学校の手芸部が作ったウェディングドレスの展示会も予定されてる。七月には七夕関係の何かがって感じで季節のイベントが月単位で。しかも全部に後夜祭の予定も入ってる」


 それはまた大事になってきたな。後夜祭に関しては自由参加だからいいが、それはそれで本祭には全く興味がないけど後夜祭には出るって生徒が続出しそうだ。特に肉祭の場合には。しかし裂弩会長はそこまでして何をしたいんだ? 首相の座でも狙ってんのか?


「久利くん、隣にある部屋はなんなのだ?」


 会話が弾んできたところで、先輩が本題に入り始めた。


「あれは副会長がやってる同好会の部屋だよ」


「同好会?」


 それはまた意外な。


「中はどうなっているのだ?」


「さぁ?」


 会計の女の子に訊いても、パンをもぐもぐしながら首を横に振っている。何気にそのパン二個目だな?


「なんだお前たちは?」


 空気がほぐれて何でも聞けそうな雰囲気になったその時、開け放たれたままの扉の向こうから太い声が聞こえた。俺と先輩が同時に振り向く。ガタイの良い大男が立っている。


 裂弩だ。


 観察対象が現れたことに喜びを感じなければならないのだが、やっぱり嬉しくないな。


 公称180センチの身長は中々の威圧感。中学時代はラグビー部でならしていただけあって体格も良い。高校時代も始めはラグビー部にいたらしいが生徒会長当選と共に辞めたと聞く。


 これで性格も良ければ威丈夫なんだが、さて。


「雑用係……ではないな。生徒会室は一般生徒は立ち入り禁止だが?」


 上の方から見下ろされながらの非難。男前の範疇には入ると思うのだが、やはりこの顔は苦手だ。常に相手を見下しているような顔ではないとは思うのだが、何と言えば良いんだろう。とにかく最初から対等な会話を相手に求めていない人種の顔だ。


「校則で禁止になっている訳ではないだろう。ただ、関連がない生徒にとっては立ち入る機会が少ないので、関係者の方が禁止だと思い込んでいる結果だ」


 うぉっ、先輩が言い返している!? まぁ毎日朱音三正やら赤坂室長を相手にしているんだから、たかだか同い年の男子程度、相手の内に入らないのかもしれない。しかしそんな事情をしらない久利がはらはらした目で見ているぞ!


「お前は?」


 思いっきり気分を害されたという雰囲気で会長が誰何(すいか)を求めてきた。


「副会長の留寿(るうじゅ)くんはわたしの顔を見た瞬間に名前を言い当ててくれたのだが、留寿くんより偉いはずのキミにはその能力が無いのか?」


 ちょっと先輩、喧嘩しにきたのかよ! 久良臼会計が三個目のパンくわえたまま泣きそうな顔になってるぞ! まぁ殴り合いに発展してもあんたの方が勝っちまいそうだけどな。


「会長お待たせしました。おや? 赫凰瑠璃香(かくおうるりか)さんに紅河智利(こうがともとし)君? どうしたんですかこんな時間に? 早退したのでは?」


 二人の間に流れる一触即発な雰囲気を均すように明るい声が割り込んできた。留寿副会長だ。


「ん? このジュースとパンは? お二人からの差し入れですか?」


テーブルの上のコンビニ袋をわざとらしく見ながらの副会長。俺らの名前をフルネームで言ったり、あまりにも台詞が状況説明すぎるぞ。部屋の外で見てたのか?


「ああ、みんな疲れて腹が減っていると思ってな。そちらの会長も含めて」


 会長もそこまで言われてしまったらもう何も言い返せない。先輩も副会長の言葉にそんなにもスマートに乗っかるなんて上手いな。「腹が減っている」という先輩に似合う男言葉も、それを補強している。


「裂弩会長に訊きたい。この隣にあるセキュリティが厳重な部屋はなんだ?」


 さっきまで一触即発だった相手に先輩は再び言葉を向ける。この状況なら副会長に尋ねるのが一番のような気もするが、この中で最も権力のある会長を無視せずに尋ねるのは筋を通しているのだろう。そしてそうと見せかけて同時に揺さぶりもかけているに違いない。何しろ裂弩自身が今回の観察目標なのだし。


「それは副会長が開いている同好会だ」


 一番偉い自分が名指しされて満足なのか素直に答えてくれた。でもそれは久利でも知っている情報だ。


「中が見たい、見学をさせてくれ」


「駄目だな」


 だが会長も書記が知っている以上の情報開示は望まないらしい。


「クラブ見学もできないのか? 学校施設なのに?」


「同好会だからな」


 確かにクラブ活動の見学は普通だが、同好会の見学許可までは生徒手帳には書いてないだろう。先輩がさっき使った手と同じだ。


「塩漬け肉の研究会ですよ」


 しかし、たまらずという感じで副会長が助けに出た。


「塩漬け肉の研究会?」


「肉はどこまで腐敗させずに美味しくもたせられるか? そんな研究です」


 問題の同好会は副会長がやっているという答えはもう出ているので、その責任者が話し始めたらもうそっちに譲るしかない。観察対象に揺さぶりをかけるのも一時停止だ。


「随分と妙な研究だな?」


「ええ、だから人も集まらずクラブにも昇格できない弱小同好会のままですよ」


 確かに何が面白いのかさっぱり見当もつかないしな。


「大航海時代、塩漬け肉は一般船員にとってはご馳走の一つでした。それを糧にして世界の海を制した船乗りたちにあやかってね。イギリスも日本と同じ島国。なんでこうも海にかける情熱が違うのでしょうね?」


「制した海は大西洋とインド洋くらいだろ。日本が浮いているこの星最大の海、太平洋は制していない」


 先輩が言葉を挟んだ。自慢げに語っていた副会長の顔に陰りが生じる。


「良くご存知で?」


「固い塩漬け肉、虫の湧いたクッキー、腐った水、それの代わりのビール。わたしも大航海時代を生きた船乗りの生活くらいは知っている」


 ……先輩って、本当に知識が偏ってるんだな。普通知らないよそんなこと。


「だがその後に残ったのは醜い植民地制度だ。そしてそれを開放してやったのは第二次世界大戦の旧日本軍。正義のために戦った民族の末裔が、なぜ悪を学ばねばならん?」


「悪を学ぶのもまた前進ですよ。臭いものに蓋をし続けても何も起こりません」


「それもそうだな」


 ピリッとした緊張感が走る。二人の間に流れる静かな圧力に会長も含め誰も声を出せない。


「それで具体的には何を研究しているのだ?」


「塩辛くないのに塩分の保存能力は維持したままの塩を研究しています」


「それはあまじょっぱい塩か!?」


 そんなところに食いつくな! 確かにそれ位の塩の方が食ってて美味しいだろうけどさ!


「研究成果の発表がご希望なら赫凰さんにも今度ご提供しますよ」


「ありがたい。それで、中は見せてもらえるのか?」


 副会長がなんとかこの場で終わらせようというのに、先輩はあくまでも見せろと食い下がる。


「……」


「……」


 言葉を続けられなくなった両者が軽いにらみ合いの状態になる。


 このまま膠着状態になるかと思われた時、ピピッとアラーム音が響いた。


「失礼」


 それは副会長の腕時計から出たものらしく慌ててスイッチを切りながら時刻を確認する。


「もうこんな時間か。仕方ありません、お二人のお相手は会長にお願いします。僕はもう席を外さなければなりません」


 副会長はそんな言葉を残して生徒会室から出ていってしまった。その時会長にしか聞こえない声でなにやら耳打ちして歩いていった。去り際のタイミングを上手く使った手だ。


「副会長はどこへ?」


「授業より大事な役目を果たしにだ」


 それは昼に副会長から聞いた台詞だな。今は授業時間ですらないんだが、どんだけ重要な仕事なんだ? こんな対峙の場面から逃げ出してまで。


「話は俺が引き継ぐ、文句はないな?」


「役目を果たしてくれるのなら」


 生徒会長である俺が引き継ぐんだから文句は言わせないと宣言する相手に対して、お前では力不足だと暗に滲ませる先輩。あれ? 観察対象は会長だよな? この流れで良いのでは?


「では情報の交換といこうか」


 会長はその扱いにキレ気味に、嫌味たっぷりな口調で条件を出してきた。


「交換?」


「こちらも必要な情報をお前たちから買いたい。金で買えない物は等価交換が原則だからな」


「確かに」


 会長はそう宣言すると一つ息を吸い込む。なんだ緊張してんのか? この図体も態度もでかい男が緊張するなんて何が――


「ドールハンマー」


「!? ……なぜ」


 ――知っている。思わずそこまで言いかけた俺は先輩に腕を掴まれ止められた。そうか、その情報すらフェイクである可能性もあるのか。今これ以上こちらの情報を与えるのはまずい。


「それは現状で本来の用途に使えるのか?」


 会長がたたみ掛けるように続ける。本来の用途だと?


「裂弩会長、外へ出よう」


 多くの人間が知ってはいけない言葉を並べる会長に対して、先輩が場所の移動を促す。それ以上言葉を重ねるとこの場に同席している久利と会計の扱いが危うくなる。会長は自分の思惑通りに俺たちが動いて気分が良いのか、何も言わずに外に出た。


「ちょ……紅河、赫凰さん……」


 そんな心配気な言葉をかけてくる久利と久良臼会計を残して俺たちも外に出た。ドアをしっかりと締める。


「それが副会長の同好会の扉を開く条件だ」


 同好会を封印する扉の前に立った会長が念を押すように言う。ことさら副会長の部分を強調する。ここに入りたいのは『ショートレンジ』の陽性者である裂弩に関係があると予想してのことなのだが、それがまったく関係無しとなると意味がなくなる。会長と副会長の裏での連携の線も捨てがたいが、会長の潜在能力に全く関係なしでは仕方ない。


 しかし――なぜその言葉を?


 それは「大男」と「『ショートレンジ』陽性者である裂弩会長」と「怪しげな同好会」の三つをちゃんとクロスさせる言葉になるのか? なぜ会長はその存在を知っている?


 だが相手は裂弩太蔵。裂弩議員の実子。その存在の情報を手にしていてもおかしくない。ドールハンマーというバブイル語まで使った秘匿名称まで知っているのがそれを裏付けている。


 しかしその確定情報の開示が――この封印を開く条件と同等なのか?


「キミが知っていることを、キミが思っている通りに話せ」


 しかし先輩はそれが同等であると判断したようだ。しかも自分が開示の指示を出した責任は受け持ちつつ、説明役は俺に譲ってくれている。


 ドールハンマーを実際に見てきたのは俺だけだ。しかも動いているところを。会長は本来の用途と言った。あれが作られた目的はギガフォビアの治癒だ。


 だが本当に目的としているのは、俺たちに襲いかかる巨人に立ち向かい勝利することにある。そうでなければ、あんな巨大乗用式戦闘ロボットが治療薬なんて役割になる莫迦な話があるわけない。病の快方には巨人と同等の力をもって倒す、という概念を必要としている――それだけだ。その意味では本来の目的とは二つ存在することになる。


 どっちだ? ――しょうがない、これは賭けだ。


「ほぼ完成している。対戦相手とも互角に戦えるだろう。テストドライバー自身も巨人を殺るき満々だ。まだ実戦配備前だが『ショートレンジ』相手に戦闘を行なって、制圧した例はある」


 俺はドールハンマーそのものの建造理由「巨人討伐」に関して会長が訊いてきている方に賭けた。最後に『ショートレンジ』の名前を出したのは、ギガフォビア治療のことを訊いている可能性に対するものだ。それぐらいの駆け引きは許されるだろう。相手は陸上保安庁の秘密兵器の名前を口にしたのだ。ならばその何年も前から存在している秘匿の存在も知っていてもおかしくない。自分自身もそうなのだし。


「ショートレンジ? なんだそれは、短距離走か?」


「!?」「!?」


 俺も先輩も顔色が変わる。


 会長は『ショートレンジ』の意味を知らない!? まだ自分がその陽性者だとは知らされていない!? その言葉の響きからすると、知っていて虚言を操っているようには感じられない。


 なんだ、なんだこれは? これは……とんでもない情報じゃないのか!?


「まぁいい。お前たちは提示した代金を払ったんだ。扉は開いてやる。嘘をついては俺の経歴に傷がつくからな」


 会長はそう尊大に言いながら、手持ちの鍵を差し込みロックを解除する。


「入れ」


 促されるというよりも、ほとんど命令されるように中に入る。


 ひんやりとした空気に包まれた室内。理科室をこじんまりとさせたような室内に、白衣を着た男二人が俺たちが入ってきたのにも気づかないように作業に没頭している。


「一人は肉の研究担当、もう一人は塩の研究担当」


 必要最小限といった会長からの説明。確かに一人の前には謎の機械と肉の塊が、もう一人の前には塩らしき白色粒や銀粉を収めたビーカーが何個も並んでいる。しかし年齢高めな二人だな。理科の先生か? 知らない顔ばかりだぞ。入学式の教師紹介の時にもこんな顔は見てない。


「会長、このお二人方は?」


 先輩も同じ疑問を思ったのか会長に問い質している。


「彼らはこの学校のれっきとした生徒だ」


「生徒? どうやって入ったのだ?」


「彼らは正規の編入試験を経てここにいる。お前と同じだ」


 ことさら「正規」の部分を強調するってことは、法律には抵触しないけど俺らや教師には知られちゃいけない方法で入ってきてるんだろうな。というかさっきまで先輩の名前が判らなったのになんでそこまでの情報を知っているんだ? 副会長の耳打ちか。


「高校も大学も出ているのに再びこの赦殿で勉強したいというのだ。立派だと思うが?」


「それはわたしも立派だと思うが、授業に出ていないのでは進級はどうするのだ?」


「それに関しては自動的に留年だろう。俺の関知する問題じゃない。授業参加態度未熟で退学もありえるが、それも仕方ない。もう一度編入試験を受ければ良いだけのことだ――それに」


「それに?」


「授業よりも大事なものはあるものだ」


 またその台詞か。俺たちも授業よりも大事なニードライバーとしての仕事に専念するために午後は早退してるんだから文句はないけどさ。でもそんなにも会長が連発すると、言葉の重みがどんどん軽くなってくるな。言葉自体は副会長からのウケウリのような気もしてきた。


「それにしても同好会とはいえこのような研究会、良く学校側が認めているものだな」


「俺の生徒会が公認しているんだ。誰にも文句は言わせない」


 確かに裂弩会長って学校側から見れば優良生徒だもんな。学校側も任せて安心、面倒くさいことはそれ以上したくない、と。しかし「俺」の生徒会と来たか。


「それに」


 今度はなんだ?


「塩の展覧会終了後に、まだ未確定だが後夜祭の予定もとりあえずある。本当に開催されるならばフォークダンスかバーベキューかどちらかが開かれる」


 さっき久利からもらった情報だ。でもダンスの方で確定じゃないのか?


「バーベキューが選択された場合には、この同好会より肉が提供されることになっている」


 しかし裂弩会長は久利からは得られない情報を付け加えた。肉の出場所はこの同好会か。


「その分を研究に使わなくて良いのか?」


 それだけのことをする予定があるのだから感謝されども疑いの目で見られるいわれは無い、そう切って捨てている様子の会長に先輩が言葉をぶつけた。


「過剰在庫という言葉を知っているか?」


 嫌な返し方だなー、そんなんじゃ選挙出馬しても誰も票入れてくんねえぞ? どうせ将来出るんだろ衆議委員選挙、花の二世議員として。というか生徒会長選挙はどうやって毎回当選してんだ? それにこの同好会を切り盛りしてるのって副会長だろ。まぁ同好会の許可を出してるのはあんたなんだから、それを含めて自分の所有物扱いなのかもしれんが。


「裂弩会長、聞いた話では六月七月とイベントが月単位で用意されているらしいが、その時も全ての後夜祭はここから生肉を供出するのか?」


「そのつもりだが」


 裂弩会長は堂々と言い放った。


「しかし基本的には後夜祭の予定は手を繋いでのダンスだ。肉を焼くのはあくまで予備だ」


「そのつもり」というのは単なるハッタリか。いかにも組織の長らしき台詞だと思う。それにフォークダンスにしても、真ん中のキャンプファイヤーを用意しなくても成立するしな。参加生徒は減るだろうが、後夜祭を開催したという学校に対する成果は保たれる。


 学内政策の多くに取り組み、その全てを成功させてきた背景には、このように自分が極力傷つかないように譲歩する場面が多くあるんだろうと思う。


 そしてそれを陰ながら支えているのが副会長――そう思ったとき、廊下をもの凄い勢いで走る音が近づいてきて思考を中断された。


「誰だ、廊下を走るやつは!」


 裂弩会長が怒声をまき散らしながら廊下に出るのと同時に、隣の部屋の扉を強く開ける音がした。生徒会室に誰かが駆け込んできたらしい、昨日と同じように――まさか


「出た! 大男が今日も出た!」



 裂弩会長が目の前にいる状況で大男が出た。どういうことだ?


 今度の目撃情報は南側の方の渡り廊下。また渡り廊下か。でもあの辺は資材倉庫とか色々あるから隠れるのに便利なのかもしれない。


「さっきの大航海時代の話はすごかったな。先輩ってなにげに博識なんだな」


 現場に向いながら先程の副会長相手に見せた先輩の舌戦をたまらず褒めてしまった。会長よりもよっぽど曲者っぽい副会長に対して、あそこまで自分の知識を武器にして真っ向から言葉を並べられるとは、この女も意外に才女なのかもしれない。


「そうか? 船乗りは基本的にはBLなんだが」


 ……褒めて損した。


 その時ズシン! という重いものが何かに叩きつけられる音が響いた。俺の心の中のダメージかと思ったがそうではない。


「なんだ……!?」


 その音が聞こえた方向に顔を向けると――そこに、いた。


「あれが、大男か」


 先輩も同時に気づいたらしい。校舎と校舎の間にある部活用具入れに使われているコンクリート製の小屋。その屋根の上に全身銀色の人間らしき物体が四つん這いで乗っている。らしきという表現なのは、その物体が目測でも4メートルはありそうな大男に見えるからだ。体表は裸……というよりも分厚い皮や鱗といったイメージの、始めから衣服を必要としない硬い印象。薄い鎧を密着させているような、そんな感じか。頭髪は無し。その下の赤く輝く両目が、夜の学校に不気味に浮かび上がっている。


 銀色の大男の口元が歪んだ。その凄絶な表情はどうやら薄笑いを浮かべているらしい。大男は俺たちを嘲笑するように一瞥を残すと、再び飛んだ。土台にされた用具倉庫がギシリと歪む。驚異的なジャンプを見せ一気に屋上まで跳躍したあと、そのまま校舎の向こう側に消えた。


「どうする先輩、追うか?」


「いや、あいつはただ姿を見せただけだ。敵対意思の無いものに対してまで制圧行動は許されていない」


「どうした、大男が見つかったのか」


 後ろから声をかけられた。裂弩だ。


「まったくお前たち、大男が出たと言われただけで飛び出すなんて、はしゃぎすぎだぞ」


 確かに会長との会話を中止して、いきなり部屋を飛び出したんだから、子供じみた野次馬根性にしか見えないよな。というかお前だって見に来てんじゃねえか。普通一番偉い奴は生徒会室に残って情報の統括とかするもんじゃないのか?


 だがこれであの大男が裂弩会長である可能性は消えた。一旦俺たちが消えたあとに、裂弩が改めて大男に変身したとしてもこんなに早く移動できる訳がない。これでさっき駆け込んできた雑用係がフェイクだった可能性も消えた。


「いや、大きな音が聞こえたが、空耳だったのかもしれない」


 先輩はそう答えた。俺もその判断に任せるように無言を決め込む。


「そうだろう。大男なんて幻覚であり幻聴だ。俺の学校でそんな子供じみた噂話など、恥もいいところだ」


 会長はそう言い残して去っていった。しかし今度は俺の学校と来たか。


「なぁ先輩、あの大男は幻覚だったのか?」


「わたしたちが集団催眠にかかった証拠が立証できなければ、否だ」


「じゃぁあれは、本物か……」


 血のように真っ赤な瞳が思い出される。


「だがそれを他の者にまで強要する必要はない。大男の存在はわたしたち二人が確認すればいいだけの話だ。情報流布による無用な混乱は避けたい。たとえその相手が観察対象者であったとしても」


 大男が表れそして消えていった用具倉庫の屋根を見ながら先輩がいう。


「……これで任務終了なのか?」


「そうだな。本日のお泊り会は中止だ」


 これから保健室を拠点にして夜の校舎を見回る計画になっていたのだが、その作戦実行前に結果が出てしまった。


「これでふり出しになった」


『ショートレンジ』の陽性者である裂弩太蔵は、『ショートレンジ』と思わる者が変化したと予想されていた大男では無かった。これで裂弩会長が『ショートレンジ』になって暴走する疑念は払拭されてしまったので、観察対象からは外れる。あんなにも生徒会長として満たされた生活を送っている裂弩会長は、怨念を糧にして変身しない。本人の性格はどうあれ。しかも本人自身が『ショートレンジ』という言葉を知らないという、極めて重要な情報がそれを補強する。


「これ以上は陸保の諜報課の仕事だ。わたしたちの仕事の範疇ではない」


「……なんで?」


「ニードライバーは基本的に実戦部隊だ。対象を探るのはその後に控えた実戦、制圧ありきだ。冒頭の探索そのものに回せるほど、ニードライバーの数は多くない」


 つまり大男の正体そのもの発見するのは、俺たちの手から外れてしまったということだ。


「ジュジュくんの同好会も気になるが、本格的な調査が行われるのは大男との関連性が出てきてからだ。しかも現状では大男は出現するだけだから、あの同好会も保留だな」


 妖しすぎる存在を前にして何もできなくなってしまったのか、俺たちは。


「なんか……虚しいな」


「ああ、ニードライバーの戦いとは、そんなものだ」


 俺の初仕事はこんな形で終わるのか。誰も死なずに済んだことを喜ぶべきなのだろうが、胸には大きなわだかまりが残ったままだ。


「キミも戦う理由というものを、早く見つけたほうが良いだろうな。なぜ自分はニードライバーとして戦うのか? と」

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