第二章 03
副会長との軽い接触はあったが、とりあえず大きな問題も発生することなく、俺たちは蘇芳病院に帰ってきた。俺は室長の下へ向かい、岩塩を渡し、軽いケアを受けた後、開放された。昨日の今日なのであまり重い話はされなかった。いやほんと昨日の話はキツすぎたからな。そういう意味では先輩というメンタルトラブルメーカーが居なければ、俺も暗い雰囲気のままだったろうな。そんな意味では先輩の存在は感謝するよ、お世辞抜きに。
俺の後にはその先輩が入室して室長からケアを受けている。
二人同時にやったほうが時間の節約なのでは? とも思うのだがまぁ女は女同士でなければ話せない内容の話なんていくらでもあるからな。その辺は不問。
しかしその中には「『紅河×久利(ひさとし)』か『久利×紅河』かどっちにするか?」なんて会話も含まれてるんだろうな確実に! 俺たちはいたってノーマルだからな! 届け俺の念!
という訳で俺は第八対策室の室長室へ念を送りながら病棟を歩いているのだが、学校への再出発は夕方六時に設定されたので、それまでは暇である。仮眠をするのが一番良いんだろうが、自分で言うのもなんだがとりあえず元気だけは有り余っている高校生男子なので、その必要もなさそうだ。そんなわけで自室に戻ることもなく廊下をぶらぶらしていると、一つの立ち入り禁止区域前にたどり着いた。
病院内だけの自由行動が許されていた時期、俺は暇にあかして全ての場所を制覇してやろうと病棟内をくまなく歩き回ったことがある。それで知ったのだが、普通病院と言えば患者であろうとも立ち入りが許されない場所が多くあるのは当たり前なのだが、この病院はその立ち入り禁止区域が多いように思う。まぁここは陸上保安庁の管轄施設であるので制圧用の装備を収めた武器庫とかもあるんだろうし。
しかし自分も陸保の保安員となったのだから、患者では入れない場所でももう入れるのではないのか――と思っているのだが、そういう部分はお約束のようにセキュリティカードが必要となっており、俺の探検家生活もすぐに破綻してしまった。
今さら部屋にこもって携帯いじってるのもバカバカしいしなぁ。その趣味もあんまりないし。テレビぐらい部屋につけてくれないかな。俺の携帯、ワンセグついてないんだよ。
「何をしているのかしら?」
仕方なくロビー備え付けのテレビでも見に行こうかと考えていると、後ろから声をかけられた。この病院で見知った三人目の女の声。
「……朱音三正」
そしてこの病院で一番会いたくない女の声。
「あなたは今夜の作戦に向けて自室待機中なのではないかしら?」
なんでそのことを知っている? ああそうか、報告係がいるんだっけ、こいつ専用の。
「待機中ではあるけれど、自分の部屋にこもってろとは言われてないぞ」
俺がそう口にした瞬間、綺麗な顔が壊れて憤怒の表情が現れた。
「あなた、まだ判ってないのね? その上官に対する口答え――」
「はい! ちょーっと待ったぁ!」
再び俺に鉄拳制裁を加えようとしていた朱音三正を止めるように、俺はポケットに手を突っ込みさっき貰ったばかりの金属片を出して見せた。
「!?」
朱音三正の顔色が変わる。三正が襟元に付けている自分の地位を示す徽章と同じもの。先ほど赤坂室長に貰ったばかりのものだ。
これはまた朱音三正に無用なちょっかいを出されて、俺の対応力が減るのもマズイということで、赤坂室長が陸保のお偉いさんに頼んで今日付で俺を出世させてくれたのだという。ニードライバーとしても異例の速度なのだが、看護師が変異した『ショートレンジ』を倒した功績を丸ごと俺の戦功にしたことにより、この昇進スピードが実現したのだとか。
あの看護師の相手をしたのは殆ど先輩なので、その先輩の手柄を丸ごとかっさらってしまったみたいで申し訳ないが、先輩も「自分が早く昇進してしまって朱音三正より偉くなってしまうのは座りが悪いのでいい」とのこと。その気持ちは何となく判る。
「そう、それはおめでとう。心から祝福するわ」
そんな座りの悪いご本人と俺は対戦中なのだが、想像通りの祝辞をいただきましたよ。心こもり率0パーセント。
「じゃあそんなあなたの昇進祝いに、この中のものを見せてあげるわ」
俺が再びポケットに徽章をぞんざいに突っ込んでいる姿に、あからさまに憤慨する顔をしながら朱音三正が言う。
「この中のもの?」
確かこっから先は、病院の本棟からは通路で離れた作りになってる部分だよな。十階建ての周防病院と同じだけの高さがあるのに窓がない巨大な箱状の謎施設。一体何が詰まってるんだろうなここには。その疑問と興味はこの蘇芳病院の外観を見た者なら誰でも持つものだろう。
「ここは私の管轄であり、私が管理する場所。あなたのような資格無き者でも、わたしの権限があれば中に入れてあげられるわ」
で、この謎の巨大施設の長があんただってのか? しっかしことさら「資格無き者」を強調してくれるなぁ……せっかく同格になったんだし、本当にぶん殴っちまおうか?
「地獄の蓋を開ける勇気はあるかしら?」
お? 意外にも随分洒落た比喩を口にするお姉さんなんだな。よし、そこまで言うなら乗ってやろうじゃないか。
「じゃあ案内してもらおうか朱音三正」
「ええ、付いてらっしゃい紅河三正」
俺も三正の部分を強調して言ってやると、向こうも嫌そうに強調して返してくれた。この人、俺が先に上官になっちまったらどうするんだろ? 興味があるというよりもその時の状況を考えると怖い。先輩が先に昇進したくないというのも判るよ。
「ここは病院であると同時に赤坂女史の提唱したワクチンの開発区でもある」
セキュリティドアを抜け、歩哨が立っている通路を歩きながら朱音三正が説明する。確かにこの物々しさは何か重要なものの開発区っぽい。
「あなたもニードライバーであるならば、そのワクチンが何なのか、今の時点で知る権利はあるのでしょうね」
ほんの少しだけ朱音三正が俺の方に顔を向ける。一瞬だけ見えた横顔は、自分だけに所有を許された玩具を見せびらかしたいという欲求の顔のようにも見えたが。
「なんか薬でも作ってんのか?」
「精神に干渉する概念の病原(ウィルス)に対する抗剤(ワクチン)。だから普通に想像する飲み薬とかではないわ」
お約束のようにダメな我が子を見る母親のような表情を見せてくれた。
まったくそんな顔をされたら、何かやり返したくなるじゃないか。
「そういえばさ、あんたは今度の観察対象のことは何か知らないのか、裂弩太蔵(れつどたいぞう)のこと」
この女は俺たちに対して観察者を派遣しているのだ。これぐらい脇腹をつつくことをしても良いだろう。大男情報は教えてくれなかったんだし。
「裂弩……嫌な名前を聞いたわ」
おや、意外にも別方面からダメージを与えてしまった。
「知ってるのか?」
「裂弩議員は陸上保安庁立ち上げの際、最後まで陸保を自分たちの手元に起きたがっていた派閥の一人よ。息子のことも良く知ってる。人の意見を絶対に聞こうとしない、嫌なやつよ」
その印象はやっぱり共通なんだな。
「あいつとは知り合いなのか?」
「そんな言い方しないで、寒気がする」
朱音が怒気を孕んだ瞳で睨んできた。
「あたしの父は陸自の高官、あいつの父親は陸自絡みの国会議員。それだけの役職にある二人だったら繋がりの一つや二つはある。自分たちが望まない形でもね。そしてその子供たちにも」
こいつの親父って陸自のお偉いさんなのか。だったら陸自の方に入れば良いのに――ってそんな簡単な問題でもないんだろうな。
「ここで開発されているワクチンの名は『ドールハンマー』」
自分に対する嫌な流れを切るように、朱音三正はそう言った。
「ドールハンマー?」
随分と効き目のありそうな名前のワクチンだな。
「ドールハンマーのドールとはバブイル語でマハーカーラ――大黒天の意。本来はツェ・ドールとされるけど、ツェの部分は発音されないことが多いので、ここでも『ドール』としている」
「その前にバブイル語ってなんだ?」
「バベルの塔の話は知っている?」
「旧約聖書のあの?」
「そうよ。バベルの塔が破壊されたと同時に人間が体そのもので会話できていた技法も破壊された。だから人間はコミュニケーション手段を再構築するために言葉を開発しなければならなくなった。そしてその言葉は住んでいる場所ごとに独自に発展を遂げてしまい、意思疎通をするのが困難になってしまった。だからこのバブイル語はこの地球という生命のコロニーから生まれた我々人間にとってはその身に流れるそのものの言葉、血の言葉よ」
「血……」
血は水より濃い。水は言葉と同じ。あるのは当然だと今の人間は思っている。そしてこの星がある限りどちらも無くならないだろう。しかし言葉に関しては、それよりも大事なものが失われた事実も無くならない。水より濃ければ誰にだって通じただろうに。
「ハンマーはそのまま共通英語。だからドールハンマーという言葉をそのまま日本語にすれば」
「大黒天の槌……それって」
自分の身に起きたこと絡みでその方面は色々と知る機会もあり、七福神の一柱である大黒天が持っている小槌の意味は俺も最近覚えた。そう、鬼に奪われ親指大の剣士に取り返され、彼を人と同じ――否、鬼と同じ大きさに巨大化させた神具。
「――打出の小槌」
「そう、良くお判りで」
彼女はそう言いながら通路奥の最後の扉を開いた。扉を抜けると巨大な空間に出る。蘇芳病院の外観を知っているものなら誰でも疑問に思うその場所へと俺はやってきた。照明が明るい。
その中心に、痛いほどの存在感を突きつけてくる何かが、立っていた。
「……」
絶句、とはこの時のために遥かな昔から用意された言葉なのだろう。
巨人が立っていた。
遂に人間(俺たち)を本当に踏み潰すために人類最恐の敵が顕現したのか。
違う。
鋼の巨人。機械仕掛けの絡繰巨人。人間が乗って動かす人の形をした巨大物体。ヒトは古来より、その目的で存在している幻想の巨人をこう呼ぶ。
「巨大……ロボット?」
「笑いたければ笑うがいい」
自嘲を含んだ三正の台詞。しかし言い方自体には自信の消失など微塵も感じられない。ありえない存在をいただく玉座を前にして、朱音三正が威風堂々と語り始める。
「相手は薬も手術も何も効かない病。オカルトだろうと旧世紀の魔術療法だろうと使えるものはなんだって使う。そしてこれが、日本という国が出したギガフォビア療法に対する、一つにして現状における唯一の回答よ」
魔女を火炙りにすればギガフォビアが治るんだったら、いくらでも火刑が行われるだろう、この時代なら。それと同種の行いが、今ここにある。
「一士がなぜここに?」
部外者である俺の存在に近くにいた保安員が気づいたらしい。あれ? 見覚えがある。そうかこの人は看護師を回収に来た部隊の隊長さんだ。肩には大口径のライフルを吊っている。警察組織も連射型火器はまだまだ限定的装備らしいので、それと同じだけの火力しかない陸保だから催涙銃の類だろう。
「私が連れてきた。文句はないでしょ?」
隊長も「は、はぁ」と力無く答える。この人もこの女は苦手か。
「それにそいつはもう一士ではない、三正だ。あんたにとっては私と同じ上官よ」
朱音三正はそうやって隊長を遠ざけると、このドールハンマーなるシロモノの説明を始めた。
「全高は10メートル。体重は50トン。陸保所属の装備なので火器は積めないけれど、代わりに装甲は限界まで分厚くしたわ。もちろんそれに対する機体強度も充分以上」
50トンって言ったら平均的な主力戦車と同じじゃないのか? それが事実ならどんだけオーバーテクノロジーで出来てんだ?
「我々は見えざる巨人に対抗する武具を探していた。それに対する答えがこれ」
「……戦車とかじゃダメなのか?」
巨人と戦いたいんだったら遠くから戦車砲かなんかで狙えば一撃だろ、目標デカイし。
「定石通りの答えね。面白くないわ」
そりゃ定石なんだし。
「戦車や戦闘ヘリを使えば、10メートル前後の二脚歩行生物を倒すことは可能でしょう。だけどそれら武装兵器をギガフォビア患者に見せたり乗せたりしても、多少緩和はされるが完治にはいたらない」
なんだそうか、一応ギガフォビアの力を弱める方法はあるのか。その方が驚いた。
「多分それは、普通の人間は戦車や戦闘ヘリの方が巨人より強いとは思えないから――赤坂女子はそう論文で発表した」
「ちょっとまて、このバケモンは赤坂室長が作ったのか!?」
「実際に作ったわけでないけれども、基礎理論は女史が提唱したもの。その意味では作ったと言っても過言ではないわね」
ニードルといいこのドールハンマーといい実はとんでもない才女なんだな赤坂室長って。
「戦車や戦闘ヘリが回復薬として役に立たない理由。もし巨人が戦車や戦闘ヘリと同じような火器を持っていた場合、双方が全ての弾を撃ち尽くした後は、どうしても巨人の方が有利になる。それを大多数の人間は根源的に知っている」
「というと?」
「例えば、大概の国の街中には郵便ポストってものがあるわ。それをもぎ取って、相手に向かって叩きつけることが巨人にはできる。戦車も戦闘ヘリも全ての火器を失ってもローターや車体そのものを使って体当たりもできるけど、それは自壊を伴なう諸刃の剣でしかない」
確かに諸刃の剣では命が助かる補償が無いしな。半々の確立では誰も安心できない。
「戦車や戦闘ヘリは地上や空中での火器の移動プラットホームであることが前提条件で存在している戦闘兵器。弾を消費した後の戦闘続行は考慮されていない。対する巨人は絶対の弾切れ無しの兵器(ノンエンプティウェポン)。巨人を戦闘ユニットとして考えるなら、まったく別のベクトルに存在しているユニットということになる。巨人と戦車、巨人と戦闘ヘリ、これは同じ平面で行動しているのに、まったく戦闘行為を想定していないもの同士が戦う――つまり戦車と護衛艦が戦っている、それに近い状態なのよ」
陸と海面。同じ二次元空間にいるもの同士なのに、まったく違う働きを求められる両者。
「戦闘ヘリと潜水艦も空と海という違う場所にいるけど、お互いを攻撃し合うことは意外にも簡単にできる。魚を捕獲する鳥がいたり、虫を水鉄砲で撃ち落として捕まえる魚がいたりするのと同じ。三次元空間よりも簡単そうに見える二次元空間の方が混在が難しいというのは、ギガフォビア快方に向ける興味深い意見として赤坂女史の論は高く評価されることの一つ」
確かに冷静に考えてみると「平面」より「空間」の方が簡単ってのは不思議なもんだな。地形という問題もあるのだろうけど。
「そんな違う戦闘ベクトル上に存在しているのに『巨人より戦車の方が強い』と説明されても、一般の人間には理解できないのは当然。『戦車やヘリが弾切れをおこした後に岩でも投げて壊せばいいじゃない』――そう思ってしまう、普通の人間の知識では」
そしてそれには「巨人=強い」という潜在的刷り込みも含まれているのだろう。
「もし巨人を神的存在だと仮定し、日本という国を戦争や戦闘兵器を忌避する国民性に育て上げたのが巨人の意思だとするならば、それは本当に凄いことよ。実態が存在していないからこその恐怖。見えざる巨人たちの神威。それに突き動かされる戦争嫌いという国民性――」
血によって歴史を築き、血によって世界を動かしていく。その原則に従うなら、俺たち日本人はいくら武器を放棄してもその呪縛からは抜けられない。酷い皮肉だ。
「それに単純な欲求として、そんな遠くから銃を撃つ手段ではなく、やっぱりまったく同じ大きさの腕や足を使って相手をぶん殴って倒したいという気持ちも強い。多くの人間は結局のところ正々堂々とした戦いを好む」
全ての武器――火器を失ってもまだ戦えるだけの性能、いや、勇気と言うべきか。それが必要だということなのか。見えざる巨人(ギガフォビア)に立ち向かうには。
「しかしそれは……人間の方が巨人のように巨大変身して戦えということでもあるのか?」
「それは、あなたたちの役目。あたしたち人間にはできないわ」
凍りつくように冷えた目線で俺のことを見ながら朱音三正が告げる。
数々の物語作品に出てくる巨大変身ヒーローは、確かに特定の個人しか変身できない。大先輩の一寸法師も巨大変身してるしな。敵を倒したあとだが。
しかし――「あたしたち人間」か。判っちゃいるけどキツイ言葉だな。
「あなたたちニードライバーは、病原体を一時的に緩和するだけでしかない――それは理解できているわよね」
「ああ、一応は」
「だからこそ、誰でも使える確実な力が必要になる。そしてそれが治療薬になる」
確かに人が運転するものなら誰でも乗れるようになるだろうさ、訓練次第で。
「だからって……こんな巨大ロボットなのかよ」
なんて馬鹿らしい。これがこの国の回答なのか?
「滑稽でしょ――そう、滑稽なのよ」
朱音三正もその部分は同じ気持ちらしい。
「もしその治療法――特効薬が想像したもの通りのものならば、それはあまりにも滑稽なシロモノとなる。ギガフォビアとは概念の病気。その解法が滑稽であればあるほど、真実に近い」
「それも赤坂室長の言葉なのか」
「そう。ギガフォビアとは概念の病気。自らの体を圧し潰すほどの強固な概念が受け入れるほどの何かを用意しなければ、この病気は打ち破れない。だからこそそれは笑ってしまうほどに荒唐無稽の、滑稽なシロモノ」
笑いたければ笑え――いや、笑ってなんていられるか。
助かりたければ魔女だって狩るし、ニードライバーなんて妖怪変化も自作する。人間なんてそんな生き物だ。これが本当に溺れかけた人間に投げ込まれた浮き輪だと言うのなら笑えるわけなんてない。
「さて、珍しく外部からの見学者もいることだし、動かしてみせましょうか」
外部って、ホントことあるごとに嫌味を差し込んでくるな。
「動くのか、これ?」
「動かないでどうするのよ? ハリボテじゃ誰も信用しないでしょ?」
何を馬鹿なことを……朱音三正の顔はそう語っている。
「というかあんたが動かすのか、これを?」
「そうよ。朱音美羽三正はこのドールハンマーの試験操縦士(テストドライバー)。よく覚えておきなさい」
ようやく言いたい台詞が言えたという満足気な顔を見せて、朱音三正はドールハンマー脇に設けられた整備サイロのタラップを登っていった。ヘリのキャノピーを巨大化させたみたいな頭部が開いて朱音三正が乗り込む。そんなコクピットに収まった三正と整備士らしき者が言い合いになっている。多分今日は動かす予定は無かったんだろうな。
そんな無理して自慢しなくても良いのに――と思っていると、いきなりドールハンマーの右足が持ち上がった。すんごい地響きと共に、巨体が一歩踏み出す。頭部を見ると既にキャノピーは閉まっていて、整備士も根負けしたのかサイロの上を早足で去っていくのが見えた。ドールハンマーの各部に設けられた注意灯らしきものが光り始めた。まるで自分を動かす血液を循環させていくように、体の中心から四節にかけて光が放射状に灯っていく。
「……」
巨大ロボットに乗って動かしてみたい。
人類はその夢をいつごろ夢想したんだっけ。その夢が遂に叶った瞬間に俺は遭遇しているのだが、まさか叶った理由が「世界に蔓延する奇病を治すため」なんて滑稽な理由とは、誰が夢想し得ただろう。
「ギガフォビアなんてもんを作ったやつも、巨大ロボットなんて馬鹿げたものを本当に解除キーに設定したんだとしたら、相当な皮肉を込めているんだろうな。でなければ本当に純真な夢想家だ」
地球はロマンで溢れているんだな。
「俺が……乗るはずだったんだ本当は。あれのテストドライバーは俺のはずだったんだ」
ドールハンマーが歩く轟音に紛れてなにやらネガティブな言葉が聞こえてくる。俺の隣にさっきの隊長がいつの間にか立っていて、動き出したドールハンマーを食入いるように見ている。
「あんなコネでのし上がった小娘に、更にはお前たちみたいなバケモノの類に先を越されて……陸自から陸保へ移ってくればすぐにでも昇進できると思ったのに、なんでそんな力のある者たちが邪魔をする!? なぜ弱者の邪魔をする!」
隊長はそう言いながら、肩に担いでいた催涙銃を外すのももどかしそうに、引っ掛けていたストラップごと引きちぎった。
「!?」
ちょっと待て、これとおんなじような状況がつい最近あったぞ。しかも同じ蘇芳病院の中で!
隊長が左腕に掴んだ催涙銃が一瞬ではじけ飛んだ。鉄粉と木屑が舞い、それが再び収まると、あの時と同じように人の手によって作られた妖怪が一体誕生していた。
「――我ガ名ハ、砲来鉄鼠(ホウライテッソ)」
沸騰する血液が喋り出したような声で、隊長が名乗りを上げる。
「ちょっ、まっ、あんた『ショートレンジ』だったのか!?」
左腕が巨大な大砲になっていた。それを支えるように肩の付け根から左胸の辺りまでを外骨格のように金属と木材が被っている。『ショートレンジ』は、その場にある素材によって変化する形態が決まってくるそうだ。木と鉄で出来た催涙銃を元にしてるんだから、看護師よりも相当手ごわいってことだよな。しかも弾まで入ってる!
どうする? 今は俺しかない。俺もニードルは持ってるけど、まだ先輩みたいに強そうなスタイルには変身できない。でも……やるしかないのか。俺が覚悟をを決めてケースから赤いニードルを引き抜いたとき、隊長もゆらりと左腕を俺の方に向けた。
「!?」
発砲音。その直後俺のすぐ横を真っ白い砲弾が通り抜け、何万もの輪ゴムを引き絞って一気に叩きつけたような音がした。一瞬だけ振り返ると、ゲル状の白い物体が大きく壁に張り付いている。なんだあれは? しかしそれを推測している暇はない。隊長は左腕の大砲を展開させて次弾装填らしきことをしている。先輩だったらこの隙に攻撃を仕掛けられるだろうが、まだ普通の人間よりも多少体が頑丈になった程度では、そんなのは無理だ。
今のは反動がでかすぎて照準を誤ったか。しかし二発目に誤射はないだろう。この至近距離だ。外しようがない。なんとかこの隙に接近しなければ。だが足がこわばって上手く歩けない。
頭ではなんとかしなければって思ってるのに、体が動かない。
これが――戦いの恐怖か。ちくしょう!
「どきなさい!」
その時、頭の上からスピーカーで拡声された声が聞こえた。その直後に俺の身をかすめてなんか白い塊がぶっ飛んできた。しかも何発も。
「退避の警告はしたわよ」
な、なに、退避? 退避っていったって俺が逃げ出す前に撃ってきやがったじゃないか――と思って周りを見ると俺は陸保の隊員に取り囲まれていた。全員が催涙銃の銃身を向けている。
的、俺? いや、隣か。変身した隊長の方を見ると、白い粘性の高いゲル物質に絡められもがいていた。俺に向かって隊長がぶっぱなした弾と同種のものみたいだ。
なんだこれ餅か? あ、トリモチってやつか。じゃあ催涙銃だと思ってたのは、トリモチ弾を撃つ銃だったのか。『ショートレンジ』の力でパワーが上がってるはずの隊長が全く動けないんだから相当な威力だ。じゃあ隊長が撃ったやつを俺が食らっていたら、とんでもないことになってたのか。というかここは陸保の施設の中だ。戦いの中でその強すぎる緊張感に失念していた、ここは歩哨までいる最重要施設なんだってことを。俺一人が戦わなくても、支援してくれる人は沢山いるんだった。
「集音マイクで聞こえていたわよ、『コネでのし上がった小娘』ですってね」
ドールハンマーが身をかがめると隊長の体を掴んだ。強力トリモチで床に張り付けられた体を簡単に引きはがすと、頭部近くまで持ち上げた。
「そんなものだけ使ってこんな怪物のテストドライバーになれるとでも思ってるの? あたしは常に全力を注ぎ込んできたわ。親父の力を使うのはその全力の上にほんの少しスパイスを効かせる程度よ」
キャノピーが再び開く。朱音三正が手に黒い棒を持って現れた。先端が尖っている。後ろにも穴が。俺たちが持っているニードルを真っ黒にしたような何か。
朱音三正はその黒いニードルをおもむろに振り上げると、隊長に向かって叩きつけた。三正は既に隊長のエンブレムを見つけていたらしい。爆発、四散。その爆圧でトリモチもかなり吹き飛ばされた。あの黒いニードルは俺たちのニードルと同じ働きができるのか。
「それにあんた、自分こそコネ使って陸自から陸保へ一士待遇で移ってきたくせに良く言うわ。あたしよりドールハンマー動かすの下手クソなのを、そんな逆ギレで誤魔化さないでくれる?」
既に意識を失っている隊長にはその声は届かない。それは誰に対する声なのか。俺に対するものなのか。それとも、隊長と同じように朱音三正に対する不満を持っている者たちに対するものなのか。
「このまま握りつぶしたいところだけど、それは許してあげるわ。どうせ次に目が覚めたら死ぬんだしね――回収!」
朱音三正はそうマイクに呼びつけると、動かなくなった隊長の体を無造作に床の上に置いた。保安員が取り付き隊長を担架に載せるのを確認すると、再びドールハンマーを立ち上がらせ、今度は俺の方に機体を向けた。
「紅河三正、あんたも制圧目標が出現したんだったら、戦闘か退避か即座にどちらか選びなさい。それでもニードライバーなの?」
今度は俺に対して冷たい言葉が浴びせかけられた。
あの女は俺が隊長相手に戦っていた――それすらも認めていないのか。
「まぁご覧のとおり、別にあんたたちニードライバーが居なくても『ショートレンジ』は制圧できるけどね」
確かにあの強力トリモチ弾と黒いニードルがあれば、先輩のような強い戦士が居なくても驚異を排除することはできる。事実目の前でそれが行われたのだし。
「あんたが始めて『ショートレンジ』に遭遇した時だって、本当はこうなるはずだった」
たまたまいただけだ……確かに先輩もそう言っていた。
「だからニードライバーなんて歪んだ存在、始めからいらないのよ。『エブリシング(あんたたち)』が生まれてこなければ『ショートレンジ(余計な病気)』も生まれてこなかった」
それは……赤坂室長も同じことを言っていたな。だったらそのいらないものになってしまった俺はどうすればいいんだ?
「あたしは巨人を倒す為に全力を注いできた。でもその倒すべき巨人がいない。困った事にね」
「……」
「あんたまだ第二次成長を迎えていないんですってね。だったらその力を使ってあんたが巨人になってよ」
裂弩会長はその力を「巨大化」に使える相手なのかもしれないと予想されているが、その役を俺にやれってことか。
「あんたたちニードライバーは巨人からあたしたちを守ってくれる正義の味方なんでしょ? だったら自ら巨人になってあたしたちに倒されるのも、あたしたちを守る正義の味方の仕事なんじゃないの?」
それがいらないものになってしまった俺たちニードライバーの、この女流の使い道か。
地獄の蓋を開ける勇気。それは洒落た比喩でもなんでもなく、本当にそれだけのもんを開けちまったってことだ。
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