第二章 02

 俺の中の重苦しい気持ちは消えず、昨日室長から話を聞いたそのままの自分を抱えたまま、翌日の登校時間を迎えていた。


「なぁ、赤坂室長がギガフォビアを作っちまったって……本当なのか?」


 隣を歩く先輩に小声で訊く。こんな情報が漏れたらどれだけの大混乱が起こるか判らない。


「キミも室長からその話を聞いたか」


 先輩もささやき声で応じてくれる。もっとも「オレがギガフォビアを作った!」とふれ回る愉快犯は後を絶たないご時世ではあるが。


 本日は昨日とは違い先輩と一緒に登校だ。俺の意図しない形でますます仲の良いカップル状態に進化してるぞ。校門に入る時間をちょっとずらさないと変な誤解され――でもまてよ、訳あって二人とも同じ入院中の病院から登校しているっていうのは学校には知らされている訳だから別に一緒の登下校くらい良いのか。公認病弱男女ペアって……なんかそれはそれでヤダぞ。


「彼女独自の理論によって、ギガフォビアと同種の作用を示すウィルス薬を作ってしまったのは事実だ」


 彼女独自の理論――そんな風に先輩に説明しているなんて、室長はそのウィルスを再現できてしまった罪をひいじいさんに押し付けるつもりは無いんだな。立派な女性だ。


「実験も一回だけ行われたのみ。自家製ギガフォビアには自家製ギガフォビア特有のトリガーが始めから設定されている。そうでなければ効果が解らないからな。そして治癒方法(リカバリー)も設定されている。しかしそのトリガーもリカバリーもオリジナルと同じであるとは限らない。結局は擬い物(フェイク)だ。実験後は用剤も試験機器も高熱爆薬でチリひとつ残さず焼却処理。あとは製法が資料として封印された状態で残されているだけだ」


「その封印って、誰が開けられるんだ?」


「赤坂室長のみ。だから彼女が死んでしまうと、自家製ギガフォビアは永久に失われる」


それは良いことなのか悪いことなのか――室長のひいじいさんが残した資料と同じだ。使うものによっては毒にも薬にもなる。それも世界そのものに作用するほどの。


「だがそのおかげでこのニードルもできたし、根本的な対処療法になりそうなきっかけの理論も生み出された」


「え? このニードル作ったのって赤坂室長なのか!?」


「直接的にその製造に携わったわけではないが、彼女が作り出した擬似ギガフォビアが無ければ完成しなかったもの確かだ」


「じゃあ室長って、俺と先輩の命の恩人ってことじゃないか」


「そういうことだな」


 そういう部分をもっと強調しても良いと思うのにそんなことをしないのは、多分ひいじいさんから流れている血の負い目もあるんだろうな。それでいてひいじいさんの所為には絶対にしないっていう。……俺の周りってカッコイイ女が揃ってるんだな。その性癖はともかくとして。


 で、隣を歩いとるもう一人のカッコイイ女なんだけど


「なんで今日はトーストなんてもったまま登校してんだ?」


 さっきから気になってたんだけど、売店で買ってきたのか? しかも剥き身で持ち歩くって。もう腹減ったのか? 食事に関しては病院の方から栄養価を考えたものが出されるが、間食などは特に制限はされていない。食べ物の摂取により精神のバランスを取るのも、まぁ今の時代大事なことだ。食べ過ぎ自体はこの時代でも良くはないが。


「ん? これはな――お、あの角が良いか。キミはちょっとここで立って待っててくれ」


「はい?」


 先輩はそう言い残し曲がり角の方へ消えた。そして――


「ちこくちこくー」


 ……なにやら嫌な展開の予感が。その予感を形にするように角から先輩が再び現れた。口にはトースト。というかそんなもん銜えてどうやって「ちこくちこくー」は喋ったんだ?


 先輩はそのまま角から飛び出すと、ポンっと相手が倒れない程度に俺に体当たりをかまし、「きゃっ」と棒読みな台詞と共に自分は尻餅を突いた。ぼとんっとトーストも落ちる。


「きゃー、ごめんなさい。わ、わたし、遅刻しそうでいそいでて」


 ちなみに倒れた際に豪快に足を広げ、スカートも大きくめくれている。


「あ、あなた、わたしのスカートの中、見たでしょ、えっち」


「そんな無表情でローテンションのまま台詞並べられても全然感動しねえよ! それにあんたスカートの中ブルマだろ!」


「よし、これで赫凰ルートのフラグは立ったな」


 先輩はそう言いながらお尻をはたきつつ立ち上がる。地面に落ちたトーストは律儀にコートのポケットにしまっていた。食べ物を粗末にしてはいけません。


「登場ヒロインの方から勝手にフラグ立てんな! 強制負けイベントか!」


 というか胸をニードルでぶち抜かれてから強制赫凰ルートなのだが、常にイベントが起こるたびに強制負けイベントという、どんだけ酷いクソゲーだ!


「わたしも一応転校生なので、転校生ならば一度はやっておかなければならないイベントをこなしたまでだ」


「そんな決まりこの日本国にはないよ! というかあんた以外の攻略ルートあんのかよ!」


「赤坂ルートと朱音ルートだ」


「ぐほっ! それはどっちも死亡フラグにバッドエンドだ!」


「だからキミはこのメインヒロインルートを進むしかないのだ」


「プレイヤーにはゲーム自体をやらないって選択肢だってあるんだぜ!」


「ゲーム自体をやらないか……ならば、あの日あの時へ戻るか?」


 先輩はそう言いながら親指を自分の胸に押し当てる仕草をする。俺はそのジェスチャーだけで判る。あの日あの時。胸を貫かれたあの日。俺が死に際から帰ってきたあの時。


 なんでそう要所要所で鋭利な選択を求めてくるんだこの女は。


「スタートボタンを押しちまったのは俺自身だからな。どんな酷いゲームでも最後までやるよ」


 というか結局この女がヒロインの一人なのは変わらないんだな。本当に酷いゲームだ。


「わたしもそう思う」


 だから俺の思考に語りかけてくんな! ていうか自覚あんのかよ!


「これで出会いの定番イベントは概ねクリアー。突然出会った男女が成り行きでひとつ屋根の下で暮らし始めるというイベントはもうこなしているからな」


 ああ、確かにそうだな! しかもそのひとつ屋根の下には「幼馴染」と「妖しげな女医」と「陸保のキツめなお姉さま」まで含まれてるんだぜ! どんだけ初期位置でハーレム度の高いゲームなんだよ! こんなチートゲーム発売しても売れねえよ!


 というかこの一連の流れで昨日から続いていた重苦しい雰囲気が吹っ飛んじまったよ! これがこの女流のメンタル回復方法か! ちくしょう上手いな! やっぱカッコイイよあんた!



「昨日、また『大男』が出たんだぜ」


 俺が席に着くなり久利が寄ってきてそんな風に口を切った。


「俺は朝一番で会話を交わすほどこいつとこんなに仲が良かったっけ?」と一瞬思ったが、結構早く到着してしまったのでまだ教室内は閑散としており、久利も会話を交わすほどの仲の者が他にいないので、と、そういう選択らしい。


「赫凰さんも聞いてよ」


 いや、俺との会話選択は先輩と話したいきっかけづくりが大か。久利はこの先輩に話しかけられたことによって、先輩に対するラブ度が上がってしまっているらしい。微妙なニヤケ顔がその答えだ。そんな先輩は「うむ」と小さく頷いて近くにやって来た。その優雅な身のこなしは、ホント男にも女にもモテそうだな。中身を知った後のみんなの仰天ぶりが今から楽しみだ。


「でもそれって幻覚なんだろ?」


「まぁそうなんだろうけど、昨日生徒会で遅くまで残ってたら、雑用係の一人が『出た出た!』って生徒会室に血相変えて飛び込んできてさ。その時はたまたま会長と副会長が揃って出払っててさー、書記の俺とか会計だけで対応することになっちゃって、いやほんと困ったよ」


 もちろん俺たちが目撃現場に到着しても、なんにも無かったけどね――と、久利は笑いながら説明してくれる。


「久利くん、その場所はどこなのだ?」


 一通り自慢話という名の英雄譚を披露し終えた久利に先輩が質問する。


「渡り廊下だよ! い、行くんなら、ぼ、僕が案内しようか?」


「いや、いい。ちょっと興味があるだけだ」


 おお、久利の決死の告白も華麗にスルーか!


 しかしこれは一緒に現場に向かう役は俺に回ってくる流れだよな!



「というかまさか早退にまでされるとは思わなかったけどな」


「なんだ? どうした?」


「いや、こっちの話」


 午後の授業が始まった校舎の中を、俺たちはその目撃現場とやらに移動している。なんで授業中にそんなことが可能なのかというと、先輩が二人分の早退届けを出してきたからなのだ。


 とりあえず早い段階で現場検証はした方が良いということになり、まずは昼休みの時間帯を考えたのだがその時間は渡り廊下の往来も激しく、しかし放課後まで待っても昼と同様の結果になる可能性が高く、それならばと俺たち二人を早退扱いにしてしまったのだ。なんて強引な。


 ここにいたる前には、前段階の打ち合わせで静かに話せる場所が良いと、昼休みの時間は先輩に保健室へと連れ込まれたりしていた。俺が入院している最中から先輩は保健室を利用しているらしく、養護教諭とは仲が良い。養護教諭も無口な人なので無口同士馬が合うのだろうか。


 そんな訳で俺たちは保健室で午後からの打ち合わせ――はちょっと先生がいる手前はばかれるので、会話自体はカーテンで仕切られたベッドに潜り込んでのメールのやり取りで行われた。何のプレイだこれ?


 そんな理由なので本日の昼食は保健室(ここ)で採ったのだが、何だか保健室登校生みたいでなんか恥ずかしい。いや、俺たちはニードライブ症候群っていう難病中の難病なのでいいっちゃいいんだが。ちなみに先輩は朝使ったトーストを周りの汚れを落としつつバリバリ食べてた。漢だ。


『昼休みが終わったら目撃現場に行く』


 先輩からのメールはそう締め括られていて、そして今、午後の授業開始により静かになった校舎を通り事件現場に向かっている状態。


「昨日はそのまま帰ってしまったのは間違いだったんじゃ?」


 先を急ぎつつ朝みたいに小声で先輩に訊く。


「昨日すんなり帰ったのはワザとだ」


「ワザと?」


「もし目標とされる人物が自分の思い通りに進行したいのなら、何か仕掛けてくると踏んだ。そして事実になった」


「目標……」


 それは一応裂弩生徒会長なんだが、何か実感がわかないな。でも実際のところ「調査」なんてもんはこんな感じなのか。


「それにわたしたちが初日から無理をしなくても。学校そのものは代わりに監視してくれている者がいるしな」


 先輩がそっちの方に一瞬だけ顔を向ける。俺もさりげなく確認する。廊下の向こうで一人の用務員らしき人間が掃き掃除をしている。そんな用務員のようで用務員っぽくない人間が常に俺たちの近くにいるのは、俺も何となく気づいていた。


「あれは陸上保安庁から派遣された支援係だ」


「支援係? 俺たちにはそんなのまでつくのか?」


「向こうも基本は二人ひと組み。一人はニードライバーの常態監視、一人は潜入している施設の状況監視」


俺たちとは違って交代要員もちゃんといるんだろうな。ちょっと羨ましい。


「基本的にはわたしたちは病人だからな。倒れたらすぐに搬送できるように――表向きにはそういう態(てい)になっている」


「……真実は?」


「天敵がわたしたちだけに良い所をとられないようにするために用意した監視役だ」


 天敵――じゃああの朱音という女の下へは早朝には情報が行っているということか。


「俺たちは朝までは病院にいたはずだよな。なんで朱音(あかね)三正はその情報を俺たちには教えてくれない? 直接潜入捜査に入ってるのは俺たちなのに?」


「情報提供の必要なしと判断したんだろう」


 先輩が簡潔に切って捨てる。多分こんな調子では、直接の上司に当たるはずの赤坂室長の下へも、その時点では伝えていないのだろうな。


「そんな状態で勝てるのか、見えない巨人に? 俺たちは?」


「第二次大戦時、陸軍と海軍の中の悪さは酷いものだった。それはいつの時代も変わらない」


 あの戦争は日本の負けで終わった。じゃあ今回も負けで終わるのか? 戦争だったら負けてもいくらかは生き残るが、ギガフォビアが相手のこの戦いでは敗戦時は人類絶滅だ。


「わたしたちがラブシーンに及んだら、それもそのまま報告される」


「うん、その情報は永久に報告されないから安心だな!」


「まぁわたしたちも都合良く利用させてもらうだけだ。彼らが24時間体制で見張ってくれているおかげで、わたしたちは休みたい時に休める。その意味では本当に支援係だ」


「先輩もホント良い性格してるよ」


「ありがとう」


 ……あれ、俺褒めたのか?


「しかし本日は、わたしたち自身でその事実を見届けなければならない。だから今日からはここに泊り込みになる」


 なんだか本格的になってきた内容を先輩が説明する。


「わたしたちは基本的には病人だからな。それに関連した適当な理由付けで、保健室での寝泊り許可はもらってある。ついでに今日以降の午後授業早退の許可もな」


 なんかすっげえ便利な病気だな、ニードライブ症候群って。午後授業の強制早退は、病院に戻ってケアを受けたりの時間確保なんだろうなやっぱり。


「現状の俺ってさ、学生という身分よりも、ニードライブ症候群に侵された患者であって、陸上保安庁所属のニードライバーとして任務を遂行することの方がウェイトがデカイってことを、何か今実感したよ」


 そうこうしているうちに現場に到着。


「特に目立つものがあるわけでもないな」


「まぁなんの変哲もない、校舎と校舎をつなぐだけの良くある渡り廊下だし」


 証拠品らしきものがあっても、野次馬感覚の生徒に持ち去られたあとだよな。


 本当なら陸保保安員を投入して本格的な現場検証をしたいところなのだろうけど、そんなことをして変に生徒を煽ってギガフォビア患者を急増させても仕方ないし。まずは慎重に。


「……ん?」


 そんな何もないと思われていた渡り廊下の隅に、一瞬だけキラっと光るものを見た。なんだろうと近づいてみると


「……塩?」


 拳大の塩の塊。この大きさなら岩塩って言っても構わないサイズ。それが昼下がりの陽光に照らされて表面を光らせていた。


「先輩これ」


 俺はそれを拾い上げると通路の反対側を調べていた先輩の元へ持っていった。


「それはなんだ? 塩か? 砂糖か?」


 砂糖!? そうかそっちの可能性もあるのか!?


「確認したか?」


「いや、まだ」


 先輩は人差指の先でその表面を軽くひっかくと、そのまま指先を口に含んだ。


「うん、しょっぱい」


 ……良いのかそんななんの躊躇もなく舐めて。


「ああ、毒とか大丈夫なのかって顔をしているな? わたしたちはニードライブ症候群に侵されているから、微量の毒を含んでもそれほど影響はない。匂いで判ったりもするしな。だがわたしとしても心配が一つあって」


 やっぱりヤバイのか!


「この塊が塩なのか化学調味料の塊なのか今一判別がつかん」


「そっちの心配かよ! というか化学調味料の方が微妙に甘いじゃねえか!」


「最近はあまじょっぱい塩というのもあるし」


「というか化学調味料を固めて岩化学調味料なんて普通は作らねえよ! それに今時期そんな塊が転がってたらこの高校じゃ塩の塊だから!」


「そうなのか?」


「もうすぐ塩の芸術展とかやるんじゃなかったっけ? それの破片なんじゃねえの?」


「塩の、芸術展? こんな時期に?」


「ああ。何でも他校との合同でそんな大きな行事をやりたいとかなんとか。こんな五月の終わりとか変な時期なのは、他の参加校との連携を考えたらこの時期しかなかったんだと」


 俺がニードライブ症候群に侵される確か前日にそんなことを生徒会長が全校集会で言っていた。俺の長期入院と先輩の転校生活は微妙にズレているので、その分先輩も取得しきれない情報もあるのだろう。


「とりあえずこれは貴重な証拠品だな。持ち帰って麗子に鑑定してもらおう」


 室長ってそんなことも出来るのか――俺がそう思ったとき


「何をしているのですか、あなたたち?」


 思考を遮るようにその声が響いた。


「……副会長」


 留寿純一郎(るうじゅじゅんいちろう)だ。なぜここに? いや、なんでこの時間に?


「どうしたのですかこんな場所でこんな時間に?」


 逆に全く同じ疑問を質問されてしまった。


「病院の方で早退して戻ってくるようにと言われてな。その前に保健室に寄っていたら手間取ってしまった。副会長こそなんでこんな時間にここへ? あなたも早退か?」


 その副会長の質問は先輩が返してくれた。さすが先任だけあってかわし方が上手いな。病院絡みなことを出されたら普通は駄目とは言えない。


「僕は僕で授業より大事な役目がありますから」


 それはご苦労なことで。生徒会役員も大変だな。


「……紅河君、それは?」


 副会長が俺の持っている岩塩に目を留めた。


「さぁ、今度の塩祭り用の破片なんじゃないの? 誰かが落としたとか」


 これは持って帰らないといけないシロモノになっちまったので俺も粘る。


「ゴミクズは、クズかごにね」


 しかし副会長はそれ以上興味がないみたいに言うとその場を立ち去ろうとした。


「食べ物を粗末にしてはいけないぞ」


 授業より大事な役目とやらをこなしに行くのであろう、俺たちの隣を通り過ぎようとした副会長に向かって先輩がそんな風に引っかけた。確かに岩塩といっても食べ物は食べ物。捨てろと言われるのもあまり嬉しくない。それに俺たち(ニードライバー)にとって塩は深い関わりがあるしな。


「ごもっとも」


 副会長はそう言い残して廊下の奥に消えていった。

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