第二章 01

 俺は、ニードライバーとして働くことになった。


 自分自身、なんでこんなにも素直に受け入れてしまったのか。


いくら目の前で知人連中が妖怪じみた格好に変身するのを目の当たりにしたとしても、もう少し躊躇というものがあっても良いのではないか。


二十年前、始めてのギガフォビア患者が発見され、そして現在に至る過程で世界の人口は半減した。日本も十年前に一億人を割ってしまった時、緊急事態宣言を出したり陸上保安庁を作ったりしたが、そんなことをしたところでどうしようもなく、今は7千万人を切っている。


 それだけ周りの人間がどんどん居なくなってしまうのを肌で感じ続けていれば、心だって荒む。荒んだ心に支離滅裂な状況をぶつけてもまともな判断はできず、素直に受け入れてしまうのも道理なのだろう。この世界そのものが、今は支離滅裂なんだ。



 蘇芳病院に入院してから十五日目にして、院外への外出許可が下りた。体はほぼ完治しているので本来なら退院扱いなのだが、事情が事情なので一時的な外出許可にしかならない。


 勉強道具などの私物に関しては、家に残る家族がこの前見舞いがてら持ってきてくれた。


 家族には俺が学校に行っている時間以外は病院でのケアを受け続けなければいけない病気であると説明されていた。随分と都合の良い説明だなと思うが、ギガフォビアにかかっていきなり消失してしまう事態を考えれば、今の時代そんな説明でもまかり通ってしまう。恐ろしい。


 俺はその都合上家にも帰れず長期入院という形になり、さらには見舞いも極力さけてくれという駄目押し。若い頃に母さんを亡くしてからそれ以来子煩悩になってしまった父親はその事実にたいそう悲しがり、結局一緒に来てくれていた祖父に俺から引き剥がされるようにしてなんとか帰っていった。そういう意味では俺も早いところあの家――というか父親から独り立ちしたいと思っていたので結果オーライだ。すまんじいちゃん、あとは任せた!


 そして外出許可が降りたということは任務開始ということでもある。先行して潜入している先輩に続き俺も赦殿高校に向かう――というか戻る。


「相変わらずこの病院は静かだな」


 朝食を済ませ身支度を整え自室を出る。朝の喧騒という言葉から、この病院は無縁だ。


千人規模の患者を収容しているというのに、昼夜問わず静かな空気で満たされている。何しろほとんどの患者が24時間眠っているのだから。その意味では起きて活動している俺みたいな患者の方がイレギュラーだ。多分2桁に届かないくらいの人数しかいないのでは? というか先輩以外に動いている患者を俺は見たことがない。


 そんな病院の正門前広場の花壇には牡丹の花が咲いている。色は白ばかり。


 俺がここで目覚めてまだ病室から出れない時は、窓から花壇を眺めたりもした。その時は白木蓮という四月の花が咲き残っていて白い絨毯を形成していた。


 しかし場所柄を考えると、絨毯というよりも病院自身がギガフォビアという病気から包帯で鎧っているようにも見える。たまたま四月と五月の花が白系統だったのか、それともこの花壇を管理している者がそんな趣味なのか。六月には何の花が咲くのだろう。花の植えられた花壇の存在自体も、時間が固定されてしまっているこの場所で暮らす者たちへ、時の流れを感じてもらいたいというせめてもの想いか。それが眠れる患者たちに届けば良いのだが。


 そんな庭を抜け正門をくぐって道なりに歩いていると、住み慣れたといってもいい蘇芳病院の外観が見えてくる。ギガフォビア用の拠点病院は、最初から千人規模の患者の収容を目的にしているので総じてでかいのだが、この蘇芳病院はその中でもさらにでかいと思う。


 何しろ四桁の患者が寝ている病棟の隣に、ほぼ同じ高さの謎の施設が隣接しているのだからだ。ギガフォビア系の病院施設なんだからそれ関係のワクチンか何かを作ってるんだろうけど、それにしても正面の扉はなんだ? 建物と同じだけの高さも大きさもある大扉。何かの格納庫か? ギガフォビアから逃げ出すためのノアの方舟でも作ってるのなら良いオチだが、現状ではその操縦士(ドライバー)もギガフォビアで死んじまうという大オチが付いちまうな。


 しかしそれも含めてこれだけ大きな敷地だからこそ、どこかの誰かが庭いじりに励んで、こんなにも多彩な四季の移り変わりを感じられるのだろう。


 五月も下旬。そろそろ皐月の句切りも終わろうとしている。もうすぐ梅雨入りだ。


 そうして、長雨前の無駄に晴れ渡った五月晴れの下を進んでくると、赦殿(しゃどの)高校の校門が見えてきた。蘇芳病院と赦殿高校は同じ地域にあるだけあってそんなに遠くはない。それでもバスか自転車が欲しい距離だが、半月も病院の中に押し込められていたんだ。多少は歩いて体をほぐしておかないと。そういえば久しぶりに外に出れたっていう晴れ晴れしい気持ちが無かったな。久しぶりに登校っていう緊張感の方が少し強い。


 そんな俺の脇を一人の女子生徒が早足で通り過ぎていった。うちの学校の女子たちが着るブレザー姿を見るのも久しぶりだ。少子化を経て更にギガフォビアで人間自体の数が減っているので、どこの学校も入学希望者数確保のために、制服のデザインは女子が喜びそうなものを採用している。だからうちの高校も一応目の保養にはなるレベルには仕上がっている。もちろん俺が着ている男子用は適当に地味な定番デザインのブレザーだ。男の方は変に漫画に出てきそうなデザインにすると逆に入学希望者数が減るからな。地味で良いのだ。


 学校正門にたどり着くと、校門脇で腕に生徒会の腕章を巻いた男が、ボード片手に生徒一人一人を確認しているのが見えた。今日は服装チェック日か。


「やぁおはよう紅河(こうが)君」


 生徒会副会長である留寿順一郎(るうじゅじゅんいちろう)が非常に和かな笑顔で挨拶してきた。朝から暑苦しい。


「随分と久しぶりの登校だね」


 ……そういえば俺はこの副会長と面と向かって話すのは始めてのような気がするが、なんで俺の顔と名前を知っているんだ?


「なんで僕が君の顔と名前は把握しているのか――そんな顔をしているね?」


 は!? バレた!? というか俺ってそんなにも考えが表情に出るのか!?


「なに、半月も学校を休んでいた君だからこそ知っていたってだけさ」


 なんだ、悪目立ちってやつか。まぁ半月って言ったら結構な入院期間だもんな。


「怪我で入院していたんだってね。傷の方は大丈夫なのかい?」


 学校(こっち)の方ではそういうことになっているのか。胸を串刺しにされるのが怪我ってレベルなのかどうかしらんが真実を勘ぐられるよりはマシだ。「大分良くなりました」と曖昧に答えておく。


「何だいその長い筒は?」


 しかし登校しての一番の懸念材料に早速目を付けられた。


「病院の方で所持を義務付けられた携帯用の医療機器です」


 これはそのニードル入りケースを見咎められた場合に対する方便として用意された台詞。


「医者の診断書もありますけど見ます?」


 もちろん室長直筆、院長のサインと病院の正式印もプラスされたものだ。その公的力は、塩の塊とは言え殺傷能力のあるニードルを、ほぼすべての場所に持ち込めるほど。もっとも俺たちニードライバーはこれを離されたら死に直結するので、フェイク抜きで必要なものだが。しかし副会長は「いえ、結構」と興味なさげに応答する。


「僕はまた敵をやっつける武器でも入っているのかと思ったけれどね」


 ぐはっ、さすが副会長なんてやってるだけあって感が鋭いな!


「紅河君、正義の味方なんて、この世にはいませんよ」


 そんな大人の発言を最後にして、俺は服装チェックから開放された。元々制服的には違反している部分なんて何もない優良生徒なので、唯一の目立つ部分がシロと判断された時点で俺からの興味を完全に失ったのだろう。副会長は次なる目標に照準を合わせている。


 副会長の感の鋭さにはビビッたがとりあえず生徒会からのお墨付きはもらったので明日以降は止められる事もないだろう。教師陣の方へは既に病院側から詳しい説明が行っている筈だし。


 しかし正義の味方か。俺たち(ニードライバー)はそのカテゴリーに入るのだろうか。病人なんだけど。



「やぁおはよう紅河くん」


 教室に入るなり見慣れた顔に挨拶された。入学してから一ヶ月弱はここにいたのでクラスメイトの顔は見慣れているが、その顔はその一ヶ月弱以降に見慣れた顔だ。


「……なにしてるんですか赫凰(かくおう)さん」


 場の空気を読んでしまって思わずさん付けになってしまった。先輩こと赫凰瑠璃香(かくおうるりか)が俺のクラスの席に座っとる。もちろんうちの学校の制服姿で。やっぱ先輩は外面は良いから何着ても似合うな……そうじゃなくてだ!


「クラスメイトになにしてるんですかはないだろう」


「くらすめいとぉ!?」


 なんか一番聞きたくなかった答えだ!


「おい紅河! ちょっとこっちへ!」


 ありえない存在の登場に驚きおののいている俺の耳に、聞き慣れた声が届いた。大丈夫、今度は本当にクラスメイトの声だ。


「なんだ久利(ひさとし)?」


 俺は抵抗する間もなく一人の男子生徒に腕を抱きかかえられるようにして、廊下に連れ去られた。その一連の動きを先輩が目をキラキラさせながら見ていたような気がするが、今は記憶の外に外しておく。


「お前、あの美人の知り合いなのか?」


 久しぶりの登校に「退院おめでとう」の一言もなく、いきなりその話か。クラスの中でも久利とはそんなにベラベラと話すような仲でもないのでそんなもんか。


「まぁ、入院先で知り合った」


「なんだ、すでに知り合いがいるのかよ。いきなり俺に声をかけてきて色々訊かれたから、俺に一目惚れしたのかと思ったのに」


 良くそこまで自分に都合良く解釈できるもんだな。でも先輩は素の状態ならかなり綺麗だからそんな美人に喋りかけられたら勘違いするのも無理ないか。中身を教えてやりたい。


「というかあの女はなんであそこにいる?」


「なんでって、転校生だよ」


「てんこうせい!?」


 なにそのベタな展開!?



「キミとは一緒のクラスの方が都合が良いかと思って、陸保にはそのように処理してもらった」


 ……いや絶対自分の趣味を最優先してるだろ。


「というか潜入するんだったら先輩は用務員とかでも良かったんじゃ?」


「わたしもまだギリギリ高校生でいられる年齢なのだ。せっかくなら学生生活を満喫したい」


「だったら三年生のクラスに転校で良かったんじゃ」


「キミとは一緒のクラスの方が都合が良いかと思って、陸保にはそ」


「わかった」


 このままではエンドレスリピートになりそうなので、俺の方から停止ボタンを押す。


「まぁ19、20歳になってもまだ高校への潜入任務があるのだったら、まだまだ学生として潜入するつもりだが」


「純情な他の高校生たちをあんたのプレイに巻き込むな! というかリピートを止めようとしてんだからあんたも止まれよ!」


 停止ボタンを跳ね除けるリピート装置があるなんてビックリだよ! どんだけ強力なスプリング使ってんだよ!


「定時制高校なら20歳過ぎの学生など当たり前だぞ」


 ……この女。


 放課後、俺たちは校舎の屋上で落ち合い、これからの行動の相談をしていた。


 久しぶりに登校した俺は、怪我で入院しての退院というお約束のコンボもあり、英雄のご帰還という感じで質問攻めにあっていた。だから先輩と軽く話すこともままならず時間が過ぎていったのだが、そのフィーバーも放課後にはなんとか沈静化した。短いヒーロータイムだったが俺も目立ちたいと思っている人間じゃないのでこれで良い。


 昼休みくらいに先輩の方からこの場所を指定するメールが届き、今はこうして打ち合わせをしているという次第。


「そういえば、なんで久利に声なんかかけたんだ?」


 まさか久利がターゲットなのか?


「彼が生徒会役員だからだ」


「なるほど」


 久利は俺と同じ新入生でありつつも生徒会の書記という役職に収まっている。なんでそんなことになっているかというと、この高校では毎年生徒会書記は一年生から選出することになっているらしく、入学初期に行われる委員会決めの振り分けには生徒会役員も含まれているのである。そこで各クラスから生徒会役員担当が選出され、その中から書記が決められる。そしてうちのクラスの久利に決まったという訳なのだった。ちなみに書記からあぶれた者はどうなるかというと、雑用係という閑職に収まる。だからそのシステムを最初から知って入学してくる生徒の中には、ワザと生徒会役員に立候補し、ワザと書記から外れるように工作して、めんどくさい仕事から上手いこと逃げる者もいる。


「既にある程度の把握は済んでいる」


 俺のいない間に、先輩はかなりの情報を掴んでいるらしい。さすがに行動は早いな。なにげにこの人、能力高いし。


「とりあえずBLカップルっぽい男子二人組は5組みほど発見した」


「そっちの把握かよ!?」


 そんなにいるのかうちの学校!? というかこの女の脳内では俺と久利もそれに加えられてそうだよな! 俺と久利はいたってノーマルだから!


「百合カップルも1組みは確認した」


「もういいよ! そんな母校にまつわる悲しい情報なんて聞きたくないよ!」


 泣くぞ! ちくしょう!


「もちろんその片手間で目標人物の情報収集は大体終わらせてあるが」


 その最重要な任務の方が片手間なのかよ……。


「……というか目標の人間って生徒会の中にいるんだろ?」


 久利に近づいたのも、彼から情報を得ようとする目的なのだろう。


「その通りだ。感が鋭いな」


「まぁその程度は」


「今回我々が観察対象とするのは、裂弩太蔵(れつどたいぞう)だ」


「……生徒会長か」


 正直に言ってしまうと、俺はあの生徒会長の顔が嫌いだ。大会社の三代目とか、色んな監督業の子供に共通している顔。他人の意見を絶対に聞きそうにない顔。できれば接触したくない部類の顔だ。事実会長の父親は代議士をしている。裂弩議員といえばそれなりに知られた名だ。その一人息子なのだからそんな印象に育ってしまうのも無理はない。


 しかし意外にも裂弩の生徒会長ぶりは評判が良い。一年生の秋に当選してそれから三年生にいたる今までずっと生徒会長で、その間変な失策もない。


 これが昼行灯的な何もしない長であるなら印象の薄い必要悪で終わるが、意外にも学内を良くするための多くの政策に果敢に取り組み、その全てを成功させているのである。


 しかしその有能な部分を除いても俺はいやだ、あの顔は。


「それはわたしもそう感じた」


 俺の生徒会長へのイメージを掻い摘んで説明すると、久利から訊いたらしい先輩も同じような印象を持ったらしい。部下からの報告を飄々と聞いているだけの殿様――そんな印象だと言う。本当はその地位にいる者がそんな風に見える場合は、虚(うつ)け者を演じて暗殺を免れるのが目的なのだが、裂弩の場合は本当にバカっぽく俺には見える。真実はどっちなのだろう?


「良く出来た参謀がいるのだろうな」


「やっぱり先輩もそう思うか」


 入学式の日を思い出す。裂弩会長は在校生代表として余裕たっぷりの演説を俺たち新入生に披露していたのだが、今から考えてみればその少し前に舞台の隅で留寿副会長となにやら綿密に話し合いをしている姿があった。毎週月曜日に行われる朝の全校集会時も副会長に意見を聞いているシーンを見かける。


 人の上に立つ長としては他人の意見を聞くのは良い傾向なのは間違いないのだが、裂弩会長の見た目の印象から来るイメージに気づいてしまうと、その落差に違和感を感じてしまう。


「副会長あっての生徒会、いや生徒会長か」


 先輩がひとりごちる。その人任せな気持ちが、ギガフォビア――延いては『ショートレンジ』という精神性ウィルスが入り込む余地を与えてしまうのかとも。


「まぁ副会長もそんな参謀役を楽しんでやっているという感じを受けたが」


 先輩も何度か留寿副会長とは接触して、その人となりを見ているのだろう。何しろ観察対象に一番近い存在なのだし。


「しかし、人の意見をまったく聞きそうにない人間がなぜ彼(副会長)の意見だけは聞き入れるのか?」


 裂弩と同時に生徒会入りして以来、ほぼ全て二人三脚でやってきた相手だ。裂弩をしても頭の上がらない何かを牛耳っているのか? それとも単なる仲良しさんか。意外にこの「単なる仲良しさん」って場合が困るんだよな。単純に心のつながりしかないので、事件を立証できず迷宮入りになることも多いらしいし。


 でもそれって――俺とアイツの繋がりだったりもするんだよな。本人たちが思っている以上に深い繋がり。その深さは俺とアイツにも適用されるのだろうか。


「……なぁ副会長も同時に調べるのか?」」


 それだけ観察対象に大きな影響を与えている存在らしいのだから、副会長の動きも把握する必要があるのでは。


「いや、彼はニードライブ症候群に関しては『ショートレンジ』も『エブリシング』も陰性だ。観察対象には入っていない」


 あれ、随分と簡単に重要参考人を外してしまうものなんだな。


「あのさ、ギガフォビアが治らないのはその所為じゃないのか?」


 そんな簡単に諦めてしまって良いのか?


「そうかもしれない――しかし」


「しかし?」


「病の快方に向けて手段を選ばないのは当然だが、それが道徳に反するなら躊躇するのは仕方あるまい。何しろギガフォビアは概念の病気だ。メンタルな部分も、回復に向けては大きく作用する。ジュジュくんに変な印象を与えてしまってそれが彼のギガフォビア発病のトリガーになってしまったら取り返しのつかないことになる」


 まぁそうだよな。ギガフォビアって何が発症のきっかけになるのかって未だに判らないんだし、その発病要素を潰しておくのも対処療法な訳であって――というか


「ジュジュくんって、なに?」


 いや、ある程度予想はできちゃってるけどさ。


「るうじゅじゅんいちろうで、ジュジュくんだ」


 本人の前でそんなこと言ったら、絶対仕返しされるな。しかも完全無欠な正当的報復で。いや、この女だったらそれは喜んで受けるのか、このド変態め!


「キミはこの学校に流布されている『大男』の噂は知っているか?」


 先輩が任務の方に話を戻してきたので俺も真面目に答える。


「ああ、もちろん」


 その噂は俺も高校(ここ)への入学前から知っていた。


 噂の発生は半年ほど前。夜になると三メートルだか四メートルだかある大男が現れて、学校を徘徊しているのだという。目撃証言もいくつかあるにはあるが、このご時世なので「幻覚だろう?」の一言で済まされてしまい、見たという人間も「やっぱり幻覚だったのだろう」と自己完結して終わる。四月一日(エイプリルフール)も跨いでいるので、それをネタにした嘘も多く使われて、信用度はかなり低くなっている。だから何も知らない人間からしたら学校の怪談レベルの話なのだが


「もしかしたらニードライバーとしての力を『巨大化』というものに使える相手なのかもしれない。わたしもニードルを装着すれば二メートル近い大女になれることだしな」


 自分で大女とか言うなよ。それはさておき、俺たちニードライブ症候群を持病としている人間にとっては、それは嘘でも噂でもなく、真実に到達する可能性の一つだ。こんな「噂」がなければここへは我々も派遣されることはなかっただろうと、先輩は言う。


 観察対象者は今までの『ショートレンジ』発症統計に従い決定される。生徒会長も『ショートレンジ』の発症候補者だが、学内での活躍を鑑みれば陸保側には「発症の危険性あり」とは認識されない。基本的には怨念などの負の感情に反応して『ショートレンジ』は発症すると統計が出ているので、有能な生徒会長として満たされた生活を送っているようにしか見えない裂弩太蔵では、そんな噂でもなければ観察対象にはならない。動ける『エブリシング』の数も有限だからだ。確か全国で俺も含めて百人くらいだったっけ。前にそう説明された。


 だから極々普通に真面目に仕事をしていたあの看護師にも観察者は付かない。勤務先も陸保の関連施設なので、正規保安員による即時対応もできることだし。


 猟銃を所持しているからといって常に警察の監視がつくわけではない――それと同じ。そういう意味では俺が前に先輩を怒らせてしまったのは本当に酷いことを言ったのだなと反省する。


でもまてよ


「『ショートレンジ』って一回限りの変身じゃなかったっけ? その大男が『ショートレンジ』だとしたらなんで何回も現れるんだ?」


「そう、それが疑問なのだ。だから我々の任務はその真相究明も含まれている」


「会長以外の『ショートレンジ』陽性者は?」


「ゼロだ」


 ゼロか……まぁ、ニードライブ症候群を発症できる人間自体が少ないんだし。


「『エブリシング』ってさ、ニードルってもんがあってそれを胸にグサっとやってもらわないとなれないんだよな? それは自力でもできるもんなのか?」


「我々が把握している現状では無理だ。しかし可能性は、ゼロでは無いのだろう」


「じゃあその何ども現れる大男の正体は、自力発症『エブリシング』?」


「それは無い。『エブリシング』になれる可能性を持つ者は、ほとんどが陸上保安庁の方で把握されているし、なった者は全員が陸保所属だ」


「そうなのか。でも誰がなれるってどうやって把握してるんだ?」


 この話題ってこの前先輩を怒らせちまった話題そのものだよな。気を付けて話を進めないと。


「義務教育期間の健康診断に、ニードライブ症候群陽性発見のプログラムが組み込まれている」


 血を抜かれてえらい痛い思いをした思い出があるが、今から考えたらそれだったのか?


「でもほとんどってことは何人かは溢れてるってことだよな」


「その通り。だがその人物がニードルを手に入れる機会は無い。ニードルは一人一人に専用のものが陸保の研究所で生成される。固有DNA情報も組み込まれるので他人が使っても何も反応しない。敵ニードライバーのエンブレムを突く程度には役に立つがそれだけだ」


 最近の血液検査ってそんな事まで詳しく分かっちゃうのか。クローンとかすぐに作れそうだ。


「だから我々陸上保安庁所属のニードライバーに仕事が回ってくる」


 仕事。それは目標人物の観察。そして何も起こらなければ俺たちの仕事も自動的に終わる。


 何も起こらない。――でも何も起こらないということは、生きて帰って来れない人間がまた一人誕生するってことなんだよな。


「……」


「そろそろ今日は引き上げるとするか。室長の所への通院もあるしな」


 没しようとしている夕日を見ながら先輩が言う。考え込んでしまった俺を促すように。


「大男の正体が分かればわたしたちも任務から即時解放される。そう重く考えるな」


確かにその終わり方なら誰も死なない。先輩も先任だけあって色々と後進のことも考えてくれているのかもしれない。


「――そうだな」


 先輩の姿を見ると、夕焼けがコートにも塗布されてオレンジ色に燃えていた。


 というかサマーコートって普通膝ぐらいの丈だと思うのに、先輩が着ているのは踝近くまであるロングサイズだ。冬物を夏場でも着ているような暑苦しさ。


「先輩、その格好……暑くないのか?」


「暑い」


 なんとも簡潔なお答え。


「だったら脱げばいいのでは?」


「わたしのニードルはコートの中に収められているからな。ヘタに脱いで遠くに離されてしまったら元も子もない」


 なるほど。命に直結するアイテムだしな。俺も自分の分は離さないようにしないと。


「それに」


「それに?」


「衝動買いしてしまったBL小説を隠すのにもってこいだからだ」


 この人の発言に期待した俺がバカだったよ! 真面目に感心した俺の男心返してよ!


「百合小説も買うぞ?」


「あんたホントなんでもありだな!?」


「わたしが今おすすめの本は、これだな」


「出さなくていいから!」


 この人いつもそんなイカガワシイもん持ち歩いてるのか!? ニードルじゃなくてその手の小説の方が見つかって職員室に呼び出されそうだよこの人!


「今の時代、人間がいつ死ぬかなんて判らない。だったら自分の欲望に従って生きるのも真理だろう。もちろん他人に迷惑をかけない範囲でだが」


 先輩は思いっきり他人(おれ)に迷惑をかけてますが。


「そうか?」


 だから俺の思考を読まないでください。


「読んでなどいないぞ」


 ……この女。


「キミの顔に書いてある言葉に答えてるだけだ」


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」


 それって結局表情の違いで頭の中を読まれていることと同じだよ!? 戦いの中で相手の顔を見て次の行動を予測するとか、そんな力なんだろ!? どんだけあんた戦士として強いんだよ! 普段から凄い力無駄に使いすぎだよ!



 まだ五月半ばの初夏という気候なので、日が没するのも早い。すっかり暗くなった帰り道を歩いて病院に戻る。もちろん隣には先輩の姿。帰る場所は同じなのだから当たり前なのだが。


「ギガフォビア自体のメカニズムは簡単だ。人間が本来持っている筋力量を百パーセント発揮させ、それを全て自身を圧潰すように作用させる。脳や神経に作用する抗体としては精神安定剤が一番近い。それをほんの少し毒の量を増やしたものがギガフォビアだ」


 先輩が歩きながら補足のレクチャーをしてくれている。


 こうやって年の近い男女が歩いていると、他人から見たらやはり俺たちは恋人同士にでも見えるのだろうか? 歩きながら真剣に話し込んでいるし。内容はともかくとして。


「何兆という塩基配列の組み合わせから筋力の制限解除と自壊用のシークエンスを見つけ出すのは容易ではないが、中にはいるのだろう、たまたまそれが出来てしまった才人が」


「天才ってやつか……なんか大体のでかい事件てそういう名称の狂人がやっているような気もするけど」


「そうかもな。正気を保つための狂気――すべての人間もそれは持っている。ギガフォビアはその正気の部分をほんの少し低下させるだけの病気だ。それだけで人間は狂気を抑えきれなくなり暴れだす」


「どんな人間にもマッドサイエンティストの血は流れてるってことか」


「付け加えるならば天才なんて生き物は意外にその辺に多く転がっているものだ。本当に見つけるのが困難で世界に対してより大きな干渉力を持っているのは、秀才であり鬼才だ」


 美人な先輩との、下校中に行われるプライベートレッスン。


 嬉しい? いや、この女からはそもそも女という要素をあまり感じなくなってきている。


 凄く綺麗な女と歩いているはずなのに、全然それを感じない。それはこの先輩のBLトークのなせる技なのだろうが、もしかしてそれはお互いを男女という意識を感じさせないで、任務に集中させるための技なのか? 一応この女は戦士としてできることを最大限にやると宣言しているのだし。でもそれにしたって実用二割の趣味八割くらいだろうが。


 そういえば入学してから一週間はアイツともこんな風にして家まで帰っていたなと思い出す。「恋人同士に見えるのだろうか? 相手から女を感じないのに」と、その時も同じことを考えながら歩いていたのも思い出した。


 また再びそんな風にしてアイツと帰れる日が来るのだろうか? 俺はそれを望んでいるのだろうか?


「……」


 俺は多分そのために死の淵から帰ってきたのだろうに、未だにその答えが良く判らない。



 とりあえず「ケア」と称して俺は室長の下に日に一回は行くことが義務付けられているので、荷物を自室に置いて第八対策室に向かう。先輩を超える酷いBL好き姉さんであるので、裂弩会長とはまた違う意味で接触を避けたい相手だが、腕の良い精神科医であるのは間違いないので、診断という意味だけで判断すれば安心ではある――と思っておく。それに自分自身もニードライブ症候群という酷い病気持ちなのだから、体調を専門医に確認してもらわなければならないのも自覚している。しかしこんなことが一生続くのかと思うとウンザリするが。


 本日はカウンセリングを受けつつ、自分が所属する組織である陸上保安庁というものの詳しい説明を聞いている。


 警察組織では対応しきれず、自衛隊をくり出すには規模が大きすぎるということで、その折衷ということで発足となった陸上保安庁。


 その誕生は、それこそ地球全体が星間戦争に巻き込まれたくらいの火急事態ではあるのだが、自衛隊が中心になってその対策に当たっては、現状では様々な人間の思惑で自由に行動できず、自体を悪化させるだけだと判断した結果――だと言われる。国の中枢に近ければ近いほどその組織に属する人間は、自分の派閥を守るためなら国が滅んでも構わないと考えるものだ。しかしギガフォビアの猛威はその考えを単純に通用させないくらいの結果をもたらした。地球が滅んでも派閥を守りたいと思う人間はさすがにいなかったらしい。そして、凝り固まった考えからは抜け出すのも不可能だという自意識はあるらしく、ならば始めから自分たちには全く手の届かないもの――軍隊に匹敵する新組織――として、対応組織を生み出したのだという。そういう意味では陸上保安庁とは肥え太った官僚たちの最後の良心であるのかもしれない。


 事実上ギガフォビア対応専門として完全に独立した組織として創設したということは、既に国家間戦争とかそういうレベルを超えているという覚悟の表れが出ている。戦争ならば戦っている相手を倒すなり和解するなりすれば終了するが、相手は人ではなく病なのだ。


 それでも出現までには紆余曲折が多々あり、最後まで難色を示していたのは陸上自衛隊関係の高官たちだ。警察力を超える武装集団であるのに、なぜ陸自直下の組織ではないのか、と。


 それでもようやく「火器の保有が警察並みに制限される」という条件を付けて完全独立での発足となった。まぁ銃弾の効かない相手が当面の作戦目標なのだから、陸保側も余裕の譲歩だっただろう。しかも鉄砲撃ってなんぼな陸自側はそんな条件提示をされてしまっては、メンツの問題からもう自分から手放さなければならない。ただ火砲の類が無いというだけで、打撃武器や捕獲装備はかなり充実しており、その気になれば戦車程度の相手なら軽く制圧できる装備がある――という噂もある。ホント法律って不思議。


「ニードライバーの存在は、公表はされていないわ」


 俺の目をペンライトで診察しながら赤坂室長が付け加える。


 それは当然か。根本的には役に立たないスーパーヒーローがいるって知っても、怒りしかわかないよな普通。もちろんマスコミに対しても厳重な報道管制は敷かれている。それでも過激なネタを求めて食いついてくる三流誌記者の強行取材は絶えないので、それの駆逐もニードライバーの仕事には含まれているのだという。嫌な世の中だ。ちなみに駆逐許可は法的に認められている正当な権利。取材する側も命懸けだな。


「正義の味方はいない、か」


 診察終りに、今日の早朝に留寿副会長に勘ぐられそうになったことを報告すると、室長はなんだか考え深げにつぶやいた。


「私がギガフォビアを作った……と言ったらどうする?」


「……はぁ!?」なんだいきなり?


「私がこの世紀の悪病を作った本人だとして、あなたは自分の中の正義に従って私を殺す?」


 ちょっと……比喩にしても冗談キツすぎるぞ。


「ハトが豆鉄砲食らったような顔してるわね? それとも豆大福を口に詰め込まれたくらい? でもね、それは事実。ギガフォビアを作ってしまったのは事実。もっとも――今世界に蔓延しているオリジナルを作った訳じゃないけれども」


 俺は怒りとかそんな感情は置き去りにされて、ただ呆然としていた。なんだ、室長は何を言っている?


「ワクチンを作るためにはまずウィルスを知らなければならない。そしてもっとも良くその性質を知る方法――それは自作してしまうこと。だから――再現したのよ。いえ再現できてしまった、そう言った方が良いのかしら」


 背中に嫌な汗が流れる。俺は一体なにを相手にしている?


「できてしまったのよ、ギガフォビアが」


「――……それは一体、どう、い、う、?」


 俺はなんとかそれだけ口にできた。ギガフォビアが出来た? 何を言っている? 何を言おうとしている?


「登戸研の末裔が招聘されているって聞いていると思うけど、それが私。曽祖父が登戸研出身。化学兵器の開発担当。簡単にいえば毒ガス作りよ」


 先輩は「特殊兵器の専門」と言っていたけど……そうだよな、「兵器」なんだから、そんな陰惨と思われる類のものだって作ってるに決まってるよな、特殊なんだから。


「ヨーロッパの方の敗戦国はロケット兵器の担当者が戦勝国に引き抜かれていったけど、アジアの方の敗戦国は毒ガス作りの担当者が引き抜かれていった。その結果は第二次大戦以後に行われた戦史に載っている、もう消せない記録」


 ベトナムの地にまかれた枯葉剤の恐怖は俺も知っている。日本を戦慄させた亜砒酸カレーも、元を作ったのは室長のひいじいさんなのだろうか。


「でも曽祖父が本当に得意としていたのは神経に直接干渉する薬剤の開発。それはどんな歴史にも出てこない本当の意味での暗部」


 確かに登戸研を作った当時の日本も、室長の曽祖父を連れ去った大国も、裏では本当に何をやっていたかなんて誰にも判らないし、知るすべもない。


「歴史に残せない暗部といっても、研究するためにはある程度の資料は残さなければならない。私は曽祖父の死後、偶然見つけたそれを見て育った。なぜ処分もせずに血族には見られる場所に保管していたのか。自分自身の過ちを後世で裁いてくれる後継者が欲しかったのかもしれないわね」


 血の宿命――そんな言葉が俺の頭を過ぎる。


「本当曽祖父は神経系の学術に関しては凄いと思ったわ。こんな風にして配列を変えていくのかと。そして自分自身も神経系の医師になっていた。あんなものを見てしまったのだもの。曽祖父に近づきたいと思わないほうがおかしかった、だって同じ血が流れているのだから。我が祖父、あこがれ、まさに秀才であり鬼才」


 秀才であり鬼才。それは本当に見つけるのが困難な才能ある人間の名称。


「でも、何をして発病のトリガーになるのか、そして何をすれば治るのか――一番重要な部分は分からずじまいだった。ギガフォビアを作ったという恐怖と恍惚だけが残った」


 恍惚……それが室長の「正気を保つための狂気」なのか。


「それは、どうやって確認したんですか」


 そう、ギガフォビアを再現できてしまった狂気の他に、もう一つ気になることがある。その自家製ギガフォビアはどうやって効力を確認したのか?


「ここは陸上保安庁なのよ? 人類が生き残るために作った最後の砦。なりふり構わず何でもするために作った施設」


「そっ……」


「他の施設に収監されている生きるに値しない人間を要求するぐらい、出来るわ」


 そんなこと……そう言おうとした俺の唇は閉ざされた。高一のガキが嘆く程度ではどうにもならない処まで世界は進んじまってる。


「人が生きるためには誰かが悪にならなければならない。それが私。私の血。曽祖父の研究に魅せられた私の血」


 室長の体の中には、俺たちニードライブ症候群に侵されたものとは違う、忌むべき血が流れている。それは――世界を壊せるほどの血。


「多分曽祖父はギガフォビアなんてものは作っていない。でも作ることはできた。そして私は作ってしまった。たとえそれが偽物であったとしても」


「……」


「正義の味方を演じるのも大変だけれども、悪を演じるのも――大変なのよ」

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