第一章 04

 翌日。


 室長への面会場所と時間は、不意に着信してきた先輩からのメールで伝えられた。


 なんで俺のメアドを知っているんだ? とかは、今更無用な詮索か。


 指定時刻に指定場所へ行ってみると扉の前で先輩が待っていた。付き添ってくれるのだろう。


「……」


「……」


 気まずい空気。先輩はいつもの無表情なので何を考えているのか判別つかないが、昨日の態度から察するに腸が煮えくり返って血の池地獄になっていてもおかしくはない。


 俺の方が縄で縛られて鞭打ちの刑か。いや、実行に移してくれるだけその方がマシだ。


 このまま嫌な雰囲気のまま口を閉ざされる方が辛い――そう思っていると、先輩が身を寄せてきた。更に尻に何かが触れる感触。


「……?」


 先輩が俺の尻を撫でくりまわしている。なんだなんだ?


「ふー、堪能した」


「はい?」


「これで昨夜の非礼は許そう」


「は、はい!?」


 なにこれ制裁!? 尻揉みしだきの刑って――というか


「セクハラーっ!?」


「ああ、心地良い悲鳴だ」


 くそーっ、こんな変態プレイに巻き込まれるんなら、お互いの負の感情が吹き飛ぶくらいに殴り合いの喧嘩に突入したほうがまだマシだ! 俺と先輩なら多分同じくらいの実力だと思うぜ! 俺情けねぇ!


「さて、機嫌も直ったことだし、行くか」


 しかし先輩は自分の気持ちはもう大丈夫とばかりに入室を促してくる。多分この痴女まがいな行動も、嫌な感情を綺麗さっぱり洗い流す先輩流のやり方なんだろうな。昨夜のことは俺の不用意な発言が全面的に悪いと思うので、ここは素直に従うことにする。


「……これから重い話が待ってるんだろ? 急ごうぜ」



「私は君たちのケアを行い、そして司令を出す者だ」


 俺がその部屋に入るなり、この部屋の主はそう語った。白衣に身を包んだ女医さんだ。


「はじめまして、私が陸上保安庁ギガフォビア対策課第八対策室室長、赤坂麗子です」


 自己紹介用の台詞の順番、間違ってないか?


「まぁ対策室と大仰な名前は付いているけど、基本は私とルリしかいないからこじんまりとしたものよ。そこでようやく君という追加メンバーが現れた。今日から第二期シーズン開始という感じかな」


 何の用語ですかそれ?


「第一期メンバーである彼女の説明は――今さら必要はないか。君からすると二こ上の先輩ね」


 ……ん? ちょっとまて、今さら必要な情報が最後に含まれてたぞ!?


「やっぱりあんた俺より年上だったのか!?」


 そういう意味では「先輩」という呼び名は的を得ていたのか。えらいぞ俺。


「そうだ。『年上の女(ヒト)』って響きだけで、ちょっとドキッとこないか?」


「こない」


 違う意味では会うたびにドキドキさせられていますが。さっきもな。


「今さら敬語にしなくても良いぞ。キミはそういうキャラなのだろうから無理をされてもこちらが困る」


 それはどうもご丁寧に。本人の了承が得られたのでそうさせてもらいます。


「君はニードライブ症候群に関してはどこまで知っている?」


 肩にかかったセミロングを小さく払いつつ赤坂室長が話を挟んできた。やわらかい仕草と真面目な口調が心地良い。この人は先輩とは違って常識人らしい。パンツ丸見せ戦闘少女だった先輩にブルマを支給したのもこの人らしいし。そういう意味では安心できそうだ。


 俺は昨夜までに得てきた知識を最初から最後まで説明した。色々なことがありすぎて簡潔にまとめるのは難しい。


「ふむ、ちゃんと一寸法師症候群(ニードライブシンドローム)という意味は見つけられたのね。それにいきなり実戦も経験した訳だし」


 実戦……か。俺も一応先輩のクッション代わりになったりとどめを刺したりしたが、戦った内に入るのか? 死にかけもしたんだけど、なんか実感がわかないな。


「紅河(こうが)君のようにギガフォビアを発症してからニードルの洗礼を受け、正式な段階を踏んでニードライブ症候群を発症する者を『エブリシング』と呼んでいます」


「エブリシング?」


「ニードライバーとはギガフォビアに対する緩和剤として作られた、巨人を狩るための代行者。しかし結局は完全な代替役にはなれず、更にその完成直後に二次感染症まで生み出してしまった。ニードルが完成し、第一号のニードライバーが誕生した直後、純正のニードルを必要とせずに発症する先天性ニードライバーも発見されてしまった」


 相変わらずコンビニ袋に入ったままの俺のニードルを赤坂室長が指し示しながら説明する。


「それが『ショートレンジ』?」


「そう、短期型ニードライブ症候群と呼称されるもの。ギガフォビアを経ずにいきなりニードライバーになってしまう病。発症に関する感染経路は不明。だけどあえて答えを出すとすれば、ニードライブ症候群はギガフォビアの進化形ウィルスとして生み出されたから、概念の病気であるのは同じ。だからその存在が口伝えられたとき、それに近い体質だった者がギガフォビアを発症するのと同じように自力発症したのでしょう。現に『ショートレンジ』の第一号はニードライブ症候群開発の研究所員の一人だったというし」


 概念を元とする病気だから隔離して抑えることも不可能だろう。隔離作業に携わった者の中に陽性者がいれば、その者が発症するだけだ。


「そんな意味では無用な病気を増やしちゃっただけなのよねニードライブ症候群って」


「そうでもないとは思うがな、わたしは」


 先輩も思うところがあるのだろう。今まで黙ってきたのに急に口を出してきた。室長もそんな先輩に対して「そう?」と曖昧に答える。多分先輩の中の何かを室長は知っているに違いない。昨日先輩を怒らせてしまったことに関係するのかもな。


「話を戻すけど『ショートレンジ』はその名のとおり短い時間に全ての力を集中させる病気なので、総合的に強大な相手。経験を積んだ『エブリシング』でも手に余すことが殆ど」


 だからあんなに強い先輩でも、看護師のようなニードライバーになったばかりの者を相手にして、すぐには倒せなかったのか。


「で、そんな新人『エブリシング』な紅河君へのお仕事なんだけど」


 ついに来たか。


「対象者の監視――これが君に与えられるお仕事」


 あれ、ずいぶんと簡単な仕事なんだな?


「ん? 拍子抜けって顔してる? 『エブリシング』は、『ショートレンジ』を発症した者が、手にした膨大な力を暴走させないように監視することを目的とし、処理不可能と判断した場合はその擬似ニードル装備の破壊をもって対処する。どう、まだ拍子抜け?」


 その脅しにも似た言葉で昨日の戦いが思い出される。ブルマの印象が殆どのような気もするがそれだけ先輩が激しく戦っていたという事実でもあるし、俺自身も殺されかけたのも現実だ。


「でも実際の任務自体は拍子抜けかもしれない。ルリからある程度は聞いたと思うけど基本的には二人ひと組みで行動、そして『ショートレンジ』の陽性者も陸保(こちら)で分かっているので、目標のブレは無い。何も起こらなければ暇なお仕事よ。実際何も起こらないことの方が多いしね」


「何も起こらない?」


「観察対象者がギガフォビアを発症しちゃってそのまま病院に担ぎ込まれちゃったり」


 ああ、そうか、そうだった。今のこの世界、いつ誰がどこで急にいなくなるなんて、誰にも判らないんだったな。アイツとおんなじだ。ギガフォビアを発症して生きて帰ってこられるのは俺たち「エブリシング」だけ――現状では。


「というわけでまぁなんとなく予想は付いているとは思うけれど、これから紅河君はルリと一緒に行動してもらいます」


「……」


 恐る恐る隣を見てみると、獲物の捕獲に成功した肉食動物のようにキラキラとした瞳で俺を見ている。くそう、人を視姦で訴えることはできないのか!?


「一応は美羽(みう)ちゃんもうちの第八対策室のメンバーなんだけれどもね」


「美羽ちゃん?」


「朱音(あかね)三正の下の名だ」


 先輩がフォローを入れてくれる。そうか、朱音美羽っていうのかあの女。というか本当に同じ職場の仲間なんだな。


「見てのとおり美羽ちゃんは別働隊みたいなものだから、ニードライバーとしての作戦行動には直接関わってこないわ。彼女も彼女でやることあるしね。メインのグループには籍は置いたままだけど、今はスペシャルチームを編成して別活動中のミニユニットだと思ってもらえれば」


 だから何の用語ですかそれ? それに昨日見た規模からするとメイン(こっち)の方がミニになっているような気もするが。


「というわけであなたは年上の女(ヒト)とのデュオでデビューなわけ。OK?」


 ……どうせ俺には選択権なんて、痛い思いをするものしか残ってない。せっかくエラい痛い思いをして生き返ってきたんだ。どうせまた痛いことになるんだったら、処理とは違う方法を選んだほうがマシだな。いや、先輩からの痛い視線を感じ続けることを考えると、死んだほうがマシなのか? 真剣に考えてしまうぞ?


「潜入場所は学校関係が多くなるだろう。年齢的にすんなりとけ込めるからな。これからはここを拠点にして様々な学校に転校していくことになる」


 その自分の生死に関わる一番の悩みの種が言う。そういえば家にも帰れないんだっけ。


「まずは赦殿(しゃどの)高校というところに潜入する。キミは知っているか?」


「ああ知ってる」


 その高校の名前だったら俺も知ってる。先輩は「なんだ、ずいぶん有名な高校なのか?」と訊くが


「だってそれは俺の通ってる高校だから」


 今となっては「通っていた」という表現なのだろうけど。


「なんだ、それなら今回の任務はキミの方が先任だな。よろしく頼むぞ先輩」


「いや、もう、全力で止めてくれその言い方。というかバイト経験もなしに、いきなり仕事ってやつを経験するのか俺」


「初体験、か」


 その「初体験」と口にするときニヤニヤするな! ていうか室長もなんでそんなにも生暖かい微笑なんだ?


「先輩の方はバイトとかの経験あるのか?」


 変な流れを切るようにそんな話題を出してみたが、この女がバイトしている光景って全然想像できないな。


「わたしだってバイトの経験ぐらいあるぞ」


「意外な展開!」


「電話で注文を受けるバイト、ピザを焼くバイト、店頭で客の対応をするバイト、スクーターで配達するバイト、などだ」


「へぇ四つもすごいですね……って、それ全部ピザ屋だから!」


 電話で注文受けてそれでピザ焼いて直売客に店頭で対応して専用スクーターで持っていくってピザ屋だから!


「ん? 宅配販売の電話受付職と、ピザ工場の作業員職と、受付でのお客様サービス案内職と、個人配送職だが?」


「……この女」


 本当に四つもこなしてきてるのか? さすが俺より二年は長生きしているだけあるな。半年に一回ペースか? それとも四つ掛け持ちか?


「まぁ結局全てがピザ屋でのバイト経験しかないのだが」


「やっぱりそうなのかよ! 泳がせんなよ!」


「もっとも面接を受けた翌日の初仕事日の出勤中にギガフォビアを発症してそのままニードライバーになったのだから、直接的な勤務経験はないのだが」


「なにその重すぎるオチ!」


「君には古本の量販店がおすすめね」


 今まで精悍? していた室長が話を振ってきた。


「はぁ? というと?」


 なんだろう、文学少年にでも見えるのか俺?


「とある古本チェーン店におもむいたとき、男子二人組の店員が棚の整理をしていたのだけど、先輩らしい男子が、新人らしき男子に『この棚はところてんにします』と指導していたのよね、あんなに劣情を掻き立てられる素敵なシーンに遭遇できるとは思わなかったわ。だから今度は君がそんな指導を受けているシーンを目に焼き付けたいと思って」


「あんたは変態通り越して下品だな!」


 古本屋で使われるところの「ところてん」とは、陳列棚から本が抜かれた隙間を埋めるよう残りの商品をずらす用語で、ところてんの製法である器具からの押し出しになぞらえた言葉であり、商品の回転が激しい古本屋チェーン店ならではの隠語だ。


 そしてその隠語を、更に男子店員二人が同一語のBL用語を発していると準えてこのお姉さんははぁはぁしているのだ。ひでぇ。しかもその店員二人が棚整理をしていたのはBL小説のコーナーだったに違いないぜ! というかそんなに「指導」という言葉を強調するな! 神聖な言葉が汚れる!


 ちなみにそっちの方の隠語が良く判らない子は、この姉さんが買いそうなBL小説を特集しているガイドブックを購入して各自で確認してもらいたい。くれぐれもお父さんお母さんに訊いてはいけないぞ。最悪家族の縁を切られるかもしれないからね! お兄さんと約束だぞ……って、なんで俺がここまでフォローしなきゃならないんだよ!


 ていうか結局この赤坂室長って人もまともじゃなかったよ! 安心も73パーセントダウンだよ! なにそのリアルな数字!?


「下品とはまた随分と辛辣なお言葉ね。あなたのような年頃の男の子にそんなこと言われちゃったら、はぁはぁしちゃうわよ」


 お前ら結局同じ穴のムジナか! ここは悪魔の巣か!? いやそんなこと言ったら日々せっせと魂を魔界に運んでいる真面目な悪魔たちに申し訳ない。淫魔の巣だよ!


「できる女のBL好きは基本ステータスだと言っただろ?」


 先輩がそんな悲しいフォローを入れてくる。


 あ、あれ? できる女ってこんな変態――否、ド変態な女たちを指す言葉なんだっけ……? なんか目から汗がでてきちゃったよ、ああ汗ってやっぱりしょっぱいな、ははは……はぁ。


「あの、疲れたんで部屋戻っていいっすか?」


「なぁに、今度は放置プレイがご所望?」



 自分の病室に戻った俺はベッドの脇にニードルを放ると、続いて体をベッド上に投げ出した。


 ニードル自体は今現在専用のケースに収められている。去り際に室長が渡してくれたブラックレザー製の円筒型。長いストラップも付いていて肩に引っ掛けられるようにもなっている。病院から支給されたことも相まり、ケースの素材や色を見ると医療機器に見えないこともない。見た目は細めの図面ケースのようだ。俺はこれを持って任務に赴くことになるのか。


そこに至る説明も含めて、本当、色んな意味で重い一日だったよ。


「……」


 ごろんと頭を動かすと、ベッド隣のチェストの上に置かれた絵本が目に入った。表紙には箸一本で波間を格闘する小さな大先輩の姿。


 あの時に先輩の一人であるあの女から洗礼を受けたことにより、俺も同じ能力を持つに至り、その力を駆使した仕事も始まろうとしている。普通の人間には持たざる力。


 そういう意味ではもう自分は、まともな人間では既になく、昔の自分とは全然違うということなのだが――


 第二の人生が始まるにしては高校一年の春って、ちょっと早すぎじゃねえか? 

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