第一章 02

「死んだーっ!?」


 俺は思わずそう叫びながら飛び起きていた。


「はぁ……はぁ……なんだ? なんだったんだ?」


 周りを見渡してみる。全体的に白い雰囲気の室内。窓には薄いカーテンが引かれている。清潔感漂うこの場所は、どこかの病院か。


 俺は……そうだ、ギガフォビアに侵されたんだ。


 絶対の死を招く奇病。でも俺は、それに侵されたはずなのに生きて、目を覚ましている。ギガフォビアを発病して早期に回収されても、麻酔で眠らされ、それも一年ほどしか持たない。つまりギガフォビアに侵された者が目を覚ましているのなら、それは死の場面しかない。しかし……俺は助かった? ははは、そうか、夢か、あれは全部夢だったのか……コツ


「コツ?」


 思わず動かした手の甲に、固くて丸い感触が触れた。そちらに目を向けると、いきなり飛び込んでくる鮮やかな赤。


「……」


 ゾッとするほどに美しい紅で彩られた大針。凝固して黒ずむ事もなく体内から流れ出てきたそのままの瑞々しい緋色。俺の胸を串刺しにして俺の血を吸い込み俺自身が引き抜いた塩の針。


 現実……か。


「そう、現実だ」


 俺の思考に答えるように声が響いた。声のした方に顔を向けると、コートに身を包んだ女が立っていた。そのコートには見覚えがある。


「あんた、俺を殺した人だよな」


「殺してはいない。生か死の選択権を与えただけだ」


 命のやりとりの結果を女が無表情に答える。相手の胸を予告無しにぶち抜けば問答無用で殺人罪だと思うのだが、俺自身は生き残っているので、それ自体の突っ込みは無意味なのだろう。


 昨夜はまったく気づかなかったが、良く見れば綺麗な女(ひと)だ。嫌味を匂わせない切れ長の瞳が見ていて気持ちいい。色までしか気付かなかった髪はストレートで長く、腰まで届く。髪質は丁寧に手入れ――とは言い難いが最低限の清潔感は保たれている様子。日本人なのに日本人っぽくない何か異国的な雰囲気。クォーターか何かか? 亜麻色の長髪も、染めているというよりも元々そんな色っぽいし。170はありそうな高めの身長もそれを増長する要素になってる。


 しかし……そのコートはなんだ?


 もう春も終わりだというのに真っ白いロングコート。あぁサマーコートってやつか。それにしても室内では脱げよな。見てるこっちが暑い。しかも今日は前が開いていて中に着ている赤いワンピースが見えているのだが、その服が妙に膨張していて「なんだそりゃ?」と思っていたら、コートの裏地が真っ赤なんだよ。自分が着ている服が膨らんで見えてしまう組み合わせなんて女性だったら一番回避するものだと思うが、何をしてそのコンビネーションなんだろう? というか表が白で裏地が赤のコートなんてどこに売ってんだ。


「とりあえず体が再生するまではここで安静にしていろ。背骨が何本か欠けているはずだから、胴の座りが悪いと思うぞ」


 胸の当たりをコルセットでがんじがらめにされているのはそういう理由なのか。


「……というか、良く生きてるよな俺」


「キミの病気はギガフォビアから進化してニードライブ症候群となった。その恩恵だ」


「そう、そのニードライブ症候群ってなんなんだ?」


「ギガフォビアから進化する病気」


「それは今聞いた!」


「キミは、ギガフォビアに関してはどこまで知っている?」


 俺の突っ込みは華麗にスルーされたあげく質問を質問で返されてしまった。


「……どこまでって、言われても」


 巨人恐怖症……総じてギガフォビアと言われるこの奇病は、精神病の一種とされている。


 精神に恐慌をきたした者は、頭部を自ら打ち付け自傷行為に及ぶ例もある。だから自身を自身の筋肉で押し潰し殺傷するギガフォビアもそのように位置づけられている。


「精神病のようなものと説明して国民を安心させているだけ」――とする意見もあるが、そんなものは自分一人だけが信じている持論を他人に押し付けたいだけの外道学者の喚きであって俺たち一般人にとってはどうでもいいことだ。人がこの病で死んでいくのは変わらないのだから。


 このギガフォビア、最初は結構緩やかに人が減っていて、政府の方も余裕の姿勢を見せていた。いつかはこの病気も撲滅されると、お決まりのゆとりコメントで国民をまとめていた。


 だが死病というカテゴリーにおいて、緩やかと確実がプラスした場合、それは滅亡へと解答される。10年前に日本の人口が一億人を切った時、政府もようやくその計算式に気づいた。そして大慌てで国家的対策施設を立ち上げた。それが遅すぎたのか早期の判断だったのか、判らない。緩やかに人が減っていくという現象は、今も昔も変わらない。


 確かなのは、その後もペースを維持して確実に人口は減り続け六千万人台にまで減少したこと、そしてギガフォビアの治療法は今だ不明だということ。


 俺は自分の持てる知識に従いそう説明した。


「充分な解答だな」


 義務教育までの社会科授業でならうことを並べた程度だが、高校入りたての男子が対象ならこのぐらいの基本知識の披露で充分なのだろう。


「で、ニードライブ症候群っていうのはなんなんだ?」


「それを知るにはまだ段階を踏む必要がある」


……いや、そんな予想はしていたけれども、なんか悔しいな。


「じゃあ別の質問して良いか」


「なんだ?」


「ここはどこなんだ? 病院なのは判るがどこの病院なのか知りたい」


「ここは陸上保安庁が建設したギガフォビア専門の拠点病院のひとつだ」


 この質問には彼女もちゃんと答えてくれた。陸上保安庁とは、警察組織では対応しきれず自衛隊を出すには規模が大きすぎる事象に対応するべく創設された組織。だが、現状ではそんなものはギガフォビア関係しかないので、事実上巨人恐怖症対策専門組織になっている。日本政府が十年前に慌てて作った国家的対策機構がその正体だ。そして彼女が言うように陸上保安庁発足と並行して、直轄のギガフォビア専門病院も数多く作られた。まぁギガフォビア絡みで倒れたんだから、それ系の病院に担ぎ込まれたのは半分ぐらい予想はしていたけども。


「しかし相手の名前よりもまずは場所の把握とは、キミも意外に古風だな」


 何をして古風なのか不明だが、このいかにもクール系な女に素直に名前を聞いて教えてくれるもんなのか?「名前などただの記号だ」とか言われてスルーされそうだが――


「わたしの名前は赫凰瑠璃香(かくおうるりか)だ、紅河智利(こうがともとし)」


 と、思ったら、向こうから名乗ってくれた。しかも俺の名前付き。というか


「なんで俺の名前を知っているんだ?」


 俺の分の自己紹介が省けたのはありがたいが、いきなり初対面に近い者に名前を知られているのも嫌なものだ。


「キミの後ろに書いてあるぞ?」


 俺は慌てて振り向く。ベッドの柵の上に自分のフルネームと入院日時が記入されていた。そうだ……ここは病院だったな。


「とりあえず病院に入院しているって事態は判ったけど、俺はこれからどうなるんだ?」


「キミは病人だ。一生治らないニードライブ症候群という名の病気を抱えて生涯を生きていく。だから今日からキミにとっての生活の拠点がここだ」


「家にも帰れないのか?」


「キミは永遠なる病人だ。だから病院から出ることができないのは当然だろう」


「学校とかどうするんだ?」


「学校にも行けるし、実家へ帰宅することもできる。しかしそれはただ単に外出許可が与えられるだけに過ぎない」


 なんだ、家には帰れるのか。学校は――まぁ嬉しさとがっかりが半々といったところ。


「だがもうすでにキミが本当に帰る場所は、この病棟なのだということはしっかりと覚えておいて欲しい。わたしと同じようにな」


 この女もこの病院に入院――いや、住人なのか。


「キミには既にこれだけの規模の病院でないと管理できない力が備わってしまっているからな。そしてそれを選んだのは、キミ自身だ」


 ……そうか、そうだったな。


「キミは死の淵に手をかけ、そして生還した。強力な力を持って。強い力を持つ者は、その責任を果たさなければならない。だからキミには選択権はあるが拒否権はない」


「……その選択権っていうのは?」


「デッド・オア・アライブ」


 はー、やっぱりなぁ。それにお前は生き残れたんだから命の恩人の言う事は聞けってことか。


「まずは体を治すのに専念しろ。せめて背骨がくっつかないことには無理もさせられない」


 その背骨をぶち抜いたのはあんただろ……とは言えないな。そうしてもらえたおかげで俺は生きて帰ってこれたのだから。


「ああそうだ、忘れるところだった」


 彼女はコートの中に手を入れると、一冊の薄いハードカバーを取り出した。


「室長からのプレゼントだ」


 表紙にはお椀の船を箸のオールで漕ぐ少年の姿。


「……一寸法師?」


 おとぎ話の絵本? なんだこりゃ?


「というか室長ってなんだ? 手術室とかの一番えらい人のことか?」


 院長ではなく室長だもんな。そっちも気になる。


「良く『手術室』とまともに言えるな。わたしは二回に一回は『しゅじゅちゅしつ』となってしまうのだが」


 彼女はそう言うと俺の質問には答えず、もうわたしの仕事は終わりとばかりに、ぷいっと部屋を出ていってしまった。


「……まぁ良いか、時間はあることだし」


 俺は貰った本をベッド脇に放ると、再び横になった。



 時間はあるには越したことはないが、目的もないのにありすぎて一番困るのも時間だと思う。だから絵本一冊で二日間乗り切ったのは、我ながらかなりの偉業だ。


 ついこの間死にかけたというのに、暇になっても死にかける。人間とはつくづく自分勝手な生き物だと思う。神でなくとも暇で死ぬ。


 絵本を閉じて指先でクルクル回してみるがこんなもの一時間くらいしか持たない。


 他のおもちゃといえば塩のニードルぐらいなのだが、同じようにクルクル回してみても面白くない。後ろの針穴から外を覗いてみたりと色々考案してみたが、やはり面白くない。俺の携帯電話は目覚めたときにベッド脇のチェスト上に置かれているのを発見したが、元々携帯をいじって暇をつぶす趣味も無いので、どうにもならない。


 まぁそのおかげもあって、絵本は随分と読み込んでしまった。もうそらで暗唱できるくらいだぞ。俺たち人間も全員がこの一寸法師並みに強ければギガフォビアなんてすぐに治ってしまうだろうな。この本を置いていった理由がそんな「皮肉」だとしたらあまりにも惨い皮肉だ。


「紅河君、気分はどう?」


 他に変化があることと言えば食事を持ってきてくれたりシーツを代えたりしに来てくれる担当の看護師との会話くらいだ。「なんなら清拭も」と言われているがそれはさすがに恥ずかしいので、アルコールとタオル片手に自分でやっている。


 赫凰と名乗ったあの女もあれから来ないし、回診にくる医師という存在もない。病室から出られないのにこんなにも放ったらかしで良いのか俺の病気は?


 そんな訳で三日経ってようやく病院内に限って外出許可が出たのは本当に天の助けだと思った。トイレへの往復だけは許可されていたのでそれ以外の場所への進出は今日が初体験になる。


「……いや、初ではないか」


 男子トイレより先の領域へ進んだ時、その事実に気づいて思わず口に出してしまった。


 ここは、アイツが収容されている病院、蘇芳病院だ。廊下の雰囲気が同じ事実に、ようやく気づいた。あの女には病院名までは聞いていなかった。迂闊だ。


 だが考えてみれば、幼馴染だけあって住んでる街も同じなのだから、同じような病気を発症すれば収容される病院も同じなのは道理だ。


「確か六人部屋だったっけ」


 一番初めに麻酔で眠らされたアイツと一緒にここを訪れて以来、顔を見ていない。


 血縁者でもない者が倒れた程度で見舞いに行くのもなんだが、アイツとは幼馴染というそれなりに深い関係だ。一回くらい見舞いのは行くのが当然だろう。


 しかし俺は行かなかった。行けなかった。正直にいえば怖かった。


 今まで大切にしていたものが、自分の力の及ばない何かによって壊される恐怖。


 友達――そう呼べる存在がこんなにも簡単にいなくなる恐怖。そんな怖さから顔を背けたくなるのは仕方ないと思う。パソコンに保存したデータやゲームに保存した攻略データ、そんなものがふいに消えてしまうのとは訳が違う。アンドゥもコンティニューも無い、リアルな消失。最初からやり直すことすら不可能。その重さは仮想データとは比べ物にならない。


「……」


 考え込んでいるうちにアイツの病室の前に到着してしまった。特にどこかに行きたくて自室を出たわけではないので、自然とここへと足が向いてしまったのも仕方ない。


 ……せっかく来たんだし、入るか?


 でも入ったとしてもアイツは寝たままだし、結局寝顔を確認して終わるだけなんだよな。


「……ん?」


 あれ、なんだろう……妙に筋肉がギシギシいうような。これって、つい最近どっかで感じたような――って、ギガフォビアの初期症状じゃないか!? なんだ、コイツの見舞いに来なかった呪いが今頃発動か? どんなフラグを立てちまったんだ俺?


 え……ぐぁ……あの女にぶち抜かれた胸の辺りが痛ぇ! 折れたアバラも痛ぇ! 俺、こんなとこで死ぬのか? 生き残ったの全部無駄か!?


「忘れ物だ」


 その時、俺の胸をぶち抜いたあの女の声が聞こえた。「また幻聴か?」と思うまもなく白いコートが翻り、気づくと手に何かを持たされていた。


「……塩の、針?」


 それは俺の体を貫き、同時に俺の血を吸った塩の針。確か部屋に置いてきたはずなのだが。しかしそれを持たされた瞬間、体の変調が急速に収まり始めた。なんだ?


「キミはニードライブ症候群になってからまだ日が浅い。だから数時間ニードルから離されただけで、致死に関係してくる」


「そういう重要なことは最初に言っとけよ!」


「すまん、うっかりだ」


「うっかりで死んじまったら、恥ずかしくて化けて出てもこれねえよ!」


 あまりの事に思わずフルパワーで突っ込んでしまった。


「それだけ大声が出せれば、回復は順調だな」


「……ていうか、持ってきてもらってこんなこと言うのもなんだけど、コンビニのビニール袋に無造作に入ってるってなんだよ」


「あいにくこれぐらいしか持ち合わせがなくてな。今はこんなだが、その内専用のケースが支給されるはずだ」


「それはありがたいことで。というかこんな物騒なモノをムキ身で持ってて大丈夫なのか?」


 それがあったからこそ、このニードルを持ち歩くなんて想像すら俺には無かったんだよ。


「わたしたち特殊な患者は、このニードルを持っていれば精神的に安定すると、この病院の中では説明されている。基本的には精神病院だからな。そんな理由もまかり通る」


 彼女の説明に従えば、俺たちにとっては命に直結するもんだしな。というか逆に言えばその程度の情報しか無いから看護師はニードルの携帯は特に促さなかったのか。


「ていうかなんでこれが側にあるだけで、ギガフォビアが緩和されるんだ?」


 この赤い塩の塊から怪しい電波でも出ているのか?


「それはギガフォビアもニードライブ症候群も概念の病気だからだ」


「概念?」


「このニードルから微量に出ている自分の血の匂いを感じて安心し、その心の安定がギガフォビアの再発をニードライブ症候群の力で抑えている――そのような概念が植え付けられている。キミの胸をこのニードルでぶち抜いた時からな」


 それは……確かにとんでもないくらいの印象的な出来事だからな。大抵の暗示にはかかる。


「というかあんたはどんなふうにして持ち歩いてるんだ?」


「わたしのはここだ」


 相変わらず着っぱなしのコートを開いてみせてくれた。本日も赤系統のワンピースな胴の奥、ベルト状のシースルー型ケースに銜えこまれるようにしてニードルが吊り下げられている。大きな針穴にもベルトが通され落ちないようになっている。


 ケース自体も赤いので外から見ただけではほとんど目立たない。そういう意味で裏地が赤いのか、納得。服に赤が多いのもニードルを判りにくくするためなんだろうな。


「ついさっきキミの担当ナースから外出許可が出たと聞いてな。許可直後に散歩ぐらいには出ると予想していたが、少し出遅れた。すまんな」


「いや、危ういところで助けられたんだから良いんだけどさ」


 またこの赫凰という女に助けられた。それは事実。そして俺は、この扉の奥で眠るアイツを助けたいと思って、死の淵から帰ってきた。それも事実。


「……」


 俺はアイツが女だったから助けたいと思ったのだろうか? それとも性別とか関係なしにアイツとは友達なのだろうか? だったら……アイツが男だったらどうなっていたんだろう。


「なぁ、男女間で友情ってものが成立すると思うか?」


「どうした急に?」


 俺は扉の向こうに視線を向ける。


「幼馴染のアイツがもし男だったら、ここまで出来ていたのかなって」


「キミはおさなじみの、」


「なが一個足らねえぞ」


「キミはおさなななじみの、」


「だから一個多いって」


「キミは幼少時からの友達の――」


「諦めんなよ!」


「――裸をみたことはあるのか?」


 うわっ、いきなり何を言い出すんだこの女? ――でも、そう言われると


「そういえばアイツとは小さい頃とか一緒に風呂なんかに入った経験はないな」


 幼馴染ならばお約束とも言えるイベントを経験していなかったのを、俺はこの時認識した。アイツに対して「女(オンナ)」を感じたことは殆どないのだが、なんだか悔しいぞ……と思っていると


「だったらその子は、ずっと女の子を演じてきた男である可能性もあるのでは?」


「……、!?」


 な、なんだって!?


「ちょ……まっ、なんだよぉれ!?」


 思わず動転して噛んじまったじゃないか!?


「性同一性障害という場合もある。今の時代、珍しくもないだろう」


「……じゃあ、なんで幼馴染の俺には黙ってる?」


「近しい存在であればあるほど、言い出しにくいことだってあるだろう」


 確かに……性に関する問題は根が深くその傾向が強い。


 しかし、そんなことアイツに限ってあるかぁ?


「幼馴染の少年同士の恋か……なかなか劣情を掻き立てられる素敵設定だな」


 ちょっとまて、その発言でこの女のクールな雰囲気ぶち壊しだぞ!


「……そっち系統の人なのですかあなたは?」


 そっち系等とは専門用語で「池袋系統」という意味だ(対義語→秋葉原系統)


「BL好きは、できる女のステータスの一つだぞ」


「そんなステータスないよ! 全国のできる女の人たちに謝ってよ!」


「ごめんなさい」


「謝っちゃったよ!?」


「ごほんっ」


 俺たちの後ろを看護師が咳払いをしながら通り過ぎていった。病院内なのにまた声が大きくなってしまった。「すいません」と看護師の背中に軽く頭を下げる。


「というかアイツは多分女だから、多分」


「多分が多いな」


 むぉ……なんだかそんな風に言われると自信がなくなってくるじゃないか本当に。ただでさえアイツは女でも男でも通用するような名前をしているんだから!


「今から病室に入ってパンツずり下ろして確認してきたらどうだ?」


「できるかそんなこと!」


「幼馴染なのだろう? それぐらい良いのでは?」


「幼馴染同士でできる限界をレッドゾーンで超えてるわ! ていうかさっきからちゃんと『おさななじみ』って言えてんじゃねえか!」


 再び声が大きくなってしまった俺は思わず口を抑え、周りを確認する。とりあえず看護師はいない。ていうかそんなの男同士でも変態扱いだろ!


「……アイツが目覚めてから直接訊く。それでいいか?」


 なんでそんなことを訊かなきゃならんのかよく判らんが、そうでも言わないと場が収まらないような気がするのでとりあえず答えておく。


「目覚めなかったら?」


 目覚めなかったら――だと? ボケ女だと思わせておいて、ナイフで切り裂くみたいに、鋭利な選択を求めてくる。本当、どっちの顔が本物なんだ?


「俺はギガフォビアをどうにかするためにこの世に戻ってきたんだ。アイツが目を覚まして直接訊けるように努力する。その強い力とやらを使って」


「そうか」


 彼女は再びクールな表情に戻ると、俺のことを自分の病室に戻るように促した。俺もそれに従う。まだ長時間の立ち話は辛い。一緒に歩くと、彼女の背の大きさを改めて感じた。確か俺は高校入学直後の身体検査で165だったので、やっぱり170は確実か。俺の上背では少し上を向かないとこの女の顔が見えない。悔しい。


「あの子はいつ発病した?」


 病室に戻る途上、彼女が訊いてきた。


「一か月前」


「では、あと十一ヶ月か」


「ああ」


 高校に入学して一週間ほど経った時、アイツは発病してそのまま強制の眠りについた。このまま何も快方が見つからなければ、アイツは次の春を知らずに消えてなくなる。


 俺はその間に――何ができるのだろう。その強い力というのも未だに判らないというのに。


「……」




 自室に戻ると綺麗にベッドメイクされていた。担当の看護師がシーツを取り替えてくれたのか。畳まれた掛け布団の上に、置き去りにされていた絵本が置いてある。


……そうだ、それで思い出した。絵本の主人公の武器。それと同じ名前の俺たちの道具。この女に訊きたかったことがあったんだ。何しろ色々と考える時間はいくらでもあったからな。


「えーと――」


 あ、そうか、俺はこいつのことを何て呼べば良いんだ? こいつの性癖を知ってからだと今さらさん付けで呼ぶのも悔しいしなぁ。ちゃん付けも却下。歳もわからんので呼び捨ても気が引ける。俺よりは年長っぽいけど。そうだ、一応俺にとっては先任らしいし


「――先輩、あのさ」


 うん、とりあえず及第点だろう。呼んだこっちも特に恥ずかしくない――って、なんで動きが止まってるんだ先輩?


「先輩? どうした?」


「いや、キミに先輩と呼ばれてドキッとして固まってしまった。しばらく妄想にふけっていていいか?」


「ダメだ!」


 というか今の静止していた時間も怪しげな妄想中だったんだろ!


「まぁそれはさておき、しかしどうした?」


「さておきって……いや、ちょっと訊きたいことがあってさ」


 俺は縦長のコンビニ袋を掲げる。


「なんでこれは針(ニードル)って呼ばれているんだ? 普通はこの大きさだったら杭(パイル)じゃないのか」


 そう、それを疑問に思っていた。俺も胸をぶち抜かれる時は「大針か?」とか思ったりもしたが、良く考えるとやっぱり変だ。


「我々にとっては杭なのかもしれないが、これを持って立ち向かう相手に対しては針だからだ」


「立ち向かう、相手?」


 なんだそりゃ? 針を武器に立ち向かう? 鬼でも相手――はあ!?


「ちょっと待て、俺たちって本当に一寸法師なのか!?」


「むぅ、少しヒントを与えすぎてしまったか」


「まさかニードライブ症候群の『ニードライブ』って」


 そう、それも気になってたんだ。


「ニードライブとは『ニードルドライブ』の略――針を操りし者(ニードルドライバー)――つまり一寸法師のことだ」


 うわ……そうきましたか。


「我々人間を一寸法師サイズの小人に例えるならば、巨人は悪さをする鬼に他ならない。その鬼――我々人間を陵辱する巨人へ立ち向かえるだけの力を持たされた者。それが一寸法師症候群(ニードライブシンドローム)という病に侵された、わたしたちだ」


 俺たちはニードライブ症候群という病気にそのぶっとい針で縫い付けられてるって訳なのか。もの凄い皮肉だ。しかもそれは仮針ときている。待針程度の頼りなさの。


「よく気づいたな」


「先輩が言ったように、先輩のヒントがなければ気づけなかったかもしれない」


「そうか。まぁヒントくらいなら許されるだろう。しかし答えそのものは先任者からは告げられない。自ら気づかなければならない。ニードライバーとしての力を覚醒させるために必要な予備動作だからな」


「気づけなかった場合は?」


「能力無しと判定され、一ギガフォビア被験者として処理されるだけだ」


 処理……それは処分も含まれてるんだろうな、多分。


「自らの緋流を込めし針を携えて、我々は巨大なる鬼へと立ち向かう」


「緋流?」


「戦場の、緋色き流れ、生へ願う」


 いくさばの、ひいろきながれ、きへねがう。


 いきなり俳句を披露された。いや、季語が入ってないから川柳か。


「大戦(おおいくさ)後の戦場の惨状を見た、名もなき俳人の歌だ」


「それが、どういう?」


「何も動かなくなった戦場で、唯一動いているもの――死者から流れる出る血液の流れ。それは死してもなお自分たちの意志を後世に残そうという願い。命を懸けて戦った兵たちの願い。時の流れに自分たちの覚悟を残そうとする願い。この戦いが新しき命が生まれるために、この戦いが新しい平和な時代が生まれるために――その想いを懸けて戦ったのだという意志の表れ、その兵(つわもの)たちの心を謳った歌だ」


「じゃあ、緋流って」


「緋色の流れ――血の意だ」


「血……」


 それこそ川が出来るほどの血が流されたんだろうな。このバカでかい針にはそんな想いが込められているのか。


「この赤きニードルにはそれだけの願いと想いがこもってるということだ」


「……この緋流が染み込んだニードルってオカルトアイテムは、そもそもどうしたんだ? 伝説の剣みたいにどっかの岩に刺さってんのか?」


 それが本当なら、まさに巨人用の針刺し、針坊主だ。


「これは陸上保安庁ギガフォビア対策課が全力で開発したものだ。元々はギガフォビア治療のための副産物として生まれた。人間自身の肉体を強化して、その強化されたという概念で自分を踏み潰しにやって来る巨人という概念に勝とうとする対処療法」


「でも――一部の人間にしか使えないって、ことなんだろう?」


「ああ、そのとおり。全力をもってしても結局その程度の結果しか生み出せなかった。しかもわたしたちの体の中にもギガフォビアはまだ残っているしな。我々自身もアダムにもイブにもノアの方舟にもなれん」


「現状では誰も生き残れない……か。しかしよくこんなもん作れたよな。本当に魔法とかファンタジーの世界だ」


「元登戸研の末裔も招集して開発されたらしいからな」


「登戸研……?」


「旧日本軍時代に特殊兵器の開発を専門に行なっていた部署だ。正確には陸軍第九技術研究所。所在地の名前を取りそのように呼ばれる。『秘密兵器』と呼ばれる怪しげなシロモノは大体そこが作っていた。錬丹術や妖怪の類を兵器に転用するなんて事も真剣に考えていたらしいからな」


 ……妖怪ですか? しかしそんなことを言われても全然驚けない俺がいる。戦時中に匹敵かそれ以上のこれだけ荒んだ世界なら神風ぐらいみんな信じるようになる。というか一寸法師自体もある意味妖怪だよな。俺たち妖怪か。


「人は生き残るためだったらなんだってする。藁にもすがる。そしてつかんだ藁がこれだったに過ぎない。だが結局は藁だ。溺れかけの人間をほんの少しだけ浮かせるしかできない。根本的な解決には確実な浮きを投げてやらなければならない。誰でもニードライバーになれるのなら、ギガフォビアも一掃されるかもしれない」


 先輩もその考えは俺と一緒なのか。


 一寸法師の皮肉。ニードライブ症候群という病に侵された一部の者だけが助かるという皮肉。しかし病気持ちなのも結局変わらない皮肉。結局はニードライバーという一部の超人も死んでしまう皮肉。だが全員がニードライバーになれれば、その皮肉も打ち消される。


「でもそうにはならない。なれない。ニードライブ症候群は一部の人間しか感染できない。だから我々という巨人を倒せそうな存在が生み出されたとしても、人類全体にとっては単なる緩和剤にしかなれない。各個人で作り出す巨人を他人であるわたしたちは倒してやることができない。悔しいことにな」


 つまり一人一人が確実に掴める「浮き」ってやつを、早いとこ見つけないといけないってことなんだよな。何しろギガフォビアは確実なんだから。


「今日はもう休め。明日は室長と面会することになる。もう歩けるようになったのだから今以上に重い説明を聞くくらいの体力は回復されているだろう」


 ついにボスキャラのお出ましか。しかし「重い」ときたか。明日は久しぶりに歯ごたえのありそうな一日になりそうだ。


「とりあえずわたしは早く自室に戻りたい」


「なんだ、先輩も体の調子が悪いのか?」


 それにこいつも女の子だしな。男には知られたくない体の不調もたくさんあるだろうし、ここはおとなしく帰っていただいて――


「キミと幼馴染くんを、どっちを攻めでどっちを受けにした方がいいのかという妄想を、じっくり考えてわたしなりの答えを出したい。今夜は徹夜になりそうだ」


「アンタ本当に最低だな!」


「ああ、最高の褒め言葉だ」


 というかアイツのことを君付けで呼ぶな! 本当に「俺の幼馴染は男だったっけ?」とか思っちゃうじゃないか!


「キミとしては攻めと受けどちらが良い?」


「そんなことを本人に聞くなド変態!」


「はぁはぁ」


「そんな無表情な顔で、はぁはぁとか言わないでください」


「年頃の男の子にド変態なんて言われた喜びを全力で表してみたのだが」


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」

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