緋流の詠声 ~一寸法師症候群(ニードライブシンドローム)~
ヤマギシミキヤ
第一章 01
今まで何気なく隣に存在していたものが突然いなくなったショックというものはデカイ。
最初は、唐突にいなくなったインパクトが強すぎて何も感じられないが、それが薄らいでくるとどうしようもない消失感に襲われる。
ガキの頃から一緒にいた友達。そいつが「ギガフォビア」に侵された。
兄弟を失ったらこんな気持ちなのだろうか? あいにく一人っ子の俺にはそれを体験できる機会はないが。だけど、血のつながりのある大切なものが失われた――その気持ちに近いのは何となく判る。病名は違えど、小さい頃に母親を病で失っているからな。アイツと出会う前だ。
「ぐふぅ」
ミシリと骨がきしみ、その痛みで肺の空気が吐き出される。
ギガフォビアなんて病気が流行りだしたのはいつだったか。確か二十年前だったか。
バカでかい巨人に踏み潰されたように、人間の体がペシャンコになってしまう奇病。そしてその見えざる巨人の足裏を再現するのは、自らの筋力。この病気何がすごいって、口や眼球を動かす筋肉を使って頭蓋骨まで潰しちまうってことだ。何もそこまでリアルに再現しなくてもいいと思うに。人の体って無駄にスゴイ。そして今の俺が――身をもって、それを体験中だ。
「……がぁっ」
アバラが折れた。痛ぇ。
ギガフォビアの治療法は今のところない。
初期症状にかかっている者がいたら、麻酔を打ち込んで眠らせるしかない。肉体が休眠状態にあれば進行が止まるらしい。しかしそれも発病から一時間がリミットだ。アイツはそのリミットの中で発見されたが、俺はどうやら無理のようだ。こんな人気のない場所じゃな。
「ぐぁ……」
今度は肩が外れたか。アイツと同じ病気で死ぬことが、俺が望んだ未来だったのだろうか。そしてアイツも、いつかはこうやって死ぬのか。しかしこれだけの激痛に襲われているのに、意外に冷静なのが不思議だな。死ぬ直前の人間ってこんなもんなのか。
……ん? なんだあれ? 白い棒が揺れている。何が見えてるんだ? 目の筋肉が自分の意思じゃもう動かせないのでよく見えない。
「キミは生きることを望むか?」
なんだこれ。これが死に際に見るファンタスマゴリアってやつなのか。
その時、頭蓋骨を押しつぶそうとする眼球の筋肉が、なぜか正常に作動した。もう一度白い棒が視界に捉えられる。白いコートですっぽりと身を覆った誰かが目の前に立っていた。そしてそいつが白い棒を持っている。棒の先が尖っている。だったら白い杭か。これで髪の毛も白髪ならホワイトづくしコンプリートだったが、残念ながらそこは亜麻色だ。ちょっと惜しい。
しかしこんな誰も来ないような場所に、俺以外の誰かがいるのか?
だったら今俺がギガフォビアに侵されているのが判るだろう。救急車でも呼んでくれ。間に合うかどうかわからないけれども。
「もう一度問う。キミは生きることを望むか?」
また声が聞こえた。それは女の声に聞こえた。問う? 生きる?
ちょっとまて、今生きるって言ったか?
ギガフォビアは確実に死に至る病だ。眠らせて進行を遅らせても、いつしかギガフォビアに侵された体が麻酔薬の拘束力を上回り、自らの体を圧し潰す。
しかし目の前に立つ女は「生きる」と言った。それだけは確実に聞き取れた。
「生きら……れる、のか?」
口を動かすのもままならない俺は、なんとかそれだけ言葉にした。
「ギガフォビアを発症した者の中で、更にニードライブ症候群の兆候が見られる者には、選択権が与えられる。このまま空想の中の巨人に踏み潰されて死ぬか、鬼を倒すための針を手に入れ、戦いの中に身を投じるか」
なんだよその設定。女が淡々と語ったその説明は、正常な状態であればジョークにしてもタチの悪い部類だが、死にかけの俺には笑い話の類でも、その中でしか選択権はないのだろうな。
「一つ助言をするならば、今ここで死んでしまった方が楽だ」
また随分と酷いアドバイスだ。だったらこんなところで俺なんか助けなければと思う。
「オリジナルのニードライブ症候群はギガフォビアの進化形病状なので、ギガフォビア自体も体には残る。いつまた再発して自身を押しつぶすかわからない。そしてその時はニードライブ症候群により肉体が強化されているので今以上の痛みが伴う。三日三晩苦しみ死んだ例もある」
確かにそれはここで死んどいたほうが楽だな。しかしニードライブ症候群? また変な病気が出てきたのか。奇病のバーゲンセールでもどこかでやっているのか?
しかし一つだけはっきりしたのは、アイツが倒れた時はこの女みたいなヤツは現れなかったってことだ。何しろその時そこにいて、救急車の手配をしたのは俺だからな。もしアイツもニードライブ症候群だかなんかだったら、この女みたいなのが俺のことなんか突き飛ばして、アイツにその選択とやらを告げていたのだし。つまりそれは人を選ぶ特別な病気ってことなのか。
「その……力が、あれ、ば……他の……ギ、ガ、フォビ……アに……か、かっ……た、やつも、治……せ、るの……か……?」
俺はどういうわけか、そんなことを口にしていた。
「わからん」
ずいぶんと簡単に言ってくれる。まぁそうだろうとは思ったけれども。
「だが――」
だが?
「お前の望む未来を創るために、今からお前が手に入れる力を使うことは――可能だ」
直接的ではなく間接的に使っても他の物事に影響が出るってことか。それだけ大きな力だってことか。激痛で妙にクリアになっている思考が、淡々と分析しているのがまるで他人事のようで笑える。しかし、それが本当だったら可能性はあるってことだ。アイツの目を覚まさせる可能性ってものが。なんでただの幼馴染でしかないアイツのことをそんなにも強く思うのか。鮮明になっている思考でもそれだけは判らない。だが俺は――決めた。
「……生……き……る……」
潰れかけの唇を必死に動かして、俺はなんとかそれを口にした。
女はそれを聞くと俺の胸ぐらを掴み、強引に立たせた。スゴイ力だと思っているといきなり180度回転させられる。相手に背中を見せる格好にさせられて「何をする?」と思う間もなく、背中から胸へと、熱い奔流が突き抜けた。
「く……あ、」
高密度に圧縮された情報が、背中から胸から流れ込み、俺の体内を駆けめぐる。情報が体内で爆発するように展開され、血肉に染み込んでいく。自分の体がナニモノかに侵食されていくのと同時に、何かが体に刻み込まれていく。それと同時に俺の中の何かが染み出していく感覚。
「な……に?」
朦朧とする意識のまま目線を下げると、自分の胸から白い杭が飛び出しているのが見えた。あの女の持っていたやつだ。
畜生……結局ギガフォビアにかかった俺のことを早く処分したかっただけなのか。
「な、に……を?」
「良くぞ耐えた。キミの体は串刺しにされた程度では死ななない状態になっているが、ショックで精神の方が死んでしまう場合もあるからな」
だったら刺す前に言えよ……いや、事前に教えられてもそっちの方が発狂するか。
俺の胸から飛び出した白い杭は、土に突き刺す目的以上に先端が削りたての鉛筆のように鋭利に尖っている。まるで太い針のようだ。さらに俺の胸から迸る鮮血を吸い込むように、どんどん真っ赤に染まっていく。なんだこれ? 鉄じゃないのか?
「それは塩だ」
塩……じゃあ俺の血を吸ってさらに塩分濃度アップか。舐めただけで致死量になりそうだな。というかこの女、俺の思考が読めんのか?
「生きたければ、それを引き抜け。それができれば病原はその針に移される」
移されるたって……そのあとに残る穴の空いた俺の体はどうなるんだ? というかこれはやっぱり針なのか。じゃあ俺の背中に抜けている方は糸を通す穴が空いてるのか?
「……ぐぅっ!」
俺はその糸穴が見たかった訳ではないが――いや見たかったのも少しあるけども、すっかり真っ赤に染まってしまった針のような杭を引き抜くことにした。なんだか既に出血多量で死んでいるような気分だが、それ以上は考えないようにする。ズルリと体内を異物が通り抜けていく感覚。
それと同時に、何かが急くように俺に全てを伝えようと、情報を、鋭利に、突き刺すように、流す。俺はその情報を脳では無く、体そのもの――血で感じている。
太針が少しずつ前進する度、今まで一つだった情報が二になり四になり八になり……そこから先は思考が追いつかない。肉を蠢く異物の感触に脳が激しく揺さぶられ、神経細胞が焼き切れるような衝撃に塗りつぶされる。それを内蔵や筋肉組織で体の内側から直接感じている。
おぞましい――だが、嫌じゃない。本来入口でも出口でもない場所を、何かが無理やり通過していく甘美な味わい。これは自分の命を代価に払っても感じたいと思う高揚感。
そして塩の針が真っ赤に染まって俺の体を全部通り抜けたとき、自分の中に何かが取り付けられ、そして何かが切り離された。
俺はこの時狂ってしまったのだろう。いや、一回狂い死にしたのか。塩の大針に血を吸われ過ぎて、やっぱりその時点で死んでいたのか。だからそこから先の話は、死んだ俺の骸から再生された、俺の人格と記憶を引き継いだだけの別人が、俺を演じているのか。
そうでも思わなければこのあとに起こる喜劇の中で、なぜ俺がマトモでいられるのか、説明がつかない。
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