宇迦之御タマは探偵を殺ス - Digging Holes Detective -

糾縄カフク

FILE00:探偵来りて人が死ぬ

 既知の底に横たわるモノは、さらに大きな未知。

 辿り着いた先にあるモノは、さらに果てない道。


 ビーレフェルト。

 怪異、呪詛、呪い、祟り。

 人智の粋たる科学を以てして解き明かせぬ全ての謎を、人は存在しないビーレフェルトと名付けた。


 そしてビーレフェルトがもたらす災厄の全てを、屠り狩る為に生み出された機関。――真理を求めし者たちの墓標ライヘンバッハ。人は彼らをそう呼んだ。




*          *




 月光を背に時計台の屋根に立つ少女は、ぷくりと膨れた淡紅の唇に、悪戯な笑みを浮かべ佇んでいた。ボブカットの銀髪は月の光を浴び白く輝いていて、その深く黒い瞳は、他の全ての闇を吸い込む様な深淵を宿している。


 やがて時計の針が二十時を指し鐘のが周囲に響くと、にわかに吹いた風と共に少女の姿は霧の様に消えた。

「ビーレフェルト段階ヒュラル3。吉良神きらがみ――か」小さい声の呟きだけを残して。




 屋敷の中から悲鳴が上がったのは、それから三分後の事だった。

 蔵書に埋もれた、恐らくは書斎の一室。刀を向けられ狼狽ろうばいするのは、着物姿の初老の男。



「吉良神ソウスケだな?」

 吉良神と呼んだ男を眼下に、先刻の少女は刀を向け死神の様相で窓際に立つ。

 黒一色のセーラー服に同じ黒のタイツを纏い、血を思わせる一色の赤いスカーフだけが浮いて揺らめいている。


「そ、そうだ……だが君は一体……」

「吉良神ソウスケ、お前はビーレフェルト段階ヒュラル3に指定された。よってこれより除障・・される」


「くっ、犯人にえにしある者か……」

 切っ先を受けじりじりと後ずさる吉良神は、心当たりを指折り数える様に恨み節を言う。


「いいや違うな。そしてお前は勘違いをしている」

「……どういうことだ?」

 二人の間隔を徐々に狭めながら、セーラー服の少女は続ける。


「確かにお前は名探偵だ。その洞察によってこそ解決した難事件も多くあろう。――お前が居た事によって失われた、さらに多くの命と引き換えにな」

 少女は一言一言を区切りながら歩く。


「――悪魔が来たりて笛を吹く。――探偵来りて人が死ぬ」

 きらめいた刀が吉良神のおののく表情を映し出す。


「――つまり名探偵とは推理劇の代償に、棺桶を担いだ死神だったって事さ」

 じりじりと壁際に追いつめられる吉良神は、それでもなお反撃の一手を模索している様だった。


「横溝正史か――、詭弁だ。君はそんな理由で私を殺しに来たのか」

「ははは」

 最もと言える吉良上の反応に、少女は笑いながら返す。


「お前自身に自覚は無いだろうが、その身体からは今も、いや常に、人を死に誘う臭いが立ち込めているんだぞ。――『死の約束』とでも言えば、探偵のお前なら分かるだろう?」


「Appointment with death……アガサ・クリスティ」

「ご明察だ。我々は貴様らの能力をそう呼んでいる。行く先々で人を死に至らしめる呪い『死の約束』と」


「馬鹿な……お嬢さん、あなたは一度冷静になるべきだ」

 男は壁際の引き出しにまで追い詰められると、後ろ手に何かを探しながら言った。


「無駄だ。私にその力は効かない。『光消えぬ限りザライトラスト』いかに貴様らの領域であったとしても、私に事件による不意の災厄が降り掛かる事は無い」


「――While the Light Last……またアガサだな。今ならまだ間に合うぞお嬢さん、今ならまだ思春期の、探偵好きの少女の度が過ぎた悪戯で済む」


「ふぅ……」

 溜息を一つ付いた少女は「貴様が若し何も知らないままなら、我々『ライヘンバッハ』もまた、何もしないままで済んだ。――ビーレフェルト段階ヒュラル3、未だ5に達していない貴様なら」


 一向に刃を振り下ろす気配の無い少女に「今度はコナン・ドイルだね」と幾分か精神的優位を取り戻した吉良神が言う。


「だが貴様は知ってしまった。――『ジェインドウズ』」

 男の瞳孔が開き、何故それを知っているのだと言う驚きを、滲み出る脂汗と共に無言のまま表情が語った。


「ちぃっ」

 刹那に吉良上が舌を打ち、同時に背後から拳銃を抜き出す。


「――やはりな。撫でろ<犬神イヌガミ>」

 この時を待っていたとばかりに抜刀の姿勢を取った少女は、一言を呟くと寸時踏み込んだ。


 紫の瘴気を纏った刀が、向けられたリボルバー式拳銃の弾倉ごと切り落とす。悲鳴を上げた吉良神は、俄に立ち上がるとへっぴり腰のまま転びながら駆け出した。


「なあ吉良神。お前がなぜジェインドウズを知っている」

 獲物を追い詰める蛇の様に悠然と歩きながら、少女は続ける。「モリアーティなら分かる。ホームズの宿敵だからな――だが」遂に吉良上は壁際に逃げ場を逸した。


「ジェインドウズで反応する訳が無いんだよ。名無しの組織の、その名前で。――チェックメイトだ吉良神。これで心置きなく貴様を屠れる」

 少女は再び抜刀の姿勢を取る。


「安心しろ。痛みは無い。死因は心臓発作で片が付く」

「やめろ……やめてくれ……頼む」


「百五十三人だ。お前の力が生涯で闇に引きずり込んだ人数は」

「知らなかったんだ。あれは、連中が――」


 ――シュン。

 空気を斬る音だけが響いて、次にばたりと、事切れた吉良神の遺体が床に倒れた。


「こちらフォックスアンドギース。ガチョウは仕留めた。帰投する」

 赤いスマート・フォンをガーターベルト式の太腿のポーチに入れ刀を鞘に仕舞うと、少女は踵を返し窓辺へと向かう。


 だが彼女は気づかなかった。この時背後に横たわる吉良上の遺骸から、どす黒い影が蠢きながら染みだしている事に。

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