第三十一レポート:修行の成果について
「ッ!? あつっ…………ぐぅッ……」
「あ――やけ、るッ…………」
「なんだ、これは――ッ!」
薄ぼんやりとした光に照らされた室内。叩きつけるような水音の仲、押し殺すような悲鳴が響き渡っていた。
フィマスの超三行のその一。祈りの行。
それは、神聖術の礎。如何なる状況でも神への祈りを忘れない精神力を鍛えるための修行だ。
だが、栄有る聖騎士団の一員。才能を見込まれ伝説の騎士の片腕に抜擢までされたイヴ・ルクラオには目の前の光景が茶番にしか見えなかった。
一体何のつもりなのだ、これは――。
広々としたプールはどろどろに熱された特殊なスライムに満たされていた。上から絶え間なくプールに叩きつけられる滝も熱湯であり、浴びれば一般人ならば一溜りもないだろう。
だが、断じてこれは溶岩などではない。どちらもどろどろしているという共通点はあるが、そもそもの温度が違い過ぎる。
アズ・グリード神聖教会の中でも一際特異な部門――闇の眷属との戦いを義務付けられた
滝のように叩きつけられる熱湯を浴び、目隠しをした聖勇者達が必死に耐えている。渦巻く熱気。顔も手足も高温により真っ赤に腫れ上がっており、その表情は苦痛に歪んでいる。
だが、それは断じて祈りの結果ではない。イヴがアレスからの命令を受けしぶしぶ用意したスライムプールの温度は一般人でも長時間浸からなければ重傷を負ったりしないレベルのものなのだ。
叩きつける高温の滝についても言わずもがな。修行を受けているのがイヴだったら顔色一つ変えなかっただろう。
アレスから共に行動しろと命令されたラビ・シャトルが棒読みで聖勇者を応援していた。
「いい調子です。藤堂さん! 素晴らしい祈りです! 溶岩に耐えています!」
「ッ…………熱ッ…………けど…………耐えられるッ……でもッ……これがッ……溶岩?」
「溶岩以外に何があるんですか!」
特注の目隠しは教会の修行でも使うもので、一欠片の光も通さない。
闇と向き合うとは己の心と向き合うという事。だが、それを知ってはいても、目隠しをしながらプールに耐える藤堂達の姿は変な笑いを誘った。
そもそも、さすがに存在力や信仰の力を借りたとしても、溶岩を耐えるのは難しいだろう。普通に燃え尽きてしまう。
ちらりと、隣で泰然と佇む自らの上司――グレイスを見る。
本当にこれでいいのか? 教義に反しているのではないか? そんな気持ちを込めて見上げるイヴに、グレイスはゆっくりと小さく首を横に振った。
…………仕方ないので、あります。
アレス・クラウンの下につくというのは聖穢卿の命令であり、異議は許されない。その上、敬愛するグレイスも同意見ともなれば、忠実な神の下僕であるイヴは従うしかない。
恐らく…………この修業に凄まじい違和感を感じてしまうのも全てイヴの未熟故なのだろう。
「………………しっかり、祈りなさいッ! 全ての雑念を捨て、神への信仰をッ!」
「ッ……!」
イヴの半ば自暴自棄の叱責に、聖勇者が歯を食いしばる。
しかし、祈り系の修行をまとめるなどと言っても、このように一度に修行をさせても意味はないのではないだろうか?
そもそも断食を満腹に差し替えた時点で何かがおかしいのだが、これでは苦痛が分散されて一つ一つに集中できない。
たとえば、今の聖勇者では闇に対する恐怖など感じようもないだろう。五感も大忙しだ。
そして、祈りの修行がこうも改良(?)されるとなると残りの修行がどうなるのか甚だ不安である。
聖勇者も、そしてリミスとアリアも、顔が真っ赤だった。苦痛というよりは湯あたりだろう。スライムプールと灼熱の滝は少し熱めのお風呂のようなものだ。
私がフィマスの十三行を提案したのは断じてこういうつもりではなかったのだが……。
何度目かになるやるせない感情が胸中を訪れる。そこで、ラビが声を張り上げた。
「しばらくそのまま祈り続けてください。ひたすらに――フィマスの超三行の最終目的は神への邂逅です。その修業の果てに、必ずや藤堂さん達は大いなる秩序神に認められその加護を、大いなる力を与えられる事でしょう!」
「か……み……」
「適当にッ、言ってるんじゃッ、ないでしょうね!」
「くぅッ……秩序神がッ、こんな事をさせる神だなんて、聞いてないぞッ!」
「黙りなさいッ! 貴女達に何がわかるんですかッ! 私だってこんな事したくてやってるんじゃないんですよ!?」
ラビこそ秩序神の何を知っているというのだ。そして、最後に本音が漏れている。
ラビがちょいちょいと建物の奥を手振りで示し、歩みを進める。イヴは必死に修行を受ける聖勇者達に気づかれないようにため息をつくと、その後についていった。
§ § §
傭兵の役割は騎士とは違う。優秀な傭兵に忠義はいらない。傭兵とは駒だ。ただ、忠実に依頼主の命令に従う者。たとえそれがどれだけ馬鹿げた命令であっても、それこそが傭兵に必要な条件であり、同時に、金払いが良く、結果はどうあれ雇った傭兵を使い捨てにしない事は優秀な雇い主に必要な条件だった。
もちろん、本人に強さがあればよりよい事は言うまでもなく、追加で傭兵に能力に応じた任務を割り振る頭があればもはや最高だと言える。
そういう意味で、アレス・クラウンは些か苛烈過ぎるが、傭兵の雇い主としては最上だった。
今回の任務に必要なのは、強さよりも賢さだ。傭兵としての使いやすさはサーニャの方が高いが、彼女は察する力が足りていない。
アレスから下されたラビへの指令は藤堂をより聖勇者らしく導く事だ。
そして、余りにも奇異なその任務は沈黙を尊ぶラビにこそ相応しい。堅物なイヴを言いくるめる事だって、ラビならば難しくない。
ラビの言葉に、イヴが目を見開き予想通りの反応をする。
「はぁ!? どういう事で、ありますか!?」
「しっ。藤堂さん達に気づかれます」
人差し指を立てるラビに、慌ててイヴが声を潜める。
「し、しかし…………そんな、余りにも馬鹿げているで、あります……ただでさえ騙しているのに、祈りに合わせて……少しずつお湯の温度を下げていく、なんて」
確かに、馬鹿げている。そんな安易な手に藤堂が引っかかるのかも怪しいし、そもそも結果だけ取り繕っても藤堂自身の力が上がらなければ意味はない。藤堂直継はそういう性格ではなさそうだが、増長すれば危険ですらある。
だが、それでもラビの雇い主は教会ではなく『ボス』なのだ。
「…………ボスは、精神が肉体に大きく影響すると考えています」
「程度があるであります」
「……そもそも、藤堂さんには秩序神の加護があります。今後の魔族との戦いにも強烈なバックアップがある……ボスは藤堂さんの力を疑っていません。今は長旅で疲弊した精神を癒やし、他の無知蒙昧な王国貴族の信頼を得ることが先決だと言うのが、ボスの考えです」
結果だ。必要なのは、何よりも結果なのだ。イヴが万が一にも暴走してボスの意図に反すれば、それは監督を任せられたラビの責任になる。
だが、敬虔な僧侶は自らの考えよりも神のご加護を信じるものだ。
聖勇者を持ち上げつつ述べたラビの言葉に、イヴが悔しげに唇を噛んだ。
「………………それが、
イヴが足早に部屋を出ていく。
教会が用意した修行のための建物は急造だ。プールを特殊なスライムで埋め、上から魔導師の力を借りて熱湯の滝を実現する。
明かりを消し、密室なので熱気も篭もっているが、目隠しがなければ藤堂達にここが由緒正しい修行場だと信じ込ませる事は不可能だっただろう。
イヴ直属の上司であるグレイス・ガディセント・トリニティはこの状況に至っても身じろぎ一つしなかった。
一体何を考えているのだろうか、漆黒に輝くヘルムの下に隠された表情は見えない。
いや、もしかしたら――ヘルムがなかったとしても、表情には何も浮かんでいないのかもしれない。
元々、長く生きる種族というのは得てしてその生の中、感情を摩耗させていくものだ。
神話の時代から現代に至るまで、ずっと戦い続けるなど、到底正気で達成できる偉業だとは思えなかった。ラビが同じ立場だったとしても絶対に不可能だ。
「グレイスさん。何かあれば…………意見をボスに伝えますが。筆談ならできるでしょう?」
ラビとサーニャにひどい事をした鬼畜なボスも、グレイスには一目置いているように見える。いや――そもそも、伝説の住人に教義を足蹴にするような修行に関わらせている時点で相当肝が座っているが。
半ば本気で出したラビの提案に、グレイスはしばらく沈黙していたが、ゆっくりと首を横に振ると、重々しい所作で部屋を出ていった。
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