第三十レポート:藤堂の修行について
『アメリアからの報告で聞いた。相変わらず、とんでもない無茶をしているようだな』
「信仰とは本来険しき道程で培われるもの。短期間で得ようと思えば無茶も必要になる。大事なのは結果だ。最終的に、聖勇者が力を得らればいい。そうだろ? クレイオ」
クレイオからの小言に、今後の計画を立てながら答える。
既に賽は投げられていた。とんでもない計画を実行する際のコツは、わざわざ上司に伺いを立てない事だ。
信仰を足蹴にするような計画はとうていクレイオの立場からは認められるものではないが、一度放った矢は止まらない。
フィマスの超三行は正直、かなりの力技だ。本物のフィマスの十三行も力を失う可能性があったが、こちらは下手をすれば教会の権威を失墜させる可能性すらある。
だが、俺のビジネスは藤堂に魔王を討伐させる事であり、教会の信仰云々ではない。
『…………ふむ……然り、全ては神のお導き、か。準備だけはしておこう。だが…………名前はなんとかならなかったのか? ネーミングセンスがないのはアレス、君の弱点だな』
俺は無言で通信を切った。
クレイオの言う準備というのは、フィマスの超三行の存在が明るみに出た際の言い訳づくりだろう。力を得た後、藤堂の受けた試練が無理やり圧縮したものだと露呈したら面倒な事になる。
これまでもクレイオからは様々なバックアップを受けてきた、やり口はわかっていた。俺も目的のためならば信仰を二の次にできるが、あの男も大概、現実主義者だ。結果を出せば文句は言わないし、結果が出るまである程度なら待てるだけの度量もある。
作戦は急ピッチで、しかし順調に進んでいた。ラビとグレイス達が藤堂を導き、サーニャが必要なものを調達する。アメリアは教会とのやり取り及び通信魔法による連絡係を担当し、ステイは親の権力を使って資金を引っ張ってくる。教会やルークスの連中は魔族の動向を洗っている。俺が全体を指揮し、スピカは余計な事は何も言わず、後は藤堂が力を得れば、完璧。
と、そこでラビが定期連絡に戻ってきた。現場はイヴやグレイスに任せたのだろう。
「うまくいっているか?」
「はい。いいえ、ボス。まだ生きてはいますが……難航しています。存在力の活用方法はある程度は身につくかと思われますが――信仰が得られるかは甚だ疑問です。そもそもボスの考案した修行は一般的な目線で見たらかなり奇異に映るでしょう」
「信仰はうまく神への邂逅を満たせばどうにでもなる」
いや――最悪、存在力の使い方さえ覚えれば藤堂はまだ成長できる。信仰などなくてもいい。今必要なのは藤堂の神力ではなく、対外的な納得なのだ。もちろん、力もつくに越したことはないが……。
ラビは小さくため息をつくと、上目遣いでじろりとこちらを見る。
「上級神官による教導はグレイスがいるとして、十万人の人民の救済と高僧十人の指導はどうするつもりですか?」
フィマスの超三行はかなり無理をしている。必ずしもフィマスの十三行にある項目を全て満たす必要はないが、後から十三行を知った時にある程度納得できる必要があった。
もちろん、その辺りも考えている。
「一万人分の人民を十人用意する」
「え?」
「その十人が藤堂に救われその結果、高僧になれば両方満たせるだろう」
「………………???」
そもそも、十万は盛りすぎだ。フィマスもわざわざ救った人民の数を数えていたわけでもないだろうに――。
聖遺物はグレイスを通じて与えればいいし、聖獣はグレシャを白く塗る。内面世界での精神修養は…………まぁ、後で考えよう。一番の問題はお披露目のパレードまでに効果が出るかだ。
ラビはしばらく沈黙していたが、恐る恐る言った。
「…………ボス、まさか仕事のせいで壊れてしまいました?」
「平然とやれ。ラビ、さも当然のように、自分の言説の正しいと、藤堂に焼き付けるんだ。お前の方が藤堂よりもレベルが高い、やればできるはずだ。存在力の使い方をその身を以て教えてやれ」
「…………いえっさー、ボス」
ラビが棒読みで答える。
必要なのは手順であり、流れだ。由緒正しい手順を踏み由緒正しい儀式をくぐり抜けた結果、当然に由緒正しい力を手に入れる。
これまでさんざん影から藤堂達をサポートしてきた。今回やることも根本はそれらと余り変わっていない。
「アレスさん、完成しました」
その時、扉ががらりと開く。
アメリアに連れられ入ってきたのはグレシャだった。ただ、その髪はいつものように緑がかったものではなく、新雪のような白になっている。憮然とした表情はそのままだが、髪色が変わるだけなのに印象も変わるものだ。
グレシャが俺を見るなり、びくりと身を震わし表情に怯えを浮かべる。俺は眉を顰めグレシャの近くに歩みを進めた。
そのウェーブのかかった長い髪を手に取る。元氷雪系の力を操る魔物の一種であったためか、髪はひんやりと重い。不自然ではない極自然な色――白髪ではなく、どこか神秘的なものも感じられる。
「如何ですか? 教会秘蔵の魔法薬を使いました」
「色は上出来だが、姿が貧相過ぎる。何かひと目見て聖獣だとわかるような装備が欲しい。中身が変えられないのならば姿でカバーだ。金糸の刺繍の入ったローブをあつらえろ。こいつは長く藤堂のパーティにいる事になる。防具も兼ねた強力なものだ。ステイと連携して用意するんだ。ベロニド卿は元商人だから思い当たる節くらいあるだろう」
「…………ボスのその何でも利用しようとするところは尊敬します」
やかましいわ!
怯えと緊張とふてぶてしさを醸し出し佇むグレシャの頬を掴み、軽く引っ張る。その双眸に涙が浮かび、筋肉が緊張にこわばるのを感じる。
まだ裏切る心配はない、か。グレシャに裏切られ寝首でもかかれたら洒落にならない。人間でも喉元過ぎれば熱さを忘れるのだ。定期的な確認は必要だろう。
「アメリア、演技指導だ。こいつに聖獣としての演技を叩き込め」
「…………アレスさん、私を便利に使いすぎでは?」
「頑張れ、優秀なアメリアちゃん」
「………………いえっさー」
アメリアは死んだ目で答えると、同じく死んだ目をしているラビをちらりと確認して部屋を出ていった。
さて、吉と出るか凶と出るか……いや、どんな手を使ってでも、吉にするのだ。俺はため息をつくと、久々にヴェール大森林で使った仮面を取り出し、表面を撫でた。
§ § §
意識が朦朧としていた。息が苦しい。今にも吐きそうだ。その原因が先程無理やり詰め込み飲み込んだ料理にある事は考えるまでもなく明らかだった。
視界は濃い闇に包まれ、一片の光も届かない。腕は後ろに回され、手錠がかけられている。耳元では仲間達の苦しげな呻き声が聞こえていて、非常に心臓に悪かった。
まさか…………まさか本当に、お腹がはち切れるまで食べさせられて目隠しされるなんて――。
半ば信じられなかったが、伝説の騎士にこれが教会の秘奥と言われてしまった以上、どれだけ馬鹿げた案に見えても選択肢は存在しない。
そして、お腹をはち切れるまで食べる事の苦痛を、恐ろしさを、藤堂は舐めていたようだ。嘔吐していない事が奇跡のようだった。もしかしたらこれが存在力の活用の結果なのか?
このまま激しい運動をさせられたら間違いなく吐くだろう。幸いなのは、次の修行は運動させられそうではないという点だろうか……。
次の修行は目隠しした状態で火口の滝行だ。火口で滝行だ。教会が何を考えているのか、さっぱりわからない。
目隠しをされながら手を引かれ、馬車に乗せられる。直後、激しい揺れが全身を襲った。
限界まで詰め込んだせいで腹がぽっこり出ている。苦しすぎて頭が回らない。絶対に吐かないようにする。今藤堂に考えられるのはそれだけだ。もしも嘔吐などしてしまった暁には聖勇者としてのプライドが木っ端微塵だ。
「うっ……は……はきそッ」
「ッ……ッ……」
藤堂に負けず劣らず苦しげなリミスの声に、アリアの何かに耐えるような呼吸の音。どうやら本当に二人も修行につきあわされるらしい。
どこに連れて行かれるかについて、具体的な場所は聞かされていなかった。どうやら教会の有する秘密の修行場があるらしいが、本当に火口と滝が両立しているところなどあるのだろうか?
苦しさを祈りを捧げる事でごまかしながら馬車に揺られる事数分、馬車が止まる。
「つきました」
「っぐぅぇ……え…………? ま、だ……王都から、出て、なく、ない?」
腹を押さえながら息も絶え絶えに尋ねる藤堂に、ラビは藤堂の手を取りながら、冷ややかに答える。
「…………余計な詮索は不要です。秩序神アズ・グリードの力はあらゆる不可能を可能にします」
「か、火口も、どうにか、なるの?」
「…………なります!」
「そんな……馬鹿な…………聞いた事、ない、けど……」
どうやらリミスも藤堂と同じ気分のようだ。ラビの声は自信たっぷりだったが、如何なこの世界で最も力を持つ神の一柱と言っても、火口をどうにかするのは一般的ではないらしい。
だが、相手は間違いなく教会からの使者だ。アズ・グリードの信徒は嘘をつかないと聞いている。ラビは僧侶ではなさそうだが、それはそうとしてそんなくだらない、大胆な嘘をついたりはしないだろう。
ガチャリという、重い閂を開ける音。
ラビに巻かれた目隠しは本当に一片の光すら通さなかった。もしも腹が痛くなる程食べさせられていなかったら、この状況に少し不安を感じていたかもしれない。今はそれどころではない。
軋む音と共に、扉が開く。
そして――強い熱気と轟音が藤堂の全身を叩きつけた。
一瞬、息が止まり、満腹による苦痛すら頭から消える。
叩きつけるような激しい轟音。すぐに全身がまるで水でも被ったかのようにぐっしょり塗れる。
この音は――間違いない。これは、水音だ。大量の水が水面を叩く音。
という事は……この熱は、まさか――。
「つきました。ここが由緒正しきフィマスの超三行の修行場です。残念ながら闇との戦いがあるので目隠しを取る事はできませんが――わかるでしょう? 見えるでしょう、脳裏に浮かぶでしょう。目の前を叩きつける滝と、煮えたぎる溶岩が!!」
「…………こ、心の目で見るで、あります」
どうやら現地で待っていたらしい。イヴの声がとぎれとぎれにラビの言葉に同意する。
ありえない。近くに火口なんてあるわけがない……が、フリーディア家にあった修行場に飛ばす魔導具の例もある。
藤堂には心の目で見るなんて高度な事できないが――
「火……口…………?」
「火口です」
「そ……それにしては…………臭いがしないわね」
「…………そういうタイプの火口なんです」
「……そ、そういう、タイプの、火口なので、あります」
扉が重い音と共に閉まる。新鮮な空気が入らなくなり、一気に体感温度が上昇する。
すぐに全身から汗が吹き出す。凄い熱気と湿気だ。まるでサウナの中のようだ。
もともと余り気分は良くなったのに、最低だ。もう喉元近くまで先程詰め込んだものが出てきている。だが、ラビはそんなあらゆる不快感に襲われている藤堂にも容赦するつもりはないようだった。
一応、藤堂はこの世界を救う聖勇者なのだが、どうやらラビは可憐に見えてかなりのスパルタらしい。
「これから、藤堂さんにはマグマのプールの中で高温の滝を浴びてもらいます。信仰の浅い人間ならば一瞬で燃え尽きるでしょう。ですが、しっかり祈りを捧げれば無傷で済むはずです」
「!? は!? え?? そんな馬鹿な――」
「心頭滅却すれば火もまた涼し。そして、極限の中祈りを捧げ続ける、境地に至ったその時、藤堂さんは心の中の闇と相対することになるでしょう。それに打ち勝ったその時、藤堂さんは神の側に一歩近づくのです」
滝に打たれるとは聞いていたが、マグマのプールは初耳だ。余りにも滅茶苦茶だ。
藤堂も大概強くなった自覚はあるが、祈りで耐えられるレベルを越えている。それともこの世界だと皆、マグマに浸かっても死なないのだろうか?
旅を始めてからどんなピンチの時にも共にいた仲間の姿が見えない。得体の知れない不安が押し寄せて来る。闇の中、上下左右もわからなくなりそうな藤堂の背にラビが軽く手を添える。
「いってらっしゃい、聖勇者様」
そして、意外な程優しい声と共に背を強く押され、どろどろした灼熱が藤堂の肉体を包み込んだ。
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