第二十九レポート:作戦成功のための仕込みについて

「やはり無茶ではないですか?」



「ふん……魚人のきぐるみを着て海底を歩くよりはずっとマシだ」



「…………それを言われては何も言えません」



「………………」



 アメリアがそっと視線を逸らす。

 自分で言っておいてなんなんだが、馬鹿にされているのだろうか? いや、確かにあれは今思い返すと驚くほどくだらなかったが……。



 ともあれ、オペレーション・フィマス。聖人の名前をつけた作戦が、今始まった。

 と言っても、こちらがやることはこれまでと余り変わらない。裏方だ。だが、今回は明確な期限が定められているし、グレイスを使える期間も限られている。



 作戦で重要なのは如何にして藤堂達をごまかし切るかだ。往々にして神力というのは個人の思い込みによって増減する。狂信的な信条を持つグレゴリオが歳を撮らないのもそのためだし、敬虔で知られる僧侶が突然力を失う事があるのもそのためだ。

 本来ならば日々の祈りと力の行使により徐々に信仰を深めていくものだが、今回はそのような事をしている時間もない。



 言葉で他人を騙せても、自分自身は騙せない。ネックとなるのは、藤堂の世界には明確な力を与える超越者としての神が存在しなかったらしいという点だ。俺にはそんな世界どうにも想像できないのだが、余程その世界の神は放任主義だったに違いない。藤堂には文化の違いを飲み込み、聖勇者としての責務を、神への『確信』を持ってもらう必要があった。



 フィマスの十三行で最も大変なのは何か。それは――十万の人民の救済だ。救済と言っても、フィマスがやったことは神聖術による傷ついた人々の治療だったらしいが、これはとにかく時間がかかる。如何にアズ・グリードの加護を持とうが、藤堂の力だと何年もかかるだろう。

 次に大変なのは――高僧ハイプリースト十人の教導だ。これもまた時間がかかるものだ。高僧とは最低でもレベル50以上、高位の神聖術を自在に操る僧侶を指す。ただでさえレベルが上がりにくい僧侶をそこまで育てのは大変だ。ましてや、神力を育てるには信仰心も植え付けなければならないのだから、己の信仰心すら定かではない藤堂ではほぼ不可能と言ってもいい。

 この二つを仮にクリアできたのならば、ぼんくらでも間違いなく高僧並の信仰心を――神力を得ている事だろう。フィマスの十三行とは、並の才覚ではたとえ高僧でも、なかなか達成出来ないものなのだ。



 そして、それをクリアした後に待っている――神との邂逅。これもまた、正攻法だとかなりのハードルだ。

 秩序神はもちろんとして、加護を与えてくれるレベルの神と邂逅を果たしたものは歴史を振り返ってもほとんど存在しない。八霊三神の加護を持つ藤堂ならばなんとかなるかもしれないが、神というのは大抵の場合とても……気まぐれだ。フィマスは果たしたと言うが、似たような信仰を持っていた他の高僧は果たせなかった。フィマスめ……自分が出来たからこういう修行にしたんじゃないだろうな。



 目の前には想像しただけで明らかな艱難辛苦が立ちふさがっていたが、胃痛はしなかった。やるべきことが見えているだけ、気は楽なのだ。



「とりあえず、できる準備からやっていく。長くても一月はかけられん。お披露目の時期的にも、な」



「アレスさん、私にできる事はなにかあるでしょーか?」



 しょーかじゃねえ。手を伸ばし、にこにこ緊張感のないステイの頬を引っ張り睨みつける。



「ステイ、余計な事は、するな。お前の役割はパレードの護衛を引っ張り出す事だ。パパに頼んで、な。OK?」



「い……いえっふぁー!」



 パレード周りの警戒と藤堂の強化、両方うまく行かないければ今後の魔王討伐に大きく影響する。ここが――正念場だ。

 ステイがふらふらと部屋から出ようとして、一度つまづき転びながらも平然と出ていく。それを見送ったところで、これみよがしなふくれっ面でこちらを見ていたアメリアが尋ねてきた。



「………………それで……私にできる事はなにかあるでしょーか?」



「…………」



 ありすぎる。手配、全てだ。通信魔法を使えるアメリアの仕事は、手配、全て。事前に言っていた通り、な。

 教会とのやり取りや藤堂側の状況確認。予算管理から何から何まで全部、できる女、アメリアちゃんの仕事である。ずっと言っている通りなあ!



 無言で見つめていると、できる女アメリアちゃんが慌てて目を逸らして言った。



「そ…………そう言えば、聖獣との契約はどうしましょう? 聖遺物は、まあどこからか適当に調達すればなんとかなるかと思いますが、聖獣はそう簡単には見つかりませんよね?」



「ああ、そうだな……」



 聖獣とは教会の定める知恵と信仰心を持つ穢れなき獣を指す。聖獣との契約はいくら教会のバックアップがあっても容易くできることではないし、聖獣に認められるには時間がかかる。

 今回そんな事をちんたらやっている時間はない。そもそも聖獣は強い味方ではあるが魔王討伐には必須じゃない。もちろん、旅の途中で契約するような機会があったら最高だったが――。



 だが、そこは考えている。ぱんと手を打ち、にやりと笑みを浮かべる。



「グレシャを聖獣という事にする」



「!? そ、それは…………さすがに力技が過ぎるのでは? 彼女に神聖術は使えませんし――」



「知った事か。神聖術は藤堂が覚えるしスピカもいるからいいんだよ。最初の冒険の場所で人化したドラゴンが聖獣だと判明するとか、ドラマとしてよく出来ているだろ?」



「……まぁ、少し出来すぎている感じもしますが……」



 いいんだよ。民衆や貴族の連中に伝える時はわかりやすければわかりやすい程いいのだ。問題は氷樹小竜グレイシャル・プラントは教会では聖獣認定されていない事だが……どうせ人型になっているのだ。クレイオにさえ話を通しておけば疑うような者はいないだろう。



「髪の色を変える魔法薬があったな? あれを用意しろ。タイミングを見てグレシャに飲ませる。真っ白にするぞ」



「…………アレスさんとおそろいですね」



 ……どういう反応を求めているんだ、アメリアは。

 方針は立てた。ラビもサーニャもステイも皆、全力を尽くしている。リミス達も鍛えなければならないが、今は藤堂に集中しよう。

 さぁ、新たなビジネスを始めようじゃないか。





§ § §




 藤堂は元々ほとんど戦闘経験がない状態でこの世界にやってきた。日本在住だったのだから当然なのだが、この世界にやってきてからまずやらされたのも修行だった。


 この世界において戦闘能力を上げる一番の方法は魔物を倒し存在力を吸収してのレベルアップだが、それが齎すのは基礎性能の向上であって技術をないがしろにしていいわけではない。藤堂の場合はルークス王国の剣武院や魔導院、教会からそれぞれ技術や知識を学んだのだが、これから行われるものはそれとは全く別種である事を、藤堂は大きなテーブルに所狭しと並んだ料理の数々に、否応にも理解せざるを得なかった。


 旅する魔物研究家改め、教会の使者であるラビが顔色一つ変えずに宣言する。


「それでは、これより修行を開始します」


「ちょ……ちょっと待って!? 本当に、満腹状態で修行するの!?」


「……秩序神は、藤堂さんはもう少し肉をつけるべきだと言っています」


「…………こ、こんなに、食べられないよ……」


 しかも肉系ばかりだ。うずたかく積まれたササミのから揚げに、分厚いステーキ。一抱えもありそうな大きな椀に入ったスープにも、彩り鮮やかなサラダにも全てに肉が含まれていて、見ているだけで胃が重くなる。藤堂と比べて大食漢のアリアもその量に目を見開いていた。明らかに一人で食べる量ではない。軽く十人前はありそうだ。飲み物もピッチャーに牛乳がなみなみと注がれていて、意地でも栄養を取らせようという意図が見える。

 普段小食のリミスなど、見ただけでお腹いっぱいのようだ。その余りの量に呆然としている藤堂達に、ラビがはっきりと言う。


「全て……一皿残さず平らげていただきます」


「!? 全部食べるの!?」


 薄々そうなのかなとは思っていたが、実際に口に出されるとやはり衝撃だ。目を見開き固まる藤堂に、リミスが小さな声で言った。


「ナ、ナオ…………頑張って」


 ここまで旅を共にし、数々の強敵との戦いを乗りこえてきた仲間が視線を逸らしている。もしかしたら魔物よりも厄介かもしれない。

 と、そこで、敵であるはずのラビが援護射撃してくる。


「…………秩序神はリミスさんとアリアさんも肉をつけるべきだと言っています」


「!? わ、私達もか!? 私達は関係ないだろう!」


 必死の表情のアリア。やはり彼女でもこれほどの量は無理らしい。しかし、関係ないって…………。

 後ろから殴られたような表情をしていたリミスが慌てたように周囲を見た。


「そ、そうだ! グレシャは? あの子も仲間よね?」


「そうだ! あのグレシャなら――」


 藤堂のパーティの中で一番の大食漢はグレシャだ。彼女に比べれば身体の大きいアリアでも小食扱いになる。さながらブラックホールのような胃には旅の最中にも時々悩まされていたが、まさか役に立つ時が来るなんて――。


 グレシャは一体どこにいったのだろうか? 朝は一緒にいたはずだが……。

 きょろきょろする藤堂に、ラビは小さくため息をつき、額を人差し指で押さえて言った。


「グレシャさんは…………教会の身体検査で免除です。彼女には秘められた力がある可能性があるようですが……そちらはまたこの修行が終わった後に。用意した料理は貴女達三人用です。しっかり、お腹がはち切れるまで栄養を詰め込んで頂きます」


「うぐッ!?」


 どうやら逃げ道はないようだ。グレシャに秘められた力があるというのも想定外だし色々聞きたい事があるが、このままでは恐ろしいという修行中に吐きかねない。


「…………明らかに、僕達の胃に詰め込める量じゃないんだけど? それに、僕は……その…………これ以上大きくなると、鎧が着れなくなって……」


 食べ始める前から弱音を吐く藤堂に、ラビはじとっとした眼差しを向けてきたが、小さくこほんと咳払いをして言った。


「ご安心ください。新たな鎧はこちらで用意しました。それに――詰め込める量じゃない、ではなく、詰め込むのです。藤堂さん、貴女には、この修行を機に存在力の使い方をみっちり学んでいただきます」





§ § §





 存在力。それは、全ての生命が有するものであり、この世での存在の強さを示すもの。

 ラビ達、この世界の生き物は他の生き物を殺す事で相手の存在力を吸収し、より強力に『レベルアップ』する。


 その性質上、戦に参加する者程そのレベルは上がっていくが、存在力の吸収の本質は身体能力ではない。

 高レベルになると実感が少しずつ実感が湧いてくる事だが、存在力が高いとは『優先される』という事である。相当高レベルにならないと目に見えた違いは出ないが、知っているのと知らないのとでは結果的に大きく差が出る。ラビの師であるブラン・シャトルは、まだラビがそこまでレベルが高くなかった頃からよく言っていた。


 高レベルになった生命体は――物理法則に優先される、と。きっと、とてつもない存在力を誇った人間は、『寿命』という軛に優先される事すら、あるだろう。


 あの伝説の不死の騎士――《女皇騎士シスター・ジェネラル》のように。



 教会のサポートにより用意したフルコースを前に、ぐったりした様子で聖勇者ホーリー・ブレイブが言う。


「も…………もう、はいらないよ……」


 随分頑張ったようだが、まだ皿は三分の一も空になっていなかった。共に卓を囲んでいたアリアも青ざめ、リミスに至っては吐きそうな表情で顔を背けている。

 栄養補給は大切だ。戦場ではかなりのエネルギーを消費するし、屈強な肉体を存在力だけで作るのは並大抵の事ではない。これまでの聖勇者も優男が多かったようだが、発達した肉体を持っているに越した事はない。まぁそもそも、藤堂直継は男ではないが。


 ラビは手に持った鞭でぴしゃりとテーブルを叩くと、断言する。明言する。藤堂達の疑心が消えるように、自信を持って。


 これは、ビジネスだ。しっかりやらねばあの鬼畜僧侶に何を言われるか、何をされてしまうかわからない。


「入らないんじゃない、入れるのですッ! さっき言ったでしょう、存在力の格差を考えればこの程度余裕だ、と。優先されればこの程度簡単に消化できるし、その分エネルギーも溜め込める。逆に――飲まず食わずで数日戦い続ける事も可能」


「…………なら、ラビさん見本、見せてよ」


「……強くならねばならないのは、貴女です」


「ッ……」


 破壊と再生。藤堂はこの世界の人間ではない。故に、まず常識を破壊せねばならない。

 この世界で優先されるのに必要のは、存在力と鋼の意志だ。できないと思っていては、絶対にできない。恐らく、フィマスの十三行も己の常識を破壊するために過酷な行が組まれたのだろう。

 ボスの考えたフィマスの超三行はめちゃくちゃだったが、ある意味では理にかなっている。巻き込まれる方としては溜まったものではないが、水着を着て魔王軍幹部と対決させられるよりはマシかもしれない。


 サーニャちゃんの方も大変そうだし……。


 アリアがぽっこり膨らんだお腹をさすりながら苦しげに言う。


「ほ、本当に、グレイスは、このような訓練を、やったのか?」


「当然です。グレイスならばこの十倍あっても一人でぺろりと平らげます」


「………………化け物ね」


 適当な事を言うラビに、リミスがぶるりと身を震わせて言う。

 軽口を叩けるならばまだ詰め込めるだろう。イヴ達が火口と滝を用意するにはまだ少し時間がかかるはずだ。


 ラビは鞭を持ち帰ると、居丈高に言った。


「祈り、願いながら食しなさい。これらの全てが貴女の血肉になるように――これから貴女達は灼熱の中で滝に打たれるんですよ!? 存在力でレジストしなければ、死にます」

 

「…………これが……祈り?」


「前だけを見て走りなさいッ! 貴女は、聖勇者でしょうッ! これは、神意です!」


 正気に戻らせてはならない。強くなる道を短縮するには何かを捨てる必要がある。

 ラビの言葉に、藤堂は意を決したようにフォークを取ると、豪快に肉に突き刺し口の中に詰め込み始める。それを見て、ぐったりしていたアリアやリミスもゾンビのような動きで皿に取り掛かり始める。

 どうやら、リーダーシップはあるようだ。これならばそう遠くない内に食べ物には優先できるようになるかもしれない。


 だが、これは初歩の初歩だ。存在力による優先には難易度がある。意志のない食べ物に優先するのはともかく、生まれつき強力な存在力を持つ魔族相手と対峙し、それに優先するのはかなり難しい。二体の生物が対峙し存在力同士がぶつかりあった時、優先基準は絶対的なものから相対的なものに変わる。余程レベルが高くなければ、人族側は不利を強いられるだろう。


 もしも祈りが足りなくても、死の淵ぎりぎりまで追い込めば生存本能が存在力に働きかけ身を守るはずだ。火事場の馬鹿力という奴である。


 …………もしかしたら、ボスが強くなったのって――。


 一瞬浮かびかけた考えを首を横に振って取り消す。ほぼ同時に扉が開き、元気のないイヴとグレイスが入ってくる。どうやら準備が出来たようだ。

 藤堂達の手もちょうど止まったところだ。これ以上無理やり詰め込んでも意味はないだろう。ラビはポケットから用意していた目隠しを取り出すと、恨みがましげな目でラビを見ている藤堂にほんの僅かに唇の端を持ち上げてみせた。


 フィマスの超三行――いや、アレスの超三行はここからだ。

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