第二十七レポート:フィマスの十三行について

 師であり、伝説の傭兵と呼ばれたブラン・シャトルからはよく頭の回転の良さを褒められた。


 ラビの戦闘方法は綱渡りだ。いくら加護持ちで且つレベルを上げていても、兎人の持つ身体能力の低さは傭兵としてはどうしようもないハンデである。

 正面から戦っても強い兄弟弟子のサーニャと違い、ラビは常に周囲の状況に気を払い続けなければいけなかった。一撃で殺らなければ殺される。その覚悟が、ラビを一撃必殺に仕立て上げたのだ。


 鋭敏な聴覚に、培われた観察眼は間違いなくラビをここまで生かした武器だ。だが、その長所が今、裏目に出ている。


 この仕事は――とても危険だ。これまでそうやって生き続けてきたラビ・シャトルは思考を止める事ができない。止めようとしても、考えてしまう。


 依頼を受け、行動を共にしてから暫く経つ。いつもお気楽なサーニャは何も気づいていないが、この依頼は冷静に考えてみると、最初からめちゃくちゃだった。そもそも、聖勇者を裏から手助けするなど、教会が提唱する聖勇者の伝説と相反している。


 不死の騎士と聖勇者は秘密の塊だ。


 この世界で最も大きい宗教組織の一つ、秩序神アズ・グリードを奉じる神聖教会が隠し続けた恐るべき秘密。

 これまで様々な書物を漁り知識を蓄えてきたラビでも、グレイスが老いるなどという話を聞いたことがなかった。そして、だがしかしそれはきっと――秘密の本質ではない。


 ボスはラビを巻き込むつもりだ。ラビの性質を逆手にとって――もしも知ってはならない事を知ったならば、消されるか、首輪をつけられ一生教会のために奴隷のように働かされるだろう。


 きっと彼は、賢く事情を正確に理解して、とても忠実で裏切らない手駒を必要としていた。その対象にアメリアやステファンではなくラビが選ばれたのはきっと、彼女たちが秘密を守る程忠実には見えず、秘密を漏らさない程『臆病』でもなかったためだろう。


 ラビは――兎人はとても臆病だ。だから、こうして恐ろしい運命が待っているであろう事を理解しているのに、逃げられない。




§





「藤堂さん達はどうでしょうか?」


 伝説同士の邂逅。スピカを交えた一悶着を終え、ラビはグレイスに尋ねた。

 藤堂達は別室だ。今頃スピカから少し外れた説教を受けている事だろう。


 グレイスは藤堂や暴れるスピカを見ても動揺一つ見せず、堂々と立っていた。

 その超然とした様子はまさしく英雄に相応しいものだったが、今回グレイスがやってきたのは闇の眷属を滅するためではない。


 ラビの今回の役割は、グレイス達とボスの橋渡しだ。状況は適宜報告しなくてはならない。

 藤堂達を成長させるにあたっての今後の計画や必要な物。万が一、短期間に成長させるのが難しかった場合はその旨も。


 グレイスが首をゆっくりと動かし、ラビを見る。だが、何も言う気配はない。どうやら、無言を貫くつもりのようだ。

 代わりに、ずっと難しい表情で隣に立っていたグレイスの片腕――イヴ・ルクラオが真剣な声で言った。


「僭越ながら、グレイス団長は会話できぬ故、私が代弁させていただく。間近で見た感想を言わせていただくと――率直に言って、藤堂殿には神への祈りが足りていない」


「続けてください」


「藤堂殿は秩序神に愛されているが、神を信じきれていない。故に、力を使いこなせていない。持ち前の才能でそれなりに戦えていたようだが――異世界ではどうやら信仰は重要視されていなかったと見える。あの殲滅鬼マッド・イーターに教導されたスピカは極端過ぎるが――――『超越者エクス・デウス』が憂慮し、聖穢卿がグレイス団長の助力を必要としたのも納得、であります」


 テキパキとしたイヴの報告に、グレイス団長が小さく頷く。


 藤堂直継の神力が聖勇者の称号とは裏腹に余り高くないのは、ラビも薄々気づいていた事だ。

 だが、神力はレベルと違って簡単には上がらない。レベルは魔物を狩れば上がる。魔力は魔術を使い続ければ上がる。だが、神力は神聖術ホーリー・プレイを使い続けてもなかなか上がらない。これは傭兵の間では一般常識だ。そして、だからこそ強力な僧侶は重宝される。


 神力を高めるのは祈りだ。

 教会の僧侶が日々の祈りにより少しずつ奇跡を体得するように、神力の鍛錬は何かと時間がかかる。アレスがこれまで藤堂の神力を鍛える作戦を立てなかったのは、神力を手っ取り早く上げるのが難しかったからだろう。おまけに神力は直接戦闘能力に繋がりにくい事を考えれば(ボスは明らかに例外だ)、藤堂の神力を鍛えるよりも本職の僧侶を入れる方針にしたのもわかる。


「神力を鍛える事は無駄にならない。アズ・グリードの加護はそれだけで莫大な力を与えるが、神力に比例して得られる力も上がる。神力を高めアズ・グリードの力を大いに受けた藤堂直継は今とは比較にならない力を得るだろう、というのは我々の見解であります」


 ある程度予想通りの答えだ。グレイス達は教会所属なのだから、自然とできるアドバイスもそっち方面になるだろう事は想像するに難くない。


 しかし、アズ・グリードはろくに祈りも捧げていない藤堂にどうして加護を与えたのだろうか? ラビは余り秩序神には詳しくないし英雄召喚の秘奥の力だと言われてしまえばそれまでだが、加護を与えれば闇の眷属を殲滅してくれるような僧侶がもっと他にいると思うのだが――。


「ボスは何でもいいから藤堂直継に、ただの傭兵ではなく聖勇者としての特別性を与えろと仰せです。アズ・グリードの加護を十二分に発揮できるようになればそれに越した事はありません」


 だが、それが、難しい。ひっそりと裏からサポートをするのは良いが、それはただの時間稼ぎである。いくら誤魔化しながら実績を積ませていっても、実力が上がらなければいつか破綻する。

 ボスはとりあえず実績を積ませた。実績は聖勇者の地位を確かにする。

 ボスはそういう話を余りしないが、もしかしたら降りる予算にも関係があるのかもしれない。


「問題は『方法』です。神力を鍛え上げるには時間がかかるでしょう。相手が異世界からの来訪者ならば尚更です。そんな時間はありません」


 子どもの頃からアズ・グリードの恩恵を受けているこの世界の人間でも神聖術を使えない者は大勢いるのだ。いきなり異世界の神を信じろと言われるのはラビから見てもハードルが高いように思える。

 神の啓示でもあったのならば別だろうがそういう事もなかったらしいし――。


 ラビの言葉に、イヴは目をつぶりしばらく沈黙すると、真剣な表情で言った。


「楽に信仰を得ようなど聖騎士としては言語道断でありますが――今回は状況が状況だ。我々は――『フィマスの十三行』の儀式行使を提言するであります」






§ § §







「報告は以上です。グレイスはボスの決定に従うと言っていますが――ボスは『フィマスの十三行』をご存じですか? 私は知りませんでしたが」


 どうやら、ラビに調整役は適任だったようだ。何より余計な事をしないのがいい。身体能力の低さは気になるので出す場所は考えなくてはならないが、これからばんばん仕事を振ろう。

 低い声で簡潔にまとめられた報告を聞き、足を組み替え、眉を寄せる。


「『フィマスの十三行』…………古い儀式だ。さすがグレイス、面白い事を考える」


 目の付け所が俺とは違う。

 俺の考える最適は、グレイスがびしばし藤堂を殴って鍛え上げてこう、うまいこと藤堂のテンションを上げ信仰を高める事だったが、『フィマスの十三行』はそれ以上の良策かもしれない。

 ラビがじっと俺の言葉を待っている。だが、そのミミがぴこぴこ動いていた。無意識に周囲を警戒しているのだろうか?


「『フィマスの十三行』は教会に古く存在する儀式――かつて聖人フィマスが行ったとされる神力を鍛えるための十三の修行法だ。聖人フィマスはこの儀式で信仰を深くし――死者蘇生の術を得るに至ったという」


「死者蘇生…………!? そんな儀式が――私は…………知りませんでしたが――」


「勉強不足ではない。もう遥か昔に廃れた儀式だからな。アメリアやステイでも名前くらいしか聞いたことがないだろう」


 死者蘇生は神聖術の秘奥――境地である。死という絶対の事象を覆すには膨大な神力が必要で、故に使えたとされる僧侶は教会の長い歴史でも数える程しか存在しない。フィマスは確かに卓越した才能と信仰心を持つ僧侶プリーストだったのだろう。

 残念ながらとっくに故人となっているが、聖人フィマスが教会に与えた影響は大きい。そして――大きいのに、その聖人フィマスの名が余り伝わっていないのには理由がある。


「どうして、廃れたんですか?」


「ああ。効果がないんだ」


「………………え?」


 目を瞬かせるラビ。まぁ、そんな反応もするだろう。


「効果がないどころか、それまで有していた神力を失う者が続出した。それ以来、『フィマスの十三行』は教会内部で暗黙の禁忌となり、フィマスの名もまた隠されるようになった」


「えぇ……」


 ラビが呆れたような目つきになる。


 聖人フィマスは確かに聖人として認定される程に卓越した人物だった。だが、だからこそ――彼の修行法は他の半端な信仰心しか持たない僧侶には通じなかった。通じないどころか、逆効果だった。


 グレゴリオが街を滅ぼされ極限の状態の中で信仰心に目覚めたように、人には適性がある。フィマスはその儀式を行う前から信仰心を持っていた。そんな修行やらなくてもいつか死者蘇生の奇跡を会得していただろう、絶対的な信仰心を。


 俺やクレイオの考えにその儀式が挙がらなかったのも、当然である。聖勇者が神力を失ったら目も当てられない。


「断りますか」


「いや――やろう」


「!?」


 大勢の僧侶から神力を奪い教会を揺るがしたフィマスの十三行は教会内部でも曰く付きの儀式だ。禁止こそされていないものの、最近では儀式を行う者自体ほとんどいない。


 だが、だからこそやる価値がある。


 まずはクレイオに報告し反対するであろう他の教会幹部を説き伏せてもらわなくてはならないが、儀式が成功すれば聖勇者の力も名声も遥かに高まるし、それに――。


 頭の中で考えを整理する。整理すればするほど、この状況で打てる作戦としてはこれが最善のように思えてくる。


 グレイスめ、力を隠していたのか。戦闘能力や士気能力の高さは知っていたが、作戦立案も優秀だとは知らなかった。


 いける…………この作戦はいけるぞ! 一点だけ修正が必要だが。



 自然と笑みが浮かぶ。

 俺は指を組むと、緊張しているのか、胸を押さえながら言葉を待っているラビに言った。





「だが、十三は多いな。『フィマスの十三行』をそのままやろうとすれば一年はかかる、そんな時間はない。どうせ効果なんてないんだ、二つ……いや、三つでやれと伝えろ」

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