穢を払う者③

 目が覚めた時、サーニャはベッドに寝かせられていた。

 最初に感じたのは鈍い痛みだ。身体の芯に残る痛みと疲労に顔を顰め、頭を振って強い目眩を振り払う。


「ん……ッ……あぁ……ふぅ……」


「! サーニャちゃん、大丈夫ですか?」


 近くの椅子に座っていたラビが慌てて駆け寄ってくる。

 サーニャとラビは同じ師を持つ者同士、厳しい修業を行ってきた。ここ数年はめっきり回数が減ったが、修業を始めたての頃はよく気絶して互いを看病したものだ。


「何が起こったか、覚えてますか?」


「あ…………ああ、まったく、びっくりしたよ……相手は伝説ってのは知ってたけど……」


 眉を顰め、腕を擦る。銀狼種の血を引く半獣人のサーニャだが、その特徴は見た目には反映されていない。

 耳と尻尾が生えてるくらいで獣人のように体毛もなく、だがしかしその骨や筋肉の強度は人間を遥かに超えている。


 擦った腕には軽い火傷の跡が残っていた。

 聖騎士ホーリー・ナイトはレアな職だ。サーニャも戦った事はなかったが、そんなものは負けた理由にはならない。


 実戦だったらサーニャは死んでいる。だが、それはそうとして、あまりにも予想外だった。


 大地を蹴り、特価した素早さで翻弄し、背後から襲いかかったサーニャに対して伝説の騎士が取った行動は――。


 サーニャは大きく舌打ちをして、拳をもう片方の手の平に押し付けた。



「カウンターだ。しかも、シールドバッシュ。まさか、あんな巨大な盾でやるなんて――ああ、予想外だよ」



 しかもあの騎士は一歩も動かなかった。

 腕に残る火傷の跡は神聖術の効果だろう。光の操作は神聖術の一分野であり、そして光は大なり小なり熱を伴うものだ。


 今思い返しても、完璧なタイミングのカウンターだった。サーニャ・シャトルの出し得る最高速度の、しかも死角からの一撃に容易く反応してみせた。

 まるで壁に押しつぶされたような印象だ。聖騎士が守りに向いていると言われているが、あれが全ての聖騎士の到達点というのならば、納得である。


 攻撃を当てる事は適わなかったが、もしも当てられたとしてもあの全身鎧ではろくなダメージは与えられなかっただろう。

 しかしまさか剣すら使わせられないとは……。


 だが、サーニャの言葉を聞き、ラビは目を頻りに瞬かせた。恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「他には……?」


「他…………?」


 質問の意味がわからず、首を傾げる。


 その身から放たれる圧倒的なプレッシャー。サーニャの攻撃をほとんど動かずに受けてみせた堅牢な砦を思わせる佇まいに、長き年月の修練を感じさせる巧みな盾捌き。


 そこまで派手さはないが、伝説の騎士に相応しい。


「……そのくらいかな。何かあった?」


「いや……なんでもないです。……私は、ボスに呼ばれているので……サーニャちゃんは休んでいてください」


「わかった。いやぁ……師匠に自慢したら絶対に羨ましがるよ。なんたって、正真正銘の伝説と手合わせした傭兵なんてそうはいない」


 次は勝たねばならない。が、相手が本当に悠久の時を生きているのだとしたら、その身に秘めた存在力は尋常ではあるまい。


 サーニャが知る中で最も高い存在力を誇るのは師匠とアレスだ。だが、その二人だって寿命には縛られている。


 果たしてあのような怪物に勝てる者がいるのだろうか?



 いや――そもそも、どうして教会は聖騎士を魔王討伐に派遣しなかったのだろうか?



 と、そこでラビがぐいと前のめりになり、顔を近づけてきた。臆病そうな顔立ち。深紅の眼が、サーニャを映している。


 そして、ラビは声を潜めて言った。


「サーニャちゃん、あの騎士はきっと教会の秘密――最終兵器です。ボスが何を考えているのかわかりませんが……………………」



 そこで、ラビが長く沈黙する。


 秘密。最終兵器。


 ラビはサーニャとは違う弱小の種族だ。肉体的強度もサーニャより遥かに劣る。そんなラビが神の加護を持っているとはいえ、サーニャよりも少しだけ高く評価されていたのは、その臆病さが傭兵としての長所に繋がっていたからだ。


 その静かな瞳には抑えきれない恐怖があった。震えていないのはその意志によるものだろう。考えている事がすぐに表に出るようでは傭兵は務まらない。

 じっと言葉を待っていると、ラビは珍しいことにためらいがちに言った。


「……………………つまり、今回の任務は…………いつもよりも、少しだけ危険かもしれない、という事です」


「……は?」


 魔王討伐のサポートである。今回の任務がいつもより危険な事など今更いうべき事でもない。

 目を丸くするサーニャに、ラビは顔を離した。


「教会は……何でも、やるつもりです。ボスは脇は甘いですが、処理だけは徹底的です。気をつけて――耳を塞ぎ、目を瞑り、口を閉じなくては……」


「あ…………」


 ぶつぶつつぶやきながら、ラビがふらふらと寝室を出ていく。サーニャは目を丸くしてそれを見送った。


 何か嫌なことでも聞いたのだろうか?






§ § §





「し、失礼します、ボス…………」


「入れ」


 扉が恐る恐る叩かれ、緊張したような声が聞こえる。


 部屋には俺とグレイスしかいない。イブとアメリアとステイは適当な用事を出して追い出した。


 目の前で直立していた黒の騎士がまるで責めるような視線をこちらに向けてくる。俺は無言で首を横に振った。


 グレイスは強い。強いが――協力者が必要だ。

 目端が利き、大胆不敵で、そして臆病な共犯者が。


 ドアの取っ手が周り、ラビが入ってくる。俺はその姿に思わず目を見開いた。


 ラビの格好はここ最近の厚着からは一転していた。

 寝間着のような緩やかな白のキャミソール。すらっと伸びた細い手足。血管が浮き出るほど透き通った肌がむき出しになっており、しかし顔だけが真っ赤に上気している。

 そして何より、その目元には黒い目隠しがされていた。兎耳がぺたんと寝ている。


「何だその格好は?」


「けほッ、風邪を……引いてしまって……しかも、何故か、目が……見えません」


「…………」


「僭越ながら……ご迷惑をかけてしまいそうです。その………………帰っていいですか? 目が、見えないんです。耳も、あまり聞こえません」


 ラビがふらつき、ごんと頭を壁にぶつける。座り込むラビに聞く。


「舌は?」


「……ありません」


 嘘つくな。ないわけないだろ。

 いつもは分厚いローブの中に武器を隠し持っているラビだが、この薄着では何も隠せまい。


 ふと思い出し、汗をだらだら流しているラビに確認する。


「そういえば、兎の魔獣の中には耳で敵を斬る者がいるな」


「!? そ………………そうですね……ですが、ボス。私の耳は、短いです。ほら、ほら!」


 ラビが必死に自分の耳をぺたぺた手で持ち上げて見せる。


 アメリアやステイがやったら間違いなくただの冗談だが、ラビは真面目な傭兵だ。


 こいつ、さては道化を装って場の空気を変えるつもりだな。逃さんぞ。


 薄着なのは武器は持っていない事を表現しているのだろう。


 立ち上がると、ラビの耳が座り込んだままびくりと震える。いくら目隠しをしていても、兎人の聴覚ならば音だけで状況を察するのは容易いだろう。

 間違いなく訓練も受けているはずで、視覚以上に周囲の様子を把握できてもおかしくはない。


 俺は近づくと、腕を回しラビを抱え上げた。ラビが小さく悲鳴をあげ、身を捩る。


「ひゃんッ! ボ、ボス! 何を……そんな乱暴なッ、駄目ッ」


「…………熱い……平熱だな」


「やぁ、やめて、くださいッ! 契約違反です! セクハラですッ! 約束と、違いますッ! 私、もう、抜けますッ! この依頼から、抜けますッ! アメリアさんに、言いつけます!」


「舌がないんだろ?」


「…………」


 ラビが大人しくなる。だが、その心拍音は上がっていて、顔も真っ赤だ。


 めちゃくちゃに場を乱して逃げ出そうったってそうはいかない。お前は知っていけない事を、知ってしまったのだ。


 ラビを持ったまま椅子に戻り、逃さないように膝の上に乗せる。ラビはそのままごろりと力なく横たわり、腹を見せた。

 完全に観念したようだ。震える声で言う。


「わかり、ました。私を、好きにしていいです。だから、お願いです。サーニャちゃんは許してあげてください」


「同情を買おうったってそうはいかないぞ、ラビ。貴様がいくら道化を装っても所詮は紛い物――俺はこの任務を受けてからそれよりも上の道化を飽きる程見てきた。やたらストレスが溜まる任務だが、その分、学んだ事もある」


 大切なのはまともに取り合わない事だ。

 腹を見せるのは獣にとって服従の証。ラビの腹の上に手を置くと、ラビが小さく悲鳴をあげて身を捩る。耳をぱたぱたさせているが、さすがに横たわった状態では首は斬れまい。


 俺は目の前で立ったままピクリとも動かないグレイスを見た。


「《女皇騎士シスター・ジェネラル》。この間、久しぶりにゴーレム・バレーに行った。マダム・カリーナは健勝だったぞ。相変わらず、神に仕えていた」


「…………」


「時が経つのは早いな。グレゴリオは弟子をうまく育て、俺は魔王討伐の任を受け、そしてあんたは――未だ教会の最終戦力としてそこにいる」


「…………」


 《女皇騎士シスター・ジェネラル》は何も言わない。俺は黙ったまま、ラビの腹に置いた手に少しだけ力を入れた。


「ひゃッ!」


「ラビ、質問だ。答えろ、教会はどうして最初に聖勇者にグレイスをつけなかった?」


「…………知り、ません」


 顔が真っ赤になっている。だが、これは元々だ。その表情にあったのは強い怯えだった。

 慎重さは美徳だが、今は話を進めねばならない。獣を手懐ける方法は知っている。手を汚したくはなかったが――やむを得んな。


 手に光を灯し、ゆっくりとラビの腹を撫でる。ラビの身体がびくんと数度跳ね、身を捩る。だが、逃しはしない。

 俺は僧侶だ、拷問などしない。相手が味方ならば尚更だ。


「ひッ!? ぇ!? !?」


「痛みはないだろう? だが、痛みより恐ろしいものもある」


 神聖術とは回復の力。癒やしとは快楽だ。強い快楽は心を乱す。

 だから、昔のとんでもない僧侶プリーストは強い光の力を使い人心を掌握する術を編み出した。

 今は教義に反しているが、使い方によっては交渉に使えるのだ。


 シャトルの弟子だ。痛みには耐性があってもこちらにはあるまい。

 指先でラビの腹を服の上からなぞる。柔らかい肉の感触。体温。悲鳴。呼吸の乱れ。甘い匂い。ラビが膝の上で何度も跳ねる。目隠しは既に涙でぐっしょりと湿っていた。


 兎人とは思えぬ暴れっぷりを見せるが、レベル差が違うのだ。一通り処置したところで、手を止める。


「抵抗は無駄だ、ラビ。言え。俺はお前が気付いた事を、知っている」


「ッ……ひぅ……」


 隠そうとしても、気づかない振りをしても無駄だ。俺はお前を雇った、強制的に協力してもらう。

 サーニャは駄目だ、やつは強い。ラビは奇襲が恐ろしいだけだが、肉体的スペックに秀でたサーニャはいざという時に速やかに処分できない。


 どうやら呼吸もままならないらしい。心臓が破裂しそうな勢いで鳴っている。どうやら発情期を持つ獣人に禁じ手は効果が強すぎるらしい。後で記録しておこう。

 腹に触れずに落ち着くのを待つ。しばらく荒い呼吸とえづく音が続き、ラビの呼吸が落ち着いた瞬間に再び腹に手を置く。


 ラビが再び震える。凄い汗だ。


「ひぃッ……あ、はぁ、わか、わかり、わかり、ました……」


「いい子だ、ラビ。察しの良いやつは嫌いじゃないぞ」


 まるで顔を隠すように手で覆うラビ。そうだ。逃しはしない。何も殺すと言っているわけではないのだ。


 グレイスを入れた作戦の立案に事情を知っている外部の協力者は不可欠だ。

 ラビはしばらく荒く呼吸をしていたが、やがて、よく耳を澄ませなければ聞こえないような小さな声で言った。





「『老い』……だと思います」


 恐らく、信者が聞いたら耳を疑っただろう。

 悠久の時より生きる不死の騎士が、信仰により神から永遠の命と戦い続ける宿命を与えられた騎士が、老いるなど――教義に反している。


 不死の騎士。悠久の騎士。真なる聖騎士。グレイス・ガディセント・トリニティ


 グレイスは何も言わない。だが、その頭が僅かに傾き、ラビを見る。


「何故、そう思う?」


「…………剣を……使って、いなかった、からです。あの動きは……間違いなく、老人の、動き、だった……」


 恐らく、ラビが気づいた理由はそれだけではないはずだ。

 強力な神聖術は老人が大剣を振り回すことを可能にするが、万能の術ではない。

 年を取れば動きは鈍る。一挙手一投足をよく見れば、そこここになるべく運動量を減らそうとしている様子が見て取れるだろう。


 伝説によると、グレイスは戦場を駆け先頭に立ち闇の眷属を斬り殺す酷く攻撃的な剣の担い手だったらしい。


 座らないのは、全身鎧を着た状態で一度座ったら速やかに立てないから。カウンターでサーニャを制圧したのは激しい運動を避けたため。

 俺は最後の質問をした。


「何故、気付いた事を隠そうとした?」


「ッ…………そ、それは――ひッ」


 布の上からでもじっとり湿った腹を撫でる。ラビがいやいやと横に振って抵抗する。



 それはそうだ。不死の騎士が死ぬ。それが知られたら、人族は終わりだ。少なくとも、勢力は一気に塗り替えられる。

 そのくらい、グレイスの存在は大きい。魔王に攻め入られている今、タイミングは最悪だ。


 だから、ラビは気付いた事を隠した。教会の禁忌に触れてしまったからだ。


 だが、彼女は冷静を失っている。処分などしない。ただでさえ手駒は足りないのだ。



 

 ラビが気づこうが気づくまいが、死ぬ。

 グレイスは死ぬ。これは絶対の事実だ。変わるのは死因が老衰か戦死か、遅いか早いかだけだ。





 俺が異端殲滅官の一位になったのは、その前準備だ。


 だから、クレイオは彼女を連れてきた。

 戦いの中で生き、戦いの中で死ぬ。不死の騎士の本懐を果たさせると同時に、まだ生きている騎士を最大限有効活用するために。



 例えばグレイスが死に、彼女を殺した魔族を藤堂が倒せば、不死の騎士の名声は聖勇者に上乗せされるだろう。



 だが、俺はただ彼女を殺させはしない。




「グレイス、後何年、生きられる?」




 ラビが膝の上で身体をよじっている。もう指先に光は灯していないが、どうやら十分らしい。


 これまでずっと沈黙を保ってきた騎士がこちらを見る。

 ぴったりと覆われ内部の様子が一切窺えないヘルム。その奥から、掠れたような、囁くような声がした。




「三年だ」




 ラビが一瞬硬直する。声を聞き取ったのだろう。感覚が鋭敏というのも考えものだな。


 しかし、まだあるな……いや、どう好意的に見ても、残り三年と考えるべきだろう。

 戦えなくなるまではもう間はない。だから、クレイオがここに連れてきた。


 彼女はまだ切り札として使える。



 そこで、俺に天啓が舞い降りた。

 頭の中で整理してみるが他にいい案が思いつくわけもない。グレイスが来るまでさんざん考えていたのだ。



「そうだな……何も名声を高めるのに、魔族を倒す必要はない」



 顔をあげ、再び沈黙してしまった騎士に笑みを浮かべる。

 膝の上で、身体を痙攣させながらラビが聞き耳を立てている。




「グレイス、喜べ。もしかしたら……その年で初めての体験ができるぞ。貴様――人を育てた事はあるか?」

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