穢を払う者②

「聖騎士団の団長と言ったら、超有名人物だ。悠久の時を生き、倒した魔に連なる者は幾千幾万にも及ぶ。生ける……伝説じゃないか」


 サーニャが目を限界まで見開き、黒き騎士に恐る恐る話しかける。


 クレイオは《女皇騎士シスター・ジェネラル》とお付きの騎士を俺に預けると、そそくさと去っていった。

 あの野郎、通信でも厄介な仕事の話ばかりしているのに、対面すると更に面倒事を置いていきやがる。


 サーニャの言葉の通り、彼女は教会の有する奇跡の中でも極大だ。


 秩序神、アズ・グリードは遥か昔、強大な力を誇る闇の眷属と戦うために三つの力を人に授けた。


 聖勇者ホーリー・ブレイブ。聖女。そして――聖騎士。

 聖騎士団長が異端殲滅協会に属している事を知る者はあまりいないが、その存在自体を知らぬ者はいない。


 聖女は死ぬが、彼女は死なない。聖典にも名前があがっているほどだ。


「漆黒の鎧は闇の眷属を殺しその血を浴びた証。聖典にもある。『神は言った。あぁ、敬虔なる輩よ。その祈りを聞き入れ力を授けよう。その身、神の加護ある限り朽ちる事なく、汝が闇を尽く葬った時にこそこの世に恒久の平和が訪れるだろう。汝こそ神の代行者、人を守護する者――グレイス・ガディセント・トリニティ』。神代からずっと生き続けているなら、間違いなく人間じゃない」


 あまりにも失礼なサーニャの言葉に、《女皇騎士シスター・ジェネラル》、グレイスは何も答えなかった。代わりに口を開くのが、クレイオが一緒に置いていったお付きの騎士の役割だ。

 聖騎士団長は代々、従者を連れている。従者と言っても聖騎士団の中から優秀な者を選んでいるようだが、その理由は――グレイスが、ほとんど声を出さないからだ。


 お付きの騎士は十代半ばの少女だった。エクスの剣身を思わせる青みがかった銀髪に、まだ幼さの残る整った顔立ち。

 だが、その年齢に対して、佇まいは洗練されている。レベルは詳しく測らないとわからないが、50を切るという事はないだろう。


 サーニャの言葉にぴくりと眉を動かしたが、すぐに凛とした声で言った。


「然り、グレイス団長は人間ではなく神の代行者、であります。グレイス団長は穢を極力避けるため、言葉を出さぬ。不肖、このイブがそのお言葉を代行する事を許されよ」


「ずっと鎧の姿なの? もしかして――中身がない?」


 不躾な言葉に、イブの眉がぴくぴく動く。どうやらポーカーフェイスはまだまだ甘いらしい。


 しかしサーニャの奴め……強そうな者にまず喧嘩を売ってしまうのは序列を決める銀狼族の血を引くが故なのか。


「サーニャ、黙ってろ。そして、当然だが中身はある。秩序神が力を与えるのは人間だけだ」


「ふーん……ならいいけど――強いのは佇まいでもわかるけど、ボクの鼻でも、匂いが一切、漏れてこない」


 サーニャが鼻を指差す。伝説を前に平静を装えるのは素直に凄い。


 しかし、困ったな。なまじ有名すぎて作戦に組み込みずらいぞ。なにせ、いつもやかましいステイが静かになるレベルだ。


 漆黒に金の十字の鎧は有名だし、《女皇騎士シスター・ジェネラル》は神から賜られたその鎧を脱げない。


 だが、クレイオの意図通りに動くのも癪である。

 どういうつもりで連れてきたのかも予想がつくし理屈もわかるが、素直には従いづらい。


 いや――恐らく、素直に従ってはならない。だからこそ、クレイオは何も具体的な命令をしなかったのだ。


 そこで、それまで黙っていたアメリアがこそこそ話しかけてきた。


「アレスさん、グレイスさんの中身って見たことありますか?」


「…………ある。だが、言わんぞ」


女皇騎士シスター・ジェネラル》の素顔は教会でも秘中の秘だ。異端殲滅官でも見たことのある者はほとんどいないだろう。


 アメリアはしばらくじっと黙っていたが、小さな声で聞いてきた。


「…………美人でしたか?」


「アメリア、たまに俺はお前の思考回路がわからなくなる」


 頼むからちゃんと真面目にしていてくれ。


 イヴが俺を見上げ、感情を極力排した声で言う。


「アレス・クラウン殿。聖穢卿猊下の命令により、これより三月の間、聖騎士団を一時脱退しグレイス・ガディセント・トリニティとイヴ・ルクラオ、計二名、その指揮下に入ります。神命については聞き及んでおります、グレイス団長はともかく、若輩ですが、どうか使い潰すつもりでご命令ください」


「ご苦労、イヴ・ルクラオ。ちなみに遺書は、書いてきたか?」


「…………もちろんであります。聖騎士団の名に賭けて、この命続く限り――」


 恐らくイブは俺の立場をしっかり知らされていないのだろう。その声には強い緊張が見えた。


 俺は僧侶としては若い。グレイスは言うに及ばず、他の高位僧侶と比べても一回り以上年下だ。この若さがマイナスに働いたこともある。


 だが、いくら伝説の騎士と言ってもこのチームの中では新参者。今後の事も考えると、対応は最初が肝心だ。

 俺はグレイスを見た。


「そうか――ならばいい。さしあたっては貴様らの力量を把握する必要がある」


「!?」


「え!? アレス、さん?」


 イヴが目を見開く。グレイスは身じろぎ一つしない。アメリアが正気を疑うような目つきで俺を見る。

 グレイスの力は大体知っているが、イヴがどれくらい使えるのか知らない。


「サーニャ、相手をしてやれ」


「えぇ!? またボク!? し、仕方ないなあ…………」


 サーニャが尻尾を振りながら、喜色を隠しきれていない声をあげた。


 ある程度コントロールできる戦闘狂がいると楽でいいな。敵にぶつけるのにはあまり使えないが、サーニャの実力は戦闘能力を測るのに丁度いい。


「まさかボクが伝説の騎士と戦える日が来るなんて……へへ……」


 最初はイヴからだからな!? 次からは金をとってやろうか……。


 イブが明らかにむっとしたような顔で声を上げる。


「アレス殿、僭越ながら、言わせて頂く。幾星霜を人を守るために戦い続けてきたグレイス団長を試そうなど、あまりにも不敬――!?」


 だが、そのセリフは当の《女皇騎士シスター・ジェネラル》本人に制止された。


 立ち上がり、イブの前に腕を延ばす。


 ピンと伸びた背筋。佇まいはまさしくその身を長く戦場に置いてきた者特有で、フルプレートアーマーに包まれたその身からは膨大な神力が伝わってくる。


 かつて、《女皇騎士シスター・ジェネラル》は第一位の異端殲滅官だった。


 制止されたのは初めてだったのか、イブはしばし困惑していたが、すぐに俺を真っ直ぐ見て言う。


「……良かろう、アレス殿。聖騎士団の力をその目にとくとご覧に入れよう。だが、まずは私からだ」




§




 聖騎士ホーリー・ナイト

 それは、騎士の攻撃・守りと僧侶の回復・補助の力を合わせ持つ特殊な騎士である。


 フルプレートアーマーに大きな盾。武器としてはメイスや十字剣と呼ばれる教義に抵触しない特殊な剣を持つ事が多く、教会が定期的に行う聖騎士団の凱旋パレードに心躍らせた者も少なくないだろう。


 だが、それだけ聞くと両者のいいとこ取りのように思えるが、実際には聖騎士というのは中途半端になりやすい。


 そもそも騎士の攻撃・守りと僧侶の回復・補助が必要ならば、騎士と僧侶を一人ずつ揃えればいいだけなのだ。


 もともと騎士という存在が防御に秀でた存在である事もあり、聖騎士というのが一人残らず教会傘下という事もあり、最前線で戦う傭兵達の中では半ば色物扱いされる事もある。


 サーニャは軽装だし、ラビも身軽だ。そして、彼女たち傭兵が重装備を身に着けない事には理由がある。


 強力な身体能力を誇る魔族や魔物を相手にする上では、防御を固めるより攻撃を重視しなるべく早く斬り殺した方が結果的に良い方向に働く事が多いのだ。


 そういえば、グレゴリオやスピカも軽装だったな……。


 もちろん、例外的に、ゴーレム・バレーのウルツのように、重装備でも平気で素早く動き回る者もいるが、基本的に装備は軽ければ軽い方がいい。


 王都の一角。誰もいない貸し切りの訓練場に、鋭い金属音が響き渡っていた。


「へえ、聖騎士って硬いって聞いてたけど、本当に硬いねッ!」


「ッ……小癪なッ!」


 疾風の身のこなしを誇るサーニャの連撃を重装備のイヴが巧みにさばいている。


 聖騎士は主武器としてメイスを選ぶ者が多いが、イヴが持っているのは身の丈ほどもある巨大な十字剣と盾だった。

 激しい金属音。レベル的には格上のはずのサーニャの連撃を受けても重心が全く乱れない辺り、その高い練度がわかる。


 小柄なイヴが大の大人でも取り回しに苦戦するような武器を操れているのは、神聖術による補助を掛けているからだろう。


 神聖術による補助と回復。重装備による耐久力。それらの要素は人数を並べて初めて真の効果を発揮する。良くも悪くも聖騎士というのは攻めの戦いには向いていない。


 サーニャが十度攻撃する間に、イヴは一度しか剣を振れない。ただでさえ敏捷性は獣人の強みだというのに、重い装備までしているのだから攻撃が当たるわけがない。


 フェイントも交えているが、サーニャの方はフェイントを見てからも十分に避けられる。

 蹴りを盾で受け流し、ナイフを剣で弾き、突きを身に受けるが無傷。



 これは――勝負がつかないな。



 いや、実戦ならばサーニャが勝つだろう。なにせ、サーニャには補助神法がかかっていない。

 本番では俺が補助をかけるから、自分で補助を掛けた状態でも通用しないイヴではどうしようもない。


 これが聖騎士の弱点だ。聖騎士は一人で何でも出来るように訓練されているが、実戦では一人で全てを負う必要などない。


「じゃあそろそろ、本気で行くよッ!」


「ぐッ……」


 サーニャが楽しげに叫び、速度を上げる。

 軽やかな足運びに音一つない身のこなし。靭やかな筋肉から繰り出される疾風怒濤の動きは明らかに人間のものとは違っている。


 一瞬でイヴの目がサーニャの姿を見失い、サーニャの蹴りがイヴの後頭部を穿った。


 無防備に後頭部に攻撃を受けたイブがごろごろと転がる。盾と十字剣を離さないのはさすがと言うべきだろうか。


 とっさに受け身を取り立ち上がるが、重心が定まっていない。

 騎士は背後からの攻撃に弱い。三半規管は補助神法でも強化しづらい部位だ。そこで、幕を閉める。


「勝負あり、だ。異存ないな?」


「ッ……ない、であります」


 悔しげにイヴが答える。食い下がらないのは良いことだ。

 今回は実戦じゃないし、何か実戦だったら使えるような奥の手も持っている事だろう。


「凹む事はない。貴様の力は想像以上だった。才能がある」


「ッ…………」


「やっりー、これで一勝ね!」


 シャトルから引き継いだ技を見せつけたサーニャがくるくる嬉しそうに回転する。回るな!


 そもそも防御特化の聖騎士から一本取れたところで、そんなのは当然なのだ。


 そこで、それまで隣で黙って見ていたグレイスが一歩前に出た。

 ガシャンという金属音。一歩一歩の歩みに込められたプレッシャーは尋常なものではない。動きはお世辞にも速いとは言えないが、そこには悠久の年月で培われた重みがあった。


 サーニャが一瞬笑みを消し、すぐに再び深い笑みを浮かべる。その瞳の奥には野生の本能がちらついている。


「じゃあ第二ラウンドだ。不死の騎士さん、伝説を見せてよ! ボクの師匠だって、伝説だったんだ!」



 グレイスは答えない。ゆっくりと剣と盾を持ち上げ、構えてみせた。





§




 視界が白で染まった。爆音が訓練場に響き渡る。

 光が消えたその時には勝負は既についていた。



 


「…………」




 ラビが蒼白の表情で喉を小さく動かす。

 訓練場には巨大な亀裂とクレーターができていた。その底にはボロ布のようになったサーニャが倒れ伏している。


 一撃を放ったグレイスはその結果にも身じろぎ一つしなかった。

 立ち位置は最初に構えたその場所から一歩も動いていない。まるで彫像のようだ。



「勝負ありだ」


 俺の声を聞き、グレイスがようやくその剣を下ろす。

 イヴがその近くに駆け寄る。


「グレイス団長、見事で、あります」


「イヴ、サーニャの回復をしてやれ」



 剣から放たれた光はまさしく神の威光。その刃は一振りで地面を裂き、巨大な盾はサーニャの全力を受けても揺るがない。

 訓練場はひどい有様だ。修繕費用を払わねばならない。


「これが……不死の騎士の力」


「凄い、ですね……話には聞いてましたけど」


 アメリアもステイも、息を呑み、破壊の跡に視線を向けている。



 だが、違う。アメリアとステイは純粋にその力に驚いているのだろうが、ラビが蒼白の表情になった理由は違う。


 俺は、怖れ慄くように震えるラビの肩に手を載せた。ラビがビクリと身を震わせ、俺を真っ赤な目で見上げる。


 ラビが小さな、囁くような声で問いかけてくる。


「ボス……私を……始末する、つもりですか?」


 どいつもこいつも、俺を何だと思っているんだ。

 俺は今にも持ち上がりそうなラビの手首を掴み、笑いかけた。


「察しのいい奴は、嫌いじゃない。ラビ」

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