第二十二レポート:神のご加護はいつ下るのか

 スピカの事はいったん頭から追い出し、アメリアに戦力を集結させる手続きを頼む。


 参加当初はそういった処理について慣れていなかったアメリアもすっかり事務仕事が板についていた。

 僧侶としての力は全く活かせていないが通信魔法も使えるし、ドジでもないのが非常にありがたい。


 聖勇者の存在が大々的に知られたら、魔王軍は間違いなくそれを突いてくるはずだった。

 ヘルヤール討伐以来、魔王軍の動きは静かだった。だが、それだって聖勇者を倒すのに全力を尽くすためだと考えられる。


 ヘルヤールは幹部だったがあくまで海の支配者だ。現在魔王軍の猛攻を受けているほとんどは陸地である。ヘルヤールを倒しただけで相手の戦力が減るとは思えない。


 つまりそれは、クラノスが聖勇者の存在を怖れている事を示唆していた。

 うまく勇者の存在を使えば戦闘なしで相手の侵攻を止める事すらできるかもしれない。


 そこで、ソファでごろごろしていた事務仕事では全く役に立たないサーニャが声をあげた。


「そうだ、ボス。良いこと考えた! ボーナスだ!」


「…………」


「不安なら、聖勇者の影武者を立てればいいんだよ! 襲撃をかけられても大丈夫、それどころか裏切り者も炙り出せる。どう?」


「駄目だ」


 得意げなサーニャに断言する。

 サーニャは目を大きく見開いたが、すぐに起き上がって脚をばたばたさせた。


「えー? なんで? まさかボス、倫理的な理由なんて言わないよね?」


「もちろん言わん」


「そうだよね。よかった……なら、なんでさ?」


 よかったとは、どういう事だろうか。

 今日も隅っこで膝を抱えているラビが、真っ赤な目をこちらに向けている。ステイはアメリアから押し付けられた大量の書類に目を白黒させていた。


「サーニャは聖勇者が影武者を使ったなんて聞いたら、どう思う?」


「んー…………? まぁ……情けないよね」


「それが使えない理由だよ」


 バレなければ問題ない。問題ないが、バレた時に言い訳が効かない。故に、俺や聖穢卿も最初から影武者を使うことを考えていなかった。

 そもそも影武者を出すくらいなら勇者の顔見せなどしないほうがいい。


「えー、でもさ……死ぬよりはマシじゃない? まだレベルが低いし、どれだけ強力な神の加護を持っていても無敵というわけじゃない。現に、加護の力なら藤堂さんの方が圧倒的に強いけど、ラビに不意打ちを食らったら死ぬよ。ラビについている加護は土着の神のものなのにね」


「ッ!? ………………おまけに、割と悪い方の、神様です。けほけほッ」


 ラビが小さな声で言う。首切り様と言っていたか……?

 首だけが切れる神。首ならば切れる神。土着の神には加護が極めて限定的な代わりにその分野では他の追随を許さないものもある。


 藤堂が無敵でない事は知っている。だが、魔王を倒すには奴を使うのが一番手っ取り早い。


 そこで、サーニャが腕を組み、ふと難しい表情を作った。


「そもそも、ずっと思ってたんだけど……伝説と比較して……藤堂さん、弱すぎない? 確かに才能はあるみたいだけど――レベルが低いとか高いとかじゃなくて、聖勇者ホーリー・ブレイブと言ったら、剣技も魔法も人類の限界を突破した英雄でしょ? その剣は山を割、その魔法は天を裂く。この世界に比肩する者はない。ただの伝承なのかもしれないけど――とてもそこまでいけるとは……思えない」


 俺はサーニャの評価を上げた。


 こいつ……敏いな。あまりにも危うい敏さだ。さすが伝説の傭兵の弟子である。

 だが、それ以上は言ってはいけない。目を細め、睨みつける。


 俺の意志に従い、空気が張り詰める。サーニャが目を見開き、ビクリとぴんと伸びた耳を震わせた。


「サーニャ、お前、口は災いの元って言葉、知ってるか?」


「!? 何で!? 変な事、言った!?」


 言った。だが幸いなことに、ここには身内しかいない。


「サーニャ、これは命令だ。二度と言うな。仲間を手に掛けたくはない」


「別にボス、聖勇者を貶めたら極刑とか、そういう人じゃないでしょ!? 大体、それなら極刑を受けるべきはボスだ」


 どういう意味だよ。


 どうやら……傭兵を中に入れるというのもなかなかリスクが高いようだ。だが、使わないという手はない。

 サーニャが脚をばたばたして頬を膨らませふざけた風を装っているが、その瞳は冷静だ。


 恐らく原因は理解していないだろうが――今後、二度と口にすることはないだろう。


「サーニャ、お前にも護衛に入ってもらう。くだらない事を考えている暇があるなら、鍛錬しておけ。ごろごろしてばかりだと太るぞ」


「…………あいさー。太らないよ。太った銀狼族なんて、いない」


 ぴょんとソファから飛び降りると、サーニャは耳をぴくぴくさせながら部屋を出ていった。



§ § §





『ミス・スピカ、大切なのは思考をやめない事です。かつて、我が友アレスは「物事には理由がある」、と言った。ふふ……全くその通りだ。物事には理由がある。教会が象徴に拘るのにも、そして――我が友、アレスが序列一位に選ばれたのにも、然るべき理由が』


 師匠は、グレゴリオ・レギンズは狂信者ではあっても決して何も考えていないわけではない。

 少々苛烈に過ぎたが、何度死にかけたかはわからないが、師は藤堂の力になりたいとずっと考えていたスピカに様々なものを与えてくれた。


 力、経験、知識、そして――心構え。

 まだ正式な異端殲滅官にはなっていないが、既に刃物の携帯は許されているし、いずれそうなる事になるだろう。


『我が友アレスは強い。数いる信仰の徒の中でも卓越した力を持っている。ですが、一つだけその強さを挙げるとするのならば――それは、頭がいい事でしょう。造詣が深いとか、そういう話ではなく――彼はとても、察しがいい」


 師はもともと会話が嫌いな方ではないが、アレスの話になるといつもよりも饒舌に、そしてより苛烈になる。

 そこにこもった感情は羨望と嫉妬だ。


『察しがよく、そして謙虚だ。僕は、本当に驚いた。彼の力が強力なのは、彼が、聖穢卿に見出される前から、今の貴女よりも子どもだった頃から――力の秘密に気付いていたからです。そしてそれ故に――アレスは恐らく、魔王討伐という大任を得る事になった』


 これは餞別だ、と、師匠は言った。

 ある程度の力を得て、アレスの、そして聖勇者の力になるべく派遣される前夜、スピカを呼んで。



『一度しか言いません、ミス・スピカ。これは――とても、重要な事だ。物事には、然るべき理由がある。聖勇者が強いのは――単純に聖勇者に才能があるからじゃない』


 蝋燭の淡い灯りが十字架を照らしていた。愉悦に細められた師の眼差しはまるで魔物のようだった。




§





「お久しぶりです……藤堂さん」


「スピカ! その格好は――」


 聖勇者――藤堂直継は相変わらずだった。整った容貌に芯の強そうな瞳。


 かつてのスピカは何も持っていなかった。

 理由はどうあれ、スピカが前に進む勇気を得るきっかけとなったのは間違いなく目の前の少女だった。

 

 修行中はそれどころではなかったので忘れていたが、実際に再会してみると感動もひとしおだ。


 生きて再び会えたことを神に感謝する。

 今もスピカは未熟なままだが、何もできなかった以前とは違う。神聖術だって身につけた。近接戦闘だって一通り経験している。


 アレスから下された命令は、公私ともに聖勇者をサポートする事だ。

 戦力としてだけではなく、教会の言伝を届けたり、内情を知らせたり、メンタルのサポートまで含まれる。


 重責だった。アレスよりも近くにいる分、世界の救済はスピカにかかっていると言っても良い。手がむずむずしてしまって、自然と懐に入れる。


「グレゴリオさんの修業は終わったのか!?」


「いえ、まだ修行中ですが……神聖術ホーリー・プレイは使えるように、なりました。ほら、証も……」


 耳についてた中級の僧侶の証を示してみせる。 


 師匠は退魔術しか使えないが、スピカは僧侶として必要なものを一通り覚えている。

 覚えなければ、あの修業を生き延びることはできなかった。


 スピカの言葉に、リミスが目を見開き藤堂を見る。


「ナオ、完全に抜かれてるんだけど」


「失礼な……僕だって、使えるよ。そりゃ、試験はまだ受けていないけど――それよりも、本当に久しぶりだ。また会えて、嬉しいよ」



 藤堂が感極まったような笑顔で近づいてくる。スピカも涙腺が緩む。


 そして――スピカは隙をさらけ出している藤堂に攻撃した。


「あ……!」


 それは半ば反射的なものだった。手が懐から短い十字の短剣を取り、投擲する。


 常にグレゴリオから油断するなと言いつけられてきた。師匠からしょっちゅう不意打ちを受けてきたし、アレスからは攻撃しないように命令されていたが染み付いた習慣はそう簡単に治らない。


 死んだら偽物だったのだ。いきなり死んだら本物だなんて逆なことを教えられてもどうしようもない。


 ワンアクションで投擲された三本の短剣は、鈍い音を立てて藤堂の腹部にさっくり埋まった。


「!???? へ? え!?」


 藤堂の目が丸くなり呆けたような表情を作り、すぐに激しく歪み、蹲る。

 だが、驚いたのはスピカの方も同じだった。


「!? ご、ごめんなさ……つい――で、でも、悪気は――ああ、治療します!?」


 リミスとアリアが悲鳴をあげ、崩れかける藤堂を支える。


「ちょ、なにやって――ナオ!?」


「ナオ殿!?」


「で、でも、とっさに急所は外して――命に、別状はありません!」


 スピカだって相手くらい選ぶ。あっさり攻撃が当たるのは本当に久しぶりだ。


 レベルはまあまあ上がっているが、スピカは基本的に非力である。不意打ちも師には遠く及ばない。

 よしんば命中するにしても、まさか傷つくような相手がいるなんて……しかもそれが聖勇者だなんて、信じられない。


「ぐぇッ……ちょ……死……」


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 慌てふためきながらも、藤堂を地面に横たえ、その腹から容赦なく短剣を抜き、回復神法をかける。

 常に傷と筋肉痛でぼろぼろだったスピカが一番得意な神聖術だ。ちゃんと短剣を抜くと同時に傷を癒やしたので、血もほとんど滲んでいない。


「藤堂さん!? 何で、何で鎧着てないんですか!? 常在戦場ですよ!? いつ闇の眷属が現れるかわからないのに――」


「!? スピカ、落ち着いて、ナオが死ぬわッ!」


 死ぬわけがない。スピカは二本目の短剣を引き抜き、混乱しながら叫んだ。



「死んだら偽物です!」


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