第二十一レポート:勇者は何を考えているのかわからないし
フリーディアの修練場での修業の失敗。それ以来、藤堂はアリアの実家に軟禁されていた。
軟禁などと言っても、自由が奪われているわけではない。客人として広々とした邸宅の中を自由に歩くことは許されていたし、必要な物も言えば用意してくれる。
だが、邸宅の外に出て魔物を狩りに行ったりすることは許されない。
抗議もしたが、藤堂の双肩には世界の命運がかかっているのだと言われてしまえば引き下がるしかなかった。
そもそも、修行場の魔導具を勝手に使ったリミスは大目玉を食らったはずである。藤堂一人ならばともかく、これ以上勝手な事をして迷惑をかけるわけにはいかなかった。
こんな事をしていていいのだろうか。
焦燥に駆られるようにして邸宅内の広い訓練場で剣を振る。
召喚される前は剣など握ったこともなかったが、今では手足のように扱える。聖剣の持つ輝きは担い手の意志の光だ。
リミスとグレシャが遠くから剣を交えるアリアと藤堂を見ている。
静かに輝く剣を振り下ろし、藤堂は大きくため息をついた。
純粋な剣の腕は未だアリアの方が上だ。だが、その差は吸収した存在力と魔術・神聖術の差を覆す程ではない。
実戦でアリアと藤堂が戦えば高確率で藤堂が勝つだろう。だが、それは決してアリアの成長が遅いわけではない。
藤堂たちは成長している。レベルも上がっているし経験も積んでいる。一歩一歩着実に強くなっている。
だが、グレシャの言葉が頭にこびりついて離れない。
「……剣の腕を鍛えて、強くなるのかな?」
「それはもちろん……しかし、一般的にはレベルを上げる事が強くなるのに一番手っ取り早い方法だと言われています」
思わず愚痴をこぼす藤堂に、アリアが剣を構えたまま、小さくため息をつく。
「これは全ての職で共通です。存在力の違う二人が相まみえれば世界は存在力の高い方を優先する。人数的に優位だった我々の攻撃がヘルヤールにほとんど通じなかった理由もそこにある。優れた盗賊が壁を走れるのも物理法則よりも優先される程存在力が濃いから――」
この世界に来てから何度も聞いた大原則だ。故に、藤堂はレベルを上げねばならない。
アリアが真剣な表情で言う。ぴたりと止まった剣先からは確かな技術と長きにわたる研鑽が感じられるが、桁外れの存在力はそれを凌駕する。
「……そして今、この世界で最も存在力が高いとされているのが――魔王クラノスなのです」
数千の兵に匹敵する存在力。邪悪な神の加護。
凶悪な魔族達は巨大な闇の力に集い、この世界では手に負えない災厄と化した。
最初に召喚された時、藤堂は説明と謝罪を受けた。この世界を取り戻すためには勇者の力が必要だ、と。
この世界は、異世界の人間に力を借りるくらい切羽つまっている。
莫大な力を有する魔王を倒すには全てが必要だ。
努力、才能、経験、レベル、そして――この世界では一握りしか持つ者のいない『神の加護』。
そこで、先程入ってきた情報を思い出し、藤堂は顔を顰めた。
「でもさ……さすがに勇者の存在を周知するのは早くない? 結局ヘルヤールも僕たちの力で倒せたわけじゃないわけで」
まだ藤堂は自らを勇者だと誇れる実力を持っていない。だがそもそも、魔族からの襲撃を警戒し、実力がつくまで勇者の立場を隠すよう命じてきたのはルークスのはずだ。
アリアの父――ノーマンは藤堂にヘルヤールの討伐は藤堂の行動の結果だと言った。
だが、たとえそうだったとしても、降りかかる火の粉を払えるだけの実力がないという現実に変わりはないのだ。
今の藤堂ではあのヘルヤールが襲いかかってきたら為すすべもないだろう。
藤堂の本音を受け、同じくヘルヤール戦で手も足も出なかったアリアが眉を顰めた。
「それは……それだけ、切羽詰まっているという事でしょう」
「…………僕たちには情報が来ていないだけ、か……」
これまで藤堂はルークス王国の国内を旅し、研鑽を積んできた。外に出たのは水の都に向かったその一時だけだ。
だが、そのどの街でも、藤堂が最初に予想していたような悲劇は見られなかった。
これは魔王の攻勢が藤堂の想像よりも弱いわけではなく、比較的安全な場所だけを旅していたと考えるべきだろう。藤堂はこれまでの旅で自分より強い者をたくさん見てきた。だが、クラノス率いる魔王軍はその程度では太刀打ちできないはずの相手で――。
恐らく、今最前線に赴いても藤堂には何もできないだろう。力にはなれるかもしれないが、それは藤堂に『求められた』役割ではない。
ルークスからの要請を断るわけにはいかない。アリアやリミスの立場だってある。
今度こそ、力になろうと思った。最初は世界を救えると確信していた。選ばれた勇者にとってそれが必定だという根拠のない自信があった。
だが、今は――ない。
どうしたら不甲斐ない所を見せずにすむのか。人々を守れるのか。魔王を倒せるのか。強くなれるのか。
終わりのない思考がぐるぐると脳内を巡っている。
聖勇者の証である聖剣エクスを見下ろす。
この旅中ずっと振るい続けた聖剣は刃こぼれ一つなく、静かに藤堂の憂鬱げな顔を写している。
そこで――藤堂は気付いた。
…………あれ? エクスって……こんな剣だったっけ?
持ち上げ、剣を凝視する。
磨き上げられた青白い剣身。神が光を鍛え生み出したとされる羽のように軽い刃はしかし、あらゆる魔を祓う力を持つ。
最初に手渡された時にはその芸術品のような美しさに、冷たい輝きに、感動すら覚えた。見下ろすだけで聖勇者に選ばれたのだという実感が沸いてきた。
聖剣エクスに手入れはいらない。魔物を斬り殺した血すらも自然に浄化されるのだ。磨く必要もない。だから、剣身をしっかり見るのは久しぶりだった。
毎日見ていたので気づかなかったが、間違いない。
得体の知れない寒気が背筋を駆け上る。藤堂は呟いた。
「光が…………弱まっている?」
「…………はい?」
ありえない。聖剣は伝説の武器だ。万物を切り裂く最強の剣、勇者の証なのだ。
柄を握る手に力を込め、身体が求めるままに剣を振るう。かつての藤堂だったら放てなかった神速の連撃が青白い剣閃を宙に残す。
大丈夫、大丈夫だ。気の所為だ。きっともともと、こんなものだった。
そもそも、聖剣エクスは勇者以外には使えないのだ。つまり、まだ振るえている事こそ藤堂が勇者である証である。
――だが、ヘルヤールには通じなかった。
ふと脳裏を過るそんな言葉に、藤堂は歯を食いしばった。
「く、そッ!!」
「ど、どうしました、ナオ殿!?」
ルークスは聖剣エクスを藤堂に授ける時に言った。この剣は万象を切り裂く最強の聖剣だと。
かつて聖勇者が数多の闇の眷属と魔王を屠り世界に救済を齎した伝説の剣だ、と。
光が陰る。理由はわからないが、いい意味であるわけがなかった。
この事に……気づかれるわけにはいかない。王国にも、教会にも、そして――仲間にも。
大丈夫、まだだ。まだ聖剣は藤堂を認めている。まだ、アリア達も、気付いていない。
剣を鞘に納める。じっとりと手に汗をかいていた。呼吸が苦しいのは激しく剣を奮ったせいだろうか?
下がって剣舞を見ていたアリアが心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか? ナオ殿、顔が真っ青ですが――」
「あ、ああ、大丈夫だよ。少しだけ……頑張らないとなって思っただけだ」
どうすればいい? どうすれば輝きを取り戻せる?
いや、そもそも聖鎧フリードが着られなくなったのは――偶然なのか?
これまで深刻ではありつつもどうしようもないと納得していた事実が、再び脳裏に浮かんでくる。
光を失った聖剣。着られなくなった聖鎧。
この間にもしも因果関係があるとしたらそれはきっと――。
その時、リザースの使用人がアリアの元に駆け寄ってきた。
藤堂に小さく会釈すると、アリアに固い表情で言う。
「アリアお嬢様、スピカ・ロイルを名乗る黒尽くめのシスターがお嬢様にお会いしたいとやってきているらしいのですが――如何致しましょう?」
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