第十五レポート:神は何故暴力を許すのか

 まぁ、ステイは駄目だろうな……。


 テオ司祭に言いつけられた待ち合わせ場所で待つこと十五分。魔法のネオン輝く道の真ん中を堂々とやってきた男たちを見て、俺は思わず目を見開いた。


 敏腕だ。恐らくリムスのカジノの支配者、ピョートル・デルホルムの護衛の中でもかなり上の方だろう。

 ピュートル本人の姿はないが、間違いない。


 人数はたった六人だが、その身に秘めた膨大な存在力は彼らの歩んできた道を示している。


 街一つを支配するような資産家が信用しているのだ、纏った空気を考慮するとレベルは――70は堅いだろう。


 身につけた黒のスーツも一見ただの高級なスーツに見えて防刃防弾仕様の戦闘用である。

 もちろん、前線で魔王軍と戦っている者たちが身に纏う全身鎧に比べれば遥かに弱いが、レベルの高さがあればこのような内地で困ることはないはずだ。


 魔導師はいない。受け身の護衛にはそこまで適していないためだろう。そしてもちろん――僧侶もいないようだ。


 この魔王の侵攻に耐え忍ぶ時代、カジノ王の護衛を専属で行うというのは悪徳に寄っている。

 たとえ他人を誤魔化せても自分は誤魔化せない。長く教義に反する行動を取れば強力な神聖術を使えなくなるだろう。そもそも、ステイやアメリアのレベルが高いので忘れがちだが、僧侶のレベルはかなり上げづらいのだ。


 存在力に溢れ強化された身体能力により近接戦闘に特化した六人組。


 ざっと力量を確認する。こちらは一人だが――まぁこの程度ならば何とかなるだろう。


 黒服の中の一人。ピアスをしたくすんだ金髪の男が鋭い目付きで周囲を睥睨し、最後にこちらを見た。

 ネオンの輝く大通り。僧侶の証を身に着けているのは俺だけだ。


「あんたが――テオ司祭の言っていた僧侶プリーストか」


 金髪の男が威圧するように大きく身体を揺らして向かってくる。

 骨格は頑丈で肉体は鍛え上げられている。だが――なまっているな。


 存在力の蓄積により一度上がった存在のレベルは下がったりはしないが、それは弱くならないという事を意味しない。


 存在力の蓄積により上がるのは――下限だ。贅の限りを尽くせば贅肉はつくし、長く戦いの場から離れていれば勘だって鈍る。

 藤堂は弱い。レベルだけならば目の前の男よりも低いだろうし、身体能力もまだ及ばないだろう。だが、戦えば間違いなく藤堂が勝つ――はずだ。多分。


 敵意――というより、弱者に対する威圧を隠そうとしない男達に自己紹介をして、手を差し出す。


「あぁ、アレス・クラウンだ。よろしく頼む」


 男からは微かに酒の匂いがした。その唇がぴくりと震え、端が微かに持ち上がる。

 名も知らぬ男が乱暴に差し出した手を握る。





 そして、俺は男が手に力を入れる前にその手を握りつぶした。





「ぐぇっ!?」


 肉が潰れ骨が折れる感触。血の匂い。体温。悲鳴。気管を吸気が通り抜ける細い音。


 俺は僧侶だ。腕力には余り自信はないし、実際に同レベルの戦士と比べれば負けるだろうが、レベルに20もの差があれば話は別だ。


 男が苦痛に身を捩り手を引こうとするが、まだ握手は終わっていない。

 急な痛みに冷静さを失っている金髪の男に代わりその仲間が声を上げかける。


「き、貴様――」


「お前、俺の手を握りつぶそうとしたな?」


 俺は譲歩を引き出しに行くのではない。ゆっくりとすり合わせを行い譲ってもらうつもりはない。

 腹芸は苦手だ。時間がないのだ。すでにテオ司祭を通じて宣戦布告は済んでいる。


 一枚一枚手札を奪わねばならない。


 金髪の男が必死に手を引く。まだしっかり繋がっていた肉がみちみちと音を立てる。

 だが、離しはしない。どうせ傷は後で治せる。


「そ、そんな、ことは――」


「鈍っているぞ、戦場から逃げ帰った負け犬共め」


「ッ!?」


 俺は理性的だ。全ての人間には権利があり、この物騒な時代にも、まぁできるだけ守られている。


 たとえ力があり才能があったとしても、戦う義務なんてものは存在しない。


 レベル70は超高レベルだ。力を持ち、才能を持ち、そして運に恵まれねば至れない領域。人族をレベル順に分けたとして、間違いなく上位一パーセントに入る。


 レベルというのはより強力な存在と戦い殺さねば上がらない。こいつらは相応の魔物と戦ってきた。

 この時勢にここまでレベルを上げたというのならば――間違いなく前線に行ったはずだ。


 だが、今ではこんな所でカジノ王とやらの護衛につき、一般人相手に威圧を振りまいている。


 挙句の果てに秩序神の忠実な下僕である僧侶の手を握り砕こうなどと考えるとは、不信にも程がある。

 いや、構わない。彼らには信仰の自由がある。だから、その事に対してとやかくいうつもりはない。


「まさか自分達が未だ全盛期の力を保っているとでも、思ったのか?」


 だからこれは――ただのビジネスである。


 俺は手を握ったまま、腰が砕けている男の顔を掴む。目を細め、戦意を収束する。

 『威圧プレッシャー』。魔王との戦いを繰り広げる最前線ならば使えて当たり前のテクニックを受け、一瞬黒服達の身体が強張る。


「存在力という限られたリソースを食いつぶしレベルを上げた挙げ句、神命の邪魔をするとは――見上げた根性だ。貴様ら程度の力でも、前線に留まっていれば『壁』程度にはなったろうに」


「おお、お前、まさか――出戻り、組か!?」


 黒服の一人――一番後ろにいた、一番存在力が高い男が引きつった表情で俺を見る。


 今も前線で日夜魔王軍の侵攻を食い止める歴戦の傭兵や騎士たち。


 戦線は常に人手不足だ。趨勢は常に移り変わり、極めて高い死傷率を誇るその戦場から生きて戻ってこれる者は少ない。

 俺がそこに参加したのは異端殲滅官としての任務の一環だった。参戦したのは僅かな時間だが、肺が焼けるような戦場の空気を忘れた事はない。


 逃亡する者もいる、という話は聞いていた。だが、それは本当にごく僅かなはずだ。何故ならば――本来、強い意志なくしてその戦場に立つ事はできないのだから。


 まさかレベル70にもなり逃亡した挙げ句、力を無為に振るう者と、こんな所で出逢うことになろうとは、


 ――俺も大概、運がいいな。


 効率。

 必要なのは、効率だ。聖勇者には一刻も早いサポートが必要だ。思わず笑みを浮かべてしまう。


「ゴミ掃除と、交渉が同時にできてしまう」


「っ……ぁああああっ!」


 黒服の一人が刃渡り十数センチのナイフを抜き、斬りかかってくる。元斥候だったのか、足運びは流麗で一撃にも躊躇いがない。


 だが、遅い。そしてその程度のナイフではレベルの低い一般人や中堅程度の傭兵を切り刻む事はできても、同等以上のレベルの存在に大きなダメージを与える事はできない。


 ピアスの男を掴んだまま、数歩下がって連撃を回避する。

 ゴーレム・バレーで戦った金虎種の魔族――フェルサはこの数倍は早かった。レベルだけならば少し低いはずのサーニャと比べても話にならないくらい弱い。


 殺意を収束しろ。叫ぶな。喚くな。恐怖するな。殺らなければ殺られる。相手は常に殺す気で襲ってくる。そんな、なりたての傭兵ですら知っている事を忘れたか。

 堕落とは…………本当に恐ろしいものだ。


 握ったピアスの男を武器に適当に黒服達をぶん殴る。ナイフの一撃を、蹴りを、拳を、肉の盾で受け、振り払う。言うまでもなく神聖術で即座に回復しているので盾は死なない。まだこいつらには使い道があるのだ。


 相手が完全に戦意を失うまで時間はかからなかった。リムスのカジノに溺れた者たち。酔っ払い達が遠巻きに俺たちの喧嘩を窺っていた。

 衛兵が呼ばれないのは、眼の前の男たちが長くこの街の衛兵を代替していたからだろう。


 幾度となく攻撃を受け止め、しかし神の御業により無傷の盾を投げ捨て、ぼろぼろの男たちを見下ろす。



「貴様らの主人に言え。すぐに武具を用意しろ、と。いいか? 俺がまだ手を下していないのはそれが道理に反していて――ついでに非効率だからだ」


 なるほど、戦場で心が折れた後も大人しくしていられなかったプライドの高い負け犬を手駒にするとは敏腕だ。

 ピュートルが有する私兵はこいつらだけではないだろう。更にレベルの高い者を側に置いている可能性も低くはない。


 だが、とりあえずやれる事はやった。これでピョートル殿も少しは聞く耳を持ってくれる事だろう。



「できないんじゃなくて、やらない、だ。まだな。アズ・グリードはやれと言っているが、俺は神より少しだけ慈悲深い」



 俺は大きくため息をつくと、まるで最後の審判を待っているかのような表情でこちらを見上げる哀れな子羊達に念押しをした。

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