第十一レポート:結果と原因調査について②

 まるで、あらゆる災害が同時に起きたかのようだった。


 フリーディアの『修練場』は神霊から人間に課される試練の一つであり、命掛けだという話は聞いていた。だが、実際に訪れたその世界は藤堂の予想を遥かに超えていた。


 修練場――巨大な塔の中は精霊達の世界だった。


 迷路のような内部では、あらゆる属性の精霊があらゆる姿を模し、襲いかかってきた。

 風の竜が不可視の刃を放ち、土の大蛇が毒性の霧を吹き散らす。霊獣と呼ばれるそれら生命体の性質は、これまで藤堂が戦ってきたいかなる魔物とも違っていた。


 時に複数属性の精霊が協力して生み出された霊獣は物理攻撃がほとんど効かず、アリアの持つ魔剣でさえほとんどダメージを与える事が出来なかった。

 その身から繰り出される攻撃はすべてが強力な魔法攻撃であり、射程や範囲がとにかく広かった。


 そこはまさしく、精霊魔導師エレメンタラーの試練の場と呼べた。鎧や盾、剣は役に立たず、押し寄せる精霊たちに対抗するには、こちらも契約した精霊を使って防御・反撃するしかない。

 それでも、藤堂達の武器防具は極めて強力である。アリアの鎧にだって魔法攻撃による耐性はあるし、藤堂の聖剣エクスは実体のない霊獣をただの獣のように切り裂く事ができる。リミスが契約した精霊は火のガーネットと水のアクアマリンだけだが、そのどちらも上級精霊であり、ある程度ならば属性相性を無視して眼の前に現れた精霊達を薙ぎ払う事ができた。 


 だが、その事実が逆に藤堂達の撤退判断を遅らせた。


 塔は登れば登るほど強力な精霊が出現するようになり、最上階には、この修練場を生み出したフリーディアの始祖が契約を交わした神霊がいるという。


 すぐに限界がきた。迷路のような構造はとにかく死角が多く、不意打ちで襲いかかってくる精霊に相対するのは肉体以上に精神が削られた。

 迷路のような構造という意味ではピュリフで経験したユーティス大墳墓でのアンデッド達との戦いを思い出すが、敵の質が違いすぎた。そして、狭い通路内で放たれたあまりにも範囲の広い攻撃は、その動きが見えていても回避困難だった。


 神聖術ホーリー・プレイには属性攻撃に対する耐性を付与するものも存在するが、藤堂はまだ使えない。これまで必要になることがなかったので、習得が遅れていたのだ。そして、それを必要ないものにしていた聖なる鎧を今の藤堂は装備出来なかった。


 身に刻まれる傷跡は痛み以上に、藤堂に衝撃を与えた。これまでの旅で藤堂はほとんど大きなダメージを受けていなかった。重傷と呼べる傷を受けたのはせいぜい、グレゴリオ戦とヘルヤール戦くらいだろうか。


 まず攻撃に参加する余裕がなくなった。血まみれの中、久しぶりに、神力が欠乏するほど神聖術を行使したが、全く回復が追いつかなかった。リミスも数限りない精霊を前に、すぐに魔力切れになった。アリアが皆を庇い、前に立って道を切り開こうとしたが、一番体力のあるアリアでも無数の精霊の前には無力だった。


 そして、藤堂達は倒れ伏し――気づいた時にはベッドに寝かされていた。



 まるで深い水の底から浮き上がるかのような感覚だった。

 意識が戻る。最初に藤堂の目に入ってきたのは高い天井だ。

 身体の奥にずっしり残る強い疲労に目を瞬かせ、起き上がろうとして全身に奔った痛みに思わず眉を顰める。


「僕は……あぁ…………ッ」


 記憶が途切れる寸前の光景を思い出し、息が詰まる。これまでも何度も危うい戦いを繰り広げてきたが、純粋に戦いに破れ倒れたのは初めての経験だ。

 手足には包帯が巻かれていた。記憶がなくなる寸前、藤堂は血まみれだったはずだが、今この程度で済んでいるのは、誰かが回復魔法を掛けてくれたからだろうか。


 絶え間なく飛んでくる攻撃魔法と襲いかかってくる無数の霊獣との戦いは、絶望的な力量差はあっても相手がたった一人だったヘルヤール戦とはまた違った死地と呼べた。


 だが……どうして生きているのだろうか? この世界はファンタジーな要素が満載だが、ゲームとは違う。負けたからと言ってセーブポイントから再開できるなどという事はないはずだ。

 全滅必至の状況だった。魔力が切れたリミスに、血まみれの藤堂。最後に見たアリアの背中も藤堂に負けず劣らず血まみれで、出口はまだ遠かった。どんな奇跡が起こればこうして生きて帰ることができたのか、全く想像できない。


 周りをそっと見回す。藤堂がいるのは記憶にあるリミスの寝室。そのベッドの上だ。

 隣を見ると、藤堂と同じように手足に包帯を巻かれたアリアが寝かされている。その胸元の上下の動きから、息があることがわかった。

 藤堂と同じように、目立った傷がないのは回復魔法を掛けられたためか。


 とりあえずアリアの事は置いておき、リミスの事を探そうとベッドから立ち上がろうとしたその時、タイミングよく寝室の扉が開いた。


「リミスッ! よかった……」


「ナオ……目が、覚めたのね」


 入ってきたのは、リミスと、いつも通り無愛想なグレシャだった。

 グレシャの不機嫌そうなその瞳に、ぎゅっと心臓を握られたかのような心地になる。


 リミスは深々とため息をつくと、藤堂の眠っているベッドに腰をかけた。


「傷は大丈夫? 一応、教会の人が来て回復魔法を掛けてくれたんだけど……貴方、死にかけてたのよ」


「あ……うん。まだ少し痛むけど、大丈夫だよ」


「アリアが一番重傷だったの。最後まで、前に立って戦ってたから――でも、安心して。命に別状はないみたいだから」


 その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。アリアは藤堂よりもレベルが低いし、盾を持っているわけでもない。鎧を着ている分、藤堂よりはマシなはずだが、アリアの鎧は藤堂がこの前まで着ていたような伝説の鎧ではない。あの魔法攻撃の嵐を前にどれほどの意味があったか。

 

 リミスが力の抜けるような笑みを浮かべ、説明してくれる。


「アリアと貴方が倒れた後――私、ギブアップしたの。全員が倒れた時にだけ使えるんだけど……精霊達が聞き入れてくれてよかったわ。それで、精霊達が私達を追い出して、部屋で待っていたグレシャが血まみれの私達を見て助けを呼びに行ってくれたってわけ」


「なるほど……それで……」


 これが実戦だったら間違いなく死んでいた。その言葉に、冷たい何かが背筋を駆け上る。

 いや、今回だって――リミスの口ぶりから推測するに、ギブアップが間に合わなかったら藤堂達は殺されていたのだろう。


「グレシャ……ありがとう」


「……」


 グレシャが何も言わずに顔を背けた。照れているのか、それとも迷惑がっているのか、その表情からは判別がつかない。


 危うい所だった。修練だからといって、完全に油断していた。気が急いていたなど、言い訳にもならない。

 グレシャを連れて行くべきだった。修練場の難易度をもっとしっかり調べておくべきだった。


 不意にリミスが大きく頭を下げる。長い金髪の先端がベッドに垂れる。


「きついとは聞いていたけど、まさかあそこまでだなんて……ごめんなさい。今回は私のミスよ」


「……いや、僕のミスだ……魔法攻撃を甘く見ていた」


 藤堂には八霊三神の加護がある。その魔法耐性は加護を持たない人間よりも遥かに高い。


 だからだろう。鎧を着ていない状態でもなんとかなると思い込んでいたのは。


 これまでの冒険と今回の違いはわかっていた。

 考えるまでもない、聖鎧フリードの有無だ。旅の開始時からずっと装備していたので、あって当たり前になっていた。これまで大きなダメージをほとんど受けずに済んできたのも、今思えばその力が大きかったのかもしれない。


 あれがあれば、今回の試練も少しは違っただろうか。

 聖剣エクスの威力は確かだった。藤堂が前に立ち、道を切り開けていればパーティ全体に余裕ができた。パーティ全体のダメージが減れば回復魔法をかける回数も減り、手数も増やす事ができる。


 そこまで考え、藤堂は頭を押さえ、魂の抜けるような深いため息をついた。


 だが、その想像ももはや無意味だ。藤堂では聖鎧フリードは装備できない。あれは勇者の証である、藤堂も限界ぎりぎりまで装備を試みたのだ。

 藤堂の胸が縮まない限り装備出来ないし、乳房を切り落とすわけにもいかなかった。怖いのではない。聖鎧フリードには僅かだが傷を癒やす能力があるのである。もしも鎧を着た状態で切り落とした胸が再生したら、鎧の中で圧迫死してしまうかもしれない。さすがにそんな死に方はこの世界の人に申し訳無さすぎる。


 今回の戦いでは課題が沢山見つかった。

 神聖術の習熟度が足りない事もわかったし、藤堂が全属性の精霊と契約できていて、霊獣の属性に対応した精霊で攻撃や防御できていればそれでもまた結果は変わったはずだ。そして何より、加護による耐性がそこまで過信できないものだという事がわかった。鎧の代わりの選定も早急に進めねばならない。


 リミスの表情に力がないのも、彼女自身の課題によるものだろう。そして、アリアにも課題はあるはずだ。


 だが、今は――死ななくて、本当によかった。生きてさえいればまた立ち上がることができる。

 力を抜き、ベッドの上に倒れ込む。柔らかいベッドにぶつかった衝撃で、肉体に少しだけ痛みが奔る。


 その痛みに、思わず笑みを浮かべる。痛みとは生きている証だった。


 生の証に目を細める藤堂の耳に、ふと甲高い声が入ってくる。






「藤堂さーん! リミスちゃん! こんにちはー!」


「……?」


 何か幻聴が聞こえたような……。

 

 起き上がりリミスの顔を見るが、リミスも不思議そうな表情で藤堂を見ている。

 やはり幻聴か……。


 それは、聞き覚えのある声で、しかしここで聞こえるわけがない声だった。

 なにせ、その少女とはゴーレム・バレーで縁が切れているのだ。


 もしかして頭でも打ったのだろうか。こんこんと自らの頭を叩き、眉を顰める藤堂の前で、先程リミスが入ってきた扉が勢いよく開いた。


 混乱のあまり、思考がフリーズする。ここにいるわけがない黒髪黒目の少女が、固まる藤堂とリミスの前でにこにこ元気よく叫ぶ。



回復魔法ヒール宅配便ですッ! アレ――ッな、人から頼まれて、回復魔法を掛けに来ましたッ! 後は……そう! お話を聞きに来ましたッ! どうして試練に失敗したんですか? 私でもなんとかなったのに! そして、鎧、ちゃんと装備してましたか!?」



 藤堂は再びベッドの上に倒れ込み、何もなかったことにして目をつぶる事にした。




§ § §






「アレスさんッ! ご命令の通り、話を聞いてきましたッ!」


「そうか。報告しろ」


 俺の不機嫌な声を聞いても、ステイの表情は微塵も揺るがなかった。肝の座り具合は一級品である。神様はステイの事が大好きなようだ。そして、全知全能な存在でも彼女のドジっぷりを治すことは出来なかったのだろう。

 いや、もしかしたらドジという代償があるからこそ性能がここまで高くなったのかもしれない。どうでもいい。


 皆の前で、何が楽しいのか、ステイがにこにこしながら報告する。


「藤堂さん、やはり鎧を着ていなかったらしいですッ! さすがアレスさんの言う通り!」


「ッ………………理由は…………聞いてきたんだろうな?」


 報告は想定通りだが、ステイの言い方が癇に障る。

 それでも怒りを堪え確認する俺の前で、ステイがさらなる満面の笑みで言った。



「もちろんですッ! 藤堂さんは、イメチェンしたので、もう聖鎧フリードは着ないらしいですッ!」

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