第八レポート:禁断の切り札について

「最悪だ……」


「……少なくとも、私の探知できる範囲に藤堂さんはいません」


 グレシャからの報告。そして、アメリアの探知結果を聞き、俺は久しぶりに胃が痛くなって神聖術を使用した。

 引き篭もったならちゃんと引き篭もっていて欲しかった。勝手なことをして欲しくなかった。せめて何かやるのならば事前に教会に報告を入れて欲しかった。


 多少の発破くらいで引き篭もる程精神が弱いとは思っていなかったが……立ち直りが早すぎるのも考えものだ。


 行方を見失ったのは最悪だ。そして、それに気づくのが遅れたのが――事態を最悪のその先に進めている。そう、俺が考えていた最悪は最悪ではなかったのだ!


 部屋は密室である。窓もないし、扉から出ていったのならばあの駄竜も間違いなく気づくだろう。何よりも、寝室にメモが残されている。

 敵にさらわれた可能性は――薄い、と思う。藤堂達が消えたのはフリーディアの邸宅だ。フリーディアの邸宅には優れた精霊魔導師達が大勢詰めている。セキュリティは完璧だ、破る手段があるとしても誰にも気づかれずに幾重にも張り巡らせた魔術をかいくぐるのは難しいだろう。


「アメリア、教会に連絡だ。藤堂が修行を名目に失踪した。見かけた者がいないか調べさせろ――――内密にな」


「わかりました」


 聖勇者の存在を知っているのは教会のごく一部と、ルークス王国の上層部のみだ。迂闊な行動で存在を露呈してはいけない。いつかは明らかにするのだろうが、それを決めるのは俺ではない。


「現場が見たいな。何かからくりがあるはずだ」


 落ち着け、まずは落ち着くんだ。


 人は理由なく消えたりしない。修行してくるというメモが残っているという事は、藤堂達は自らいなくなったという事だ。

 グレシャでは頼りにならない。何か気づいたら報告の時に挙げてくるだろう。

 盗賊の技能か魔術師の知識が必要だ。


 だが、リミスの寝室があるのはフリーディア邸宅の最奥である。調査しにいくのも簡単ではない。


 まず、フリーディアは教会が聖勇者を監視している事を知らない。どうやって勇者が消えたのを知ったのかという話になる。

 バレれば教会への不信感を植え付けてしまうかもしれないし、教会が聖勇者の力を信頼していないと告げるようなものだ。

 その辺りは俺一人で責任を取れる領域を越えている。真実を告げて確認するかどうかは上の決定次第だな。


 あるいはグレシャを通して藤堂がいなくなったことをフリーディアに知らせるか?

 フリーディアにとっても藤堂が邸宅内で行方不明になるのは最悪だ。かなりの大事になる。彼らはどう判断する? どう動く? あるいは勇者のメモが残っているのだからと、特に何もしないか? 予想がつかない。

 知らせるのは状況を正確に判断してからでも遅くない、か?


 どちらにせよ、黙ってみている訳にはいかない。


 部屋の中をウロウロ歩き回っていると、サーニャが声をあげる。


「んー……忍び込もうか? なんなら、友達だとか言って通してもらうとか?」


「……そんな理由で見ず知らずの者を家に入れるわけがないだろ」


 ましてや今、リミスの元には勇者の藤堂がいる。これでサーニャを通すのだったら、フリーディアのセキュリティは俺の想定よりも数段下という話になる。ましてやサーニャは半獣人だからな。

 ラビが小さく咳き込みながら、真っ赤な顔で言う。


「こほッ、こほッ……ボス、私が行きましょうか……」


「………………いや、そうだな……」


 ラビでもまー常識的に考えたら侵入は無理だろう。彼女は優秀だが、言ってしまえばただの首刈りウサギなのである。


 俺に思い当たる手は一つだった。

 考えただけで頭がずきりと痛み、胃がむかむかしてくる。


 だが、現状いい手は思いつかないが、打てる手だけでも打っておくべきだ。

 グレシャからの精神攻撃の結果とは言え、勝手に行動した藤堂達にもお灸をすえる必要がある。


 修行中にルークス王から呼び出しがかかったらどうするつもりだよ。


 俺は部屋の隅に行くと、大きく深呼吸をして、胃を押さえ万全の態勢で通信の魔導具を起動した。本部の通信手オペレーターに要請する。


「アレス・クラウンだ。ステファンにつないでくれ。…………ああ、そうだ、そのステファンだ、通信手オペレーターを首になって謹慎を食らってるそいつだ、間違いない。正気? ああ、もちろん正気だ。いや、ああ、わかってる。俺も二度と関わりたくないと思っていた。だが、使い所があるんだ――いいから繋いでくれ!」


「ボス……誰と話してるんだろう」


 サーニャが呆れたように言った。通信手オペレーターにここまで警告されるのは始めてだ。

 だが、手段を選んでいる場合ではない。こうなれば死なばもろともだ、藤堂達に事前連絡なしで勝手に修行を始めた事を後悔させてやる。




§




『ついに……ついについに再び、私の力が必要になったのですね』


「いいから五分で来い」


『私、修行しました。強くなりました。当社比で……百五十パーセント戦力アップです。きっとお役に立てる? と思います』


 藤堂達、死ぬんじゃないだろうか?


「黙れ。ステイ、俺の言う通りに行動しろ。お前は謹慎を食らっていたがつい外に遊びに行きたくなり、こっそり抜け出してうっかり王都ルークスに来てしまった。誰の意思でもない、自分の意思で、だ。わかったな? 復唱しろ」


『しかしアレスさん……問題があるんです。実は私、そのですね……何度か外に逃げようとして、今は見張りが五人も――』


「知らん。お前が勝手にやったことだろ、なんとかしろ」


 ステイが回収されてから教会本部でうずうずしているのは知っていた。

 一部、極わずかな致命的な欠点を除けば奴の性能は完璧だ。アメリアの話では学校の成績も極めて優秀だったらしい。世も末である。

 そして何より今回のケースで奴が適切な最たる理由は――ステイが過去フリーディアで精霊魔術エレメンタル・マジックを学んでおり、フリーディアと懇意の関係にあるという点にある。おまけに枢機卿の娘。世も末である。


 正直、奴を再び使う日が来るとは思っていなかった。ゴーレム・バレーでは散々な目にあった。ステイはまさしく諸刃の剣だ。


 通信を始める前までは柔らかな口調でうまいこと丸め込もうと考えていたのだが、声を聞くとどうしても数ヶ月前を思い出し粗暴な対応になってしまった。


 教会本部からルークスまでは最速で来ても五時間程かかる。ステイの場合は追手を振り切らなくてはならないので更にかかる。

 上層部からの反応を待ちつつ、ステイを待ちつつ、ステイを受け入れる覚悟をしつつ――途中で藤堂が帰ってきたらそれでお役御免だが、まぁ奴ならばなんとかするだろう。


 雑な指示を出して三十分程。藤堂が消えた時間から逆算し、藤堂が修行に使いそうな場所を分析していると、突然眼の前の空間が歪曲し、凄まじい衝撃が空気中を奔った。

 窓ガラスが一斉に割れ、サーニャが短く悲鳴を挙げてベッドの後ろに隠れる。


 何だ!? 何が起こった!?


 とっさに立ち上がり、右手でメイスを取り上げ構える。


 衝撃の発生点。部屋の中心を睨みつける。


「…………」


「ッ……ッう……いったぁ…………あぁ、あ……ああ……アレスさんッ!?」


 粉々になった机と椅子の上で、まるで魔法のように一瞬で現れた女が頭を挙げ、俺を見て歓声をあげた。


 神は与えてはいけない力を与えてはならない者に与え給うた。


 飛びついてくるステファン・ベロニドに思わずメイスを振り上げかけ、ぎりぎりで思いとどまり左手でげんこつをお見舞いした。

 ステイが奇声をあげて床に転がる。俺は真剣な表情で言った。


「ステイ……お前、まさか、転移魔法を覚えたのか……」


「っつぅ……い、今言うこと、それですかぁ?」


 ステイが頭を押さえながら、涙目で俺を見上げる。


 空間転移は数ある魔術の中でも最難関である。人間の使い手を見るのは本当に久しぶりだ。

 ノリや洒落で使っていい魔法ではない。


 ゴーレム・バレーで別れてからの短時間で身につけたのならば、ステファン・ベロニドは正真正銘の天才であった。


 というか、転移って、こいつが以前まで使っていた精霊魔術エレメンタル・マジックとは分野違うんだけど……。


 戦慄する。もともと能力は高かったが――能力を持つ馬鹿程恐ろしいものはない。こいつもしかして魔族じゃね?


 いつどこに現れるかわからないドジっ子。


 致命的なドジにさらなる力を与えてしまった。俺はベロニド卿に殺されても文句は言えないかもしれない。


「な? 何、その人? ボスが呼んだ人? てか、今の魔法って――」


「…………ボス、素晴らしい人脈です。ですが、場所は考えるべき、だと、思います。けほっ」


 ステイを売った金で手に入れた二人がドン引きしている。俺も是非そちら側に混ぜていただきたい。


 が、ステイは褒めればつけあがる。ビシバシしつけなければ満足にお使いもできない、そんな奴だ。そしてその事を恥じもしない、藤堂以上の鋼鉄の心臓を持っている。


 俺は平静を装い、ベッドの上に腰を下ろして足を組んだ。

 ステイは手を合わせ、にへらと笑っている。


「やった……ッ! せいこう! とうとう、成功しました! 勉強したかいがありました! 空間転移テレポート――これは私、『賢者』と名乗っても言い過ぎではないのでは?」


 ステイの年齢を考えれば、下手をしたら空間転移テレポート習得、歴代最年少である。


「おい、ステイ。ここの部屋、どうするつもりだ!? 扉から入ってこいと、お前はそんな事すら言われなければわからないのか?」


「え? ええ? えっと……その…………私、アレスさんから無茶な呼び出しを受けて、その……それで、頑張ってきたんですけど?」


 ステイのお付きの人が本当に可哀想であった。俺がお付きに任じられたら躊躇いなく辞職するだろう。

 後で連絡しておこう。空間転移を阻害する部屋に入れるようにアドバイスもつけておこう。


 馴れ合うつもりはない。俺がステイを呼び出したのはどうしてもそれ以外の手が思いつかなかったからだ。毒をもって毒を制するのだ。

 俺は、褒めて欲しそうなステイの頬をつまみ、力を込めて指示を出した。


「ステイ、お前には今すぐフリーディアの家に侵入してリミスの部屋を調べてもらう。今すぐだッ! いいな?」


「い、今すぐですか!?」


 俺の剣幕に、ステイは目を大きく見開き肩を震わせたが、すぐに相好を崩した。でれでれと照れくさそうに言う。


「え、えへへ……この感覚、とっても懐かしいです。なんか、働いてる感じ、みたいな? 私、頑張ります!」


 やべえこいつ。力だけでなく心臓までパワーアップしてやがる。前も相当だったぞ? どんな修行を経ればさらなるパワーアップを遂げるんだよ。


 俺は久しぶりに敗北感を感じながら、せめてもの抵抗のつもりで、短く命令した。


「……行け」



§



「ん? ボス、何を食べてるの?」


「胃薬だ。なんとなく気分が晴れる」


「…………そ、そう。ボクはいらないよ?」


 半ばヤケ気味に胃薬の錠剤を口にいれ噛み砕く。俺のレベルになると一般家庭で使われるような薬は効かないし、そもそも胃痛は神聖術で治せるのだが、胃薬を食べるとなんとなく調子がよくなった気がするのは疲れているからだろうか。


 フリーディアの邸宅から離れた場所で、ステイの様子をモニタリングする。潜入結果は常にステイの通信魔法を通じて報告されてきていた。なんでもできるのかよ、死ねッ!


「いいか、絶対に余計な事するんじゃないぞ。これは振りじゃない、これは振りじゃないぞッ! お前はリミスの友人で、ただ遊びに来たんだ。余計な事言うんじゃない、いいな?」


『わかってます。わーかーってーまーすー。大丈夫です。私とリミスちゃんは親友なのでッ! ふふふ……アレスさんは、泥船に乗ったつもりでパワーアップした私を見ててください!』


 泥船……おそらく冗談なのだろうし、ステイとしても場の空気を盛り上げようとしているのかもしれないのだが、自分でも理不尽だと思うが、無性に腹が立ってくる。

 駄目だ。理不尽なのはよくない。リーダーは常に寛容でなくては。自制しなくては。


「そんなに不安なら呼ばなきゃよかったのに……」


 サーニャがもっともなコメントをする。今更だが、俺もかなり早まった気がしている。藤堂への恨みが積もっていたのかもしれない。寛容でなくては……。

 俺はボトル型の容器から胃薬をざらざらと手の平にあけ、口いっぱいに頬張った。エグミと独特の臭いが口の中に広がるが、この程度で気が晴れるのならば儲けものだ。


「こほっ、こほっ……ボス、身体に障ります……」


 珍しいことにラビが心配そうな声で言う。暗殺者に慮られる程俺の顔色は悪そうなのだろうか。どちらかというとラビの方が心配である。心配事ありすぎであった。


『!? アレスさん、フリーパスです! フリーパスでした! 守衛さんも皆、何も聞かずに通してくれました! 見てました? 私、フリーパスです! えへへ……リミスちゃんの家に来るのは久しぶりですが、皆覚えててくれたんですね……なんか嬉しい……』


 それ、厄介事に関わりたくなくて逃げてるんじゃ――――無敵かよ。



『お部屋にはいりまーす。あ、グレシャちゃん久しぶり! なんで逃げるの!?』


「……いいからさっさと寝室を調べろ。気づいた事があったらどんな些細な事でもいい。報告してくれ」


『わかってますって! 今の私は、アレスさんの知る私ではありません! パパからも、最近ではステイはあまり転ばなくなった、成長したって褒められて――』


「興味ないからさっさと仕事をしろッ! 細心の注意を払えッ! 何かあっても不用意に触るんじゃないぞッ!」


『はーい。お邪魔しまーす! おやおやぁ? これは…………?』


 相変わらず緊張感のない奴だ。だが、何か見つけたらしい。

 いくら聞いても要領を得なかったグレシャはやはり駄竜のようだった。もしも……ステイの言葉がただの振りだったら後でぶん殴ろう。


 だが、俺の覚悟は杞憂のようだった。感心したようなステイの声が聞こえる。


『これは――扉ですね。リミスちゃんちの秘伝――『修練場』への扉です。私も噂でしか聞いたことないですけど……』


 『修練場』……? 初めて聞く単語だったが思い当たる節はあった。


 超高度な魔法で生み出した異空間で修行して力を高めるのは由緒ある魔術師の家系ではありがちな話である。

 どうやら、グレシャの言う通り藤堂達は部屋の外には出てはいなかったらしい。最悪のパターンはなんとか回避出来そうで、ほっと一息つく。


 リスクを背負ってステイを送り込んでよかった。ステイも時には役に立つな。


『フリーディアのおじさまもそこで修練を積んだとか、フリーディアの当主は代々そこで訓練を積まなくてはいけない家訓があるとかないとか。あ、あとこの魔法、とっても危険で――――あッ!?』


「!? どうした? おい、何があった!? ステイ!? 危険ってどういう事だ!?」


 いきなり通信がぶつんと切れる。慌てて呼びかけるが、返事が返ってくる気配はない。完全に切断されている。

 先程まで、通信はスムーズだった。もしも仮に切断されたとしてもステイが正気ならば再び通信をつなぎ直してくるだろう。


 いや、俺には切断の間際、ステイが最後に放った言葉に覚えがあった。それはただの予感だったが、おそらく間違いない。


 ステファン・ベロニドはそういう女だ。


「何かあったの!?」


「………………多分、転んだんだ」


 俺は胃薬のボトルの中身を全て口の中に空け、噛み砕いてから答えた。


 転んで、そして、修練場に入ってしまった。もはや悲嘆に暮れるのも面倒くさい。


 とりあえず状況はわかった。アメリアが帰ってきたら対策を立てるとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る